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本編・第一部
第三章:微細な綻び
しおりを挟む1. 繰り返される朝
レオハルトはゆっくりと目を開いた。
瞼が重い。
微かな重力の感覚、柔らかな枕の感触。
見慣れた天井を見つめながら、彼はなぜか言葉にならない違和感を覚えた。
身体を起こし、習慣的にデスクへ視線を向ける。
そこにはいつものように、淹れたてのコーヒーが置かれていた。
「……またか。」
カップを手に取り、軽く揺らす。
波紋が立ち、湯気がゆるやかに立ち上る。
口に含むと、苦みと酸味、そして微かな甘みが広がる。
「作られた感覚」であると知りながらも、あまりに現実的すぎるその味に、胸がざわついた。
「これが、エーテル……。」
彼は微かに笑ったが、その笑みは自分を慰めるためのものにすぎなかった。
何かを忘れている気がする。
とても重要な何かを。
けれども、それを思い出そうとすると、指先をすり抜けてしまう。
まるで掴もうとするほど遠ざかる霧のように。
「……気のせいだ。」
そう呟く自分自身に、なぜか苛立ちを覚えた。
2. ルーティン
「起床時刻、適正範囲内。神経伝達物質の分泌バランス、正常。」
AIの無機質な声が室内を満たす。
日常的で、耳に馴染んだはずの報告が、なぜか今日は妙に神経を逆なでした。
「現在の状態を維持しますか?」
レオハルトは小さく息を吐きながら頷いた。
「維持しろ。」
「承認しました。体内ナノマシン、最適化モードを継続します。」
ベッドから立ち上がり、デスクのモニターを起動する。
『肉体状態:安定』
自らの肉体が今も完璧に管理されていることを示すその文字を、彼は無表情に眺めた。
(何度、この言葉を見ただろう?)
変わらぬ日常の繰り返しが、胸の奥に僅かな焦燥を生んでいることに彼は気づき始めていた。
「昨日、俺は何をしていた?」
頭の奥で問いが囁かれるが、答えは返ってこない。
(気のせいだ……すべては正常だ。)
モニターを閉じる指先が、僅かに震えた。
3. エリスの再訪
「レオハルト、少し時間をもらえる?」
エリス・アシュフォードが部屋に現れた。
彼女の表情には、不安と焦燥が隠しきれずに滲み出ている。
レオハルトは彼女を見るなり、なぜか胸がざわついた。
「また記録の異常か?」
その言葉にエリスは目を見開き、息を呑んだ。
「なぜ……それを?」
「わからない。ただ、何となくそんな気がした。」
自分自身の直感に動揺を覚える。なぜそう思ったのか、理由を探しても見つからない。
エリスは端末を差し出し、抑えきれない苛立ちと焦りを込めて言った。
「昨日、エーテルの記録を整理していたの。でも、その記録が今朝には消えていた。まるで最初から存在しなかったみたいに。」
彼の中に、奇妙な既視感が広がる。
「それは……どういうことだ?」
「エーテルの歴史は完璧に記録されているはず。なのに、『始まり』がどこにもないのよ。」
レオハルトの胸が激しく鼓動を打つ。
何かが根底から狂い始めている。だが、それが何なのか掴めない。
「そんなはずはない。エーテルは、俺が創った。」
だがその言葉には、かすかな揺らぎが混じっていた。
3. 既視感と消える記憶
「レオハルト、大丈夫?」
エリスの声が遠く響いた。
視界が揺らぎ、耳の奥で不快なノイズが響き渡る。
鼓動は早まり、喉の奥が強く締めつけられる。
「……俺は、一体いつ、この世界を創ったんだ?」
吐き出したその問いに、自分自身が動揺していた。
(何かがおかしい。この感覚を、俺は前にも経験したことがある……。)
思考がそこに至った瞬間、世界が激しく崩れた。
視界がノイズに覆われ、意識は暗転した。
3. また、朝
目を開けると、穏やかな朝だった。
枕の感触、微かな重力の圧迫感。
見慣れた天井。
漂うコーヒーの香り。
「……またか。」
彼は無意識にカップを掴み、一口飲む。
苦味、酸味、微かな甘み。
「まるで現実のようだ。」
だが、胸の奥に小さな違和感が鋭く刺さった。
(また、この朝だ。)
彼はデスクのモニターを起動する。
『肉体状態:安定』
その文字を見つめながら、レオハルトは静かに拳を握りしめた。
「……これは、何度目の朝なんだ?」
その問いが、心の奥深くで確かな形を取り始めていた。
4. 芽生える確信
「エリスが、俺に何かを伝えようとしていた。」
曖昧な記憶が、彼の意識の隅に引っかかっている。
だが、その内容が何だったのか、思い出せない。
まるで誰かに消されたかのように、空白が広がっている。
(エーテルの起動記録……?)
その単語が胸に響いた瞬間、胸が締め付けられるような焦燥が湧き起こった。
「もしこれが偶然ではないとしたら……」
彼は立ち上がり、決意を固めるように呟いた。
「確かめるしかない。」
エーテルの完璧な日常は、もう彼には信じられなくなっていた。
すべての真実は、この世界のどこかに隠されている。
そして、彼はそれを探し出さなければならないと、初めて明確に感じていた。
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