出て行けと追い出されたが、そもそも私の家ではなかった

Estella

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第五章

婚約式と元妹の企み

 それから半年の月日が流れた。

 カルデンシア公爵家の庭園には、春の柔らかな日差しが降り注ぎ、色とりどりの花々が咲き誇っている。使用人たちが忙しなく行き交い、邸内は明日の一大行事に向けた準備で賑わっていた。

「ちょっと、その装飾はもう少し左に――そうそう!」

「花の配置はもっと華やかに! 明日は国中が見てるんだぞ!」

 アルデリカの凛とした指示が飛び、ギルバートは招待客の最終確認に追われている。アレクサンドルはといえば、書斎で難しい顔をして何やら書類を眺めていた。

「父上、まだ何か?」

 ギルバートが声をかけると、アレクサンドルは渋い顔で書類を置いた。

「……これを明日、アイケン裁判長に渡さねばならん。長い裁判の記録だ」

「それなら、私が――」

「いや、よい。これは私の役目だ」

 アレクサンドルは立ち上がり、窓の外を見やった。庭園では、セレンティアがレクシードと共に、飾り付けを見ながら歩いている。

「……まさか、あの子が皇后になるとはな」

「父上、それはもう何度も――」

「わかっている」

 アレクサンドルは苦笑した。

「ただ、まだ心の整理がつかんのだ。子供なのになあ……」

 ギルバートは思わず吹き出した。

「父上、セレンティアはもう十八になりますよ」

「黙れ。お前にはまだこの気持ちはわからん」

 親子の微笑ましいやり取りを他所に、庭園ではセレンティアがレクシードの手を取っていた。

「本当に、ここでいいの?」

「十分だよ」

 レクシードは優しく笑った。

「派手な式より、君が幸せになれるような式を目指したいんだ」

「……うん」

 セレンティアはうなずいた。

「ただ、お父様がね」

「アレクサンドル公爵が?」

「うん。『式が終わったら、すぐに結婚とはいかんからな』って、何度も言ってるの。まるで明日、私がどこかに行ってしまうみたいに」

 レクシードは苦笑した。

「……父としては当然だな。僕も、できれば早く正式に妻として迎えたかったんだけど」

「リュークまでそんなこと言うの?」

「いや、もちろん、君の気持ちが第一だ。ただ……」

 レクシードは少し照れくさそうに言った。

「公爵の説得には、もう少し時間がかかりそうだな、と」

 セレンティアはくすくすと笑った。あの法廷で冷徹な言葉を放っていた皇太子が、父の前ではまるで普通の青年のように縮こまっている姿が愛おしかった。

「大丈夫よ。お父様はリュークのことをちゃんと認めてるから。ただ、素直になれないだけ」

「……そうだと、いいんだけど」

 二人は並んで歩き出した。明日の婚約式。その先には、結婚という新しい生活が待っている。
 すべてがゆっくりと、しかし確かに、幸せな方向へと進んでいた。



 同じ頃、帝都の片隅――

 埃っぽい路地裏で、一人の男が倒れていた。かつては伯爵家の嫡男として着飾っていた服も、今は擦り切れ、泥にまみれている。
 痩せ細り、髪はぼさぼさで、まるで野良犬のような姿だった。

 エドワード・ヘーデル。
 いや、今はただのエドワードになった青年。

 彼は道端に落ちていた一枚の新聞を、虚ろな目で見つめていた。そこには、大きな見出しが躍っている。

『皇太子殿下、カルデンシア公爵家令嬢と明日婚約式! 国中が祝福ムード』

 記事には、幸せそうに微笑むセレンティアとレクシードの肖像画が描かれていた。その美しいドレス姿、優しい笑顔――かつて、彼の婚約者だったはずの少女。

「……エリー……ゼ……」

 彼の唇がかすかに動いた。その手が震え、新聞を握りしめる。しかし、力が入らない。

「俺が……本当は、俺が……」

 立ち上がろうとした瞬間、彼の体がぐらりと傾いた。

「あ……」

 次の瞬間、エドワードはその場にばったりと倒れた。動かない。ただ、手に握りしめた新聞だけが、風に揺れていた。

 通りかかった人が、悲鳴を上げる。

「だ、誰か! 誰か倒れてる!」

 人だかりができる中、エドワードは微動だにしなかった。生死は、誰にもわからない。



 同じ頃、クラーヴァ男爵領の、みすぼらしい屋敷――

「お母様、お金ちょうだい」

 クラリスがだるそうにソファに寝転びながら言った。かつての美しいドレスは、今はよれよれで、髪もぼさぼさだ。

 カレアは憔悴しきった顔で帳簿を見つめていた。彼女の手は震え、目はくぼみ、風が吹けば倒れそうなほどやつれている。

「……お金なんて、どこにもないわ」

「そんなこと言わないでよ。どうにかしてよ、お母様」

「どうにかって……領民は私たちのこと嫌っているし……」

 事実、クラーヴァ男爵領の領民たちは、ローデンゼン侯爵家の横暴をよく知っていた。そして、その家族であるクラリスとカレアがやって来たと知って、誰一人として協力しようとしなかった。
 商店は品物を売らず、農民は作物を納めず、ただ冷たい視線を送るだけだった。

 クラーヴァ男爵家の面々も爆速でふたりと切れるだけ関係を切っている。
 そして二人には、それをどうにかできるだけの資金力も組織力も、何もかもがなかった。

「何とかならないの? あたしはやりたいことがあるのに!」

 クラリスは癇癪を起こして、手近にあった新聞を掴んだ。そして、その一面を見て――固まった。

『皇太子殿下、明日婚約式』

 写真には、美しく着飾ったセレンティアが微笑んでいる。その姿は、まるで絵画のように優雅で、幸せそうだった。

「……っ!」

 クラリスの手が震えた。新聞を握りしめ、破りそうな勢いだ。

「あの女……あの女だけが……!」

「クラリス、やめなさい……」

 カレアの弱々しい声も、彼女には届かない。

「あたしだって……あたしだって、あそこに立つべきだったのに……! 魔力さえあれば、あたしだって……!」

 彼女の目に、狂気じみた光が宿った。

(……そうだわ。式があるのなら、人が集まるのなら……忍び込めばいい。あの女の晴れの舞台に、忍び込んで……何をするかは、その時考えればいい)

 クラリスの唇が、歪んだ笑みを形作った。

「ふふ……ふふふ……」

「クラリス……?」

 カレアが不安そうに声をかけるが、クラリスは答えない。ただ、新聞の中のセレンティアを見つめながら、不気味な笑みを浮かべ続けていた。

 窓の外では、冷たい風が吹き荒れていた。明日の帝都は、きっと春の陽気に包まれ、祝福の声が響くだろう。しかしこの陰気な屋敷には、まだ光は差し込んでいなかった。

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