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レイズの未来を変える。
主人不在のアルバードでは
しおりを挟むそうして数日を経て――
ヴィル、イザベル、そしてレイズはようやくアルバードの屋敷へと戻ってきた。
だが、門をくぐった瞬間から、胸の奥に小さな違和感が鋭く走った。
空気が張りつめている。
屋敷全体が、まるで嵐の前のように静まり返っていた。
普段なら、温かい笑顔で迎えてくれる使用人たちの姿。
しかし今日、その表情にはどこか恐れと緊張が混ざり、皆が一様に歩みを止めては三人を見つめていた。
その視線を浴びながら、レイズは無意識に足を早める。
嫌な予感が胸を締めつけていた。
慌ただしく駆け寄ってきたのはリアナとリアノだった。
二人は息を切らし、スカートの裾や前掛けすら整えることなく――それほど急いでいたのだろう――深々と頭を下げた。
「レイズ様! ヴィル様! イザベル様……!」
「お帰りなさいませ……! ですが、その……お伝えしなければならないことが……」
声は震えている。
その震えは、寒さではなく、恐怖の色を帯びていた。
ヴィルの表情がわずかに険しくなる。
「……何があった」
リアノは唇を噛み締め、震える声で告げた。
「この数日の間に……ガルシア様と、王国の騎士たちが屋敷を訪ねて参りました……」
レイズの背筋に、ぞくりとした冷気が走った。
――やっぱり来たか。
その瞬間、予感が現実へと形を変える。
リアナが続ける。
「応対に出られたのはセバス様と……クリス様でした。ですが、ガルシア様たちは……とても穏やかな雰囲気ではなくて……」
言いかけて、リアナの声はかすれた。目には涙すら浮かんでいる。
まともに言葉にすることすら恐ろしい出来事があったのだと、レイズは理解した。
レイズは拳を硬く握りしめる。
「……始まったんだな」
その時――
屋敷の奥から静かな足音が響いた。
セバスとクリスが姿を見せた。
二人とも普段通りの落ち着いた顔をしているように見える。だが、その目の奥には張りつめた焦燥が隠せなかった。
ただならぬ気配を押し隠しながらも、どこか血の匂いがまとわりついているような……そんな空気。
「……まずは、お疲れさまでした」
深く頭を下げるセバス。
その動きすら重々しく、まるで身体そのものが疲労と緊張で縛られているかのようだ。
ヴィルが鋭い声を落とす。
「……話を聞く」
セバスは一礼し、「ハッ」と短く返した。
そして二人は静かに歩き出し、別室へと向かおうとする。
だが、その背に――
「待て。……俺にも聞かせろ」
レイズの低く鋭い声が空気を断ち割った。
セバスは振り返りかけたが、押し黙ったまま視線だけでヴィルの判断を問う。
イザベルは震える足取りで一歩前へと進み出た。
「……お父様が来たのですか……?」
その言葉はかすかに震えていた。
しかしその震えは怯えだけではない。
久しぶりに父が訪れた――それだけで胸が熱くなる。
けれど、同時に。
なぜ今なのか。
なぜセバスとクリスの顔が曇っているのか。
抑えきれない不安が、胸の奥を軋ませた。
「私も……知りたいのです」
イザベルははっきりと言葉にした。
ヴィルはその横顔を見つめ、ゆっくりと目を閉じた。
数秒後、短く息を吐いて――
「……わかった。共に聞くといい」
こうして一同は、重苦しい空気を背負ったまま静かに部屋へと向かい始めた。
歩きながらレイズはふと隣を歩くクリスに目を向ける。
普段は毅然としていて、まるで“鋼”そのもののような男。
だが今、その表情にははっきりとした影が落ちていた。
まるで、どう言えばいいのかわからない――そんな苦悩が刻まれている。
口元は固く結ばれ、視線は床の一点をただひたすら見つめている。
その肩は微かに震え――それを無理に抑え込んでいるのが分かった。
レイズは、そこで確信した。
クリスですら顔を曇らせ、口をつぐむほどの出来事が――
この屋敷を揺さぶるほどの“何か”が、起きたのだ。
胸の奥にざわりと嫌な感触が広がる。
レイズは低く呟いた。
「……クリス。何があった?」
その問いは自然に低くなり、鋭く張りつめていた。
空気が張りつめていく中で、クリスの唇が微かに動いた。
広間に張り詰めた空気は、言葉を発するだけで砕け散りそうなほど尖っていた。
最初に沈黙を破ったのは、ガルシアだった。
「セバス様。当主であるヴィル様はいまどこへお出かけに……?」
その声音は丁寧なようでいて、奥底には焦りと苛立ちが混じっている。
セバスは一歩、静かに進み出た。
背筋は揺るがず、眼差しは氷のように穏やかで鋭い。
「貴方方が知る必要はありません。……用件だけを伺いましょう。」
言質を与えず、絶対に踏み込ませないという意思が、言葉の端々に滲んでいた。
その気迫に気付いたのか、クリスは無言で半歩前へ出る。
視線の先には、一人の巨影。
王国剣聖——グレサス。
グレサスは腕を組んだまま、壁の一角に寄りかかっていた。
動かぬ岩のような佇まいは、ただそこに立っているだけで空気を圧する。
クリスと一瞬だけ交わした視線には、言葉では測れない“身分差”の認識があった。
……お前など敵ではない。
そんな無言の挑発が、わずかな目の揺らぎに潜んでいた。
