飛んで火に入る火取蟲

白樫 猫

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花を貪る胡蝶は蜘蛛の網にかかる

25話

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どれくらい時間が経ったのか、ひとしきり昂った感情が去っていき、涙も枯れた時、背中にポンポンと触れていた手が、神代の頭を優しく包み込む。
大きな掌が心地よく、神代は無意識のうちに身体をスリスリと擦り付けた。
葉月の胸の中は、ヒンヤリとして自分の身体から出る熱が、穏やかに冷やされ心地が良い。
これはきっと、葉月には水を扱う能力があるからだと、神代は思っていた。
相反するもの同士、相手の体温が心地いいのだろうと。

「‥っ‥ちょっ‥と‥それ‥反則‥」

神代の頭の上から、葉月が声を出す。
何を言っているのか分からず、葉月を見上げると、その顔が赤く染まり、自身の手で顔を覆っている。
グイっと身体を起し、神代が手で葉月の額に触れた。

「‥葉月?お前‥顔が赤いけど‥熱があるんじゃないか?」

心配そうにのぞき込む神代の手を払い、大丈夫だからと立ち上がる。

「‥悪かった」

ポツリと神代の口から出た言葉に、背を向けていた葉月が振り返る。

「‥えっ‥なに‥?」

神代の顔が俯いているので、表情が読めない。

「‥だから‥いつも、迷惑掛けて‥ばっかだから‥悪かった‥」

ポツリポツリと口を開く神代の視線と合わせようと、葉月はもう一度しゃがみ込んだ。

「‥そんな事、気にするなよ‥前にも言ったけど、俺の胸ならいくらでも貸してやるから、溜め込むな‥」

自分の頭に触れる葉月の手が優しくて、顔を上げた神代の顔が、困ったような顔をしていた。

「‥ほら、そんな顔するな‥腹減ってんだろ?‥なんか作るから、待ってろ‥」

クシャリと頭を撫でると、葉月は立ち上がり、散らばった買い物袋を拾った。



買い物から帰ってくると、入口にドアロックが掛かっていた。
そんなモノ、引っ越ししてから一度も掛けた事など無いのに、葉月は嫌な予感しかしなかった。
ブザーを何度も鳴らし、ドアを叩き続けた。
下着姿の男を見た瞬間、怒りで我を忘れ、気を失っている神代を見た瞬間に、気を失うのではないかと思うほどの衝撃を受けた。
心が苦しかった。
どうして、この弱々しい男に、何度も過酷な事が起こるのか、行く手を阻む障害を、本人が気が付く前に取り除き、穏やかな道を歩いて欲しいと願うのは、己の浅はかな願望なんだろうか。
葉月は、心の声が自分の知らぬ方向へ行ってしまいそうで、大きく頭を振った。

葉月がキッチンに立ち料理を始めると、背後で神代が浴室へ入って行く気配がした。
先程は、大丈夫だったんだろうか‥。
身体は大丈夫なんだろうか‥。
もしかして、何かされたんじゃないか‥。
そう思うと、胸の奥がズキンと痛みを発し、イライラとしてくる。

「‥はぁ~‥どうかしてる‥」



神代は、冷たいシャワーを頭から浴びていた。
身体に湧き上がる熱を早く冷ましたかった。
今日、十数年振りに会った弟は、記憶の中の幼い子ではなく、あの時と同じ様に、明らかに自分に欲情を向けていた。
自分の何が悪いのだろう‥あの時、どうすれば良かったのか‥考えても答えの出ない迷路に迷い込んだみたいに、不安でたまらない。
手首や膝に着いた紐の痕を見ると、嫌悪感しか湧いてこず、ゴシゴシと身体を洗い、蒼の感触を消していく。
自身の尻の間に触れた時は、ドクンと心臓が跳ねた。
眩暈がしそうになる時、神代の中に『大丈夫‥大丈夫だから‥』そう囁く葉月の声がした。
冷たいシャワーに紛れる様に、頬に熱い涙が伝い零れ落ちる。

「‥うっ‥ううっ‥」

なんて弱い‥無力だ‥弱い自分が本当に嫌だった。
神代朱雀として、強い仮面を被っていても、それは脆くすぐに剥がれてしまう。
感情を殺し、心に蓋をしても、簡単に剥き出しになる。
ペタンと座り込んだ神代の上からは、冷たいシャワーが音を立て流れ、神代から聞こえる絞り出すような悲鳴を消していた。





