卒業

けいりん

文字の大きさ
3 / 3

その3

しおりを挟む
 クラスの人達と一通り別れをすませたあとで、あたしはロビーに向かった。たぶんそこには、わがSF研のメンバーが集まっているはず。当然、あいつだって来るだろう――もっとも、目的はあたしじゃないだろうけど。それが、くやしいといえばくやしいところ。あいつは、あたしに会うためにくるんじゃない。そうわかっていても、あいつに会うために来てしまう、来ずにいられない、そんな自分の気持ちが、あたしにはくやしかった。
 数人、メンバーが来ていた。まだあいつは来ていない。
 他は?  あたしは、あいつの名前を出さずにきいた。気づかれるわけには、いかなかったから。今日まで秘めてきた、あたしの想いを。言いかえるなら――あたしは、壊せなかった。壊すのが恐かった。高校生活という、美しい想い出を壊すのが。
 まだホームルーム終わってないんじゃない、と、一人がいった。
 そうかもな、と思う。あいつの担任、長いほうだから――あの娘のとこほどじゃないけどね。
 ――SF研。あたしの高校生活の中で、ひときわ輝いてた部分。悪意のない、やさしい、いい人達。遅くまで残って雑談したり、ときには悩みをうちあけたり……特にあいつとあたし、それから既にここに来ている二人の後輩は、お互い、何でもうちあけあった仲だった。
 何でも?  ……ちがうな。後輩たちはどうかわからない。でも、少なくとも、あたしとあいつは、一つずつの秘密をもっていたもの。
 そのうち、あいつが来た。いつもと同じ笑顔。後輩たちにボタンを渡す、やさしい手。他愛もない雑談――それがひとくぎりついた後で、あいつが言う。
 「――は?」あの娘の名前。
 あなた、いつもこうだった。隠そうとするのに、隠しきれない。他の人には、それでもよかったかもしれない。あなたとあの人が別れたなんて、誰も知らないことだったから。前からほとんど学校じゃ話してなかったものね、別れても誰にも気づかれなかったのもあたりまえだわ。でも……あなた忘れたの?『聞いてくれる? ……ふられた』なんて、力なく笑いながら、あたしにうちあけたの。あとはあなたの態度見てれば、あなたの新しい恋は、すぐにわかったわ。今だって、そわそわして、落ちつかなくて……


 あの娘がくる。とたんに輝く、あいつの顔。
 これ以上はない、というぐらい素敵な微笑みをつくる彼女を見て、あたしはどうしても言えない、一つの言葉を心の中でつぶやいた。
 ごめんね……
 この娘にとって、たぶん、あたしは、いい先輩だったんだろう。他の誰にも言わなかった切ない想いを、あたしにだけはうちあけてくれたから。でも、それは間違いだった。何故って、あたしもあいつを好きだったんだもの。だからあたしは決して、あいつの気持をこの娘に教えることなんてできなかった。それどころか、あいつにはもう彼女がいないんだってことすら、教えてあげられなかった。それを教えたら、この娘はあいつに自分の想いをうちあけるだろうって、わかってたから。
 卑怯者。何度、自分をそうののしったかわからない。でも、やっぱりあたしには耐えられなかったのだ。あいつが他の娘とつきあうのを協力するなんて。わかってたのに。誰も幸せになれないって。あたし自身も、結局不幸になるって。
 今、それらもすべて終わろうとしていた。あたしも、あいつも、卒業する。この学校を去る。そして、みんな、会わなくなる。哀しい恋はただの想い出にかわる。全ては時間が洗い流してくれる……
 「先輩、第三ボタンください」
 あの娘があいつに言った。あいつは求められた通りのものを渡した。二人とも、微笑んでいた。あたしだけが、その陰に隠された哀しみを知っていた。
 ごめんね。あの娘を見て、また、そう思う。
 ……でも、どうにもできなかったのよ。恋って、捨てようとして捨てられるものじゃないもの。あきらめようとして、あきらめられるものじゃないもの。
 バスの時間がきて、みんな、帰る準備を始める。その時、一つの声がやけに大きくあたしの耳に響いた。
 「あ、俺、残るよ……ちょっと、用事あるから」
 あの娘の顔が曇る。かわいそう、そう思った。もしあたしが二人にすべてを教えてあげたら……いや、もうやめよう。いまさらこんなこと考えて、何になるっていうんだろう。
 さようなら、先輩、と、あの娘。
 バイバイ、と、冷淡に、あたし。
 あいつへの、哀しみに満ちた、最後のあいさつだった。


 バスに乗って、あたしは、あの娘のとなりに座った。窓の外見てる。学校に残ったあいつのこと、考えてるんだろう。その手には、あいつにもらった第三ボタンが、しっかりとにぎりしめられていた。
 耐え切れずに視線を窓の外に向ける。高校が――もうほとんど来ることのないだろう母校、傍らで自分の想いを見つめる後輩が、これから恋を捨てて暮らしていかなければならない学校が、少しずつ、後ろに流れて、遠ざかってゆく。そしてそれが見えなくなる頃、気持ちの整理をつけたつもりのあたしが彼女のほうを振り向くと、たぶんずっとこらえていたんだろう、いっぱいにうるんだ瞳から、彼女は涙をこぼした。小さなこぶしにボタンをにぎりしめたまま。あたしには、彼女の気持がよくわかった。わかるだけに、苦しかった。この哀しみをつくり出したのは、あたしだったから。
 そんな苦しみが、目からこぼれた。
 今日はじめて、あたしは泣いていた。卒業することの感傷でも、あいつと別れる哀しみでもなく、自分の犯した罪の重さにたえきれずに。
 泣きながら、あたしは隣のあの娘をだきしめた。彼女はあたしにすがって泣きつづけた。
 「ごめんね……」
 小さな声でつぶやいた。きっと聞こえなかっただろう。聞こえるはずもない、小さな声だった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

セラフィーネの選択

棗らみ
恋愛
「彼女を壊してくれてありがとう」 王太子は願った、彼女との安寧を。男は願った己の半身である彼女を。そして彼女は選択したー

行き場を失った恋の終わらせ方

当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」  自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。  避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。    しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……  恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

あなたへの恋心を消し去りました

恋愛
 私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。  私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。  だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。  今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。  彼は心は自由でいたい言っていた。  その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。  友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。  だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。 ※このお話はハッピーエンドではありません。 ※短いお話でサクサクと進めたいと思います。

【完結】最後に貴方と。

たろ
恋愛
わたしの余命はあと半年。 貴方のために出来ることをしてわたしは死んでいきたい。 ただそれだけ。 愛する婚約者には好きな人がいる。二人のためにわたしは悪女になりこの世を去ろうと思います。 ◆病名がハッキリと出てしまいます。辛いと思われる方は読まないことをお勧めします ◆悲しい切ない話です。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【完結】本当に愛していました。さようなら

梅干しおにぎり
恋愛
本当に愛していた彼の隣には、彼女がいました。 2話完結です。よろしくお願いします。

初恋だったお兄様から好きだと言われ失恋した私の出会いがあるまでの日

クロユキ
恋愛
隣に住む私より一つ年上のお兄さんは、優しくて肩まで伸ばした金色の髪の毛を結ぶその姿は王子様のようで私には初恋の人でもあった。 いつも学園が休みの日には、お茶をしてお喋りをして…勉強を教えてくれるお兄さんから好きだと言われて信じられない私は泣きながら喜んだ…でもその好きは恋人の好きではなかった…… 誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。 更新が不定期ですが、よろしくお願いします。

冷たい王妃の生活

柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。 三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。 王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。 孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。 「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。 自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。 やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。 嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。

処理中です...