少女漫画な出会いかた

ちさめす

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「ひやあ~! 遅刻遅刻~!」

私の名前は一年暦(いちねんこよみ)。ただいま全力疾走中です。

愛用している目覚まし時計が鳴らなくて、起きた時にはもう出る時間。

――今週だけでもう四度目だけど、今日も今日とて遅刻は絶対しないから! 急げ私~!

遠くに見える校舎を見つめたまま、私は食パンをくわえながら通学路を急いだ。


◇◇◇


交差点に差しかかる。

「このペースなら間に合いそうかな」と、思ったその時――。

ドン。

「あいてっ!」

私は誰かとぶつかった。

――いてててて……。

「おい、ちゃんと前を見とけよ」

「何……?」

私はずれた眼鏡をかけ直して相手を見た。顔は見たことないけど、私が通っている高校の制服を着ていた。

――上級生かな?

「おい、聞いてんのかブス」

「なっ!? ブス!? ブスって何よ! それにこういうときって普通は手を貸さない!?」

私は立ち上がって地面に落ちた食パンを拾った。

「おい」

「な、何よ?」

「そのパン……何もつけてないのか?」

「何? つけて?」

「お前は耳も悪いのか? 俺はお前にそのパンは何もつけてないのかと聞いてるんだ」

「耳なんて悪くないわよ。それにつけるって何よ。……もしかしてジャムのこと?」

「それ以外に何がある」

「何もつけてないわよ」

「はん! お前は味のしないパンを食べるのか」

「ぬる時間がなかったんだからしょうがないじゃない!」

――何? こいつ、すごい図々しいんだけど……。

「幸運だな、女! 俺と出会えたことを誇りに思うがいい!」

そういってジャケットをばさっとした彼は、内ポケットから何かを取り出して私に近寄った。

――ちょ、ちょっと……近い! 近い!

「な、何よ……」

「そのパンを俺によこせ」

彼は、唇三十センチの距離でそういった。

「い、いいよもう。落ちたものだし私が捨てておくから」

「いいから俺によこせ」

そういって彼は私から食パンを奪い取った。

「あっ! 私の食パン!」

「落ちたのはこっちの面か。よし……」

彼は食パンをひっかいて汚れを削り落とす。

「もしかして食べる気なの? 落ちたパンだよ? ばっちいからやめときなよ」

「お前、三秒ルールを知らないのか?」

「落として三秒以上たってるけど」

「はん! これだから素人は困る。俺がこのパンを見た時から、パンの時間は止まってるんだよ」

彼はポケットから出した物のキャップを外してパンに当てた。

「何をかけてるの……?」

「メイプルシロップさ」

――何でそんなもの持ち歩いてるの?

「さあこれで、美味しいメイプルパンのでき上がりだ」

そういって彼はメイプルパンを食べはじめた。

――そんなにお腹空いてたのかな? 

「じゃあな、ぽんこつ女」

「ちょ、ちょっと! 誰がぽんこつ女ですって!」

声を荒げるが、彼は反応しないまま立ち去った。

――何なのあいつ……って、こんなことしてる場合じゃない! 私も急がないと遅刻しちゃう!

私は学校へと急ぐ。

これが、私と彼の出会いだった――。


◇◇◇


チャイムが鳴るとすぐに先生が入ってきた。

「おはようさーん」

「おはようございます先生~」

「早速だけど転校生を紹介する。おーい! 入ってこーい」

扉が開き転校生が中に入ると、クラスのみんなはざわついた。特に女子の悲鳴のような声が響く。「イケメンなんだけど~!」とか、「タイプなんだけど~!」という声が聞こえてくる。

だけど私の印象は違った。

彼は、朝にぶつかったあいつだったのだ。

――朝の図々しいやつ!

先生に挨拶を促された彼は頷く。

「清水春日(しみずはるか)です。親の都合でこっちに引っ越してきました。これからよろしくっす」

悲鳴と拍手が起こった。その光景はまるでアイドルが転校してきたかの様だった。

――「聞いてんのかブス」とか「じゃあな、ぽんこつ女」とか、よくもまあ初対面であんな悪口いえたわね。

みんなが祝福する一方で、私は清水との最悪の出会いを思い出していた。

そんな時だった。

清水は私に気づくと、教壇から降りた。周りはざわつき、先生は、「ちょっと?」と困惑している。そして、彼は窓から二列目の一番後ろに座る私の席までやってきた。

「な、何よ?」

「朝はどうも。プリンセス」

「……はい?」

「なになに知り合い?」とか、「どういう関係?」とか、「プリンセスだって? まーじぃ?」とかの声が上がった。

「一年、お前の知り合いか?……そうだな、だったらちょうど隣が空いてるし、清水の席は一年の隣だ」

「げっ!」

――こんな最低なやつが隣!?

そうして私の学校生活は、突然やってきたこの転校生のせいでがらりと変わっていくのであった――。


◇◇◇


変化その一。

授業中、清水はまだ教材が届いていないということなので、窓側に座る彼と机をくっつけて教科書を見せてあげた。彼はノートや筆箱は持ち歩かない主義らしく、たまたま持っていた新品のノートを彼にあげた。

――なのにこいつはお礼の一つもいわなかった! ほんと図々しい!

変化その二。

休み時間がくる度、清水は多くの女子に囲まれる。意気揚々と話す彼がいうには、自分が気に入った相手にはプリンスやプリンセスと呼ぶらしい。

――どうやら私は気に入られたみたいだね……全然嬉しくないんだけど!

