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1-9 夕霧の海
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それは平穏な航海であった。
少なくとも、その海上に何か怪しげな霧が立ち込めるまでは。
「キャプテン、こいつはまた妙な具合になりやしたね」
水夫頭のハッサンは望遠鏡を片手に周囲を眺めつつ、渋い声を出していた。
こうなると船は立ち往生だ。
どの道夕刻に入るので夜間航行をするのでなければ停泊せざるを得ないのだが、こういう形で一日の航海を終わらせるのは縁起がよくない事で、迷信深い船乗り達にとってはあまり嬉しくない事だ。
「ああ、あたり一面がこの有様だ。
万が一、岩礁にでも当たったら目も当てられん。
ケリー、もう船を止めて錨を下ろせ。
濃霧灯はしっかり灯せよ。
予備のランプも出しておけ。
こんな場所で他の船に当てられたら、堪ったものではない」
「あいよ、キャプテン。
野郎ども、帆をたため、錨を下ろせ。
誰か、何人かで速やかにマストに上って濃霧灯のランプ全てに火を入れろ。
パスリー、倉庫から予備のランプをありったけ出してこい」
その様子を沈思黙考という様子で伺っていたハーラであったが、ふいに二人に近づいてハッサンに声をかける。
「この霧、鑑定してみたか」
「え、いや特に。
霧なんてものは珍しくもないですし。
まあ、ここまで濃霧になってしまうと、もうお手上げでやすけどねえ」
だが、ハーラは静かに怪談でも語るかのように低い声で言った。
「こんな突然湧いた深い霧には、よくない怪異が潜むとよく言われる。
何よりも海の上において霧に纏わる奇談は、俺なんかよりも君らの方が詳しいのではないのかね」
それを聞いて、嫌そうに眉を顰めるハッサン。
確かに、言い伝えレベルの物でよいのであれば、そのような話は枚挙に暇もない。
霧自体が航行の妨げになる厄介者であるため、そのせいで霧に関しては、ある事ない事話が盛られる事も少なくないのであるが。
しかも、この航海においてはハーラが突然このような事を言い出して無事に済んだ試しがないくらいで、この御仁自身が有象無象の災いを呼び寄せているのではないかと、ハッサンも密かに疑うほどだ。
「ハッサン」
キャプテンの、短いが有無を言わせぬ言葉に彼も即座に従った。
「へいへい、あらよっと」
どうせ、たいした事もあるまいと気軽に鑑定に勤しむ彼であったが、その結果に仰天した。
「う!」
「どうした」
上司の咎めるような声に、脂汗を流しながらハッサンは呻くように答えた。
「こ、こりゃあ何だ。
こいつは、ただの霧じゃあござあせん。
いろんな物が混じっているというか、なんだろうね。
一つわかる事は、とびっきり碌な物じゃないという事でさあ」
ハーラは周囲を見回して、周りに立ち込める不気味な霧を注意深く観察しながら、更に鑑定の具体的な内容を求めた。
「たとえば?」
「へい、たとえば死者の魂。
しかも複数の、この海域のどこかで不幸にも最期を遂げ、ここいらに流れ着いて互いに絡み合うようになった感じのよくない物。
そして、なんというのかそれに惹かれた瘴気のような物が集まってきたというか。
あるいは、捨てられることになった船に染みついた無念の魂というか、嘆きのような代物。
なんというか、そういう負の概念のような物や怨念のような物が絡み合って、そこからまるで瘴気のように霧がじくじくと滲み出てこうなっているかのような」
だが、その応えに合点がいったという感じにハーラは頷く。
「そうか、やはりか。
こういうものは怨霧といってな、亡者どもが生者を仲間に引き寄せようとしている性質が良くないものさ。
一種の幽霊船に近いようなものではないかな。
この霧は濃ければ濃いほど性質がよくない代物なのだ。
そして、捉えた獲物が身動きもできずに干からび息絶えるのを待っているのさ。
放っておくと、ますます濃くなって船の脱出は不可能になるな。
そして、奴らのお仲間になるのだ」
「おいっ!
