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第5章 王国との激突
第44話「内通者の裏切り」
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理念の戦いに勝利した翌日、リコンストラクト自由国は祝賀の雰囲気に包まれていた。町の広場では、人々が昨日の勝利を讃え合い、レオンの演説を語り合っている。
兵士たちも、緊張が解けたのか、笑顔で食事をしている。王国軍の一部が武器を置いた。その事実が、町全体に希望をもたらしていた。
「もう勝ったも同然だな」
防衛隊の若い兵士が、仲間に言った。
「ああ。次に攻めてきても、また理念で勝てる」
別の兵士が、楽観的に答えた。その会話を、レオンは城壁の上から聞いていた。だが、彼の表情は晴れない。
「油断している」
レオンは、隣に立つカイルに呟いた。
「ああ。だが、仕方ない」
カイルも、町を見下ろしながら答えた。
「昨日の勝利は、大きかった。誰もが、希望を持ちたがっている」
「だが、グレイソン将軍は、まだ何か企んでいる」
レオンは、北の方角を見た。王国軍の陣営は、不気味なほど静かだった。攻撃の準備をしている様子もない。まるで、何かを待っているかのようだ。
「俺も、そう思う」
カイルは、真剣な表情で頷いた。
「あの男は、正面から負けたからといって、諦めるような人間じゃない」
二人は、しばらく黙って王国軍の陣営を見つめていた。静寂が、逆に不安を煽る。
その日の午後、レオンは執務室で防衛計画の見直しをしていた。机の上には、地図や書類が広げられている。だが、レオンは違和感を覚えた。書類の位置が、微妙に変わっている。自分が置いた場所と、数センチずれている。
「誰か、ここに入ったのか?」
レオンは、部屋を見回した。窓は閉まっている。扉にも鍵がかかっていた。だが、確かに誰かが入った形跡がある。
「気のせいか?」
レオンは首を振った。だが、不安は消えない。彼は、書類を一つ一つ確認した。すべて揃っている。盗まれたものはない。ただ、見られた可能性はある。
その時、ノックの音がした。セリアが、慌てた様子で入ってきた。
「レオンさん、大変です」
「どうした」
「防護壁の魔法陣が、書き換えられていました」
セリアは、息を切らしながら報告した。
「魔力供給のルートが、変更されています」
「書き換えられた?誰が?」
「わかりません。ですが、高度な知識がなければできない作業です」
セリアは、魔法陣の図を広げた。そこには、赤い印が付けられている。
「この部分が変更されています。このままだと、防護壁の一部が展開できません」
レオンは、図を見て眉をひそめた。これは、明らかに妨害工作だ。
「権限がある者は、限られている」
レオンは、幹部たちの顔を思い浮かべた。自分、カイル、セリア、ルリア、そして連合軍の代表たち。その中に、裏切り者がいるのか。
「すぐに元に戻してくれ。そして、誰が魔法陣に触れたか、調べてくれ」
「はい」
セリアは、急いで部屋を出た。
その夜、レオンは幹部会議を招集した。集まったのは、カイル、ルーク、セリア、ルリア、ミーナ、リナ、村長、そして連合軍の代表たち。クラインフェルト領のエリアス男爵、シルヴァン領のマリア夫人、オークヘブン領のダリウス卿と副官マルコ。全員が、緊張した表情で席についている。
「今日、いくつかの不審な出来事があった」
レオンが口を開いた。
「執務室の書類が動かされていた。そして、防護壁の魔法陣が書き換えられていた」
部屋がざわめいた。
「つまり、誰かが情報を盗み見て、妨害工作をしたということか」
ダリウス卿が聞いた。
「おそらく」
レオンは頷いた。
「だが、証拠はない」
「内通者がいる、ということですか」
マリア夫人が、不安そうに聞いた。
「可能性は高い」
カイルが答えた。
「王国軍が妙に静かなのも、気になる。まるで、何かを待っているようだ」
「情報を待っているのかもしれません」
セリアが言った。
「我々の防衛計画を知るために」
部屋が、重い沈黙に包まれた。誰もが、疑心暗鬼になっている。隣にいる者が、裏切り者かもしれない。その疑念が、空気を重くする。
「では、警戒を強めよう」
レオンが言った。
「重要な書類は、厳重に管理する。魔法陣も、常に監視する」
全員が頷いた。だが、その目には不安が宿っている。
会議が終わった後、ダリウス卿が一人、残った。彼の表情は、暗い。
「レオン様、実は......」