食事を終えると、疲れているだろうからと早々に寝る様に葉月に言われ、神代は抵抗することなく、あっさりとベッドへ向かった。

「‥お前は‥どうするんだ?‥帰るのか?」

いつもなら物言わせず帰れと言うのに、この心細そうな神代が可愛く、葉月はクスッと笑った。

「帰れと言われても、傍に居るよ‥」

葉月の言葉に、そっか‥と安心したような顔をして、神代はベッドに横になった。
眠れないのか、瞳が開いたまま葉月を捉えている。
そして、葉月が背を向け傍を離れようとした時、神代が口を開いた。

「‥葉月‥今日の、東条家の事‥」

いきなり仕事の話を始めた神代に、葉月はベッドの端に腰を下ろした。

「あの時‥俺は、和弘さんが‥すみれさんの事を愛していたと言ったけど‥本当は違う‥俺は‥真実を話せなかった‥‥‥和弘さんが本当に愛していたのは‥実の兄‥豊成さんだって‥‥言えなかった‥」

神代のその言葉に、葉月はハッと息を呑んだ。

「‥うっ、嘘だろ?」
「すみれさんが亡くなった時、おそらく‥和弘さんは自分の想いを豊成さんに伝えたんだと思う。‥そして否定された。部屋に引きこもる程、落ち込んでいる中‥豊成さんが再婚する話を聞いたんだよ。だからこそ、その怒りの矛先が‥玖美子さんに向いてしまった。そんな事は、許せない事だけどね‥。2年前に帰国した時、おそらく和弘さんは、自分に懐いてくれる凜乃さんを利用しようとしたんじゃないかな‥豊成さんへの当てつけに‥だけど無邪気な凜乃さんを、だんだんと愛してしまう‥豊成さんによく似た凜乃さん‥それが我が子だと知った時、どれほどの衝撃があったんだろう‥後悔‥いや懺悔。そして最悪な事に、豊成さんに知られ、口論になった時‥さらには豊成さんが亡くなった時‥和弘さんに、どれほどの恐怖と絶望が襲ったのか、考えたくないよ‥。この真実は、話しても皆を傷付けるだけだから‥亡くなってまで豊成さんと和弘さんを苦しめたくないかったから、言えなかった‥」
「‥そんな事、証拠がないだろ?‥お前に分かるのか?」
「ああ、明確な証拠はない。ただ‥あの3人で写った写真‥あの笑顔を見て、和弘さんが、すみれさんと豊成さんを祝福している事は、間違いないと思った。大学の友人にも聞いた話だと、すみれさんは和弘さんに好意を持っていたが、和弘さんはすみれさんの想いを断ったと聞いた。自分の兄への想いは、決して叶うものでは無いと分かっているから、気持ちを押し込めて、大切な友人のすみれさんなら大丈夫だと思ったんだよ。すみれさんが、それをどう思っていたかは分からないけどね‥。和弘さんが残した3枚の絵。あの豊成さんとすみれさんの笑顔には、愛が沢山溢れていた‥。まさか、すみれさんが、あんなに若くして亡くなるなんて、予想すら出来ないしね‥それでも、和弘さんが犯した罪は重い‥人を傷付けて良い事にはならない‥許せないけど‥」

先程の、神代の弟の事を思い出し、葉月の頭が混乱してくる。
その葉月の心の中が読めた様に、再び神代が話始める。

「‥俺は、15の時に、弟に犯された。愛してるからと、そう言われ‥その時に、初めてこの力が出て‥部屋の中が火の海になった‥今日、お前が蒼に向けた視線は、俺が‥‥ずっと両親から向けられていた視線‥汚らしいと罵り痛いくらいに突き刺さる視線‥」

神代の両手が、いつしか顔を覆っている。
葉月は、その言葉に何も答える事が出来ず、その両手の中に隠された顔を想像する事すら出来なかった。

「ハハッ‥俺は、生れる前に‥こんな人生が待っているって知ってたら‥生まれてこなかったのにな‥‥」

震えた声が、どこまでも悲しく聞こえ、葉月は伸ばした手を、どうしていいのか分からずに、握り締めた。

「はぁ~‥でも、約束したから‥生きるけど‥このまま死んだら、あの人に嫌われそうだし‥‥ふふっ‥だから生きるけど‥けど、ちょっと‥‥和弘さんが‥‥羨ましかった‥‥っ‥」

その言葉を聞いた瞬間、葉月は神代の身体を思いっきり抱き締めた。

「‥何言ってんだよ‥お前が死んだら、俺が悲しいだろ?苦しいだろ?そんな事、止めてくれ‥死んだ人が羨ましいだなんて‥そんな事、考えるな‥」

ギュッと抱き寄せた身体が、小さく震え始め、何も言わない神代が泣いているのだと分かる。
葉月は、神代がどこにも行かない様に、ギュッと力強く抱き締めていた。



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