13 / 22
現代編Ⅱ
明日に備えて
しおりを挟む
七月二十一日
前日からもう何時間眠っただろうか。未だに体調が優れない。ピークは恐らく過ぎたが、それでも軽くなったのは少し程度だった。今日は一日中寝ているしかないだろう。明後日までに治せるか不安で仕方がない。
たまに目を開けると、美玖がそばにある椅子に座っている。僕は病人なのだから近くにいるとうつるぞ、という意味で手をヒラヒラさせても、両手で握り返され、「大丈夫?」と聞かれるだけだった。心配しすぎではないか。しかし、僕はその気遣いに安心し、ぐっすりと眠れた。
七月二十二日
昨日は一日中寝こんでいたようだ。
ほとんどの記憶が抜け落ちていて、昨日という日が本当に存在したのかすら疑わしく思えた。体温は三十七度前半まで下がり、昨夜の辛さとは打って変わってピンピンとしている。このままであれば、明日は予定通り望めそうだ。
この姿を見た美玖は、念のため安静にしておくように、と部屋で寝て過ごすことを強要した。こうなっては暇なもので、昨日あれほど寝てしまったために、今は目がとても冴えている。まるで睡眠欲からは縁遠い頭をしていて、時間を捨てるのが惜しい。
それを見かねた美玖は、聡と未来に「家までお見舞いに来て欲しい」と呼び出してくれた。ちょうど今話し相手が欲しいと思っていたところだった。
美玖にこのウキウキを悟られないよう、布団を頭まで被り、クスクスと笑った。このときほど自分のことが薄気味悪いと思ったことはない。途端に冷静になり、布団を剥いだ。
「兄さん、駄目だよ、まだ入ってなくちゃ」
「おっとっと、すまん」
しばらくそのままの体勢で待ち続け、三十分が経った。するとインターホンが鳴り、美玖は「はーい」と出ていった。玄関からは薄く声が聞こえているが、聞き取ることはできない。だが恐らくは未来だろう。美玖と少しの会話をした後、僕の部屋にノックをして入ってくる。
「ヒー、ロー、くん、来ました」
ゆっくりと一語一語区切りながら一歩ずつ近寄ってくる。
「未来か、元気か」
「わたしはもちろん元気です。それよりヒロくんはどうなんですか? お熱は下がりましたか?」
「お陰さまで、昨日ぐっすり寝たらこの通りピンピンさ」
そう言って力こぶを示す。
「わー凄いですねー、元気があって良かったです」
「うむうむ、ところで一昨日の夜はすまなかったな。手を煩わせてしまったようで」
「いやいや、全然いいですよー、むしろ助けないと! と躍起になりましたもん。ありがとうございます」
「ああ、ありがとう、助かった」
「それで、一昨日はどこで過ごしていたのですか?」
「長い長い散歩だよ」
「そうですか? だいぶ身を挺した散歩でしたね」
「ああ、大変だった」
まさか本人の前で、「未来の身辺調査をしていた」などと言えるはずもない。
それより、児童養護施設で出会った女の子と職員の女性は、言った通り秘密にしてくれているようだ。この様子だと何もバレていない。
「ところで、一昨日わたしが自分のお家を出るとき、ヒロくんらしき姿を見た気がしたのですが、気のせいですかね?」
「それは気のせいだろ」
気のせいではないだろう。見られていたようだ。
「そうですか? それなら良いです。それにしても、本当に体調が治って良かったですね。まさか三日後遊園地に行こうと誘ってきたのに、翌日風邪で寝込まれるとは思いもよりませんでしたよ」
「その節は申し訳ない。面目ない」
素直に謝った。本当に僕も不安だったものだ。
そうして会話をしていると、またインターホンが鳴った。そばで僕と未来のやり取りを見ていた美玖が、「私出てくるね」と言って向かった。
聡が来たのか。これまた玄関にて少しのやり取りが聞き漏れるものの、話の内容はわからない。話し終えたのかこちらの部屋へと足音が鳴り、近付いてくる。
「よう、元気か?」
片手にケーキ箱を持ってもう片方の手を挙げて挨拶してきた。やはり聡だった。
「おうおう、元気だぞ。ケーキか? ありがとう」
軽くやり取りをした後、聡は美玖にケーキを渡した。箱の中身を見た美玖は驚きの目を見せていた。
「ショートケーキのホールだよこれ!」
それを聞いた未来はどれどれと箱の中身を見ると続けて、「わ~凄い! おっきいー!」と唸った。二人はどうやら聡のことを知らないらしい。
「聡、お前の親の職業を言ってみろ」
「ん? ケーキ屋さんだが」
それを聞いた女子二人は同じ驚きをみせる。
「えー、そうだったの!?」
美玖は現実には到底生息していないだろうというほどの、絵に描いたようなステレオタイプな女子で、スイーツ好きを自称している割に知らなかったようだ。これならよほど僕の方がスイーツ好きに相応しいだろう。
「へー聡くんがケーキ屋さんかぁ」
未来がそう言うと、暇な聡は言う。
「俺はケーキ屋さんじゃないよ。俺はケーキ屋さんという建物や業種じゃないし、ケーキ屋さんを営んでいるのはあくまで両親だよ」
彼奴は毛ほどにくだらない揚げ足を取っていた。