ダリウス卿は、言いにくそうに口を開いた。
「私の部下の様子が、おかしいのです」
「部下?」
「はい。副官のマルコです」
ダリウス卿は、苦しそうに続けた。
「最近、彼は何か隠しているような様子があります。夜中に一人で外に出ることもあります」
「それは......」
レオンは、真剣な表情になった。
「だが、マルコは信頼できる男です」
ダリウス卿は、強く言った。
「彼は、十年以上私に仕えてきました。裏切るはずがない」
「わかりました。ですが、念のため、注意深く見守りましょう」
レオンは、ダリウス卿の肩を叩いた。
「信じたい気持ちは、わかります」
深夜、レオンとカイルは見張り塔を巡回していた。夜の町は静かで、星が無数に輝いている。だが、その静けさが、逆に不安を煽る。
「北の見張り塔から、連絡がない」
カイルが、報告を受けた。
「定時連絡の時間を過ぎている」
「行ってみよう」
二人は、北の見張り塔へ向かった。塔に登ると、見張りの兵士が床に倒れていた。だが、殺されてはいない。ただ、気絶させられている。
「誰が、なぜ」
レオンは、兵士を揺り起こした。兵士は、ゆっくりと目を開けた。
「後ろから......何かで殴られて......」
兵士は、かすれた声で言った。記憶は曖昧だ。
「犯人の顔は?」
「見ていません......暗くて......」
レオンとカイルは、塔の中を調べた。だが、何も盗まれていない。ただ、見張りが無力化されただけだ。
「これは、陽動かもしれない」
カイルが言った。
「本命は、別の場所だ」
二人は、すぐに研究所へ向かった。セリアの研究所。防護壁の魔法陣がある場所。
研究所の扉が、開いていた。中から、セリアの悲鳴が聞こえる。
「泥棒!」
レオンとカイルは、すぐに中に入った。セリアが、床に座り込んでいる。彼女の前で、魔法陣の中央にあった魔石が消えていた。
「魔石が、盗まれました」
セリアは、震える声で言った。
「これでは、防護壁が展開できません」
レオンは、周囲を見回した。犯人の痕跡を探す。そして、床に落ちている布切れを見つけた。それは、紋章が刺繍された布だった。オークヘブン領の紋章だ。
「これは......」
カイルが、布を拾い上げた。
「オークヘブン領の紋章だ」
「まさか」
レオンは、信じたくなかった。だが、証拠は目の前にある。
「ダリウス卿の部下、マルコか」
「調べよう」
二人は、すぐにマルコの部屋へ向かった。扉を蹴破って入る。部屋の中は、整然としている。だが、ベッドの下に、小さな箱が隠されていた。
カイルが箱を開けると、中には暗号文が入っていた。王国の印章が押されている。
「『計画通り進めよ。家族は無事だ。次の指示を待て』」
カイルが、暗号文を読み上げた。
「家族を人質に取られていたのか」
レオンは、拳を握りしめた。マルコは、家族のために裏切った。その事実が、胸に重くのしかかる。
「マルコを捕らえよう」
二人は、マルコを探し始めた。だが、彼は既に部屋にいない。町のどこかに隠れているのか。
やがて、城壁の上でマルコの姿が見つかった。彼は、一人で北の方角を見つめている。その背中は、寂しげだった。
「マルコ」
ダリウス卿が、背後から声をかけた。彼も、レオンたちの報告を聞いて駆けつけたのだ。
マルコは、ゆっくりと振り返った。その顔には、涙が流れている。
「ダリウス様......すみません」
マルコは、その場に膝をついた。
「すべて、私がやりました」
ダリウス卿は、信じられないという表情で立ち尽くしている。
「お前が......なぜだ」
「家族を、人質に取られました」
マルコは、嗚咽しながら語り始めた。
「妻と、二人の子どもです。彼らは、まだ王国領に残っています」
マルコは、顔を覆った。
「王国の密使が来ました。『家族の安全を保証する。代わりに情報を流せ』と」
「拒否すれば?」
「処刑されると言われました。子どもたちの顔を見せられました。泣いている顔を」
マルコの声が、震えた。
「私には、選択肢がありませんでした」
ダリウス卿は、拳で壁を叩いた。石が砕け、血が滲む。
「お前は、俺の右腕だったのに!十年以上、共に戦ってきたのに!」
ダリウス卿の声には、怒りと悲しみが混じっている。
「すみません。すみません」
マルコは、ただ謝ることしかできなかった。
翌朝、城の大広間に全員が集められた。幹部たち、防衛隊の隊長たち、連合軍の代表たち。マルコは、中央に跪かされている。両手に縄をかけられ、項垂れている。
「マルコは、王国のスパイだった」
レオンが、厳粛な声で宣言した。