その理由は二つある。

一つ目はこいつの図々しいさを好きにはなれないこと。最初の授業で貸したシャーペンは今や彼の私物となった。結構お気に入りのウサギさんだっただけに少し悔しかった。

二つ目は――。

「ちょっとあんた。清水くんの席が隣だからっていい気になるんじゃないよ! 清水くんのハートは私がもらうんだからね!」

「そうよそうよ!」

横松阿子(よこまつあこ)と恋竹伊子(こいたけいこ)、そして慕梅宇子(ぼばいうこ)の三人組だ。いつも三人でいる。

「横松さんのほうがお似合いだよね、あはは……」

――ほんとに彼には興味ないのに。

なのに。

「調子に乗んじゃないわよ! 自分は隣だからって余裕ぶっこきやがってよお!」

「そうよそうよ!」

――はあ……。

「あ、あのねえ横松さん、私はほんとに――」

「いい? よく聞いて? 次に私の清水くんに手を出してみなさい、許さないからね!」

――人の話は最後まで聞いてよ……。もう、私はそっとしておいてほしいだけなんだけどなあ……。


◇◇◇


昼休み、私はいつも校舎の屋上でお弁当を食べる。親友の永瀬翔子(ながせしょうこ)とのこの時間が私の密かな楽しみだった。この日もお母さんのお手製弁当を食べながら翔子に朝の出来事を話した。

「今日はいろいろと災難だったね」

「翔子ちゃんならわかってくれるって信じてたよ~」

「私も見た感じメイプル王子は結構癖が強いと思う。隣の席だからしばらくは気をつけたほうがいいかもね」

翔子ちゃんは清水が私のことをプリンセスと呼ぶところから彼にメイプル王子というあだ名をつけていた。

「いいアイデアがあるよ。この方法なら席が隣でも『この人に話しかけるのはやめとこう』って思わせられる」

「え! なになに?」

「被り物だよ。被ればもうメイプル王子には声をかけられなくなる。そして気づけば接点なしというわけだ」

「被り物か~」

翔子ちゃんはコスプレが趣味の女の子だ。赤のラインが印象的な赤松高校の制服を好きにはなれず、少しずつ制服に裁縫の手を入れていった。ただ、どこまでいっても先生にはばれず、今となっては翔子ちゃんだけがチェックのスカートとなっている。

翔子ちゃんは入学式の時、全身カエルの着ぐるみで整列していた。でもさすがに背の順で一番前だったこともあって、着ぐるみはすぐに脱がされていた。何をやってもばれないというわけではないので、翔子ちゃんはどこまでのコスプレなら許されるのかを日々研究している。

――うん、ありかもしれない。

「ものは試しだよね! 明日被ってみようかな」

「わかった。じゃあ明日持ってくるね。そしたら私は何を被ろうかな……」


◇◇◇


昼食を終え、私たちは階段を降りて教室に向かっていた。

「お! いいところにいたな。おい一年! ちょっとばかり荷物を運ぶんだが手伝ってほしいんだ」

「先生、何で私が?」

「今日の日直はお前だろう?」

「そんなあ~」

「暦、私も手伝うよ」


◇◇◇


職員室の向かいの棚には、様々な本の入った段ボールが一つ置いてあった。

「これを教室横の空き室に入れといてほしいんだ。鍵は空けてあるから。じゃあな、頼んだぞ」

そういって先生は職員室に入っていった。

――完全なる雑用じゃん!

それで私が段ボールを持ち上げようとする時、遠くから、「永瀬さーん!」と呼ぶ声がした。

見ると上級生がこちらに向かっていた。

「ちょっと話があるんだけど今いける? 明後日からの三連休で練習試合を組むんだけど……って今は取り込み中?」

翔子ちゃんはバスケットボール部に入っている。身長がそのまま有利となるスポーツと聞くけれど、翔子ちゃんの並外れた運動神経が身長の低さをカバーし、一年生ながらもスタメンなのだ。何でも中学ではバスケの副キャプテンだったらしく、その腕前は折り紙付きなのだろう。

「あ~……」

翔子ちゃんは困ったような素振りを見せる。

「いいよいいよ! これは私が運んでおくから!」

「ごめんね暦」

翔子ちゃんと別れた私は一人で段ボールを運んだ。


◇◇◇


段ボールはとても重たかった。何とかふらつきながらもゆっくりと運び、階段までやってきた。

――これを持ちながら四階まで……地獄だ……。

一歩、また一歩と階段を上がる。その度に呼吸は乱れていって上がるペースは遅くなる。そして、また次の一歩を踏み上がろうする時、私は段を踏み外してしまった。

私はバランスを崩し、後ろへと身体が倒れていく。

――あ。終わった……。

ガシっと。

私は誰かに支えられた。

――あれ? 助かった……?

「何をやっている。プリンセス」

振り向くと、支えてくれたのは清水だった。

「あ、ありがとう……」

「これを運ぶのか? どこまで?」

「一組の横の空き室まで、かな……」

「こんなに重たいものをか?」

「うん……」

「こっちに渡せ。俺が運ぶ」

「え? あ、でも……」

「いいからよこせ」

「ありがとう……」


◇◇◇


空き室に着いた。結局、段ボールは最後まで清水くんに持ってもらった。

教室には様々な資材が置かれており、清水くんはその隙間に段ボールを置いた。

「これでよし」

「ありがとう……」

「あのさ」

突然、清水くんは一気に距離を詰めてきた。唇三十センチの間で私たちは見つめ合う。

――え? えええ!? 

「な、なな、何!?」

「それだけ? 荷物さ、すごい重かったんだけど」

清水くんは尚も私に近づき、唇二十センチの距離になる。

「ああ!? えっと……重い荷物を運んでくれて、あ~ありがとう……?」

「そうじゃない」

――じゃ、じゃあいったいどういう意味なの!?

「俺は、言葉だけでは満足しないんだ」

唇十センチの距離で清水くんはそういった。

「え? それって――」

ゼロセンチメーター。

ワーニング。ワーニング。

私の唇は、清水くんに奪われてしまった――。

何が起きているのか、私は即座に理解できなかった。

――今、私……はっ!?

冷静さを取り戻すとすぐに状況を理解し、私はパチンと清水くんの頬を叩いた。

「な、何するのよ!」

「ビンタか。やってくれるね」

清水くんは赤くなった頬を軽くなでるとニヤッと笑った。

「急に何するの!? ほんとにもう……知らない!」

そういって私は空き室を後にした。


◇◇◇


夜、私は自分の部屋のベットで空き室での出来事を思い出していた。

「あれは、いったい何なの? ほんと意味がわかんない……」

抱き枕のカエルのクッションを強く抱きしめる。

「あ~! もう想像しただけでもムカつく~!」

――でも……この胸の高鳴りは何だろう? 胸が苦しい……。


◇◇◇


次の日の朝、目覚まし時計はちゃんと鳴ってくれた。

「今日も時計が鳴らなかったら、私は一週間まるまる寝坊するところだったよ」

「暦、新しい目覚まし時計を買ったら?」

「え~! まだ使えるよ~? それに今の目覚まし音すっごく気に入ってるのよね~」

「ぴょろぴょろぴょろ~のどこがいい音なんだ。もっといいものは絶対にあるよ」

「え~そうかな~?」

校門に着いた。体育の先生が竹刀をもって挨拶していた。

律儀に頭を深く下げて挨拶している真面目くんの横を通り過ぎようとした時、先生が私たちを呼び止めた。

「私たちが持っているその大きな袋は何なのか」を先生が聞いてくると、翔子ちゃんは「被り物です」とこたえて袋の中を見せた。先生は一言だけ「そうか」といい、被り物の持ち込みは許された。


