出て行けと追い出されたが、そもそも私の家ではなかった

Estella

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プロローグ

大雨の中の追放

 黒色の雲が空を覆い、轟々と響く雷鳴が不気味に低く唸る。凄まじい暴風雨が屋敷の窓を激しく打ち付け、今にも軋み崩れそうなほどだった。
 まさに天の怒りとも呼ぶべき荒天の中、私は屋敷の門前、冷たくぬかるんだ地面に突き飛ばされて転がされていた。

「これで二度とお前の顔を見ないで済むな」

 頭上から聞こえる声は、雨音を掻き消すほど冷たく鋭かった。見上げれば、そこには私の婚約者であるはずのエドワード・ヘーデルが立っている。
 彼の目は、かつてのわずかな優しさの片鱗もなく、獣のようにぎらぎらと不気味な光を放っていた。

「さっさとこうしていれば良かったんだ。この家にお前なんて元々必要ないし、俺のクラリスが毎日毎日、お前の陰湿な嫌がらせに遭って本当に可哀想だったよ」

「エド、そんなこと言わないで……お姉様も、きっと悪気があったわけじゃないのよ」

 馬車の窓から、妹のクラリスが顔を覗かせた。彼女の声はいつものように鈴のように澄んでいて、そして――今この瞬間でさえ――どこか悲しげに震えているふりをしていた。
 彼女はわざとらしく首を振ると、エドワードにしがみつくようにして囁いた。

「お姉様はただ、少し……複雑なだけなの。私とあなたが仲良くしているのを、妬いているだけなのかも……」

「あぁクラリス、おまえはなんて心優しいんだ……。実の姉にあれだけいじめられていたというのに……。それに比べてこいつは……」

 エドワードの視線が再び私に向けられる。その目には、憎悪と嫌悪以上の、何か底知れぬ粘着質な悪意がにじみ出ていた。

「……本当に醜悪だ。外見だけじゃない、心まで歪んでいる。あだ名通りの悪女だよ――、『醜いお人形』!」

「だめよ、エド……!」

 クラリスは口元を押さえて、小さく悲鳴を上げるふりをした。しかし、彼女がエドワードの袖の陰から私に向ける一瞥には、紛れもない勝利の笑みが浮かんでいた。

 何の、茶番だろうか。
 私はただ、地面に突き出た小石が膝に食い込む痛みと、突き飛ばされた際に無理やり捻った足首の激痛を感じながら、呆然と彼らを見つめることしかできなかった。
 体中を打ち付ける冷たい雨は、私の体温を容赦なく奪い、震えはもう止めようがなかった。簡素な外出着一枚で放り出された私の身なりは、泥水でぐしゃぐしゃに汚れ、もはや人形というより、道端の雑草そのものだった。
 荷物ひとつ、持ち物ひとつ持たせてもらえなかった。

 そんな見るも無残な私を、妹と婚約者は安全で豪華な馬車の中から、塵芥を見下ろすように眺めていた。

「じゃあな、二度と会わないことを願ってるよ。まあ、この魔物うろつく森の中で、生き残れればの話だけどな!」

 エドワードは嗤った。彼が「魔物の森」と言ったが、それは単なる脅しではない。
 この辺境の地に広がる森は、確かに夜になれば魑魅魍魎が跋扈すると噂される危険な場所だった。傷ついた私が一夜を明かせる可能性は、限りなく低い。

「エド、もう行きましょう……! なんだか怖いわ……森の方から、何かの気配がする……」

 クラリスはわざとらしく身震いし、エドワードの腕にさらに強くすがりついた。

「あぁごめんクラリス。こんな汚らしいものを見せるべきじゃなかったな。早く屋敷に帰ろう、暖炉の前で温まろう。僕が君を守るから」

「うんっ……! あなたがいれば、安心だわ」

 一方的に裁きを下し、一方的に別れを告げた二人は、まるで役割を終えたかのように、馬車の扉をばたんと閉めた。車輪がぐちゃりと泥を搔き鳴らし、馬車はゆっくりと動き出した。
 もちろん、私はひとり、暗闇と冷雨と痛みの中に取り残されたまま。

 馬車の窓に、クラリスがちらりと振り返った。雨に煙るその横顔は、確かに――嗤っていた。

 私は知らなかった。彼らがここまで私を憎み、見下し、殺したいと思っていただなんて。

「……っ」

 震える唇を噛みしめ、痛む足を引きずりながら、必死で体を起こそうとする。しかし、足首に走る鋭い痛みがそれを許さない。這うようにして、ただ森の闇へと逃げ込むことしかできない。
 エドワードの言う通り、この魔物うろつく夜の森で、無力な私が生き延びられる確率は……。

 それでも、じっと死を待つわけにはいかない。私は、死にたくなかった。

「あっ……!」

 不意に、左手首にあった違和感に気づく。いつもならば、肌に触れる冷たい金属感があるはずの場所が、ない。

 ブレスレットが、ない。
 父から「決して外すな」と厳命され、幼い頃からずっと身に着けていたあのブレスレットが、消えていた。転んだ拍子に外れたのだろうか。それとも……。

 一瞬、取り乱しそうになるが、すぐに思い直した。もう、どうでもいい。あのブレスレットが何であれ、父の命令が何であれ、全てはもう過去のことだ。今の私に必要なのは、生き延びることだけ。

 喉は渇ききり、焼けるように熱い。声などとっくに出ない。額を触れば、火のように熱い。雨に打たれ、気温差で熱を出したのだろう。頭はぐらぐらと揺れ、視界はぼやけてくる。

 遠くから、狼の遠吠えか、はたまた魔物の咆哮か分からない不気味な鳴き声が、風に乗って聞こえてくる。

 もう、だめなのかもしれない。

 ――どんな時も、生きる希望を失ってはいけないわ。

 ふと、遥か昔に聞いた、そんな優しい女性の声が蘇った。あまりに儚く、ぼんやりとした記憶の中のその言葉が、なぜか私の胸に灯る唯一の炎だった。

 そうだ。生きたい。死にたくない。このまま、何も知らずに消えてたまるものか。
 でも――、この体では、もう限界……。

「――! 居たぞ!! あの子だ!! 保護するんだ!」

「なんてことだ! セレンティア……!」

 意識が遠のいていくその時、駆け寄る足音と、聞き慣れない名前を叫ぶ声が、ぼんやりと耳に届いた。

 完全に力を失い、暗闇に堕ちていくその直前。
 私は、必死の形相で駆け寄り、焦燥と心痛に満ちた表情で私に手を伸ばす、一人の青年の顔を見た。
 その青年は――、なぜかとても懐かしい、透き通るような紺色の髪をしていた。
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