「彼は、我々の防衛計画を王国に流し、魔法陣を破壊し、魔石を盗んだ」
広間がざわめいた。怒りの声が上がる。
「裏切り者だ!」
「処刑しろ!」
「見せしめにしなければ、示しがつかない!」
特に、クラインフェルト領とシルヴァン領の代表たちが、厳しい処罰を求めている。
だが、ミーナが声を上げた。
「でも、彼も被害者です。家族を人質に取られていたんです」
「それは、理由にならない」
エリアス男爵が、冷たく言った。
「裏切りは、裏切りだ」
「王国が悪いんです」
ルリアも、マルコを擁護した。
「彼を責めるのは、間違っています」
広間が、二つに分かれた。厳罰派と、同情派。議論が、白熱していく。
レオンは、黙ってそれを聞いていた。彼の心も、揺れている。マルコを処刑すべきか、許すべきか。正解がわからない。
レオンは、一人で執務室に戻った。窓の外を見つめながら、考え込む。
「俺は、どうすればいい」
レオンは、呟いた。厳罰を求める声は、理解できる。裏切りは、許されることではない。だが、マルコも被害者だ。家族を守ろうとしただけだ。
ノックの音がして、カイルが入ってきた。
「レオン、お前の判断を支持する」
カイルは、簡潔に言った。
「どんな判断でも、俺はお前を信じる」
「でも、正解がわからない」
レオンは、苦しそうに言った。
「厳罰にすべきか、許すべきか」
「正解なんて、ないのかもしれない」
カイルは、窓の外を見た。
「大切なのは、お前が信じる道を選ぶことだ」
その言葉に、レオンは少し救われた気がした。
夜、ルリアが執務室を訪れた。温かいお茶を持って。
「レオン、少し休んでください」
「ありがとう」
レオンは、お茶を受け取った。
「ルリア、俺は何を選べばいい」
「あなたは、いつも正しい道を選んできました」
ルリアは、優しく言った。
「今回も、あなたの心に従ってください」
「俺の心か」
レオンは、自分の胸に手を当てた。そこには、答えがある。
翌朝、レオンは再び大広間に全員を集めた。マルコも、再び中央に跪かされている。全員が、レオンの判断を待っている。
「マルコを、許す」
レオンの言葉に、広間が騒然となった。
「何だと!」
「裏切り者を許すのか!」
怒りの声が上がる。だが、レオンは手を上げて、静めた。
「彼も、王国の被害者だ」
レオンは、静かだが力強い声で言った。
「家族を守ろうとしただけだ。それを、俺は責められない」
「ですが、レオン様」
エリアス男爵が反論した。
「これでは、示しがつきません」
「示しなど、いらない」
レオンは、きっぱりと言った。
「俺たちは、王国とは違う。恐怖で支配するのではなく、信頼で結ばれている」
レオンは、マルコに近づいた。
「ただし、条件がある」
マルコは、顔を上げた。その目には、驚きと希望がある。
「お前の家族を、必ず救出する」
「レオン様......」
「そして、お前はその罪を、戦いで償え」
レオンは、マルコの縄を解いた。
「俺たちと共に戦え。家族を守るために、この町を守るために」
マルコは、涙を流しながら頭を下げた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
その日の午後、救出作戦の計画が立てられた。マルコからの情報によれば、家族は王国軍陣営の近くの村に監禁されている。見張りは少数だが、罠の可能性もある。
「俺が、少数精鋭で救出に向かう」
カイルが提案した。
「ルークと、連合軍の精鋭十名。夜襲で、素早く救出する」
「俺も行かせてください」
マルコが言った。
「家族を救うのは、俺の責任です」
「わかった。だが、命は大切にしろ」
レオンは、マルコの肩を叩いた。
「お前は、まだ償いを果たしていない」
深夜、カイル、ルーク、マルコ、そして精鋭十名が町を出発した。レオンたちが、城門で見送る。
「気をつけろ」
レオンが言うと、カイルは頷いた。
「必ず、戻る」
一行は、闇の中に消えていった。
数時間後、一行は村に到着した。小さな村で、灯りはほとんど消えている。マルコの案内で、監禁されている建物を見つけた。木造の小屋で、外に二人の見張りがいる。
カイルとルークが、静かに近づいて見張りを無力化した。殺しはしない。ただ、気絶させるだけだ。
小屋の扉を開けると、中に女性と二人の子どもがいた。マルコの家族だ。
「お父さん!」
子どもたちが、マルコに駆け寄った。マルコは、子どもたちを抱きしめた。
「よかった......無事で......」
マルコの妻も、涙を流している。
「あなた......」
