出て行けと追い出されたが、そもそも私の家ではなかった

Estella

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プロローグ

後悔しても遅い

「――なんてことをしたんだ、おまえたちは!!」

 ローデンゼン侯爵の怒号が、広間を揺るがした。彼が帰宅し、エドワードとクラリスがエリーゼを追い出したことを知るや、その顔は一瞬で血の気を失い、そして烈火の如く怒りに染まった。

「お、お父様、どうしてそんなに怒るのよ……!? あんな女、追い出したってどうってことないじゃない!」

 クラリスがいつもの甘えた声で、しかし今回は少しばかり戸惑いながら言い返す。しかし、その言葉が終わらないうちに、「バシッ!」という鋭い音が響いた。侯爵の手が、クラリスの頬を強く打っていた。

「ぐっ……!」

 クラリスはその衝撃で床に転がり、泣き声を上げた。それを見てエドワードは我を忘れて駆け寄り、クラリスを抱き起こしながら、呆然と侯爵を見上げた。

「な、何をするんですか、義父さま!? クラリスは悪くありません! あれは俺たち二人で決めた――」

「黙れ小僧が!!」

 侯爵の咆哮がエドワードの言葉を遮った。彼の目は、エドワードがこれまで見たこともないほどに歪み、貪欲と焦燥に燃えていた。

「勝手なことをしやがって!! なんのためにあいつを手に入れたと思ってんだ!! わざわざ十数年も育ててやったのはこの時の為なんだぞ!! クラリス、お前のためにしてやったことだというのに!!」

「あ、あたしのため?」

 クラリスは泣きじゃくりながら、腫れた頬を押さえて言った。

「どういうことなのよお父様! あたしは何にも知らないわ!」

「馬鹿者が! この国は魔力だ、魔力さえあれば出世できる! あいつの魔力さえあれば、俺たちは侯爵家どころじゃない、公爵家にだってなれる! そうしたら憎いあの男の尊大な態度をへし折ってやれたのに……!!」

 侯爵は激情のあまり、傍らにあった花瓶を掴み、床にたたきつけた。割れる音が轟き、エドワードとクラリスは縮み上がった。

「……憎い、あの男?」

 エドワードは呟く。

「それは……カルデンシア公爵のことですか?」

「当然だろう! あの傲慢な男め……! 俺のすべてを、俺の誇りを踏みにじった……!」

 侯爵の言葉は、ただの野心以上の、歪んだ執念に満ちていた。

「だけど……お父様。エリーゼに魔力なんてあるんですか? あの女、魔力検査でも最底辺の評価でしたよ?」

 クラリスが涙声で聞いた。それはエドワードも知っている事実だった。エリーゼは魔力がほとんどない、落ちこぼれだと。

「あるんだよ、バカ娘が! あのブレスレットが封じていたんだ! あのブレスレットはな、あの女の恐るべき魔力を吸い取り、俺たちのものにするための魔道具だ! あそこまでやったのに、あの魔力を手放せるものか……!」

「「――!?」」

 侯爵の口から零れた言葉に、エドワードとクラリスの息が止まった。

 侯爵ははっとしてとクラリスを見、クラリスはエドワードを見た。二人の顔には、恐怖と混乱の色が広がっている。

「ま、まっ、違うのよお父様!」

 クラリスは必死にその場を取り繕おうとした。

「これは全部エドの考えたことなのよ? ねえ、そうでしょうエド! あなたが『あの女は邪魔だ』って言ったじゃない!」

「はっ……? い、いや、俺たちはちゃんと相談をして……クラリスだって『姉さんがいなくなれば全てがうまくいく』って……」

「誰が考えたなどと関係あるか!!」

 侯爵は再び怒鳴り散らした。もはや正常な判断力は失われている。

「二人とも今すぐあいつを連れ戻して来い!! 連れ戻したらいつもの地下牢に閉じ込めておくんだ!! 絶対に出られないようにな! 分かったな!?」

「わ、分かったけど、お父様、ちょっとどこに行くのよ、あたし達でそんなことできるわけないじゃない! ねえお父様ったら――!」

 侯爵はクラリスの泣き叫ぶ声を無視し、激昂しながら広間を出て行った。足音が遠ざかり、重い沈黙だけが残される。

 広間には、呆然と立ち尽くすエドワードと、へたり込んで泣き続けるクラリスが残された。

「……なあ、クラリス」

 エドワードは虚ろな声で問いかけた。

「君は嘘をついていたのか……?」

「知らないわよ! あたしは何も知らないの!」

 クラリスはヒステリックに叫んだ。

「それより、どうするのよ!? あの女をどうやって連れ戻すのよ!」

「……俺が、どうする?」

 エドワードの声には、これまでになかった苛立ちが込められていた。

「そもそも、お前が『あの女は魔力もないくせに威張ってる』って、いつも吹き込んでたからだろ!? 俺はてっきり、エリーゼがお前をいじめてると思って――」

「あら? 今更その言い草? あなたも『陰険でつまらない女』って、さんざん馬鹿にしてたじゃない! あなただって、あたしの魔力や美貌の方が価値があるって、そう思ってたんでしょう? 都合が悪くなったら全部あたしのせい?」

「違う! だが……だが侯爵の言う通り、俺たちは何も知らされていなかった! エリーゼが……あの女が、そんなに重要な存在だとは!」

「重要なのは魔力でしょ!? あの女本人じゃない! お父様だって、あの女のことを一人の人間として見てたわけじゃないんだから!」

 クラリスの言葉はますます尖り、その本性を剥き出しにしていく。

「あんたはただの伯爵家の息子でしょ!? あたしと結婚したかったら、今すぐあの女を連れ戻してきなさいよ!」

「な……!? クラリス、お前……!」

 エドワードは言葉を失った。目の前で泣きじゃくっていた少女が、今や牙をむいた野獣のようだった。
 これが、彼が「心優しい奇跡の少女」と信じていたクラリスの正体なのか。

「閉じ込める……? いつものところ……?」

 エドワードは侯爵の言葉を反芻する。

「この屋敷に、そんなものが……? エリーゼは、どこに……?」

 ふと、彼は思い出した。エリーゼがいつも物憂げに、時折足を引きずっているように見えたこと。彼女が家族と一緒にいる姿を一度も見たことがないこと。二人が会う部屋は、なぜか屋敷の一番奥の、日の当たらない場所だったこと。

 全てが、つながっていく。

 彼らは、ただの「嫌われ者」を追い出したのではなかった。侯爵の復讐と野心の、最も重要な「道具」を、自らの手で失ってしまったのだ。

「なんて……ことを……」

 エドワードはその場に崩れ落ちそうになった。

 一方、クラリスはなおも喚き散らしていた。

「どうするのよ!? あんたが何とかしなさいよ! 全部、あんたの責任なんだから!」

 しかし、エドワードにはもう、その声がまともに聞こえてはいなかった。

 エドワード・ヘーデルという男の、軽薄で愚かな選択の果てに広がる、絶望的な現実。そしてクラリス・ローデンゼンという女の、保身と我儘のための狂乱。

 エリーゼという、彼らが「悪役令嬢」と決めつけた犠牲者を失ったその瞬間に――、ローデンゼン侯爵家という砂でできた城は、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
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