失われる未来を救けて

アホウドリ

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現代編

僕が隠していること

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「さて、そろそろ昼食とするか。どこで済まそう」

「あ、兄さん、実はお弁当持ってきたんだよね」

「おーそうか、それは嬉しい」

 美玖はこういうとき気が利く子だ。

「それじゃ、近所の公園のベンチで食べよっか」

 僕らはひとまずその場を移動した。

 駅から数分歩いたところに公園がある。ジャングルジムとブランコがあるだけの寂しい公園だが、空気は綺麗で、田畑や山が望める良い場所だ。

 端の方にあるベンチに座ると、美玖はカバンからお弁当箱を取り出した。

「今日はねー、ジャジャーン」

「おーサンドイッチか、ピクニックみたいで良いな」

「えへへ、カツサンドとーハムサンドとーたまごサンド作ってきたんだーたくさんあるからどんどん食べてね」

 美玖は、とても楽しそうに言った。いつもよりいっそう良い笑顔をしている。

「大変だっただろ? 朝早く起きたのか」

 そう言ったところで気が付いた。だから朝あんなに眠そうだったのか。早起きしてお弁当の準備をしてくれていたのだ。

 美玖の期待に応えるため、腹の限界を超えるほどに食べた。

 食事中はいつものような会話をした。最近観たテレビの感想を言い合ったり、読んだ小説のおすすめを教えたり。そんな他愛のない話をした。

 ここは父さんを亡くした地で、昨日視た『未来』が起こる地だ。
昨年の冬、この地がきっかけで僕らの境遇は大きく変わった。そして明日、またこの地で変わるのだ。

 もうここまで来てしまった以上は仕方ない。

 父さんとのことを受け入れ、美玖の『未来』からも逃げない。

 そう決めたのだ。

 すると、美玖は心配したのか話し掛けてくる。

「どうしたの? 深刻な顔して」

「ああいや、何でもないんだ。何でも」

「そう? ならいいけど」

 決めたことをまた考えても仕方がない。気持ちを切り替えることにしよう。

「さて、食べ終わったことだし、そろそろ行くか」

「うん、そうしよっか」

 僕らは弁当の片づけをして立ち上がった。

「とりあえず家に行こうか」

 僕はそう言って、実家に帰ることにした。

 公園から離れバス停まで向かっていると、ちょうどいいタイミングで実家へ停車するバスを見つけた。

 僕らは急いでバスに乗り、空いている座席に腰を据えた。

 バスが動き始めしばらく経つと、これまでの疲労と心地よい揺れも相まって、眠気が襲ってきた。僕はその眠気に身を委ねることにした。



「兄さん」

 美玖がトントンと肩を叩いてきた。

「あぁ」

 心地よいまどろみから徐々に目が覚めていく。横をちらりと見てみると、美玖が目を擦っているのが見えた。どうやら僕と同じように眠っていたらしい。朝早くに起きてお弁当の準備をし、長い電車とバスに揺られていたのだから仕方ない。

 バスを降り、懐かしい景色を眺めてみた。

「久しぶりだな」

「うん、久しぶりだね」

 周りを見渡すと、景色一杯の田んぼがあり、遠くを望むとたくさんの山があった。ここは相変わらずの田舎だ。

「さて、家に帰るか」

 バス停と実家との距離はざっと二十分程度だ。このバスの本数の少なさとバス停への距離が遠いこともあって、僕らは東京へと上京したのだ。

 僕らはそこから家に向かった。歩けど歩けども変わらない風景の中、二十分ほど経ったやっとのとことで目的地に着いた。

 我が実家は、二十坪の平屋建てで、縁側を出ると芝生の生えた庭と池があり、周りを生け垣が囲っている。この家周辺には田んぼ以外の何ものもなく、お隣さんへ行くだけでも一キロは歩かないといけない程だ。

 何故こんな辺鄙なところに我が実家はあるのかというと、父方の祖父が農家だったからだ。
 
 しかし当の父さんはというと、農家を継がずに中学教師になった。けれども父さんは、実家を出て職場の近くに引っ越すということをしなかった。どうやら元来の田舎好きらしく、職場に通うにはかなりの不便になるにも関わらず、家を出ることはなかったらしい。

 家に入るため、カギを開けようとした。玄関ドアの立て付けが悪いらしく、少し工夫をして力を入れないと開けられないのである。そのときふと、子供の頃よく苦労していたことを思い出した。