「もう大丈夫だ。一緒に帰ろう」
だが、その時、周囲が明るくなった。松明の光だ。小屋を、王国軍が包囲している。その数は、百を超える。
「待っていたぞ、カイル」
グレイソン将軍が、馬上から声をかけた。
「罠だったのか」
カイルは、剣を抜いた。
「ああ。マルコの家族は、餌だ。お前たちを誘き出すための」
グレイソンは、冷たく笑った。
「さあ、大人しく降伏しろ」
「断る」
カイルは、構えた。ルークも、戦斧を握りしめている。
「では、力ずくだ」
グレイソンが手を上げると、兵士たちが一斉に襲いかかってきた。
激しい戦いが始まった。カイルとルーク、そして精鋭たちは、必死に応戦する。だが、数が違いすぎる。徐々に、追い詰められていく。
「マルコ、家族を連れて逃げろ」
カイルが叫んだ。
「でも、あなたたちは」
「俺たちが、時間を稼ぐ」
カイルは、敵を斬りながら言った。
「行け!」
マルコは、苦渋の決断をした。家族の手を引いて、包囲の隙間から逃げ出す。精鋭の半分が、マルコを護衛する。
「逃がすな!」
グレイソンが叫んだが、カイルとルークが立ち塞がる。
「お前の相手は、俺たちだ」
マルコは、家族と共に必死に走った。後ろからは、追っ手の声が聞こえる。だが、護衛の兵士たちが、追っ手を食い止めている。
やがて、町の灯りが見えてきた。もう少しだ。
だが、マルコの足が止まった。振り返ると、村の方向で戦いが続いている。カイルとルークが、まだ戦っている。
「俺が、時間を稼ぐ」
マルコは、決意した。護衛の兵士に家族を託す。
「妻を、子どもたちを、レオン様に届けてくれ」
「マルコさん、何を」
「これが、俺の贖罪だ」
マルコは、剣を抜いて村へ引き返した。
「お父さん!」
子どもたちの叫び声が、背中に聞こえる。だが、マルコは走り続けた。涙を流しながら。
マルコは、戦場に戻った。カイルとルークは、既に傷だらけだ。それでも、戦い続けている。
「マルコ、お前、家族は」
「逃がしました」
マルコは、カイルの隣に立った。
「だから、俺はここで戦います」
「馬鹿野郎」
ルークが、豪快に笑った。
「一人で死なせるか」
ルークも、マルコと共に殿を務める決意をした。
「カイル、お前は逃げろ」
「だが」
「俺たちが、時間を稼ぐ」
ルークは、戦斧を構えた。
「お前は、レオンを支えてやれ」
カイルは、苦渋の表情で頷いた。
「必ず、生きて帰れよ」
「ああ」
ルークとマルコは、王国軍に向かって突進した。二人の雄叫びが、夜空に響く。
カイルは、残りの精鋭と共に撤退した。後ろ髪を引かれる思いだったが、ルークたちの犠牲を無駄にはできない。
夜明け前、カイルと精鋭たちが町に戻ってきた。マルコの家族も無事だった。だが、ルークとマルコの姿はない。
「ルークは?マルコは?」
レオンが聞くと、カイルは首を振った。
「二人は、殿を務めた。俺たちを逃がすために」
レオンは、拳を握りしめた。自分の判断が、彼らを危険に晒した。
「俺のせいだ」
「違う」
カイルは、レオンの肩を掴んだ。
「お前の判断は、正しかった。マルコは、贖罪の機会を得た。ルークは、仲間を守った」
「でも......」
「二人は、まだ生きているかもしれない」
カイルは、町の方を見た。
「諦めるな」
マルコの妻が、レオンの前に跪いた。
「レオン様、夫を助けてください」
「必ず」
レオンは、妻の手を取った。
「必ず、助ける」
だが、その約束を果たすのは、容易ではなかった。王国軍は、既に次の攻撃の準備を始めていた。
その日の午後、王国軍の陣営から使者が来た。だが、今回は降伏勧告ではなかった。
「これを」
使者は、一通の書状を渡した。それは、グレイソン将軍からのものだった。
「『レオン・アーデルハイト。お前の優しさが仇となった。我々は、お前の仲間二名を捕らえた。彼らの命が惜しければ、降伏しろ。さもなくば、明日の夜明けと共に、総攻撃を開始する』」
レオンは、書状を握りしめた。ルークとマルコが、人質になっている。そして、明日、王国軍の総攻撃が始まる。
「くそっ」
レオンは、机を叩いた。自分の判断が、すべてを悪い方向へ導いている。
だが、降伏するわけにはいかない。ここで降伏すれば、すべてが終わる。
「戦うしかない」
レオンは、決意を固めた。
「明日、王国軍の総攻撃を退ける。そして、ルークとマルコを救出する」
それは、絶望的な戦いの始まりだった。
夜、レオンは城の屋上に立っていた。北の方角を見つめる。そこには、王国軍の陣営がある。ルークとマルコが、そこにいる。
「待っていろ。必ず、助ける」
