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花を貪る胡蝶は蜘蛛の網にかかる
≪番外編2≫
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やはり自分は間違っていたのだろうか。
豊成は書斎に籠り、机の上に飾ってある家族の写真を見つめていた。
颯馬と玲華の結納の時の写真だ。
颯馬は元妻‥自分の愛した女性にそっくりだった。
優しく温かく、そして慈悲深い。
颯馬が連れて来た女性も、とても良い人だと、この女性となら、颯馬は幸せに暮らしていけるだろうと安心もしていた。
優紫‥彼は外見も性格も妻の玖美子に似ている。
誰よりも高潔で愛情深い、何より家族を愛している。
そして、凜乃‥容姿は自分に似ていると思っていたが、今、考えると祖母に似ているのだと確信する。
隔世遺伝‥凜乃が和弘の子だと知ったのは、先週の事だった。
あの時‥18年前、自分は逃げた。
怖かったのだ‥和弘が自分を好きだと言った、あの時の熱量が、あまりにも重すぎて逃げ出した。
その結果が、これだ‥自分が家族を壊したのだ。
今の妻‥玖美子の事も大切にしてきた。
だが、すみれに対する想いとは少し違う事も、もちろん分かっていた。
颯馬に早く母親の温かさを与えたいと思ったのも事実、そして、何より和弘が自分に向ける想いを、消し去って欲しいと、何事も無かったかのように、普通の生活に戻りたいと、そう願う気持ちが、結婚を急いだ理由なのだろう。
あの日から、ろくに顔も合わせず逃げる様に海外へ行った和弘が、まさかこんな仕打ちをしているなんて、想像すらできなかった。
そして2年前、いきなり帰国をして、これからは日本に居ると‥そんな我儘が通ると思っているのか、今度は、顔を合わせれば言い争いをしていた。
豊成は、自分の何が間違っていたのか‥それさえも、もう分からなくなっていた。
本棚に置いてある絵画の本を取り出し、中に挟んでいる写真を抜き取る。
これは、すみれが大切にしていた本‥懐かしい‥大学の時の写真。
この時は、まさか、こんな事になるなんて思っても見なかった。
すみれと和弘の笑顔を見る。
ああ、結局、自分が追い詰めたのだろうか‥ならば、自分が最後まで始末をしなければ‥。
豊成は、その写真を元に戻すと、アトリエの鍵を握り締め、ゆっくりと立ち上がった。
この鍵は、もともとのマスターキーで、アトリエを作った時に父親が持っていた物。
父親が亡くなり、この鍵を見つけた時、一度は颯馬に渡したが、和弘が帰国してからは、自分が隠し持っていた。
あの日から二度と入る事は無いと思っていたアトリエ、油絵の独特の匂いは、それは和弘の匂いにも感じられ、グッと眉を潜める。
そして電気をつけ部屋の中を一巡すると、描き上がった絵が並んでいる場所へ向かい、一枚ずつ丁寧に見ていた。
和弘がよく描くのは風景画と知っていたが、もともと和弘は人物を描くのが得意だった筈だ、いつの頃か、売りに出すものはすべて風景画になってしまったのを、豊成は、何故だろうと首を傾げていたのだ。
そこに描き上がっていた絵は、数枚はやはり風景画だったが、その次の絵を見た瞬間に、豊成の手がピタリと止まった。
「‥なんで‥」
豊成の手が握り締めていたキャンバスには、凜乃の裸体が描かれていたのだ。
一糸纏わぬ姿に、豊成の手がブルブルと震え始める。
絵に疎い豊成でも分かる。
この絵の中の凜乃は、作者‥和弘に恋をしている。
瞳に映る愛と情‥慈しみ求める心‥すべてが描き出されていた。
ああ‥なんてこと‥。
自分の後悔なんて、浅はかでちっぽけなものだった。
自分が目を瞑り、逃げていたせいで、こんなにも深く歪んでしまった。
絶望感が身体中を覆い、豊成は呼吸する事すら忘れている様に、むせび泣いた。
その日、豊成は決意をしていた。
もっと、早く自分が決断していれば、こんな事にはならなかった後悔と、自分が今これを実行した後に、訪れるであろう、家族の心の揺れを思うと、今でも手が震える。
だが、もう豊成は生きている事に、何の執着も感じていなかった。
あるのは、早く解放されたいとの思いのみ。
豊成の足は、ゆっくりとアトリエに向かった。
アトリエに入り鍵を開き中に入ると、その手に持っていた鍵をどうするか一瞬戸惑ったが、このマスターキーを自分が持っていたと和弘に思われる事すら嫌で、豊成は窓を開き外へと放り投げた。
いつも止めてと言われている煙草を取り出すと、火を点けゆっくりと吸い込み、紫煙を吐き出しながら家族を思う。
そして、火のついたままの煙草を、一枚のキャンバスの上に落とした。