◇◇◇


チャイムが鳴って先生が教室に入ってきた。

「みんなおはよーさーん。それじゃ今日も頑張って勉強して――」

先生の足が止まり固まってしまった。

しまばらくの沈黙が続いた後、先生は私たちの被り物を外すようにいった。

結局、被り物をしての授業は受けさせてもらえなかった。今では教室の後ろにウサギとカメの被り物が並んでいる。

それでも私にとっては効果があった。隣の清水くんは唖然としているのか話しかけてはこなかった。

この調子なら今日は平穏な一日になりそうだと私は思った。

だけどこの後、私の予想をはるかに上回る出来事が起こる――。

「えーそれじゃあ授業を始める前に、みんなに紹介しておきたい人がいる。お~い転校生! 入ってこーい」

――また転校生?

扉が開くと一人の男子生徒が入ってきた。前髪をあげていて高身長でスラっとしている。

――へえ~! ちょっとかっこいいかも。

教室内はざわついた。例のごとく女子の、「うっひょ~!」とか、「すごいタイプなんだけど~」とか、「直視できないんだけど!」
とかの声が聞こえてくる。

先生は転校生に挨拶を促す。そして黒板に名前を書き始めた。

「初めまして。家風夏月(いえかぜなつき)です。フランスから帰国してきたばかりでまだ友達はいません。みんなと仲良くしていきたいと思ってますので、どうぞよろしく」

きゃあああという悲鳴が沸き起こった。

でも、私は違った。

――家風夏月……? もしかして夏月くん!? 小さい頃によく遊んだ幼馴染の、あの夏月くん……?


◇◇◇


<幼少期の回想>

幼稚園児の頃、私は夏月くんと同じ紅組だった。

ある日、私は同じ組の佐茂(さも)くんという男の子に告白された。

でも、当時の私は夏月くんのことが大好きだったから佐茂くんのことを振ったのだけど、佐茂くんは納得してくれず、なんと同じ紅組の男児12人で私の周りを囲ったのだ。

付き合わないとぼこぼこにすると脅された私は、泣きそうになりながらも最後まで断り続けた。

だけど、「やっちまえ!」と佐茂くんが叫ぶとみんなは問答無用で飛びかかってきた。

その時――。

「やめろ!」

そう声をかけて私の前に颯爽と現れたのが夏月くんだった。

「女一人にこの人数は情けないな」

「うるせえ! 俺様の告白を受けねえこいつが悪いんだよ! 邪魔をするならお前も締め上げちまうぞ!」

私は夏月くんの後ろでぎゅっと裾を掴んだ。「暦は俺が守る。そばにいろ」と、声をかけてくれたのがすごい嬉しかった。

「おめえら! やっちまえ!」

「待て! ……これが何かわかるか?」

「そ、それは!」

それは一万円札だった。

「今からこれを十円玉に換金してくる。俺たちを見逃してくれたらお前ら全員に十円玉のつかみ取りをさせてやる。それで手を打たないか?」

「十円玉のつかみ取りだって!?」

佐茂くんをはじめ、周りの12人はみんなたじろいだのだった――。


◇◇◇


あの後、夏月くんはぼこぼこにされて一万円は奪われたけど、夏月くんは私のことを守ってくれた……。あの時の夏月くんはすごくかっこよかった……。

「それじゃ家風の席は……一年の前の席が空いてるな。ということで家風の席はあそこだ」

夏月くんが席に座ろうとする時に私と目が合った。私は座りながら会釈をしてみたがスルーされてしまった。

――私のこと覚えてないのかな……後で聞いてみよ。


◇◇◇


一限目の授業が終わると、私は夏月くんに声をかけてみた。

「夏月くん。私、暦だよ? 一年暦。覚えてない? 小さい時からずっと友達だったよね?」

「……悪い。覚えてないな」

夏月くんはそういうと席を立ち教室を出ていってしまった。

――やっぱり覚えてないんだ……。それじゃあ、あの約束も忘れてるよね……。

最初こそ気付かなかったものの、今は絶対に幼馴染の夏月くんだと確信していた。面影もそうだけど、幼稚園の喧嘩の時についた喉元の傷が見えたからだ――。


◇◇◇


<幼少期の回想>

幼稚園での喧嘩の後、夏月くんは入院した。私は両親と一緒に夏月くんのお見舞いにいき、医師からは数日で退院できると聞いて安堵した。夏月くんと話した。

両親には既に喧嘩のわけを話していたので、家族みんなで夏月くんにお礼をいった。夏月くんは特に喉の傷が酷く、あまり長くは話せないとのことだったので、両親は帰り際に少しだけならという条件で二人っきりにしてもらえた。

「ごめんね、私のために……」

「何度いわせるんだ。大したことはない」

「でも……」

「暦」

「何?」

「もっとこっちに寄ってくれ」

「うん……」

夏月くんは震える手で私の身体を手繰り寄せる。そしてベットに乗っかった私のことを抱きしめた。

「暦が無事でよかった」

「うん……」

「大好きな人を守れてよかった」

「うん……」

「今の俺はまだ弱いけど、大人になってもっともっと強くなって、暦のことをしっかりと守れるようになったら、その時は俺と結婚しよう」

「うん……」

「約束だ」

「うん……」

私の涙で夏月くんの肩は濡れる。でもそれは決して哀しい涙ではなかった――。


◇◇◇


チャイムが鳴るとすぐに次の授業が始まった。

私は相変わらず教材が届かない清水くんと机をくっつけて教科書をシェアしていた。

清水くんは何かにつけてちょっかいを出してくる。私が書いたノートを貸してといわれて渡してみると字きったねえとか、昨日にあげたウサギのシャーペンも今は使ってないだとか。

だから私は仕方なく今日も違うウサギのシャーペンを貸してあげた。

だけどそれ以上に気になることがあった。

それは、何の前触れもなく、突然に私の耳元五センチの距離で囁いてくるのだ。

「ねえ。ここの問題教えてよ……」

「ひやあ!」

――も~! 息がかかってるから~!