レオンは、呟いた。だが、その方法が、まだ見えない。
明日、運命の戦いが始まる。これまでで最も厳しい戦いが。
絶望の陣が、幕を開けようとしていた。
兵士たちも、緊張が解けたのか、笑顔で食事をしている。王国軍の一部が武器を置いた。その事実が、町全体に希望をもたらしていた。
「もう勝ったも同然だな」
防衛隊の若い兵士が、仲間に言った。
「ああ。次に攻めてきても、また理念で勝てる」
別の兵士が、楽観的に答えた。その会話を、レオンは城壁の上から聞いていた。だが、彼の表情は晴れない。
「油断している」
レオンは、隣に立つカイルに呟いた。
「ああ。だが、仕方ない」
カイルも、町を見下ろしながら答えた。
「昨日の勝利は、大きかった。誰もが、希望を持ちたがっている」
「だが、グレイソン将軍は、まだ何か企んでいる」
レオンは、北の方角を見た。王国軍の陣営は、不気味なほど静かだった。攻撃の準備をしている様子もない。まるで、何かを待っているかのようだ。
「俺も、そう思う」
カイルは、真剣な表情で頷いた。
「あの男は、正面から負けたからといって、諦めるような人間じゃない」
二人は、しばらく黙って王国軍の陣営を見つめていた。静寂が、逆に不安を煽る。
その日の午後、レオンは執務室で防衛計画の見直しをしていた。机の上には、地図や書類が広げられている。だが、レオンは違和感を覚えた。書類の位置が、微妙に変わっている。自分が置いた場所と、数センチずれている。
「誰か、ここに入ったのか?」
レオンは、部屋を見回した。窓は閉まっている。扉にも鍵がかかっていた。だが、確かに誰かが入った形跡がある。
「気のせいか?」
レオンは首を振った。だが、不安は消えない。彼は、書類を一つ一つ確認した。すべて揃っている。盗まれたものはない。ただ、見られた可能性はある。
その時、ノックの音がした。セリアが、慌てた様子で入ってきた。
「レオンさん、大変です」
「どうした」
「防護壁の魔法陣が、書き換えられていました」
セリアは、息を切らしながら報告した。
「魔力供給のルートが、変更されています」
「書き換えられた?誰が?」
「わかりません。ですが、高度な知識がなければできない作業です」
セリアは、魔法陣の図を広げた。そこには、赤い印が付けられている。
「この部分が変更されています。このままだと、防護壁の一部が展開できません」
レオンは、図を見て眉をひそめた。これは、明らかに妨害工作だ。
「権限がある者は、限られている」
レオンは、幹部たちの顔を思い浮かべた。自分、カイル、セリア、ルリア、そして連合軍の代表たち。その中に、裏切り者がいるのか。
「すぐに元に戻してくれ。そして、誰が魔法陣に触れたか、調べてくれ」
「はい」
セリアは、急いで部屋を出た。
その夜、レオンは幹部会議を招集した。集まったのは、カイル、ルーク、セリア、ルリア、ミーナ、リナ、村長、そして連合軍の代表たち。クラインフェルト領のエリアス男爵、シルヴァン領のマリア夫人、オークヘブン領のダリウス卿と副官マルコ。全員が、緊張した表情で席についている。
「今日、いくつかの不審な出来事があった」
レオンが口を開いた。
「執務室の書類が動かされていた。そして、防護壁の魔法陣が書き換えられていた」
部屋がざわめいた。
「つまり、誰かが情報を盗み見て、妨害工作をしたということか」
ダリウス卿が聞いた。
「おそらく」
レオンは頷いた。
「だが、証拠はない」
「内通者がいる、ということですか」
マリア夫人が、不安そうに聞いた。
「可能性は高い」
カイルが答えた。
「王国軍が妙に静かなのも、気になる。まるで、何かを待っているようだ」
「情報を待っているのかもしれません」
セリアが言った。
「我々の防衛計画を知るために」
部屋が、重い沈黙に包まれた。誰もが、疑心暗鬼になっている。隣にいる者が、裏切り者かもしれない。その疑念が、空気を重くする。
「では、警戒を強めよう」
レオンが言った。
「重要な書類は、厳重に管理する。魔法陣も、常に監視する」
全員が頷いた。だが、その目には不安が宿っている。
会議が終わった後、ダリウス卿が一人、残った。彼の表情は、暗い。
「レオン様、実は......」
ダリウス卿は、言いにくそうに口を開いた。
「私の部下の様子が、おかしいのです」
「部下?」
「はい。副官のマルコです」
ダリウス卿は、苦しそうに続けた。
「最近、彼は何か隠しているような様子があります。夜中に一人で外に出ることもあります」
「それは......」
