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 明から電話があり、来週の水曜日の夜中の二、三時間部屋を貸してほしいという。金の無心じゃないだけマシだと思い、その程度ならと、承諾した。どうせ、部屋を物色した所で金目のものなど一つもないのだ。
 この兄さえいなければ、もっと穏やかに暮らせるのに、そう思うと無意識に溜息をついていた。

 日曜日はいつものように佐川と過ごし体を重ねた。佐川によって何度も達した涼はいつの間にか眠っていた。
 微かな物音で涼の意識が一瞬浮上し、無意識に隣にいるであろう佐川に触れようとした。だが、佐川の体はそこにはなかった。
(佐川さん、どこ……?)
 目を開けたくても開いてくれない。カタカタと立て付けの悪い押し入れを開けるような音が聞こえた気がした。それが夢なのか現実なのか、今の涼には区別がつかない。
(そんな押し入れなんて開けても……)
 そこで涼の意識は途切れた。

 水曜日になり、明に言われた通りポストに鍵を入れバイトに行ったが、雇用契約書に押す印鑑を持ってくるはずが、すっかり忘れていた。店長に断りを入れ休憩時間に一旦アパートに戻る事にした。時計は夜中の十二時を回っている。明が知り合いと会っているはずだが、ほんの少し部屋に上げてもらうだけなら許されるだろう。

 玄関の前に立ち、チャイムを鳴らそうとした瞬間、不意に口を何者かの手で塞がれたと思うと体が浮いた。
「!?」
 そのまま引きずられるように、アパートから離れた場所に移動させられた。
 そして目の前の光景に目を疑った。
 自分の部屋に次から次へと何人もの男たちが銃を片手に押し入っている。中から罵声が聞こえ、明らしき声も聞こえた。
(何?)
 頭が上手く回らない。

 そして口を覆う、その手の感触には身に覚えがある。
「佐川さん……?」
 その手の主の名前を呼んだ。

 ダラリとその手が外れ、涼はゆっくり振り返った。そこにはやはり佐川がいた。だがいつもの佐川とは雰囲気がまるで違って見えた。いつも自分に向けられる優しい笑顔はそこにはなく、眉間にシワを寄せた気難しい顔の男がいた。

「なんで戻ってきた」
「……忘れ物を取りに」
 その言葉に佐川は右手で顔を覆い、大きく息を吐いた。
「どういう事?」
 もう一度自分の部屋に目を向けると、明が男に両脇を抱えられ白いバンに乗せられている所だった。
「単刀直入に言う。君の兄貴は逮捕された」
 その言葉を聞いても、真実味が全くない。
「白瀬明は麻薬シャブ拳銃チャカの運び屋だった。今夜大きな取引きが君の部屋である事が分かり、張っていた。押し入れのあのスーツケースには麻薬シャブが入っていた。予定では君が仕事に行っている間に全て終わらせるはずだった」
 涼が戻った事により、その予定が狂ったのだと。

「佐川さんは刑事?」
「刑事とは少し違う。まぁ、似たようなモンだ」
 淡々と話す佐川の口調に違和感を覚える。涼の知っている佐川は、こんな冷たい口調で話す男ではない。まるで別人と話しているようだった。

「捜査の為に俺に近付いたの?俺が弟だから?」
「ああ……」
「もしかて、名前も偽名?」
「本名は大和桔平」
「それで佐川ね……」
 そのネーミングセンスに思わず苦笑いが洩れた。

「全部嘘だった?」
 涼の問いかけに大和は口をつぐんだ。ギュッと唇を噛み、大和の言葉を待った。

「……すまない」

 それは、全てが嘘だったと認める謝罪の言葉だった。

「さが……大和さんは、捜査の為なら男も抱くんだ?」
「……捜査で必要となれば」
「好きって言ってくれた事も?」
「……それは」
 言い淀んだ所で、
「いい! やっぱり聞きたくない。それが嘘でも悲しいし、本当だとしても、あなたを信じる事はできないから」
 目の前にいる人物は自分が好きだった佐川ではない、別人なのだ。そう思わなければ、心が壊れそうだった。

「俺……嘘だけは、本当無理……」
 母親に捨てられた事、明に裏切られた事、そして佐川は全て偽りであった事。なぜ自分はこうも大切な人に裏切られるのか。

「どう思われても仕方ないと思ってる。でも、君と過ごした時間は仕事を忘れるくらい幸せだったんだ。それだけは信じてほしい」
 大和はそう言って涼の肩を強く掴んだ。

「大和さん!」
 捜査官の一人が近付いて来ると、大和に耳打ちをした。
「すまないが、これから君に少し話しを聞かせてもう事になる。捜査に協力してほしい」
 大和の手が離れると、涼は別の捜査官に車に乗せられた。背中に大和の視線を感じた気がしたが、振り返る事はしなかった。

 その後の事はよく覚えていない。質問された事に対して淡々と答えたように思う。
 兄が逮捕された事より、佐川との幸せな日々が全て嘘だった事に酷く傷付いていて、自分は随分と薄情な弟だと思った。

 明は懲役八年を言い渡され、刑務所に服役した。涼は罪に問われる事はなかった。おそらく、大和が手を回ししてくれたのだと予想がついた。

 佐川と出会い、幸せな人生とは無縁だった自分に、初めて幸せだと思える日々を与えてくれたのが佐川だった。

 食材を買う時は涼の好きな物ばかりを買ってくれた。映画を観る時は涼が観たいものを、出かける時も涼が望む所にと、全て涼を優先にしてくれた優しい佐川。
 その優しさも全て嘘だったのだ、そう思うと何度も泣いた。
 嫌いになれればどんなに楽だったか。だが、嘘でも大和を嫌いになる事はできなかった。
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