「ひや……? おいどうした一年?」

「あ、いえ先生……なんでもありません……」

出会ってまだ二日目だというのに、清水くんは昨日よりも積極的になっていたのだった――。


◇◇◇


「ということがあったのよ~。翔子ちゃんこれどう思う?」

昼休み、私はお弁当を食べながら夏月くんや清水くんのことを話した。

「脈ありじゃない? メイプル王子は暦のことが好きなのかも。ほら、好きな子にはいたずらしたくなるっていうし」

「え~! さすがにそれはないよ~。それに……昨日の今日であんなことされても、私困っちゃうだけだよ……」

「確かに困るね。夏月くんこと再会王子も現れたんじゃ、いったいどっちを選ぶべきか……」

「そういう意味じゃないってば~」

「なんだ、違うのか」

「違うよ~! それに、夏月くんは私のこと忘れちゃってるみたいだし……。きっと他に好きな人でもできたんだよ
。夏月くん、幼稚園の頃からモテてたし……」

「本当にそうなのかな」


◇◇◇


教室に戻る時、廊下できょろきょろとしている夏月くんを見かけた。何か困っているようだった。

「ほら、いってあげなよ」

「え!? でも……」

「でもじゃないでしょ。それに助けてあげると何かを思い出すかもしれないよ?」

「そうかな……? うん、わかった」

私は夏月くんに近づく。「夏月くん、こんなところでどうしたの?」

「暦か。美術室に一組分の色紙を持っていってくれって頼まれたんだ。今日の日直は俺らしいから」

一組の日直は席順で決まる。そこに転校初日などの理由は関係なく、先生は日直だからと夏月くんに仕事を振ったのだ。

「美術室は別の校舎にあるから、こっちからいけるよ」

「ありがとう」

そうして私と夏月くんは二人で美術室へと向かった。


◇◇◇


美術室では美術の先生が授業の準備をしていた。夏月くんは色紙を先生に渡し、私たちは教室へと戻る。

――夏月くん、教室では私のこと覚えてないっていってたけど、でもさっきは私のことを暦って呼んだ。ほんとは覚えてるのかな……。

「ねえ、夏月くん……」

「何?」

不機嫌ないい方だった。

「ううん、何でもない。あ! 私やることがあるんだった! ごめんね。先に教室に戻ってるね!」

ほんとは用事なんてないのに、そういって私はわざと夏月くんと離れた。今の夏月くんと、どういう気持ちで接すればいいのかわからなかったからだ。

廊下を抜けて階段を上がろうとした時。

「一年さん、ちょっと」

振り向くと、横松さんたち三人組がいた。

「横松さんどうかしま――」

「ちょっとあんた。家風くんと二人して歩いてるなんてどういう関係なの!?」

「どういう関係なの!」

「い、いや! た、たまたま困ってるところ見かけたから声をかけただけだよ」

「そう、まあいいわ。伊子がね、家風くんに一目惚れをしたのよ。もしあんたが家風くんについて何かを知ってるなら話しなさいよね!」

「話しなさいよね!」

恋竹さんは顔を赤らめたまま黙っていた。

「わ、私は何も知らないよ! ごめんね。ほんとに美術室の場所を教えてただけだから」

「本当でしょうねえ!?」

「でしょうねえ!」

――どうしていちいち疑うのよ……。それと、夏月くんは忘れてるみたいだし幼馴染のことはいわなくてもいいよね。

「ほんとだってば……あはは……」

「そう、ならいいわ。何か家風くんのことがわかったら私に教えなさいよね! あーそれと! くどいようだけども、私の清水くんにも気安く話しかけないでよね!」

「そうよそうよ!」

そういって三人組は去っていった。

「はあ……。なーんか相手にすると疲れる……」


◇◇◇


昼休みが終わり五限目の授業が始まった。このときも清水くんは積極的に距離を縮めてきた。

遠くの席からものすごい圧の視線を感じた。

――横松さん……。

「ねえ、この文章の意味を教えてよ」

そういって清水くんは私のノートに『I forget to say something』と書いた。

「それは、『何をいうのか忘れちゃった』って意味だよ」

「へえ。じゃあさ――」

そういって清水くんは次に私の耳元五センチの距離でこういった。

「『I forget to say something"I love you"』は、どういう意味?」

「ふえあっ!?」

自分でも驚きのかん高い声がでた。

――だから息がかかってるんだってば!

黒板に英文を書く先生の手が止まり、何事かとクラスを見回す。他の生徒もきょろきょろとしていた。

私は立てた教科書に隠れながら小声で、「ちょ、ちょっと! 急に何するのよ!?」と清水くんを問いただす。

「暦は最初にいったよな? わからないことは何でも聞いてって。だから聞いただけだけど?」

唇三十センチの距離で清水くんはそういった。

――私のことからかってるのかな……。それにいつの間にか暦って呼んでるし……。 

「もうわかったよ……。その意味は、『いい忘れてたんだけど……あ、愛してるよ』……だよ」

「聞こえない。だからもう一度いってみて。今度は俺の目を見ながら」

――ほえええ~! もう、清水くんはいったい何を考えてるのよ! 

「き、聞きとれなかったんなら私がノートに書いてあげる――」

と、清水くんのノートに書こうとするとガシっと腕を掴まれた。

「俺は、書いてほしいなんていってない。いってほしいんだ。暦に」

鼻先が当たってもおかしくない距離で清水くんはそういった。

ぷしゅ~。

――もう何なの!? 何をさせたいのこの人はああ!?