レオンは、真剣な表情になった。
「だが、マルコは信頼できる男です」
ダリウス卿は、強く言った。
「彼は、十年以上私に仕えてきました。裏切るはずがない」
「わかりました。ですが、念のため、注意深く見守りましょう」
レオンは、ダリウス卿の肩を叩いた。
「信じたい気持ちは、わかります」
深夜、レオンとカイルは見張り塔を巡回していた。夜の町は静かで、星が無数に輝いている。だが、その静けさが、逆に不安を煽る。
「北の見張り塔から、連絡がない」
カイルが、報告を受けた。
「定時連絡の時間を過ぎている」
「行ってみよう」
二人は、北の見張り塔へ向かった。塔に登ると、見張りの兵士が床に倒れていた。だが、殺されてはいない。ただ、気絶させられている。
「誰が、なぜ」
レオンは、兵士を揺り起こした。兵士は、ゆっくりと目を開けた。
「後ろから......何かで殴られて......」
兵士は、かすれた声で言った。記憶は曖昧だ。
「犯人の顔は?」
「見ていません......暗くて......」
レオンとカイルは、塔の中を調べた。だが、何も盗まれていない。ただ、見張りが無力化されただけだ。
「これは、陽動かもしれない」
カイルが言った。
「本命は、別の場所だ」
二人は、すぐに研究所へ向かった。セリアの研究所。防護壁の魔法陣がある場所。
研究所の扉が、開いていた。中から、セリアの悲鳴が聞こえる。
「泥棒!」
レオンとカイルは、すぐに中に入った。セリアが、床に座り込んでいる。彼女の前で、魔法陣の中央にあった魔石が消えていた。
「魔石が、盗まれました」
セリアは、震える声で言った。
「これでは、防護壁が展開できません」
レオンは、周囲を見回した。犯人の痕跡を探す。そして、床に落ちている布切れを見つけた。それは、紋章が刺繍された布だった。オークヘブン領の紋章だ。
「これは......」
カイルが、布を拾い上げた。
「オークヘブン領の紋章だ」
「まさか」
レオンは、信じたくなかった。だが、証拠は目の前にある。
「ダリウス卿の部下、マルコか」
「調べよう」
二人は、すぐにマルコの部屋へ向かった。扉を蹴破って入る。部屋の中は、整然としている。だが、ベッドの下に、小さな箱が隠されていた。
カイルが箱を開けると、中には暗号文が入っていた。王国の印章が押されている。
「『計画通り進めよ。家族は無事だ。次の指示を待て』」
カイルが、暗号文を読み上げた。
「家族を人質に取られていたのか」
レオンは、拳を握りしめた。マルコは、家族のために裏切った。その事実が、胸に重くのしかかる。
「マルコを捕らえよう」
二人は、マルコを探し始めた。だが、彼は既に部屋にいない。町のどこかに隠れているのか。
やがて、城壁の上でマルコの姿が見つかった。彼は、一人で北の方角を見つめている。その背中は、寂しげだった。
「マルコ」
ダリウス卿が、背後から声をかけた。彼も、レオンたちの報告を聞いて駆けつけたのだ。
マルコは、ゆっくりと振り返った。その顔には、涙が流れている。
「ダリウス様......すみません」
マルコは、その場に膝をついた。
「すべて、私がやりました」
ダリウス卿は、信じられないという表情で立ち尽くしている。
「お前が......なぜだ」
「家族を、人質に取られました」
マルコは、嗚咽しながら語り始めた。
「妻と、二人の子どもです。彼らは、まだ王国領に残っています」
マルコは、顔を覆った。
「王国の密使が来ました。『家族の安全を保証する。代わりに情報を流せ』と」
「拒否すれば?」
「処刑されると言われました。子どもたちの顔を見せられました。泣いている顔を」
マルコの声が、震えた。
「私には、選択肢がありませんでした」
ダリウス卿は、拳で壁を叩いた。石が砕け、血が滲む。
「お前は、俺の右腕だったのに!十年以上、共に戦ってきたのに!」
ダリウス卿の声には、怒りと悲しみが混じっている。
「すみません。すみません」
マルコは、ただ謝ることしかできなかった。
翌朝、城の大広間に全員が集められた。幹部たち、防衛隊の隊長たち、連合軍の代表たち。マルコは、中央に跪かされている。両手に縄をかけられ、項垂れている。
「マルコは、王国のスパイだった」
レオンが、厳粛な声で宣言した。
「彼は、我々の防衛計画を王国に流し、魔法陣を破壊し、魔石を盗んだ」
広間がざわめいた。怒りの声が上がる。
「裏切り者だ!」
「処刑しろ!」
「見せしめにしなければ、示しがつかない!」
特に、クラインフェルト領とシルヴァン領の代表たちが、厳しい処罰を求めている。
