【仮想未来SFノベル】『永劫のレオハルト』Samsara of Eden

静風

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本編・第一部

第二章:漂う違和感

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1. 目覚め
レオハルトはゆっくりと目を開けた。

いつもの枕の感触、胸をわずかに圧迫する微かな重力。
目の前には、見慣れた天井が広がっている。

彼は上半身を起こすと、無意識に手を伸ばした。
デスクの上のカップから、コーヒーの香りが漂っていた。

「……またか」

小さく呟きながらカップを手に取り、軽く揺らす。
表面に生まれた波紋が湯気と共に揺れ、静かな朝を演出している。

一口含むと、苦味と酸味、微かな甘みが口の中で広がった。
完璧すぎる感覚が、かえって彼に不安を感じさせる。

「まるで、本物のようだ……」

彼はカップを置き、ため息をついた。
仮想世界であるはずなのに、味がある。香りがある。五感が存在する。

(これが……エーテルか)

微かな笑みがこぼれる。
だがその笑みは、どこか虚ろで、彼自身を安心させるためのものにすぎなかった。

何かを考えていた気がする。
何か、とても大切なことを。

しかしその考えは、思い出そうとするたびに指の間からすり抜け、霧散してしまった。

2. ルーティン
「起床時刻、適正範囲内。神経伝達物質の分泌バランス、正常。」

室内のオペレーティングAIが淡々と告げた。

「現在の状態を維持しますか?」

レオハルトはわずかにうなずく。

「維持しろ」

「承認しました。体内ナノマシン、最適化モードを継続します。」

立ち上がり、デスクのモニターを起動すると、『肉体状態:安定』の文字が表示された。
現実世界で彼の身体は、静かに眠り続けている。

脳波はエーテルと完全に同期している。
生体データは全てが理想的な数値で管理され、動的平衡が保たれていた。

彼はその情報をぼんやりと眺めながら、小さく呟く。

「……もう、戻ることはない」

それは自分自身に向けられた言葉だった。
エーテルこそが自分の世界だ。かつての現実に意味などない。

だが、その言葉の裏に潜む不安に、彼はまだ気付いていなかった。

3. 仕事へ
レオハルトは中央管理棟『アセンション・タワー』の最上層へと向かった。

タワー内部は静寂に包まれている。
ここはエーテルを管理する者たちが日々集う場所だ。

創始者である彼自身もまた、この世界の運営に直接携わっていた。
『楽園が楽園であり続けるために』——それが彼の義務であり、存在意義でもあった。

「エーテル・ノード、異常なし」

ホログラフィックモニターに流れる膨大なデータを見つめながら、彼は思考を巡らせる。

(昨日、俺は何をしていた?)

そんな疑問がふいに浮かぶが、思考はそこで止まった。

(いつも通りだ。特に異変などない……)

しかし、心の奥底では、小さな違和感が棘のように刺さったまま消えずに残っていた。

4. エリスの訪問
「レオハルト、話があるの」

エリス・アシュフォードが突然部屋に現れた。
彼女の表情には、いつもの冷静さとは違う、不安げな影があった。

「また記録の異常か?」

無意識に出たその問いに、エリスは驚きの表情を見せる。

「どうして、それを……?」

レオハルトは戸惑った。自分でも理由がわからない。ただ直感がそう告げていた。

「……いや、何となくだ」

エリスは言葉を探すように、一度口を開きかけたが、再び閉じ、小さく息を吐いた。

「昨日、エーテルの記録を整理していたわ」

「……それで?」

「その記録が、今朝になったら消えていたの。まるで最初から存在していなかったかのように」

彼の心に奇妙なデジャヴュが走った。
なぜだろう、この会話は以前にも経験したような気がする。

「それは、どういうことだ?」

「私にも分からない。でも、確かに昨日の私の記憶にはある」

エリスは手元の端末を苛立たしげに操作する。

「でもシステムには、何の痕跡も残っていないの。まるで、『昨日』そのものがなかったように」

5. 既視感
レオハルトは胸の奥で焦燥が燃え上がるのを感じた。

(この会話は、絶対に前にもした)

「エリス……昨日、何を調べていた?」

問いかける声が震えた。

「エーテルの起動ログよ」

その瞬間、視界がぐらりと揺れた。
鼓動が早鐘を打つ。

エーテルの起動ログ。
それは、自分自身が世界を創った記録のはずだ。

「エーテルが起動する前の記録が、どこにもないの」

その言葉が脳内で反響する。

しかし、それを考えようとすると、彼の思考はまるで霧に覆われるようにぼやけてしまう。

(俺はエーテルを創った。それは間違いない。でも——)

「……俺は、いつ、この世界を創った?」

その問いが、虚しく宙に漂った。

6. 断絶
次の瞬間、世界が歪んだ。

視界がノイズに覆われ、音が遠く霞む。
自分の意識が崩れ落ちる感覚。

(何が起きている——?)

ブラックアウト。
彼はその問いに答える間もなく、深い闇の中に飲み込まれた。

7. 目覚め
レオハルトは、ゆっくりと目を開けた。

枕の感触、微かな重力の圧迫感。
見慣れた天井。

彼は上半身を起こし、デスクに目を向けた。そこにはコーヒーの香りを放つカップがあった。

一口飲む。
苦味と酸味、そして微かな甘み。

「……まるで現実のようだ」

しかし、彼の中に何かが残っていた。
それが何なのかはわからない。ただ確かに『何か』が違う。

胸の奥に、小さな不安の芽が再び芽吹いていた。

彼はデスクのモニターを起動させる。

『肉体状態:安定』

彼は小さく呟いた。

「……もう、戻ることはない」

だがその言葉に微かな違和感を覚えたのは、これが初めてのことだった。
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