「あれ、傘立てって左だったか」

「どうだったかなぁ」

 半年以上ぶりに帰ってきたこともあって、あまり家の中を覚えていない。久しぶりに家中を回ってみようと決めた。

 玄関に入ってすぐ右には洗面所と風呂場がある。正面を少し進むと左には父さんの部屋があり、正面をさらに進むとリビングがある。

 リビングに入り、左には僕の部屋が、右にはキッチン、その右隣に美玖の部屋という間取りとなっている。そういえばこんな間取りだったなと懐かしみを覚えた。

 ひとまず僕らは自分の部屋へと荷物を置き、部屋の中を眺めた。

 畳張りの部屋で、目の前には勉強机と本棚が並んでおり、左にはベッドがある。そういえばと思い、本棚を探ってみる。

「お、あったあった」

 目的の本を取り出した。

 僕が崇拝している小説家の代表作にして、愛読書でもある作品だ。

 久し振りに読みたいなと思っていたのだ。アパートに帰ったら読もう。

 懐かしい思い出に耽っていると、美玖がトントンとドアをノックしてきた。僕は扉を開き美玖を部屋に招いた。

「兄さん、まだ十五時だしこの後どうする?」

「そうだな、お隣さんにでも挨拶に行くか」

「伊藤さん? 半年ぶりくらいかぁ、懐かしいなー」

 僕らは余りものですまないが、サンドイッチでも差し入れとして持って行こうと思い家を出た。



「すみませーん」

 呼び鈴を鳴らし、併せてトントンと玄関をノックした。

 伊藤さんは八十過ぎの仲睦まじいご夫婦だ。最近は耳が遠くなっているのか、インターホンを押すだけでは反応がない。

「はーい」

 この声はおばあさんの方だ。ドアを開け、歳の割には比較的真っすぐな腰と首を少し伸ばして僕らの顔を見た。

「あら、浩くん、美玖ちゃんじゃない。久しぶりねぇ」

 僕らの顔を認めると途端にくしゃっとした笑顔を見せた。

「どうも、お久しぶりです」

「お久しぶりです」

 僕に続けて美玖も挨拶をした。

「どうしたの~? 東京に行ったんだったよねぇ」

「ええそうです、父さんが亡くなってから半年以上経ちましたし、そろそろ落ち着いてきたこともあって、お墓参りにでも行こうかなと思いましてね」

「あら、そうかいそうかい。お気の毒にねぇ、まだ四十過ぎたくらいだったでしょう? お若いのに」

「ええ、四十八歳でした。ところで、久々に帰ってきたということで、差し入れにサンドイッチでもどうかなと思ってお持ちしました」

 父さんの話をあまりする気にはなれなかったので、話を逸らすべく、差し入れの話に持って行った。

「あらあら、ありがとうねぇ、助かるわぁ。そうそう、お墓参りに行くのだったらこれ持って行きなさいな」

 目当ての品をおもむろに取り出そうとするも、何も用意せず出てきたようで、お目当てのものを取りに家の中へと戻っていった。

 数分後、缶ビール数本を手にして帰ってきた。

「これ、お墓にお供えしてあげなさいな」

「どうも、ありがとうございます」

 父さんは酔ってお風呂場で亡くなったということもあり、お酒は避けた方が良いと思った。しかし、おばあさんはそんなことを知る由もないので、一応受け取っておいた。

 そういえばと思い、おばあさんに聞いた。

「じいさんはどうしました?」

「じいさん? テレビ観て寝転がってるよ」

 元気ならそれで良い。なかなかに元気なじいさんなので、今日は会わなくても良いかと思い、その場を離れようと思った。すると、玄関の奥から鈍い足音がした。

「おいーーお前じゃねーか!」

 まるで八十過ぎのじいさんだとは思えない溌溂とした声が聞こえてきた。

「ああ、はい、石岡浩です」

「そんなこたぁわかっとるわい! わしは未だボケとらんからなボケ!」

 僕だってボケてはいない。それにボケと言った方がボケだ。

「ボケと言った方がボケなんだよボケ!」

 思ったことを口にしてみた。

「はぁー? なんじゃと貴様ー! お前より七十年近く長く生きとるわしに向かってなんてこと言うだりゃ貴様ボケ!」

 こんなことを言いながらも嬉しそうな笑みを浮かべている。口だけ達者なじいさんだ。どうやらおばあさんがビールを持ってくるとき、「浩くん帰って来てるよ」と言ったから急いで起きてきたようだ。

