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ひび

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 彼女はそう言って鞄を持ってお手洗いに向かう。鞄の中にハンカチとか入れてるのかな? 一応俺もポケットに新品を用意しておいたんだけど使うことはないのかもしれない。

 俺は一人でスマホを取り出してソシャゲを始める。彼女が帰ってくるまですることもないしな。

 そこへさっきの店員さんがカートの上に料理を乗せて来る。その表情は心なしか優し気だ。いいことでもあったのだろうか。

「こちらが特盛ハートフルエキセントリックシャイニングゴールデンステーキと台地ポテトと取り皿でございます」

 しかし、さっきの恨みは忘れない。もう一回聞かせてもらおう。

「もう一回お願いします」
「はい。こちら特盛ハートフルエキセントリックシャイニングゴールデンステーキと台地ポテトと取り皿でございます」
「もう一回」
「はい、特盛ハートフルエキセントリックシャイニングゴールデンステーキと台地ポテトと取り皿ででございます」

 ほう、健気に答えるじゃないか。だが俺に会ったら商品名を言いたくなるくらいまで練習させてやるぜ。

 ……流石に途中で止めては欲しいけど。

「もういっ「特盛ハートフルエキセントリックシャイニングゴールデンステーキと台地ポテトと取り皿でございます」
「もう「特盛ハートフルエキセントリックシャイニングゴールデンステーキと台地ポテトと取り皿ででございます」
「も「特盛ハートフルエキセントリックシャイニングゴールデンステーキと台地ポテトと取り皿ででございます」
「……」
「特盛ハートフルエキセントリックシャイニングゴールデンステーキと台地ポテトと取り皿ででございます」
「大丈夫です。もう「特盛ハートフルエキセントリックシャイニングゴールデンステーキと台地ポテトと取り皿でございます」
「言わなくていい、言わなくていいです!」

 仕掛けた俺から謝るなんてかっこ悪いが、このままだと彼女に商品名を刷り込まれ続けて洗脳されそうだ。それだけ何とかしなければ。

「そうですか? 必要でしたら何度でも言いますので」

 しかし、彼女は嫌がって言っている様ではない。なんとなく彼女の視線には憐憫の視線が入っているように見えるのだ。

「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「はい、何なりと」
「何だかさっきよりも優しい気がするんですが、何かあったんですか? というか何か怒っていたんですかね?」
「いえいえ、怒るだなんてそんなことはしていませんよ。ただ、こんなファミレスに男と女が一緒に来るような破廉恥な奴らは、地獄に108回落ちて人生を悔い改めろってしか思っていません」
「あ、はい」

 この人は関わっちゃダメなタイプの人だ。しかも知り合いでも何でもないらしい。

「その点、お客様はエロメスガキと一緒にいらっしゃいましたが今は居ません。きっと振られたりして悲しい思いをしたのでしょう。ですから少しはいいことがあるようにと、いい接客を心がけているのです」
「ありがとうございます。料理を置いてもらってもいいですか?」
「はい」

 ここで彼女に帰ってこられる訳にはいかない。もしここで帰って来られたらどうなってしまうのか。考えるだけでも恐ろしい。

 目の前のステーキが顔面に飛んできてしまうかもしれない。

「わー料理来たんだ。美味しそー♪」

 ダメだった。甘い考えは彼女の言葉で脆くも崩れ去る。

 それと同時に、彼女の言葉が聞こえた瞬間店員さんの手がピタリと止まり、表情も一瞬強張る。

「お、お帰り」

 俺は彼女に笑顔を向ける。店員さんの方を見れないだけだが。

「お客様?」
「はい」
「私の事を騙したんですね?」
「え? そんなことは」
「何の話をしてるの?」
「私だけは大事にしてくれるって言ったじゃない! それなのに何なのよこの若い女は! やっぱり畳と妻は若い方がいいって奴なの!? 貴方のことなんかもう知らない! ご注文は以上ですね! ごゆっくり!」