だが、ミーナが声を上げた。
「でも、彼も被害者です。家族を人質に取られていたんです」
「それは、理由にならない」
エリアス男爵が、冷たく言った。
「裏切りは、裏切りだ」
「王国が悪いんです」
ルリアも、マルコを擁護した。
「彼を責めるのは、間違っています」
広間が、二つに分かれた。厳罰派と、同情派。議論が、白熱していく。
レオンは、黙ってそれを聞いていた。彼の心も、揺れている。マルコを処刑すべきか、許すべきか。正解がわからない。
レオンは、一人で執務室に戻った。窓の外を見つめながら、考え込む。
「俺は、どうすればいい」
レオンは、呟いた。厳罰を求める声は、理解できる。裏切りは、許されることではない。だが、マルコも被害者だ。家族を守ろうとしただけだ。
ノックの音がして、カイルが入ってきた。
「レオン、お前の判断を支持する」
カイルは、簡潔に言った。
「どんな判断でも、俺はお前を信じる」
「でも、正解がわからない」
レオンは、苦しそうに言った。
「厳罰にすべきか、許すべきか」
「正解なんて、ないのかもしれない」
カイルは、窓の外を見た。
「大切なのは、お前が信じる道を選ぶことだ」
その言葉に、レオンは少し救われた気がした。
夜、ルリアが執務室を訪れた。温かいお茶を持って。
「レオン、少し休んでください」
「ありがとう」
レオンは、お茶を受け取った。
「ルリア、俺は何を選べばいい」
「あなたは、いつも正しい道を選んできました」
ルリアは、優しく言った。
「今回も、あなたの心に従ってください」
「俺の心か」
レオンは、自分の胸に手を当てた。そこには、答えがある。
翌朝、レオンは再び大広間に全員を集めた。マルコも、再び中央に跪かされている。全員が、レオンの判断を待っている。
「マルコを、許す」
レオンの言葉に、広間が騒然となった。
「何だと!」
「裏切り者を許すのか!」
怒りの声が上がる。だが、レオンは手を上げて、静めた。
「彼も、王国の被害者だ」
レオンは、静かだが力強い声で言った。
「家族を守ろうとしただけだ。それを、俺は責められない」
「ですが、レオン様」
エリアス男爵が反論した。
「これでは、示しがつきません」
「示しなど、いらない」
レオンは、きっぱりと言った。
「俺たちは、王国とは違う。恐怖で支配するのではなく、信頼で結ばれている」
レオンは、マルコに近づいた。
「ただし、条件がある」
マルコは、顔を上げた。その目には、驚きと希望がある。
「お前の家族を、必ず救出する」
「レオン様......」
「そして、お前はその罪を、戦いで償え」
レオンは、マルコの縄を解いた。
「俺たちと共に戦え。家族を守るために、この町を守るために」
マルコは、涙を流しながら頭を下げた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
その日の午後、救出作戦の計画が立てられた。マルコからの情報によれば、家族は王国軍陣営の近くの村に監禁されている。見張りは少数だが、罠の可能性もある。
「俺が、少数精鋭で救出に向かう」
カイルが提案した。
「ルークと、連合軍の精鋭十名。夜襲で、素早く救出する」
「俺も行かせてください」
マルコが言った。
「家族を救うのは、俺の責任です」
「わかった。だが、命は大切にしろ」
レオンは、マルコの肩を叩いた。
「お前は、まだ償いを果たしていない」
深夜、カイル、ルーク、マルコ、そして精鋭十名が町を出発した。レオンたちが、城門で見送る。
「気をつけろ」
レオンが言うと、カイルは頷いた。
「必ず、戻る」
一行は、闇の中に消えていった。
数時間後、一行は村に到着した。小さな村で、灯りはほとんど消えている。マルコの案内で、監禁されている建物を見つけた。木造の小屋で、外に二人の見張りがいる。
カイルとルークが、静かに近づいて見張りを無力化した。殺しはしない。ただ、気絶させるだけだ。
小屋の扉を開けると、中に女性と二人の子どもがいた。マルコの家族だ。
「お父さん!」
子どもたちが、マルコに駆け寄った。マルコは、子どもたちを抱きしめた。
「よかった......無事で......」
マルコの妻も、涙を流している。
「あなた......」
「もう大丈夫だ。一緒に帰ろう」
だが、その時、周囲が明るくなった。松明の光だ。小屋を、王国軍が包囲している。その数は、百を超える。
「待っていたぞ、カイル」
グレイソン将軍が、馬上から声をかけた。
「罠だったのか」
カイルは、剣を抜いた。