 おばあさんにサンドイッチを渡さなければ起きて来なかったか。渡さなければ良かった。しかし、久しぶりに会えたこともあって少しは嬉しい。

「なんで今更帰ってきたんだお前、もしかしてあれか、ホームシックか?」

「違うよ、父さんの墓参りだよ」

「ああそうか」

 伊藤さんご夫婦は僕の祖父の友達で、その縁があってか祖父代わりのように遊んで貰っていた。それは父さんも同じで、とても仲が良かったようだ。

「その横にいるのは美玖ちゃんか?」

「はい、美玖です。お久しぶりです」

「おーおーおーまた綺麗になったなぁ。別品さんじゃないか!」

「ありがとうございます」

 言われ慣れているのか、軽く笑顔を見せて頷いた。

「そうしたら、お前らはいつ帰るんだ?」

「明日には帰るよ」

「そうか。そうだ、今日は夕飯でも食っていかんか?」

「え、良いの?」

「もちろんだ」

 たまには美玖の負担を減らしてあげても良いかもしれない。ありがたく受けようと思った。

「美玖も良いか?」

「うん、もちろん」

 それから伊藤家の晩御飯を頂く運びとなった。

 夕飯までの時間はじいさんと雑談を楽しんだ。学校でのこと、例えば彼女はできたのかやら、可愛い娘はいるのかやら。もう八十のじいさんなのだから、そろそろ若い女に邪まな目を向けるのはやめたらどうだろうか。僕は「未来という可愛い女の子がいる」と言ってやった。



「ふぅー美味しかったー」

 美玖が大層ご機嫌に言った。

「この味噌汁の具材って伊藤さんの畑で取れる野菜ですか?」

「そうよー」

「とっても美味しかったです! やっぱ地元は良いなぁ」

「ありがとうねぇ、もっと頻繁に帰省しても良いのよ? そのときはいつでも我が家に来てくれて良いから。ご飯出してあげるよ」

「そのときはぜひともよろしくお願いします!」

 こんなところで、夕飯も食べたところだしそろそろ帰るとしよう。

「じゃあなじいさん。次会うときまで俺のこと覚えていろよ」

「馬鹿野郎、お前みたいな青臭いガキ忘れるわけないだろ。お前こそその足りない頭なりにわしのこと忘れるんじゃねえぞ馬鹿」

「うるせえ、僕はまだ成長期なんだよ。じいさんは衰退期だからわからねえかもしれねえがな」

「あぁ!なんじゃと貴様! てめぇこの野郎! お前ふざけるな! おのれ舐めやがって! いい加減にしろよあんちゃん!」

「そ、そうか。まあいい、元気でなじいさん」

「おうよ、また来いよな」

 僕は手を振り、美玖と家を出た。夕飯はご馳走になれたし、久々にじいさんとも話せたから良かったかもしれない。なんだかんだ言って楽しかった。美玖も僕がじいさんと話している間、おばさんと料理の話などしていたようだ。

「たまには他所のお家で夕飯というのも良いな」

「うん、楽しかったね」

 今は二十時過ぎ、外はもう真っ暗だ。

 ふと夜空を見上げてみる。

 田舎だということもあって空気が澄んでいる。久しぶりに満面の星空を眺められた。東京に上京して早一年半が経とうとしている。半年前に父さんの訃報を聞いた際、帰省したがそれは日帰りだった。ここで夜と朝を迎えるのは久しぶりだ。僕ら二人で連休中にでも帰省することはできたはずだが、如何せん遠いため少し憚られた。

「ここは夜空が綺麗だなー」

「そうだねーなんかこうしてのんびりしてると、ずっと地元に居たくなっちゃいそうでまずいかも。土日過ぎたら普通に学校あるのにね」

「確かに、僕の気分はもう山梨県民だ」

「さすがに私もそこまでは行ってないけど」

 そうだった、僕はれっきとした東京都民だ。人口一千いくらか万人を抱える過密地域の一員だ。一千いくらか万分の一が僕だ。一千いくらか万掛ける僕は一だ。その心を忘れてはいけない。

 もう八十いくらか万分の一の山梨県民ではない。それにしても星が綺麗だな。星のことについてあまり詳しくないが、あそこに見える星は三つを繋ぐと夏の大三角になるのであろう。

