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1-10 夜霧のアサシン

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 こうして呪われた霧の虜となった船は、その魔の手から逃れるための戦いを強いられた。

 キャプテンと組んで甲板の上で見回りをしているのはハーラ自身だ。

 キャプテンは油断のない眼で周囲を見回し、それからハーラに疑問を投げかける。

「不気味な夜だ。
 夜霧っていうのは元々妙に湿気成分が多いような気がして、あまり好きになれないんだが、今夜はまた格別だな。

 この霧は何かこう、時間が経つほどに、どんどん濃くなってきているような気がしないか?」

 彼女の言う通り、纏わりつくようなねっとりとした皮膚感触さえ感じ取れるような嫌な霧であった。

「ああ、怨霧っていうものは実際そういうもんさ。
 相手の動きを封じてから良くない物を大量に引き寄せて怨念の密度を高め、自分の力を高めているのだ。今夜は長い夜になりそうだ」

 濃霧灯の灯りが、妖霧の合間にゆらゆらと揺れて霧を半分貫いている幻想的な姿は、この船がまるで幽霊船にでもなったかのようにさえ思わせる。

 静かすぎる不気味な海が奏でる波の音さえも、妖しい成分を含んでいるかのように聞こえる。

 キャプテンは溜息を吐き、愚痴とも願いとも取れるような台詞を吐いた。

「やれやれ、無事に明日の朝日が拝めるといいのだが」

「この霧の本体を叩かないと、日の光も通らんのかもな。
 奴らは光が苦手だから、霧の中へ差し込もうとする外界からの光はブロックする習性がある。
 むしろ、そのための霧であるともいえよう」

「ほお、この怪霧には本体なんてものがあるのか?」

「霧を最初に発生させた、コアになっている『始まりの者』がいるはずだ。

 そいつが少しばかり強力な物だったりすると、こういう厄介な霧が発生したりする。

 だが、この霧の真に面倒なところは、コアたるそいつ自身の力だけではなく、あちこちから集まって来た奴らが合流しちまう怨念の集合体だって事さ。

 あまりややこしくなると、かなり訳がわからんものになってしまうからな」

「やれやれ、まるで夜の霧に紛れて乗組員を一人ずつ殺していく暗殺者のような不気味さがあるな」

「そいつは、へたをすると本当の事になってしまうから、あんた方も大いに気を付ける事さ」

「おーこわ」

 そして夜霧を劈く悲鳴が鼓膜を震わせた。
 迷わずに疾風と化したハーラ。

 キャプテンの眼が追いつかぬほどに駆け抜けた彼は、何かの触手のようなそれに一撃を加えた。

 剣ではなく、何かの呪いに対応するようなアイテムだ。
 それは地球でいえば十字架に当たる物で、聖なる印を持つ握り締めて殴るのに適した鈍器のような道具であった。

 それを当てられたその紐状の物は、じゅうっと夜目にも白い煙を吹いて闇の中へと引いていった。

 ハーラが見た加減では、それは古びたロープのような物だった。
 早くも物理手段が効果を発揮するようになってきたかと軽く舌打ちするハーラ。

「おい大丈夫か」

「だ、大丈夫だ。すまねえ。
 いきなり後ろから襲われた」

「今は一人で出歩くな」
「それが相棒の方が先に消えちまったんで」

「なんだと。
 そいつはマズイな、二人一組の配置では足りぬか」

 そしてもう一人が消えたという現場へ戻ると、ロープで船側から吊るされて失神していた水夫が見つかった。

「ふむ、連れ去られた水夫は殺されていないのか」

 追いついてきたキャプテンが呟くが、ハーラも懐疑的な様子だ。

「攫っておいて殺さないところを見ると、生者の精気を集めたいタイプなのか。
 さては蘇り希望者なのだな。
 これはまた厄介な」

「厄介とは」

「自分が死んだ事を認められなくて、復活を望む物なのだ。
 むろん、死者にそのような奇跡はおきないのだがな。

 不可能な希望に身を焦がし、再現なく攻撃を仕掛けてくる。

 生者を集めてその命を吸いとるタイプで、捕まった者は生殺しにされた上に、最後は全員が衰弱死だ。
 あまり嬉しくない相手だな。

 キャプテン、相手はさほど物理的には活発に動き回るタイプではない。
 不意打ちにさえ気をつけていれば、まだ大丈夫なレベルだ。

 こちらの人数が多ければ、そうそうおかしな真似は出来ん。
 少なくとも今の内は」

「今の内は?」

「ああ、こっちが形勢不利になると向こうも大きな態度を取り出すから要注意だ。

 四人一組で行動するように伝声菅で伝えろ。
 それと全員の点呼を。
 いない奴は大至急捜索だ」

 キャプテンが手近な伝声菅から指示を出している間、ハーラも油断なく死者の気配へと感覚を研ぎ澄ますのであった。
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