桔梗の花を手折るとき

三浦イツキ

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まやかし

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「…………なるほど」
 唇の縁をなぞる彼は納得したように視線を落とす。
 家族に会わせたくない理由はこの事情が半分、残る半分は私のエゴだ。彼を傷つけた人たちに二度とキキョウを渡したくない。思い通りになんてさせたくない。恋人を縛りつける家なんて、滅んでしまえばいい。口にこそしなかったものの、顔を見たことすらない彼の家族を世界で一番憎んでいた。
「やめておこう。わざわざ悪い記憶だけ思い出すのも良くないだろうし」
 彼が聡明で助かった。実の所はわからないが、なんとなく、一度実家に戻ってしまえば監禁や洗脳でもされるのではないかと疑っていたから。いつまでも唯一の跡取り候補に逃げられ続けていては屈辱だろうし、実の兄の葬儀にすら顔を出さない三男を不審に思われているかもしれない。前時代的すぎる妄想だと笑われそうだが、電話越しに聞いたお祖母さんの声には、そういう現実があってもおかしくないと感じさせるような不気味さがあった。
「しかしそうなると……やはり、あなたから情報を得るしかなさそうだ」
「……あぁ、なるほど」
 意図せず少し前に彼が口にした言葉を繰り返す形になってしまい、咳払いをして若干の気恥しさを誤魔化す。以前なら顔を見合せて笑うところだが、今の彼にそのテンションとノリは通じないだろう。
 彼なりに忘れてしまった自分を取り戻そうとしていることは嬉しかった。どうしても私の方からは強要できないもので、自発的に動いてくれるのはありがたい。
「そこで相談がある」
 大きな手がテーブルの上に置いてあった手帳の表紙をめくり、サイズの違う紙のようなものをばらばらと取り出す。それぞれに違う写真やイラストがついていたり文字だけだったりのそれらは、ババ抜きで捨てられたペアのように同じものが二枚ずつ並べられていた。
「彼があなたと使うために用意していたようで、こんなにある。使わないのも勿体ないから、もしよければ付き合ってほしい」
「これ、全部チケット……!?」
 よく見てみると、展覧会の入場チケットや映画の前売り券、舞台のチケットなど様々だ。確かに彼はインスピレーションを求めてとにかく色々な場所へ足を運ぶ人ではあったが、こんなに溜め込んでいたなんて。舞台のチケットなんて印刷されている日付は再来月のものすらある。
 基本的に週末の日付ばかりなのは私の都合を考慮してなのだろうが、つい面食らってしまった。私が行かなければ他の人に譲ったりもするだろうし実際そうしたことも何度かあるのだが、彼は私とこんなにたくさんのものを一緒に見ようとしていたのか。――たくさん、見たかったんだろう。小説に関することを抜きにしても、芸術を愛する人だった。
「直近のものもあるし、無理にとは言わないが」
「……いえ、行きます。行かせてください」
 彼が望んで用意してくれたものなら私が行かなければならない。真っ直ぐ目を合わせて言うと、嬉しそうに表情を和らげた。記憶をなくしたばかりの頃の無表情が嘘のように、意外にも最近はよく笑うようになってきている。声を上げて腹を抱えることはないが、ただ柔らかく微笑むのだ。その微かな仄暗さを残した笑みはどこかキキョウに似ているようでやはり似ていない。それでいてやけに記憶に残る、不思議な笑顔だった。
「ありがとう。じゃあ直近だと……今週の土曜日、展覧会だな」
 土曜日。今日は木曜だから、明後日か。タイミングの良いことにバイトも予定も入っていないはず。急ぎの課題もない。……カガチさんと出かけるのは初めてだ。
「土曜日、大丈夫です。入場時間とかはありますか?」
「いや、開館時間内ならいつでも大丈夫だ。そこまで遠くもないし、昼頃に行こう」
 チケットを一枚手渡すと、彼は残りの束をまとめてまた手帳に挟んだ。表紙に少し擦れた跡のあるそれはキキョウが使っていたものらしい。スケジュール帳なのか日記なのか、はたまた小説のネタ帳なのか。中身が気になって仕方がなかったが見せてくれるよう頼む度胸はなく、部屋に戻っていく背中をただ見送った。
 どこか浮ついた気持ちを拭えないまま金曜日を過ごし、あっという間に土曜日の朝。時間に余裕がある分丁寧にメイクを進める自分に気がついて、まるでデートの前みたいだと苦笑いしてしまった。別にカガチさんのために着飾ってはいない。せっかく展覧会に行くのだし、時間があるなら自分をいつもより飾ることも楽しみの一つというだけで。
 その日選んだリップは、誕生日にキキョウがプレゼントしてくれたものだった。
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