「美玖、ほら、夏の大三角が見えるぞ」

 僕は星に指を向けて見せる。

「兄さん、あれはへびつかい座の頭部と両膝部で、夏の大三角はあっちだよ」

 美玖はそう言って指を向けた。

「知っているさ」

 知らなかった。

「まあ良い、帰るか」

「うん」
 


 僕らは家に帰宅するとソファに並んで座り、くつろいだ。

「ふぅー今日は疲れたねー」

「朝からご苦労さん、お茶でもどうだ?」

「んー? 飲むー」

 僕はよっこいしょと立ち上がり、旅行前に買っておいたペットボトルを冷蔵庫から取ろうとした。しかし、滑って落としてしまった。おっとっと。

「兄さん大丈夫?」

 美玖に心配された。そこは問題ないと言って物を渡した。

 取り出したお茶をごくごくと半分近くまで飲みきり、ぷはぁーと息をついたところで美玖は聞いてくる。

「明日のお墓参りは何時ごろ行く?」

「昼から行くとなるとアパートに帰るのは夜になるだろうし、明後日からはいつも通り学校があるから朝にここを出よう」

「んーわかった、でも朝起きられるかなぁ。今日の疲れのせいでぐっすりと寝ちゃいそうだよ」

「何も早朝から行こうってわけじゃないんだし、十時くらいに出られれば良いから、それまでは寝ていて良いぞ」

「そっか、んじゃあそうする。遅くなったら起こしてね」

「はいよ」

 いつもは美玖に起こして貰っている僕だが、たまの旅行くらいは良いだろう。

「それじゃ、先に風呂入ってきて良いぞ」

「わかった、風呂上がったらもう寝ちゃうね」

「そうしてくれ」

 美玖は、疲れを感じさせる深いため息を付きながら、よいしょと立ち上がり荷物から道具を持って風呂場へと向かった。

「さて」

 やっと一人になった。明日のことについて考えなければ。

 昨日『未来視』の能力を使ってからというもの、旅行に行こうと言い出したくらいで、美玖の告白を変化させるような行動は何も起こしていないはずだ。このまま何も起きなければ、予定通り僕に気持ちを打ち明けてくるだろう。

 昨日視た『未来』は確か、昼の十三時十三分だったはずだ。

この『未来』は、父さんの墓の前で起こしたいと思っている。話す内容が内容だということもあってそれが最適だ。

 明日は十時には家を出発するとして、今日の昼に乗ったバスと同じもので駅に向かう。そこで電車に乗り替えて墓の最寄り駅で降り、またバスに乗ったら到着。という段取りなので、恐らく一時間半は掛かると思う。

 途中でお昼休憩を挟んでゆったりと過ごすと、一時間ほど過ぎているであろう。そこで十二時半だとすると、以降四十分ほどはそのときの場所で過ごすことになりそうだ。

 お墓参りをしているうちに『未来』の時間になって、込み入った話をすることになると思う。

 考えに更けていると、徐々に微睡みを覚え始めた。

 明日は、美玖をどれだけ傷つけてしまうかだけが心配だが。

 時間が過ぎるのは早いもので、来るべき日が来ようとしていた。



 その日はこれといった夢を見ずに目を覚ました。
 
 眩い光を目に受けていると、目の前の風景が見え始めてくる。

「ここは実家だったな」

 周りをふと見渡すと、どうやらソファでそのまま眠ってしまっていたことに気付いた。身体を見てみると、毛布が掛けられていた。美玖が掛けてくれていたようだ。

 時計を見ると、朝の八時だった。いつものように朝のニュースを確認していると、そういえばと思い外に出た。

 携帯電話のカメラで家の外観を撮影し、部員メンバー全員が入っているグループに向けて、写真を送ることにした。一昨日部活が終わってからというもの、旅行に行っているという報告をしていなかったのだ。