 彼女は色々叫びながら料理を置いて、カートを押して帰って行った。何だったんだ今の人は。マジでヤバイ。

 まぁ、行ってくれたのなら大丈夫だろう。俺は彼女と料理を一緒に食べるのだ。

「さ、何だかよくわからないことを叫んでたけど、温かい内に食べようか」
「……」
「?」

 彼女が黙ったままだったのでそちらを見ると、眉を顰めてというか困り顔の様にさせて俺の方を見ている。席にも座らず立ったままだ。

「どうしたんだ?」
「やっぱりあの人知り合いだったの?」
「え? 今の店員さんか? 違うぞ?」
「でも、大事にするとかどうとか言ってたじゃない」
「いやいや、知らないって。今日初対面であんなこと言ってきたヤバい人だから」
「ほんとに?」
「ホントホント」
「怪しいなあ」

 彼女はそう言って席につこうとしない。おかしい、あんな女のせいでさっきまで仲の良かった二人が、いきなり破局寸前のカップルみたいになっているのは納得できない。

「じゃあどうしたら信じてくれるんだ?」
「なーんて、大丈夫だよ。いきなり過ぎてびっくりしただけ」
「良かった。俺もさっきの店員さんが運んできてくれたと思ったら、いきなりあんなこと言われて驚いたんだから」
「そうだったの? それにしては仲が良さそうだと思ったけど」
「……」

 俺は彼女の目を凝視し続けた。

「な、なに?」
「あれを見て仲がいいと思うような目を洗って貰うように眼科に行くのを進めるか、頭を治して貰うために精神科に行くのを進めるか迷って」
「問題ないです!」
「そうか? じゃあいいけど、さ、座って食べようぜ」
「そっか、ステーキだもんね美味しく食べなきゃ」

 彼女は座ってくれた。ふぅ。何とかなった。それにしてもあの店員は何だったんだ? 後でここの評価でも見ておこうか。

 俺達はステーキを半分にして食べ始める。

 そのステーキはファミレスのものにしては肉厚で食べ応え抜群。一緒についている付け合わせの温野菜なども結構量があって丁度良かった。台地ポテトもいい味変更になって良い。

 二人で半分にして丁度いい量だったと思う。

「結構美味しいね」
「だな。ファミレスの商品だと思って甘く見てたわ」
「あー確かに微妙だなって料理も時々あるからね」
「昔はそれでも喜んで食ってたんだけどな」
「セリフがおじさん臭いよ?」
「これでも三十路だから十分おっさんだよ。なりたくてなったじゃないんだけどな」
「三十路でもいいじゃない。世間的に見たらまだまだ若いじゃん」

 俺は驚いて彼女を見る。彼女はそう言いながらステーキの下に入っていたスパゲティを啜っていた。中々いい景色だ。

「なんか達観してるな?」
「そう? でも色々考えるよ。これでも。悩み多き乙女なんだから」
「自分でいうとはな。どれ、年の甲を持つおじさんがお悩みを聞いてあげよう」
「解決はしてくれないの?」
「それは出来るものと出来ないものがある」
「そこはハッキリ言っちゃうんだ」
「うむ。それが正直にやってきた俺の理由だからな」
「ははは、ありがと。でも人に相談することでもないの。もう少し自分で考える」

 そういう彼女は何かを諦めたような。決めたような何とも様のない顔をしていた。

「そっか。それじゃあ帰ろうか。時間もいい時間だしな」

 俺はスマホの時計を確認する。そこには10時と出ている。流石に長い時間連れまわし過ぎたかもしれない。

「……」

 彼女は寂しそうな笑顔を浮かべたまま何も言わない。

「どうしたんだ?」
「ううん。何でもない。帰ろっか」
「ああ」

 そのまま会計をしたが、その時もあのヤバい店員さんだった。だけど二人でいる時は特に何も言ってこなかった。

 そして彼女が先に店を出ていった後に、その店員さんに呼び止められる。
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