君と僕だけのブルースター

れみっしゅ

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開花2

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春の訪れが空気の匂いを変えた。

澄んだ空気とともに、陽射しは柔らかくなり、桜の蕾が少しずつ膨らみ始める頃。俺の心は、三ヶ月前のあの日から少しも前に進めずにいた。

あの夜、恵が言った言葉。「時間がないの」。あれは、単なる比喩じゃなかったのだと、今ではわかる。

だから俺は、あれ以来ずっと星を追いかけている。

学校では進路の話が本格化し、同級生たちは志望校の過去問とにらめっこする日々。
そんな中で、俺はひとり、天体観測に夢中だった。

夜になると屋上に上がり、ノートと望遠鏡を手に空を見上げる。宇宙のどこかに、彼女の存在があるのではないかと、根拠のない希望を胸に抱きながら。

その日も変わらず空を眺めていた俺のスマホに、たった一通のメールが届いた。

明日の夜、満月が出るの。
よく見える場所があるから、20時にそこで待ってるね。

差出人は「恵」。

俺は一瞬、時が止まったかのように動けなかった。
なぜ今? 本当に彼女なのか? どうして……

けれどその疑念より先に、心の奥底に灯っていた小さな希望が、炎になって燃え上がった。

彼女に、また会える――。

翌朝、俺はいつもより1時間早く起きて、弁当を作った。今日という日が、ただの日常ではないことを、身体が理解していた。

母に「デート?」とからかわれたが、冗談で返す余裕などなかった。俺はただ一言、「遅くなるから晩ごはんはいらない」とだけ告げて、家を出た。



教室に一番乗りした俺は、職員室で鍵を借りると、担任の村杉先生が言った。

「最近、いい顔してるな。お前、変わったよ」

その言葉が、妙に心に残った。

誰もいない教室で、俺は静かに座り、持参した天文学の資料に目を通した。今日のために、改めて知識を整理しておきたかった。彼女にまた何かを教えてもらった時、ちゃんと会話できるように。

昼休み。いつもの俺ならトイレの個室で時間を潰していた。だけど今日は違った。朝から仕込んでおいたカツ丼弁当を持って、屋上へと向かう。

薄曇りの空、遠くで鳥の声が聞こえる。まだ肌寒さが残る風が吹く中、俺は屋上の隅に腰を下ろし、弁当箱を広げた。

ふと、カツを一切れ口に運んだ瞬間――

「やっぱり、耀作はおいしそうに食べるね」

その声に、世界が止まった。

顔を上げると、そこに彼女がいた。
恵が、風に髪をなびかせ、こちらを見て微笑んでいた。

白いワンピースに、ブルースターの髪飾り。
その姿は、まるで夢の中のようだった。

「……恵……どうして……」

彼女は何も言わず、隣に座る。まるで何事もなかったかのように。

「今日は満月だからね。きっと耀作は、ちゃんと空を見上げてると思った。だから、少しだけ会いに来たの」

少しだけ。
その言葉に、俺の胸が締め付けられた。

「……もう、君には……時間がないんだろ?」

彼女は静かに頷いた。

「うん。もうすぐ、私の“存在”はここから完全に消える。だけど、どうしても伝えたかったの。耀作に、ありがとうって」

「ありがとうって……何もしてないのに」

「そんなことない。耀作が私を“信じて”くれたから、私はこの世界に留まることができた。誰かに信じてもらえるって、すごくあたたかいことなんだね」

俺は黙って頷いた。

「でもね、それだけじゃない。耀作の想いが、私の“願い”を叶えてくれたの」

「願い……?」

「うん。私……ずっと、自分の存在には意味がないと思ってた。だけど、耀作と出会って、話して、笑って……この世界にいられて良かったって思えたの。私の“願い”は、そう思える誰かと出会うことだったんだと思う」

風が、またひと吹き。

屋上のフェンスにかけられた風鈴が、控えめに音を鳴らした。

「耀作、お願いがあるの」

「なんでも言って」

「これからも、誰かを“信じて”あげて。誰かの“存在”を、ちゃんと受け入れてあげて」

俺は彼女の手を握った。暖かくも冷たくもない、けれど確かにそこにあった。

「君のこと、絶対忘れない」

「ううん、忘れてもいいよ。忘れても、私は耀作と出会えて幸せだったから」

「……そんなこと言わないでくれ」

彼女は微笑んだ。

「じゃあ、もうひとつだけお願い」

「うん……」

「今日、星を見に行こう。約束の場所で。ちゃんと、見届けて」

その言葉を最後に、彼女の姿は風とともに揺らぎ、光の粒へと還っていった。

空を見上げると、まだ日が沈んでいないのに、ひとつだけ星が瞬いていた。



その夜、俺は彼女と約束した展望台へ向かった。

山道を登る途中、何度も思い出した。あの笑顔、あの声、あの願い。

頂上にたどり着くと、澄んだ夜空に、まん丸の月が浮かんでいた。

その隣には、小さな青い星が、確かに瞬いていた。

ブルースター――彼女が残した名前。

俺はその星を見つめながら、静かに目を閉じた。

「恵、ありがとう。俺も、“信じる”ことを続けていくよ」

頬を伝う涙が、風にさらわれていった。
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