 少し経つと、朝にも関わらず二人からメッセージが届いた。僕は縁側に座り確かめてみる。

未来 「えっ、そこってどこですか?」

浩  「実家だよ」

未来 「そこがヒロくんの実家なんですかー」

浩  「そうだよ。実は一昨日、部活が終わった後話し合って帰省することにしたんだ」

未来 「そうですか、大きな家ですね!」

浩  「まあな、でも田舎だからな」

未来 「それもそうですね、頑張ってくださいね」

聡  「土産は頼んだ」

浩  「田んぼにある米を持って帰る」

 と一応の報告はしておいた。

 携帯電話を触っていると、美玖の足音が家の中から聞こえてきた。そして左隣に座り大きく伸びをした。

「んー気持ちいい朝だねー」

 首を回して向き、美玖の姿を見て頷いた。

「空気が美味しいな」

「あー明日からまた学校だよ。ここからもう離れると思うと少し憂鬱」

「仕方ない仕方ない、もうすぐ夏休みだっていう日に誘って悪かったな」

 こう言うと、美玖は否定するように首を振る。

「いやいや、いいよ。むしろ良かったと思ってるの。全然帰省できてなかったし、兄さんきっかけじゃないと帰ることもなかったかもしれないし」

 そう言って、笑顔になってくれた。

「なら良かった」

 僕も、同じく良かったと思っている。

「朝食でも摂るか」

「そうしよっか」

 朝食を適当に済ませ、そろそろ行こうとなり家を出ることにした。

「この家ともまたお別れだな」

「寂しくなるね、また来ようね」

 そう言って実家を後にした。



 予定通りバスに乗り、電車に乗り換え長い旅となった。

 ここもまた、昨日の長旅同様美玖とおしゃべりをしながら過ごした。

 朝、未来と聡でメッセージをしあっていた間、美玖は未だ眠っていたため、「私ももう少し早く起きてればなー」と咎められた。このような普段通りの他愛のない会話をした。

 途中、家のごみってどうしたっけと話題になったが、杞憂だった。昨日は家でごみを出していなかったからだ。



 電車がお墓の最寄り駅に到着し下車した。

 そこいらで頃合いかとなり、昼食を摂ることにする。全国でチェーン展開するファミリーレストランだった。僕と美玖は動き辛くならない程度に腹を満たし、その場を後にした。

 現在の時刻は十二時二十分。家を出るのが十時を少し回っていたので、遅れてしまった。それほど楽しく会話をしていたというわけだ。



 そして、とうとう墓に足を向けることにした。

 初めて足を向けるということもあって、どういった場所にあるのか、まるで知らなかった。山間になった場所に霊園があり、真ん中辺りに父さんの墓があるらしい。管理事務所にて桶やほうきなど諸々の道具を借りた。

 お墓への階段を降りていくうち、徐々に父さんが亡くなっているという事実をひしひしと感じ始めた。火葬のとき一度は受け入れたものの、またこの日になって悲しみがぶり返してきた。

 後ろに並んでついてきた美玖を見ると、少し俯いて目を隠すようだった。僕と同じ気持ちを持っているのだ、仕方がないだろう、父さんのことを本格的に思い出してきたのだ。

 やはりお墓に来ない方が良かったのか、と少し後悔を覚えてきた。しかし、ここで考えても仕方がないだろう。

 お墓の前に着き、「石岡家之墓」という文字が目に入った。ここには、父さん、それに母さんも眠っているはずだ。僕ら兄妹は、母さんのお墓参りに行ったことがなかった。父さんが行きたがらなかったのだ。

 亡くした現実を未だ受け入れられないといった心情だったのだろう、と今になって思う。僕も同じ心情を今になって覚えているからだ。

 お墓の前に二人で並んで立ち、合掌をする。

 そして、ほうきで周りのちりを掃除し、たわしで墓石の掃除をする。次に打ち水をして清めた。花瓶に水を入れ、菊の花を添える。次に線香に火を付けて添えた。一通りの作法を終え、また合掌をする。

 そして、僕は墓に向けて話掛ける。

「父さん、久しぶり」

 僕に続けて、美玖も話し掛ける。

「お父さん、私、美玖だよ。久しぶりだね。天国でお母さんとは会えた? 十五年振りだよね、本当に良かったね。思えば、いつもお母さんとのこと話してくれたよね。

 あいつは料理が上手かったーとか、優しい子だったーとか。私はその話を聞いててとっても嬉しかったよ。あぁ、お父さんはこんなにもお母さんのことが好きだったんだなーって話を聞く度に思ってた。

 私も、もちろん兄さんもだと思うけど、お母さんのことが大好きだよ。嬉しい? 私たちが産まれてすぐに亡くなっちゃって、記憶からは薄れちゃってるけど、お父さんの大好きなお母さんのことを大好きだったよ。それに、お父さんのことも大好きだったよ。

 私たちをここまで育ててくれたお父さんが大好きだったよ」

 美玖は話し始めると、次々に言葉を捲し立てた。そして段々と涙を浮かべ始め、鼻を啜り、声を掠れ始める。

「それなのにどうして、無理しちゃったの? 私たち、本当はお父さんのいつもそばにいたかったのに。お父さんも寂しかったんでしょ? 言ってくれれば良かったのに。どうして」

 そして本格的に泣き始め、声を出すこともできなくなっていた。

 僕は胸が痛んだ。これ以上自分を抑えきれそうもないみたいだ。

 少し時間を置き、美玖を宥める。

「少しは落ち着いたか?」

「うん」

 涙を腕の袖で拭き、鼻水を啜りながら答える。

「ありがとうね、兄さん」

 笑顔を浮かべながら言った。

「次は僕が話すな。美玖はしっかり聞いていてくれ」

 『未来』を視る前と大幅に予定が変わっていると感じる。これでは美玖からの告白は起こりそうもない。

 息を深く吸い、美玖に向く。本来の予定を覆し、僕が美玖に話すつもりだったことを話し始める。

「僕は……」
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