その視線を感じ取ったセバスが、わずかに目を細める。
重い沈黙を断ち切るように、静かな声を落とした。
「……それで? わざわざ王国最強を連れて、何をしにアルバードへ?」
声は低く静か。
だが、その奥に潜む“怒気”は隠しようもなく、場の温度が一度下がったように感じられた。
ガルシアは慌てたように両手を振る。
「い、いえ! 誤解しないでいただきたい! 我々はアルバードの現状を憂いているのです。……魔族が貴方方を襲撃していると聞きました。そこで、このグレサス殿が助力になればと——」
「不要です。」
セバスは即座に切り捨てた。
その一言は鋭利な刃のように空気を裂き、ガルシアは言葉を詰まらせた。
セバスはさらに一歩踏み込み、鋭い視線でガルシアたちを射抜く。
「それと、貴方たちは一つ勘違いしている。今の当主は——レイズ様だ。」
その名が放たれた瞬間、空気が爆ぜたようにざわめいた。
ガルシアの目が大きく見開かれ、周囲の騎士たちがざわつきを抑えきれず視線を交わす。
そしてグレサスは、ゆっくりと口角を吊り上げた。
「ほう……ヴィルの孫か。」
その声音には侮蔑が混じっていた。
その歪んだ笑みに、クリスの眉が動く。
「……何がおかしい?」
低い声。
静かな怒りがこめられている。
グレサスは肩をすくめ、淡々とした声で呟く。
「いや……出来損ないを当主に据えるとはな。私を倒したヴィル『様』らしからぬ判断だ。……心配しているだけさ。」
その瞬間、セバスとクリスから鋭利な殺気が溢れた。
セバスの瞳が細まり、クリスの手が剣の柄を握りしめる。
だが、グレサスはまったく怯まなかった。
一歩も動かず、むしろ楽しむように唇を吊り上げる。
「やめておけ。私も、貴様らも……ただでは済まぬぞ?」
言葉ではなく殺意そのものがぶつかり合うような空気。
重圧が広間の床をひび割れさせそうな緊張。
そのなか、ガルシアが震える声で問いを投げる。
「……レイズ……だと? レイズが当主……?」
まるで現実を受け止められないように、焦点の定まらない瞳で問う。
「では……私の娘、イザベルは……? いったい何のためにここにいるのです……」
その言葉には、確かに父としての動揺があった。
だが、それ以上に“計画の狂い”への不安が混じっているのを、クリスもセバスも見抜いていた。
セバスが揺るぎない声で答えた。
「イザベル様は、ご自身の意思でここに残っておられます。レイズ様を支えると、はっきり宣言されました。」
沈黙が落ちる。
次の瞬間——
「嘘を言うな!! レイズを……あの出来損ないを……!!!」
ガルシアの絶叫が響き渡った。
怒りか、焦りか、恐怖か。
その叫びは混沌としていて、誰もその正体を断定できなかった。
ただ一つ分かるのは、この男の“何か”が狂い始めていること。
セバスが冷ややかに問いかけた。
「……用件は済みましたか?」
その声音は穏やかに聞こえるが、背後に潜む圧は重く、刃物のように鋭い。
このまま一歩でも越えれば——血が流れる。
ガルシアは荒い息を吐き、拳を震わせながら叫ぶ。
「私の用件は終わった! だが——イザベルは連れ帰る!! すぐに居場所を教えろ!!」
その前に、クリスが一歩踏み出し遮った。
「イザベル様は今、ヴィル様とレイズ様の傍におられます。そして……すでに魔族の応戦に向かわれました。」
言葉を聞いた瞬間、ガルシアの顔から血の気が完全に引いた。
「なっ……魔族と……!? 娘が……!? ふざけるなッ!! 正気か、貴様ら!!」
その怒号を、グレサスが再び切り裂いた。
「ガルシア卿、落ち着きなされ。なにせ、“剣神”ヴィルが共にいるのですから。」
皮肉か慰めか判別不能な声音。
だが、クリスはその上をいく強さで言葉を叩きつけた。
「そして……レイズ様もご一緒です。イザベル様は、必ず無事に戻られます。」
その確信に満ちた声に、グレサスの口元がゆっくりと吊り上がる。
「ほぉ……レイズ、ねぇ。」
その鼻で笑う気配。
場の緊張は頂点に達した。
そのとき——
「……ガルシア卿。貴方の用件だけで終わらせないでいただきたい。」
まるで氷が割れるように、静寂を破った声音があった。
全員の視線が向く。
ゆっくりと前に出てきた男。
レオナルディオ。
整った笑みを浮かべ、礼儀正しく一礼する。
だが、その眼差しは徹底して冷たい。
人を見るのではない。
価値を捉え、脅威を測り、切り捨てる対象として見ている。
「セバス様。我々は王国の仲間であるあなた方を心配しているのです。」
その柔らかな声音の裏に潜む毒を、セバスもクリスも即座に感じ取った。
「いまは確かに、あなたやヴィル様が健在で、アルバードは盤石に見えるでしょう。だが——」
レオナルディオは、空気を締め上げるように声を落とした。
「いずれ寿命は尽き、屋敷を支える柱は折れる。だからこそ、私は心配している。……今日はそのために、再び“提案”をしに参ったのです。」
その声音は微笑みながらも“滅び”を前提としている。
静かに。
残酷に。
何の迷いもなく。
最後にレオナルディオが笑う。
その笑みは、未来のアルバードの姿を“既に決定事項”とみなした者のそれだった。
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