言空のサイレントレイヤー - 言葉が消える世界で、君の名前だけは残った -

静風

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本編

第2章 世界は静かに“書き換わっていた”

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翌朝。
凌は寝不足の頭を抱えながら大学へ向かっていた。
昨夜、あのアプリを何度確認しても、
増えた新語はやっぱり“ぽここらいと”と“ねむことば”の二つだけだった。
設定画面もない。アンインストールもできない。
「夢じゃ、ないよな……」
独り言のつもりだったが、
声はふわっと喉の奥で揺れ、
言葉がうまく“音”にならないような感覚が残っていた。
(なんだ、このズレ……昨日からずっと変だ。)
大学の校門をくぐると、
ふと人々の会話が耳に引っかかった。
「マジで昨日のゼミ、キレたわー」
「ねむことばじゃん、それ」
「え、何それ?新しい若者言葉?」
「いや、知らんけど」
凌は歩く足を止めた。
(ねむことば……?)
昨日アプリに追加された新語のはずだ。
なのにもう普通に誰かが使っている。
まるで……
世界が自然に取り込んでいるように。
「……ありえないだろ。」
そう呟いても、自信が持てなかった。
昨日、“ありがとう”が消えた時もそうだった。
世界は、
変化しても気づかない方向へ“補正”する癖がある。
それは、言語が消えたことを隠すかのように。
(ねむことば、か……昨日まで絶対そんな言葉なかったはずなのに。)
そのとき、背後から声がした。
「佐東くん?」
振り返ると、少し乱れた長い髪を後ろで束ねた女性が立っていた。
濃紺のジャケット、手には取材用のメモ帳。
「あれ? 新聞社の……」
「綾瀬柚葉。昨日メールした者です。」
そうだ。
昨夜、“言語認知異常”について取材したいというメールが届いていた。
正直、半分スルーしかけていたのに。
柚葉は静かに言った。
「……あなた、昨日“言えなかった言葉”があったでしょう?」
凌の心臓が跳ねた。
「なんで、それを……?」
柚葉は周囲を軽く見渡し、声を低くした。
「私も、感じたんです。
 “ある言葉がこの世界から消えた”感覚を。」
凌は息を飲んだ。
こんなことを“共有”できる人がいるとは思っていなかった。
柚葉は続けた。
「そして今日の朝、街に“不一致の言葉”が溢れ始めた。
 まるで世界が急に、知らない単語を覚えたみたいに。」
凌は思い切って口にした。
「新語……ですか?」
柚葉は頷いた。
「あなたも見た? 妙な言葉。
 その言葉、昨日まで絶対なかったのに、
 人々が“当たり前の顔で”使ってる。」
凌の背筋が冷たくなる。
柚葉は静かに、だが確信めいた声で言った。
「……佐東くん。
 どうやら私たちだけが、世界の“言語の揺れ”を観測できてる。」
凌のスマホが震えた。
《新語補填(β):そうけつ が追加されました》
凌は思った。
(世界は……何をしようとしてる?)
柚葉はその震動に気づいた。
「また新語ですか?」
凌は頷き、画面を見せる。
──その瞬間、柚葉の目が大きく見開かれた。
「……始まってる。」
「何が……?」
柚葉は短く息を飲んだ。
「言語崩壊──そして、“別の世界”の準備よ。」
凌の胸の奥で、
何かがゆっくり軋むような音がした。



──言葉のズレは、もう日常の中に潜んでいた──**
柚葉と話したあと、
凌は大学構内のカフェへ場所を移した。
通学路でも、教室でも、
さっきから“微妙な言葉の違和感”が耳にひっかかっていたからだ。
カップを置く音。
椅子を引く音。
名前の呼び声。
そのすべての中に、
“違う響き”が混じっている気がする。
「……気のせいじゃないよな。」
テーブル越しで柚葉が言った。
「佐東くん、これ見て。」
彼女がスマホを向けてくる。
そこにはSNSのトレンドが並んでいた。
#ぽここらいととは
#ねむことば使い方
#新語か?
凌は目を瞬いた。
「……なんで……昨日まで無かった言葉が、
 こんな堂々と流行語みたいに使われてるんだ?」
柚葉は静かに説明した。
「“世界の認知”が書き換わってるの。
 昨日まで存在しなかったはずの言葉が、
 『元からこの世界にあった言語』として扱われている。
 だから誰でも自然と使える。」
凌は息を飲んだ。
(そんな馬鹿な……)
だけど見ている限り、
学生たちは普通に使っている。
「……マジねむことばだわー」
「ぽこ、今日の課題やばくね?」
「ぽこwwwって何?」「え、普通に使わん?」
昨日までの世界に存在しなかったはずの言葉が、
まるで“昔からある流行語”みたいに浸透している。
違和感を抱いているのは、自分と柚葉だけ。
「……佐東くん」
柚葉が真剣な声で言った。
「世界が──何かを調整してる。」
「調整?」
「そう。
 消えた言葉の穴を埋めるために、新しい言葉を補填してる。
 その補填作業に、あなたのスマホが使われてる。」
凌は思わず聞き返した。
「なんで……俺のスマホなんだよ?」
柚葉はゆっくり首を振った。
「それは……まだ分からない。
 でも確実に言えるのは──」
カフェの外で、通りすがりの学生が大声で笑った。
「昨日の試合、ぽここらいとすぎて死んだわ!」
柚葉の声が重なる。
「あなたは“世界の書き換え”に耐えられている。
 つまり……“観測できる側の人間”。」
凌の手が震えた。
「観測できる……?」
柚葉はグッと身を寄せて言う。
「佐東くん。
 言葉が消える現象も、新語が生まれる現象も……
 世界を形づくる“深層レイヤー”で起きてることなの。
 普通の人は、その変化に耐えられなくて、
 記憶ごと書き換えられる。」
凌が息を止める。
柚葉はその瞳を真っ直ぐ見つめた。
「でもあなたは書き換わらない。
 だから“異常”を異常として理解できる。
 世界はそこに気づいて……あなたのスマホを選んだ。」
凌はスマホを握りしめた。
画面に新しい通知が浮かぶ。
《新語補填(β):ほろさだ が追加されました》
(……まただ。)
もう冗談や偶然では済まない。
「柚葉さん……これは、まだ序章なんですか?」
柚葉は短く息を吸った。
「ええ。
 本格的な崩壊は、まだ始まっていない。
 新語の補填が増えるほど、
 世界の安定はどんどん危なくなる。」
そのとき。
店内のスピーカーから流れていたBGMが、
一瞬、“言葉のないノイズ”に変わった。
店員は気づかず仕事を続けている。
凌と柚葉だけが、そのノイズの意味を理解していた。
──世界の補填処理が追いついていない。
言語の崩壊が、加速している。
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