「ほら、早くいえよ。暦」

――もう知らない……。

私は清水くんの顔を見る。そして――。

「その意味は……『い、いい忘れてたんだけど、愛してるよ……』」

すると清水くんは私の耳元に顔を近づけ、「俺もだよ」といい、そのまま耳にキスをした――。

「ふわあ~~」と、空気の抜けるようなかん高い声と共に私は開いたノートの上に顔を落とした。


◇◇◇


「あ、気づいた? 暦大丈夫?」

私はゆっくりと目を開ける。どうやら私は保険室のベットで寝ているようだった。

「翔子ちゃん……? 私、どうしたの?」

「……説明する前に今の具合を聞いておきたいな」

「ほえ? 今は大丈夫だけど……」

「そう。ならよかった。それじゃあ心して聞いてね」

慎重に話そうとする翔子ちゃんを不思議に思ったが、話を聞くにつれてそのわけがわかった――。


◇◇◇


<翔子視点>

「……先生」

「んん? どうしました?」

メイプル王子が立ち上がる。「俺、保健室にいってきます」

「体調がよくないのか?」

「ええ。俺のプリンセスが意識を失いました。至急つれていかないといけません」

「何ですと!?」

教室がざわつく中、メイプル王子は暦をお姫様だっこすることで更にざわついた。私の隣に座る横松は小刻みに机を叩いていた。

――これはまた暦にとばっちりがいきそうだ。

メイプル王子が暦を抱きかかえて教室を出ると、そのすぐ後に、「……先生。俺も体調がよくありません。だから保健室で休んできます」と再会王子がいい、先生の返答を待たず教室を出ていった。

廊下側最前列の私の席からは教室を出ていく再会王子の顔がよく見えた。どちらかといえば体調を崩しているというよりは怒っているような表情をしていた。

「大丈夫かな、家風くん……」

「時差ボケかなんかでしょ? きっと大丈夫よ」

後ろに座る恋竹の心配に横松はそうこたえた――。


◇◇◇


パタンと。

私は布団に顔をうずめた。

――お姫様だっこされてたなんて……も~! 清水くんは何をやってるのよ~!

「……あれ? でも、じゃあどうしてここに翔子ちゃんが?」

「話しにはまだ続きがあるの――」


◇◇◇


<翔子視点>

私が異変に気づいたのは、再会王子が教室から出てすぐのことだった。

ぱりーぃぃぃん!

突然、廊下からガラスの割れる音がした。

私は窓を開けて見ると、割れたガラスの辺りでメイプル王子と再会王子が揉めていたのだ。

これはまずいと思った私は、「先生、私も持病の『今すぐにいかないと病』が悪化してきました。保健室にいってきます」と、正直に伝えて教室を飛び出した。

そして、私たちは校舎の屋上にきた。授業中とはいえあの場所は目立つからな。事実、廊下には何人かの生徒や先生も出はじめていた。

メイプル王子と再会王子は向かい合う。タイマンする流れだ。そんな二人を私は気絶したままの暦を支えながら見守った。

だけど、ここで私はふと思った。暦は暴力を好まない。まして自分のことで人が傷つくのは見たくないはずだと。だから私は殴り合いをしてほしくなかった。

そこで二人に提案してみた。

「暦は暴力にトラウマがある。殴る男は生理的に無理になる」と伝えると、彼らは意外にもすんなりとファイティングポーズを解いた。

決闘の手段を「だるまさんがころんだ」なのか「じゃんけん10回勝負」なのかで少しは揉めたけど、結局じゃんけんになった。

その結果、再会王子が勝った。そしてメイプル王子は黙ったまま屋上から消えていった。

再会王子は暦をお姫様だっこでここまでつれてきた後、私に「後は頼んだ」といい授業に戻っていった――。


◇◇◇


「というわけだ。……どうして暦は布団に潜っている? お化けの真似をしているのか?」

「恥ずかしいからに決まってるでしょ……。この場には逃げ込める暗闇がここにしかないの……」

「恥ずかしがることではないぞ。むしろいいことだ。メイプル王子と再会王子が暦を取りあって平和的決闘をしたんだ。これはある意味羨ましいシチュエーションだぞ暦」

「ええ……」

私は頭を抱えた。

「ひじのシルエットがよりお化け感をだしてるぞ」

「はあああ。もう私はこれからどう二人と接したらいいのよ~!」

「そう深く考えるな暦。それだけ二人も真剣だったということだ。それに、再会王子は昔のことを忘れてはいなかったぞ」

「……え? 翔子ちゃんどういうこと?」

私は布団から顔を出した。すると翔子ちゃんは立ち上がり、私に顔を近づけた。

「『暦、俺はあの時とは違う。今はもう君を守れるんだ』っていってたよ」

「ほえあ~!?」

私は布団に顔を落とした。

――夏月くん、やっぱり覚えてたんだ……。

「それじゃ、私は授業に戻るから。暦は気絶したんだから念のためにゆっくり休んでよ」

「うん、ありがとう翔子ちゃん」

保健室の扉が締まると、私は小さく息を吐いた。

私が気を失ってる間にそんなことが起きてたなんて……。

私は意識を失う直前のことを思い出す。清水くんが私に「愛してる」といわせた後、清水くんが「俺も」と返したあの出来事を。

「うう~もう……。清水くん、あんなことをしていったい何を考えてるんだろう……」

自分の中に抱く疑念が自然と口をついた。

「――聞きたいか?」

声がした。

「え……?」

「俺が何を考えているのか、聞きたいか?」

見ると保健室の扉は開いており、そこには清水くんが立っていた――。


◇◇◇


清水くんはそっと保健室の扉を閉める。

そしてかちゃりと鍵をかけた。

「お見舞いにきたよ、プリンセス」

「ちょっと、清水くん? 何してるの……?」

清水くんは黙ったままベットに腰かけると、身体を寄せて私のあごを指でなぞった。

「眠れる森の美女はキスで目覚める……」

「え? な、なに?」

「だったら、目覚めたプリンセスにキスをするとどうなるのか、暦は知ってるかい?」 

「なに? どういうこと――」

と、いい終える前に口が遮られた。

――え、ちょ……ちょっと!