「‥ごめんな、すべて俺のせいだ‥」
キャンバスがゆっくりと焦げ始めメラメラと火が点き燃え始めるのは、そう時間が掛からなかった。
凜乃の絵が目の前で燃えていく‥そして、豊成は棚の奥にしまってあった、すみれが描いたスケッチブックと日記を取り出すと、それも火の中に投げ入れた。
ただ、最後の一冊‥自分と颯馬が描かれている物だけは、どうしても火の中に投げることが出来ず、そのままテーブルに置いた。
おそらく、ここもすぐに火の海になり、これも燃えてしまう‥そう分かっていた。
豊成は自分の浅ましい心に顔を歪めた。
燃えていくキャンバスに気を取られていると、後ろから声が聞こえた。
「‥叔父様?‥叔父様!」
凜乃の声がしたような気がして、ゆっくりと振り向くと、不安げな顔をした凜乃が立っていた。
「‥凜乃」
「おっ‥お父様‥なにしてるの?」
凜乃の瞳が警戒と不安で揺れると、豊成が持っていたキャンバスに注がれた。
「‥凜乃‥ごめんな‥父さん‥これ、全部燃やさなきゃ‥」
思わず口から出た言葉は、まるで自分の使命の様に感じ、豊成はそれを火の中に投げ入れる。
凜乃から悲鳴が聞こえ、駆け寄った凜乃が豊成の腕を掴んだ。
「お父様‥危ない‥逃げよう‥」
真剣な瞳に、一瞬手を取り逃げ出そうとしてしまう気持ちが湧くが、自分はやらなきゃいけない事があると思い出し、その手を振り払った。
「凜乃‥父さん、ちゃんとやるから‥ごめんな‥お前だけ、先に逃げろ‥」
燃え盛る炎が、すぐ目の前にあり、豊成は我を忘れた様に、すべてのキャンバスを燃やしていく。
それが自分の使命だと思っているから。
もう逃げない。
自分は、もう逃げてはいけない。
歪んだ使命は、豊成の思考を塞いでいった。
すべてを火の中に投げ入れた時、豊成の目の前が急に暗くなり、膝をついた。
いつの間にか、呼吸が苦しく、目も痺れ涙も鼻水も止まらない。
ああ、このまま早く連れて行ってくれ‥すみれ‥。
ダメだ‥すみれは私の事を愛していなかった‥すみれも和弘を愛していた。
ああ‥なんて虚しい人生‥。
愛し愛された人生であったのなら、どれほど幸せだったのだろうか‥。
意識を失う前、豊成は、ただ自分の人生の虚しさに、苦しみ後悔をしていた。
そして最期に頭をよぎった。
「兄さん‥俺は、あなたを愛してる‥」
ああ‥愛されていたのか‥。
豊成の最期の顔は、安らかに微笑んでいた。
豊成は書斎に籠り、机の上に飾ってある家族の写真を見つめていた。
颯馬と玲華の結納の時の写真だ。
颯馬は元妻‥自分の愛した女性にそっくりだった。
優しく温かく、そして慈悲深い。
颯馬が連れて来た女性も、とても良い人だと、この女性となら、颯馬は幸せに暮らしていけるだろうと安心もしていた。
優紫‥彼は外見も性格も妻の玖美子に似ている。
誰よりも高潔で愛情深い、何より家族を愛している。
そして、凜乃‥容姿は自分に似ていると思っていたが、今、考えると祖母に似ているのだと確信する。
隔世遺伝‥凜乃が和弘の子だと知ったのは、先週の事だった。
あの時‥18年前、自分は逃げた。
怖かったのだ‥和弘が自分を好きだと言った、あの時の熱量が、あまりにも重すぎて逃げ出した。
その結果が、これだ‥自分が家族を壊したのだ。
今の妻‥玖美子の事も大切にしてきた。
だが、すみれに対する想いとは少し違う事も、もちろん分かっていた。
颯馬に早く母親の温かさを与えたいと思ったのも事実、そして、何より和弘が自分に向ける想いを、消し去って欲しいと、何事も無かったかのように、普通の生活に戻りたいと、そう願う気持ちが、結婚を急いだ理由なのだろう。
あの日から、ろくに顔も合わせず逃げる様に海外へ行った和弘が、まさかこんな仕打ちをしているなんて、想像すらできなかった。
そして2年前、いきなり帰国をして、これからは日本に居ると‥そんな我儘が通ると思っているのか、今度は、顔を合わせれば言い争いをしていた。
豊成は、自分の何が間違っていたのか‥それさえも、もう分からなくなっていた。
本棚に置いてある絵画の本を取り出し、中に挟んでいる写真を抜き取る。
これは、すみれが大切にしていた本‥懐かしい‥大学の時の写真。
この時は、まさか、こんな事になるなんて思っても見なかった。
すみれと和弘の笑顔を見る。
ああ、結局、自分が追い詰めたのだろうか‥ならば、自分が最後まで始末をしなければ‥。
豊成は、その写真を元に戻すと、アトリエの鍵を握り締め、ゆっくりと立ち上がった。
この鍵は、もともとのマスターキーで、アトリエを作った時に父親が持っていた物。