「ああ。マルコの家族は、餌だ。お前たちを誘き出すための」
グレイソンは、冷たく笑った。
「さあ、大人しく降伏しろ」
「断る」
カイルは、構えた。ルークも、戦斧を握りしめている。
「では、力ずくだ」
グレイソンが手を上げると、兵士たちが一斉に襲いかかってきた。
激しい戦いが始まった。カイルとルーク、そして精鋭たちは、必死に応戦する。だが、数が違いすぎる。徐々に、追い詰められていく。
「マルコ、家族を連れて逃げろ」
カイルが叫んだ。
「でも、あなたたちは」
「俺たちが、時間を稼ぐ」
カイルは、敵を斬りながら言った。
「行け!」
マルコは、苦渋の決断をした。家族の手を引いて、包囲の隙間から逃げ出す。精鋭の半分が、マルコを護衛する。
「逃がすな!」
グレイソンが叫んだが、カイルとルークが立ち塞がる。
「お前の相手は、俺たちだ」
マルコは、家族と共に必死に走った。後ろからは、追っ手の声が聞こえる。だが、護衛の兵士たちが、追っ手を食い止めている。
やがて、町の灯りが見えてきた。もう少しだ。
だが、マルコの足が止まった。振り返ると、村の方向で戦いが続いている。カイルとルークが、まだ戦っている。
「俺が、時間を稼ぐ」
マルコは、決意した。護衛の兵士に家族を託す。
「妻を、子どもたちを、レオン様に届けてくれ」
「マルコさん、何を」
「これが、俺の贖罪だ」
マルコは、剣を抜いて村へ引き返した。
「お父さん!」
子どもたちの叫び声が、背中に聞こえる。だが、マルコは走り続けた。涙を流しながら。
マルコは、戦場に戻った。カイルとルークは、既に傷だらけだ。それでも、戦い続けている。
「マルコ、お前、家族は」
「逃がしました」
マルコは、カイルの隣に立った。
「だから、俺はここで戦います」
「馬鹿野郎」
ルークが、豪快に笑った。
「一人で死なせるか」
ルークも、マルコと共に殿を務める決意をした。
「カイル、お前は逃げろ」
「だが」
「俺たちが、時間を稼ぐ」
ルークは、戦斧を構えた。
「お前は、レオンを支えてやれ」
カイルは、苦渋の表情で頷いた。
「必ず、生きて帰れよ」
「ああ」
ルークとマルコは、王国軍に向かって突進した。二人の雄叫びが、夜空に響く。
カイルは、残りの精鋭と共に撤退した。後ろ髪を引かれる思いだったが、ルークたちの犠牲を無駄にはできない。
夜明け前、カイルと精鋭たちが町に戻ってきた。マルコの家族も無事だった。だが、ルークとマルコの姿はない。
「ルークは?マルコは?」
レオンが聞くと、カイルは首を振った。
「二人は、殿を務めた。俺たちを逃がすために」
レオンは、拳を握りしめた。自分の判断が、彼らを危険に晒した。
「俺のせいだ」
「違う」
カイルは、レオンの肩を掴んだ。
「お前の判断は、正しかった。マルコは、贖罪の機会を得た。ルークは、仲間を守った」
「でも......」
「二人は、まだ生きているかもしれない」
カイルは、町の方を見た。
「諦めるな」
マルコの妻が、レオンの前に跪いた。
「レオン様、夫を助けてください」
「必ず」
レオンは、妻の手を取った。
「必ず、助ける」
だが、その約束を果たすのは、容易ではなかった。王国軍は、既に次の攻撃の準備を始めていた。
その日の午後、王国軍の陣営から使者が来た。だが、今回は降伏勧告ではなかった。
「これを」
使者は、一通の書状を渡した。それは、グレイソン将軍からのものだった。
「『レオン・アーデルハイト。お前の優しさが仇となった。我々は、お前の仲間二名を捕らえた。彼らの命が惜しければ、降伏しろ。さもなくば、明日の夜明けと共に、総攻撃を開始する』」
レオンは、書状を握りしめた。ルークとマルコが、人質になっている。そして、明日、王国軍の総攻撃が始まる。
「くそっ」
レオンは、机を叩いた。自分の判断が、すべてを悪い方向へ導いている。
だが、降伏するわけにはいかない。ここで降伏すれば、すべてが終わる。
「戦うしかない」
レオンは、決意を固めた。
「明日、王国軍の総攻撃を退ける。そして、ルークとマルコを救出する」
それは、絶望的な戦いの始まりだった。
夜、レオンは城の屋上に立っていた。北の方角を見つめる。そこには、王国軍の陣営がある。ルークとマルコが、そこにいる。
「待っていろ。必ず、助ける」
レオンは、呟いた。だが、その方法が、まだ見えない。
明日、運命の戦いが始まる。これまでで最も厳しい戦いが。
絶望の陣が、幕を開けようとしていた。
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