私はキスをされた。

だけど、それだけでは終わらなかった。

私はそのまま清水くんに押し倒されてベットへ倒れ込む。

「だめ! だめだって! ちょっと待って! 清水くん急に何するの!?」

私は清水くんの肩を押し上げる。だけど上手く力が入らない。

「ねえ、清水くん! だめだって! こんなところを保険室の先生に見られたら……」

「先生は来ない」

「え……?」

「先生は、しばらくは戻ってこないよ」

「ねえ、どういうこと……?」

しかし清水くんは答えてくれず、私の首元に顔を近づける。

「やっ! ちょ、ちょっと待ってってば! ほんとにどうしたの清水くん!?」

「暦は俺の気持ちを知りたいんじゃないのか?」

「知りたいよ! 何考えてるかわかんないもん! だけど……だけどもっと違うやり方もあるでしょ!?」

「俺は不器用だから、この方法しか知らない」

そういって清水くんは、私の唇をまた奪っていった――。


◇◇◇


<翔子視点>

チャイムが鳴って授業が終わる。

「さてと。暦の様子を見にいくか」

私は階段を下りると保険室の先生と出会った。

「あ、先生。暦の様子はどうですか?」

「こんにちは永瀬さん。一年さんがどうかしたの?」

「さっき体調不良で保健室まで案内したんですけど、見てないですか?」

「そうなの? いやごめんね。実はさっきまで体育館にいたのよ。二組の体育でちょっとした事故があってね」

「そうなんですね。先生も大変ですね」

「保健室を空けることはあまりないのだけどねえ。一年さんには悪いことをしちゃったわね。早く戻ってあげないと」

そういって保健室の先生は手に持っているものに視線を落とす。

「先生、それは何ですか?」

「これはね、さっき生徒さんを助けた時にお礼としてもらったものなの。先に職員室に持っていってから保健室に戻ろうと思ったけど、先に保健室にいったほうがいいわね」

保険室の先生は私にそれを見せてくれた。

それは、新品のメイプルシロップだった。

私は何か嫌な予感がした。暦から聞いてたからだ。メイプル王子はメイプルシロップを持ち歩いていると。

「先生も早くきて」といい、私は保健室に急いだ。


◇◇◇


保健室の扉が勢いよく開いた。

「うわあ! びっくりした……」

「暦! 大丈夫?」

「え? ああうん。大丈夫だよ」

「そうか。……考えすぎだったか」

「どうしたの翔子ちゃん?」

「いや、何でもない。……六限目の授業は受けれそう?」

「うん! 受けるつもりだよ」

「そうか。なら一緒に教室に戻ろう」

翔子ちゃんは私に近づいてきた。

「待って翔子ちゃん!」

「ん? どうしたのだ」

「えっと……その……」

「うん」

「服……今は着てないの」

「服? もしかして寝る時は服を脱ぐ派なのか?」

「そ、そうだよ~。あは、あはは……」

そして私は制服を着直し、翔子ちゃんと保健室を出た。


◇◇◇


教室ではみんなが私を見た。

「お姫様だっこされた人初めて見た」とか、「キスで目覚めたのかな」とか、そういう声が聞こえてきた。

翔子ちゃんは、「気にすることはない。一日経てばだいたいのやつは忘れる」とアドバイスをしてくれたが、今のこの状況を改善するには至らなかった。

席に着くと私はため息をついた。

私は結局、翔子ちゃんには話さなかった。さっき保健室で起きたことを、私は話していいものなのかわからなかったからだ。

――清水くん……。あんなことをするなんて……。

と、そんなことを考えている時、夏月くんが席に戻ってきた。

――そういえば夏月くんが私を保健室につれていってくれたんだよね。ちゃんとお礼をいわなきゃ。

「あ、あの夏月くん……」

「暦」

「は、はい!」

「勘違いするな。俺はお前を一度だって友達だと思ったことはない」

「え……?」

――友達じゃない……? 違うの……?

「それと」

「う、うん……」

「もう清水とは関わるな。あいつは敗北者だ」

「それってどういう――」

「話は以上だ」

そういって夏月くんは前を向いた。

――夏月くん、私のこと怒ってるのかな。昔と違って、今はすごく冷たい……。


◇◇◇


六限目の授業に清水くんはいなかった。

だけど、さっきのことが忘れられず、とてもじゃないけどまともに授業を受ける気にはなれなかった。

授業が終わると、私は翔子ちゃんをつれてトイレにやってきた。

「はあ……。私おかしくなっちゃったかも」

「どうしたの?」

「考え事が多くてちゃんと授業を受けれなかった。ノートも取れなくて……。だから翔子ちゃん、今日だけノートを貸してくれない?」

「……ついに来たか」

「ついに?」

「暦、ノートは貸してあげる。でも、それは一時的な解決に他ならないぞ」

「うん?」

「私にはわかる。明日からも暦は悩み続けるだろう」

「どうしたらいいかな……」

「早い話が身を固めることだな」

「身を固める? どういうこと?」

翔子ちゃんは蛇口を止めハンカチで手を拭きながらこちらを向いた。

「恋多き乙女には恋の病が存在する。一口に恋といっても形は様々だ。暦の場合、その病名は恐らく『トライアングラー』。つまり三角関係だ」

「三角関係……」

――私は清水くんと夏月くんを思い浮かべた。

「病の特効薬は一人を選ぶこと。暦、ちゃんと考えるのだ。どちらと付き合うのかを」

――どちらと付き合うのか……。

「それと、これをあげる」

「なあにこれ?」

「私からの処方箋だよ。昨日家で作ったの」

翔子ちゃんからもらった白い小さな紙袋を開くと、中にはヘアピンが入っていた。

「え~すごい! 可愛い~!」

「相手が見つかればこそ見た目から自分を変えるのだ。暦への診断書にもそう書いておこう」

私は早速髪型を整え、もらったピンで髪を留めた。

「うん。可愛い!」

鏡に映るのは、ピンクと緑の交差したバッテンピンをつけた、より自信に満ち溢れた自分の姿だった。

「桜のピンクと木々の緑をイメージして作ったの。その意味はいわなくてもわかるよね」

清水春日くんの春と、家風夏月くんの夏からとったのだとすぐにわかった。

「翔子ちゃんはすごいね。ほんとに何でも知ってて、すごく頼りになる。どうしてそんなに詳しいの? 恋愛の本とか読んでるの?」

「愚問だな。これはただの恋愛漫画から得た知識だ」

「恋愛漫画!?」

「……今ばかにしたか?」

「してないしてない!」

「中身のある漫画やアニメは学校で採用されてる教科書よりも濃い内容なんだぞ」

「へ、へえ~そうなんだ~」

「今度暦にお勧めする漫画を持ってくるよ。教室の後ろに置いた被り物の横にはまだスペースがいっぱいあるから、そこに棚を作って漫画をしまい込んでおけばいつでも読めるな」

――翔子ちゃんは学校をどういうところだと思ってるんだろう……。


◇◇◇


終礼にも清水くんは現れなかった。

先生の終わりの挨拶で今日の授業は終わりみんなは教室を出ていく。翔子ちゃんは私に「じゃあね」といって部活に向かった。私は今日の掃除当番なので教室に残り、他の掃除当番と掃除を始めた。

「ちょっとあんた!」

見ると横松さんと慕梅さんだった。

「横松さん? どうしたの?」

――いつも一緒にいる恋竹さんがいない?