父親が亡くなり、この鍵を見つけた時、一度は颯馬に渡したが、和弘が帰国してからは、自分が隠し持っていた。
あの日から二度と入る事は無いと思っていたアトリエ、油絵の独特の匂いは、それは和弘の匂いにも感じられ、グッと眉を潜める。
そして電気をつけ部屋の中を一巡すると、描き上がった絵が並んでいる場所へ向かい、一枚ずつ丁寧に見ていた。
和弘がよく描くのは風景画と知っていたが、もともと和弘は人物を描くのが得意だった筈だ、いつの頃か、売りに出すものはすべて風景画になってしまったのを、豊成は、何故だろうと首を傾げていたのだ。
そこに描き上がっていた絵は、数枚はやはり風景画だったが、その次の絵を見た瞬間に、豊成の手がピタリと止まった。
「‥なんで‥」
豊成の手が握り締めていたキャンバスには、凜乃の裸体が描かれていたのだ。
一糸纏わぬ姿に、豊成の手がブルブルと震え始める。
絵に疎い豊成でも分かる。
この絵の中の凜乃は、作者‥和弘に恋をしている。
瞳に映る愛と情‥慈しみ求める心‥すべてが描き出されていた。
ああ‥なんてこと‥。
自分の後悔なんて、浅はかでちっぽけなものだった。
自分が目を瞑り、逃げていたせいで、こんなにも深く歪んでしまった。
絶望感が身体中を覆い、豊成は呼吸する事すら忘れている様に、むせび泣いた。
その日、豊成は決意をしていた。
もっと、早く自分が決断していれば、こんな事にはならなかった後悔と、自分が今これを実行した後に、訪れるであろう、家族の心の揺れを思うと、今でも手が震える。
だが、もう豊成は生きている事に、何の執着も感じていなかった。
あるのは、早く解放されたいとの思いのみ。
豊成の足は、ゆっくりとアトリエに向かった。
アトリエに入り鍵を開き中に入ると、その手に持っていた鍵をどうするか一瞬戸惑ったが、このマスターキーを自分が持っていたと和弘に思われる事すら嫌で、豊成は窓を開き外へと放り投げた。
いつも止めてと言われている煙草を取り出すと、火を点けゆっくりと吸い込み、紫煙を吐き出しながら家族を思う。
そして、火のついたままの煙草を、一枚のキャンバスの上に落とした。
「‥ごめんな、すべて俺のせいだ‥」
キャンバスがゆっくりと焦げ始めメラメラと火が点き燃え始めるのは、そう時間が掛からなかった。
凜乃の絵が目の前で燃えていく‥そして、豊成は棚の奥にしまってあった、すみれが描いたスケッチブックと日記を取り出すと、それも火の中に投げ入れた。
ただ、最後の一冊‥自分と颯馬が描かれている物だけは、どうしても火の中に投げることが出来ず、そのままテーブルに置いた。
おそらく、ここもすぐに火の海になり、これも燃えてしまう‥そう分かっていた。
豊成は自分の浅ましい心に顔を歪めた。
燃えていくキャンバスに気を取られていると、後ろから声が聞こえた。
「‥叔父様?‥叔父様!」
凜乃の声がしたような気がして、ゆっくりと振り向くと、不安げな顔をした凜乃が立っていた。
「‥凜乃」
「おっ‥お父様‥なにしてるの?」
凜乃の瞳が警戒と不安で揺れると、豊成が持っていたキャンバスに注がれた。
「‥凜乃‥ごめんな‥父さん‥これ、全部燃やさなきゃ‥」
思わず口から出た言葉は、まるで自分の使命の様に感じ、豊成はそれを火の中に投げ入れる。
凜乃から悲鳴が聞こえ、駆け寄った凜乃が豊成の腕を掴んだ。
「お父様‥危ない‥逃げよう‥」
真剣な瞳に、一瞬手を取り逃げ出そうとしてしまう気持ちが湧くが、自分はやらなきゃいけない事があると思い出し、その手を振り払った。
「凜乃‥父さん、ちゃんとやるから‥ごめんな‥お前だけ、先に逃げろ‥」
燃え盛る炎が、すぐ目の前にあり、豊成は我を忘れた様に、すべてのキャンバスを燃やしていく。
それが自分の使命だと思っているから。
もう逃げない。
自分は、もう逃げてはいけない。
歪んだ使命は、豊成の思考を塞いでいった。
すべてを火の中に投げ入れた時、豊成の目の前が急に暗くなり、膝をついた。
いつの間にか、呼吸が苦しく、目も痺れ涙も鼻水も止まらない。
ああ、このまま早く連れて行ってくれ‥すみれ‥。
ダメだ‥すみれは私の事を愛していなかった‥すみれも和弘を愛していた。
ああ‥なんて虚しい人生‥。
愛し愛された人生であったのなら、どれほど幸せだったのだろうか‥。
意識を失う前、豊成は、ただ自分の人生の虚しさに、苦しみ後悔をしていた。
そして最期に頭をよぎった。
「兄さん‥俺は、あなたを愛してる‥」
ああ‥愛されていたのか‥。
豊成の最期の顔は、安らかに微笑んでいた。
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