そいつはさすがに聞き捨てならんな」
「しかも、おそらくそのうちに物理的な手段に出てくるはずだ」
「というと?」
このままだと船に危害が加わりそうな風向きなので、あれこれと算段しながら説明を求めるキャプテン。
「たとえば、海藻がまるで戒めのように船の周りを絡めとり、舵さえ効かずに立ち往生してしまい、やがて海の中へ入って取る事さえできぬほどに船自身が海藻に埋まる。
他にも、同じように漂流する船の残骸を動かし、ぶつけたり囲んだりしてしまうとかな。
生きながらに船の墓場の住人と成り果てるのだ」
「そいつはまったくもって、ありがたくない話だ」
「あるいは濃霧を通して不気味に囁き、乗組員の精神を犯して同士討ちさせる。
あるいは霧に巻いて幻影を見せ、自分と同じ仲間の船乗りを怪異と誤認させるという事もある」
「とりあえず、どうする?」
「とにかく、この霧は船を、俺達を積極的に殺しにかかってくるから注意しろ。
俺はなんとか打開策を探る。
乗組員は決して一人にならぬようにな。
そして、互いの姿を死霊どもに打ち消されぬように灯りを絶やすな。
奴らは光に弱い。
全員ランプを手に持て。
だが火の管理は気をつけろ、連中が火事を起こさせようとしてくる可能性がある」
少なくとも、その海上に何か怪しげな霧が立ち込めるまでは。
「キャプテン、こいつはまた妙な具合になりやしたね」
水夫頭のハッサンは望遠鏡を片手に周囲を眺めつつ、渋い声を出していた。
こうなると船は立ち往生だ。
どの道夕刻に入るので夜間航行をするのでなければ停泊せざるを得ないのだが、こういう形で一日の航海を終わらせるのは縁起がよくない事で、迷信深い船乗り達にとってはあまり嬉しくない事だ。
「ああ、あたり一面がこの有様だ。
万が一、岩礁にでも当たったら目も当てられん。
ケリー、もう船を止めて錨を下ろせ。
濃霧灯はしっかり灯せよ。
予備のランプも出しておけ。
こんな場所で他の船に当てられたら、堪ったものではない」
「あいよ、キャプテン。
野郎ども、帆をたため、錨を下ろせ。
誰か、何人かで速やかにマストに上って濃霧灯のランプ全てに火を入れろ。
パスリー、倉庫から予備のランプをありったけ出してこい」
その様子を沈思黙考という様子で伺っていたハーラであったが、ふいに二人に近づいてハッサンに声をかける。
「この霧、鑑定してみたか」
「え、いや特に。
霧なんてものは珍しくもないですし。
まあ、ここまで濃霧になってしまうと、もうお手上げでやすけどねえ」
だが、ハーラは静かに怪談でも語るかのように低い声で言った。
「こんな突然湧いた深い霧には、よくない怪異が潜むとよく言われる。
何よりも海の上において霧に纏わる奇談は、俺なんかよりも君らの方が詳しいのではないのかね」
それを聞いて、嫌そうに眉を顰めるハッサン。
確かに、言い伝えレベルの物でよいのであれば、そのような話は枚挙に暇もない。
霧自体が航行の妨げになる厄介者であるため、そのせいで霧に関しては、ある事ない事話が盛られる事も少なくないのであるが。
しかも、この航海においてはハーラが突然このような事を言い出して無事に済んだ試しがないくらいで、この御仁自身が有象無象の災いを呼び寄せているのではないかと、ハッサンも密かに疑うほどだ。
「ハッサン」
キャプテンの、短いが有無を言わせぬ言葉に彼も即座に従った。
「へいへい、あらよっと」
どうせ、たいした事もあるまいと気軽に鑑定に勤しむ彼であったが、その結果に仰天した。
「う!」
「どうした」
上司の咎めるような声に、脂汗を流しながらハッサンは呻くように答えた。
「こ、こりゃあ何だ。
こいつは、ただの霧じゃあござあせん。
いろんな物が混じっているというか、なんだろうね。
一つわかる事は、とびっきり碌な物じゃないという事でさあ」
ハーラは周囲を見回して、周りに立ち込める不気味な霧を注意深く観察しながら、更に鑑定の具体的な内容を求めた。
「たとえば?」
「へい、たとえば死者の魂。
しかも複数の、この海域のどこかで不幸にも最期を遂げ、ここいらに流れ着いて互いに絡み合うようになった感じのよくない物。
そして、なんというのかそれに惹かれた瘴気のような物が集まってきたというか。
あるいは、捨てられることになった船に染みついた無念の魂というか、嘆きのような代物。
なんというか、そういう負の概念のような物や怨念のような物が絡み合って、そこからまるで瘴気のように霧がじくじくと滲み出てこうなっているかのような」
だが、その応えに合点がいったという感じにハーラは頷く。
「そうか、やはりか。
こういうものは怨霧といってな、亡者どもが生者を仲間に引き寄せようとしている性質が良くないものさ。
一種の幽霊船に近いようなものではないかな。
この霧は濃ければ濃いほど性質がよくない代物なのだ。
そして、捉えた獲物が身動きもできずに干からび息絶えるのを待っているのさ。
放っておくと、ますます濃くなって船の脱出は不可能になるな。
そして、奴らのお仲間になるのだ」
「おいっ!
そいつはさすがに聞き捨てならんな」
「しかも、おそらくそのうちに物理的な手段に出てくるはずだ」
「というと?」
このままだと船に危害が加わりそうな風向きなので、あれこれと算段しながら説明を求めるキャプテン。
「たとえば、海藻がまるで戒めのように船の周りを絡めとり、舵さえ効かずに立ち往生してしまい、やがて海の中へ入って取る事さえできぬほどに船自身が海藻に埋まる。
他にも、同じように漂流する船の残骸を動かし、ぶつけたり囲んだりしてしまうとかな。
生きながらに船の墓場の住人と成り果てるのだ」
「そいつはまったくもって、ありがたくない話だ」
「あるいは濃霧を通して不気味に囁き、乗組員の精神を犯して同士討ちさせる。
あるいは霧に巻いて幻影を見せ、自分と同じ仲間の船乗りを怪異と誤認させるという事もある」
「とりあえず、どうする?」
「とにかく、この霧は船を、俺達を積極的に殺しにかかってくるから注意しろ。
俺はなんとか打開策を探る。
乗組員は決して一人にならぬようにな。
そして、互いの姿を死霊どもに打ち消されぬように灯りを絶やすな。
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