「あんたに私いったよね? 気安く清水くんと関わるなって! なのにさっきのあれは何? 説明してくれない!?」

「そうよそうよ! 説明しないさいよ!」

「あれのこと?」

「お姫様だっこのことよ! なんで私じゃなくてあんたがだっこされてるのよ!」

「されてるのよ!」

――それは私じゃなくて清水くんに聞いてよ……。それに私は気を失ってたし……。

「え~っと、それはその~ごめんなさい! そういうつもりはなかったの!」

私は頭を下げる。

――何で謝ってるんだろ私……。

「ど~だか! それにね、聞いた話によると家風くんにもお姫様だっこされたんだってね」

――あれ……? どうしてそれを知ってるの? 授業中の出来事なんだけど……。

「私あんたにいったよね? 家風くんは伊子が狙ってるって! あんたは誰でもいいわけ? あんたみたいにね、手当たり次第に男をたぶらかすのほんっと嫌いなんだよね!

「嫌いなんだよね!」

「ご、ごめんね横松さん……。次からは気をつけるから……」

「はあ~? 謝って済む問題と思ってるわけ? 本当になめてるわね」

「なめてるわね!」

他の掃除当番は呆然として私たちのことを見ているが、誰一人止めようとはしなかった。

そんな時、教室の扉が開いた。

「あ~きたきた」

そこに現れたのは水の入ったバケツを持つ恋竹さんだった。

「ねえ知ってる? 学校はね、間違った行いをする生徒には間違えてるよと教育するの」

横松さんは恋竹さんからバケツを受け取る。

「あんたのそのいい加減な行いは、学校の代わりに私が正してあげる!」

そういって、横松さんは私に向かって勢いよくバケツを振った。

――うそでしょっ!?

私は水がかからないよう顔を覆い隠した。

バシャーン!

教室の真ん中で横松さんはバケツの水を振りまいた。

「おいおいまじかよ……」とか、「やべえだろ……」とかの声が聞こえる。

私は目をそっと開ける。

――あれ? 私、濡れてない……。

足元には大きな水たまりができている。

どうして? と、振り返ると、理由がわかった。

「夏月、くん……?」

私を覆い被さるようにして、側に夏月くんが立っていた――。

「大丈夫か? 暦」

「夏月くん、どうしてここに……?」

「いちゃいけないのか?」

「え? いや、そうじゃないけど……」

夏月くんから滴る水が彼の頬を伝い、それが落ちると私ははっとした。

「夏月くん! そのままじゃ風邪を引いちゃうよ!」

私はポケットからハンカチを取り出し、夏月くんの顔に当てた。

「そんな……! え、どうして……家風くんがここにいるの……?」

横松さんたちは驚いていた。手に持っているバケツを手放すと、バケツは彼女の足元で転がった。

夏月くんは、「もう大丈夫だから」と、私のハンカチで拭く手を優しく払うと、横松さんたちを睨みつけた。

「何もいわなくてもわかるよな?」

小さい声だった。だけど、三人を追い払うには十分だった。

「お、覚えてなさいよ! 伊子! 宇子! いくよ! ……ほら伊子! 何してるの!? ほら、いくよ!」

横松さんが恋竹さんの手を取りながら三人は教室を出ていった。

――やることがひどすぎるよ、横松さん。

そう思いながら、私は開いた扉の向こうを見つめていた――。


◇◇◇


あの後、夏月くんは掃除用具入れから雑巾を取り出し、率先して掃除の続きを手伝ってくれた。風邪をひくかもしれないから大丈夫だよ断っても、夏月くんは聞き入れてはくれなかった。

そして、掃除を終えた私は夏月くんと一緒に下校する流れとなったその帰り道。

――さっきからずっと無言が続いてる……。たしかに夏月くんは昔っからあまりしゃべらないほうではあったけど、さすがに何か話でも振ったほうがいいよね……。

「あ、あありがとうね、夏月くん! さっきはその……」

「うん」

そしてまた沈黙が続く。夏月くんはさっきからずっとスマホを触っている。多分私と帰るのが楽しくないのだろう。

――さっきは夏月くんに助けてはもらったけど、教室では友達じゃないっていわれたんだよね……。

私はその言葉を思い出す。『勘違いするな。俺はお前を一度だって友達だと思ったことはない』という一言を。

私は小さなため息をつく。

「暦」

「あ、はい! 何でしょうか夏月さん?」

――急に話しかけられたから思わず敬語になっちゃった。あはは……。

「あいつには気をつけろよ」

「あいつ? ああ、横松さんたち? それなら大丈夫だよ。こう見えても私は――」

「違う」と夏月くんは言葉を被せた。

「え?」

「清水のほうだ」

「清水くん?」

「ああ。横松に妙なことを吹き込んだのは清水だ」

「え? どういうこと?」

「恋竹から聞いた。こういうのは当事者に聞くのが一番だからな」

夏月くんはスマホをあげた。

「恋竹さんと連絡してるの?」

「聞かれたからな。教えたよ」

「……そっか」

――他の子とは連絡先を交換するけど、私とはまだ……。

「清水は多分……って、おいどうした? 気分が悪いのか?」

「えっ? ああごめんね、なんでもないよ! あはは……。それで清水くんがなん――」

急な出来事だった。

ぎゅっと、私は抱きしめられた。

――え、えええ!?

「ど、どうしたの……夏月くん!?」

「お前が愛想笑いをするときは何かを隠す時だ。それを俺は話の流れで察した」

「夏月くん……」

「暦、お前は勘違いしている」

「私が勘違い?」

「あの日、俺は病院のベットでお前にいった。『今の俺はまだ弱いけど、大人になってもっともっと強くなって、暦のことをしっかりと守れるようになったら、その時は俺と結婚しよう』って」

「うん……覚えてるよ」

――ちゃんと。忘れるわけないよ。

「俺達は友達じゃない。婚約者なんだ」

「あっ……」

――今わかった……。

夏月くんは、ずっと私のことを想ってくれてたんだ……。遠く離れてもずっとずっと……。でも、私が最初にいってしまった。「友達だよね」って……。

私が間違っていたんだ……。


◇◇◇


夜、お風呂からあがった私は自分の部屋で翔子ちゃんと電話していた。

「清水くんには気をつけろって確かにいってたの」

『それで夏月くんは「安心しろ、俺が守る」なんていったんだね』

「そうそう」

『ならもう再会王子と付き合いなよ』

「も~! 翔子ちゃんってば結論が早いんだって~!」

『違うのか? 今の話の流れならそうなると思うが』

「違うの! ことはそう単純じゃないんだからね~!」

『私が思うに、欲しいものを手に入れるためには何だってするタイプのメイプル王子と、たとえ自分を犠牲にしてでも必ずあなたを守ってみせますタイプの再会王子なんだよね。これはもう好みの問題だし、暦の彼氏は暦が決めるべきだと思うから、つまり私からは以上だ』

「うう~! 翔子ちゃんはいつもそうやって最後はいい感じにまとめるうう! 私には全然わかんないのにどうしたらいいのよ~」

『正解不正解はないのだからゆっくり考えて決めなよ。それじゃ私は今からお風呂だから、また明日ね』

「うんわかった。また明日~」

電話を切った私はベットに倒れ込んだ。

――どうしよう。私じゃ選べないよ……。


◇◇◇


ママに「ごはんよ~」と呼ばれて私はリビングに向かった。

テレビを見ながらパパとママの三人で晩御飯を食べている。

考え事をしていると食事が喉を通らない。胸がいっぱいだからご飯が通らないのかも、なんてことを考えながら、限りなく少なくしたごはんを食べている時――事態は起こった。

思いもよらない事態がこれから起こることをこの時の私はまだ知らなかった――。

予想もできなかった。

なぜなら、今の私が恋の悩みで胸がいっぱいだということ以外に、これまでと何ら変わらない日常だったからだ。

最初の変化は急にパパがテレビを消したことだった。

今までにこんなことは一度もなかった。

「あれ? パパどうしてテレビを消したの?」

「暦、話がある」

「何? 改まって?」

「パパとママはな……フランスにいくことになった」

――え?

「えええ!? それってどういうこと? もしかして海外出張とかそんな感じ?」

「実はな……パパ、かくかくしかじかで一年の休暇をもらえることになったんだ」

「ちょ、ちょっとまって!? 何? かくかくしかじかって!?」

「かくかくしかじかはかくかくしかじかだよ」

「えっと……つまり、どういうこと……?」

「ママと一年間フランスにいってくるから、留守番をよろしく頼む」

はい~~~~~?


◇◇◇


ピンポーン。

「あ! パパ! 来たみたい!」

ママはリズムを取りながら玄関へと向かう。廊下の向こうから、「いやあ河森さあん~待ってたわよ~!」というママの明るい声が聞こえてきた。

そして。

気づくとリビングには、花の冠を被ったママと縁の広い麦わら帽子を被ったパパの横に赤い髪をした若い青年が立っていた。

「パパたちが留守の間はこの河森さんが暦と家の面倒を見てくれるから、何かあれば河森さんを頼るんだよ」と一言いい残し、パパたちはあっという間に出発してしまった。


◇◇◇



「改めまして、私の名前は河森秋玖(かわもりあきく)と申します」

「えっと、私は一年暦と申します……」

私たちはリビングのソファに座り、向かい合わせに挨拶をした。

「はい。存じ上げております、暦お嬢様。それと、私のことは秋玖とお呼び下さいませ」

――お嬢様って……。

「わ、私も普通に暦って呼んで下さい。秋玖さん――」

と、秋玖さんはいつの間にか私の間合いに入ってきた。片手で私の背中を支え、もう片方の手の指で私のあごをくいっとあげる。

「いいですか暦お嬢様。私は暦お嬢様のご両親より暦様を一社会人にとしての教育も仰せつかっております。そのためにはまず私たちの距離を縮める必要がございます。おわかりでしょうか、暦お嬢様」

――距離って、そんな……今がもう近すぎるよ!

唇三十センチの距離で秋玖さんは私にそう囁いた。

「わ、わかりました秋玖さん――」

秋玖さんはまたくいっと私のあごを近づける。唇二十センチの距離だ。

「敬称は必要ありません。呼び捨てでお願いします、暦お嬢様。でないと……」

――ちょ、ちょっと! 近い近い! 近いってば~!

「わ、わかりました! 秋玖、くん……」

「『さん』ではなく『くん』ですか……。まあいいでしょう。それでお許し致します」

――た、助かった……。

徐々に身体を寄せてきた秋玖くんとの距離は、唇十センチまでに迫っていた。

秋玖くんが姿勢を正すのに合わせて、私も呼吸を整える。今の一瞬で心臓がすごいばくばくしたからだ。

「それと暦お嬢様」

「は、はい! 何ですか!?」

秋玖くんは自身の赤い髪を留めたピンを外す。

「暦お嬢様はとても可愛い女の子です。その可愛さを前面に出すために前髪をこのように留めてみてはいかがですか?」

そういって秋玖くんはその赤いピンで私の前髪をかき分けるように留め、懐からポケットミラーを取り出して私に見せた。

「うん、可愛いかも」

「そういってもらえてよかったです。……それでは、暦お嬢様。お腹が空いていらっしゃるということですので、今から取り急ぎおつくり致します。。少しだけお待ちになって下さい」

そういって秋玖くんはキッチンに向かった。


◇◇◇


夕食を済ませ、自分の部屋に戻った私は鏡に映る自分をぼーっと見つめた。頭には翔子ちゃんが作ってくれたバッテンピンと秋玖くんの赤いピンがついている。

――学校生活だけでもどうしたらいいのかわかんないのに、家でもこんなことになるなんて……。

これからの一年間、秋玖くんと一つ屋根の下で暮らすなんて、今後の人生ほんとにどうなっちゃうんだろう。

――も~私にはわかんない~! 出会いが多すぎるのも問題なんだよ~!

私はカエルのクッションを抱きしめる。今の状況を翔子ちゃんの言葉を借りていうなら、『恋多き乙女における、とても幸せ過ぎる問題』なのだと私は思った。





おわり。




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