「へー聡くんってケーキ屋さんだったんだねぇ。意外だなー」
美玖も同じことを言う。先ほどと同じことを言うのは面倒になったのか聡は、「ああ、そうだよ」と諦めたように言った。
僕は場を取りなすためにも、「そのケーキ、みんなで頂こうじゃないか」と言った。それを聞いた美玖は、「了解」と言ってケーキを四等分に切り出した。
仕方がないということで、ひとまずベッドから出て、リビングの席へと着く。そのとき気付いた。
一昨日と服装は変わっていないし、風呂にも入っていない。風邪だったからというものの、不愉快極まりないし、悪臭を漂わせているだろうこの体で、綺麗な空気を汚したくない。そう思った僕は、風邪など知ったことかと、シャワーを浴びに行った。
みんなにはトイレに行くと立ったので、バレないためにも全速力で汗を流す。しかしバレないはずもなく、お風呂場を出るとすぐに咎められる。
「兄さん、病人なんだから身体を労わらないと」
「そうですよ、ヒロくん。駄目ですよ」
「ああ、俺も良くないと思うぞ」
と言われた。みんなにもこの気持ちを分かって欲しいものだが。
そのときふと、水分補給をしようと思い、テーブルに置いてあったペットボトルを握ろうとした。すると、距離感を読み間違えてしまい。滑り落してしまった。
「おっと」
未来の方へと転がっていくペットボトルを彼女が拾い、「大丈夫ですか?」と言った。心配するなという身振りを加え、「大丈夫だ、これに関しては体調不良とか関係なくいつものことだから」と言った。
それを聞いた聡は、「ヒロって割とおっちょこちょいなところあるよなー階段で一段踏み違えてこけたり、授業中も消しゴムをよく落としたりしてるし。前はこんなことなかったような気がするんだけどな。いつからだっけ」と言った。
よく見ているものだ。
それを聞いた未来は、「そう、なんですか?」と訝しげに言った。
「兄さんのそれって、今年に入ってくらいからだよね。大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫大丈夫、よくあることだから」
僕は、自分でも下手だと思うような場の取り成し方をした。露骨に怪しまれているし、別にそこまで隠すほどのことでもないのだが、何となく話せずにいるのだ。
ひとまず話を逸らそうと、シャワーを浴びている最中に思いついたことを話すことにした。
「シャワーを浴びているとき、何か面白いことをと思いついたんだが、話しても良いか?」
僕は何も臆することなく話し始める。
「幻肢痛ってあるだろう?」
それを聞いた聡は言う。
「ああ、事故や病気か何かで四肢を切断した人が、そのなくなった場所に痛みを感じるっていうものだろ?」
彼奴は他二人にもわかるよう簡潔に説明してくれる。
「わたしは知っていますよ。小説で何度か見たことがあります」
「私は知らないなぁ」
「とまあ、幻肢痛、いわゆるファントムペインというものがあるわけだが、僕はその字面をふと思い浮かべて気付いたのだ。幻肢痛の肢を『未来視』の視に取り換えてみたらどうかとな」
「幻視痛か、なるほどな。でも、ふと幻肢痛って言葉を思い浮かべるってどういう状況なんだよ」
「いや、ねぇ、無いことに違和感を持つという感情に共感してだね」
僕が言うと、みんなは「何のことやら」とでも言いたいような表情をした。まあわからなくても良い。
僕は左目に指を当て、「とにかく、僕は今日からこの左目のことを幻視痛と呼ぶことにします。みんな、ぜひとも僕に倣ってくれたまえ」と言った。
こうして考えると、なんて見栄えの良い字面なのだろう。文面でやりとりすることはないだろうが、それにしても見心地の良い言葉だ。我ながら自分の頭には感服してしまう。
「『未来視』って良いですね~、わたしも欲しいです」
早速使っていないようだが、もうこの際自分だけが使うことにする。
「そんなに良いものじゃないぞ、『未来視』は。負担が大きいからな」
「そうですか? そうですか」
よくわからないといった風に未来は言った。気にするものではないだろう。
「とりあえず、私たちずっと兄さんを待ってたんだよ。ケーキ食べようよ」
「わかった」
こうして、僕らは四人揃って久し振りに雑談をした。
今日は木曜日で、月曜日にみんなで集まったのが最後だった。そこでも、前日の美玖とのいざこざや未来に『未来視』したばっかりに、ろくな会話をできていなかった。ということは、先週の金曜日以来のまともな会話だったのか。激動の数日間を過ごしているな、と改めて思った。
ケーキを食べて会話を楽しんでいると、二人はそろそろお暇すると言う。
「明日遊園地に行きたいのでしたら、身体に気を使いましょう」
未来に言われ、二人には帰って貰うことになったのだ。こうしちゃいられないと思い、早速寝ることに決め、ベッドに入った。その間に二人は帰って行った。
こうしてベッドに入ってみたものの、やはり昨日一日中寝たことが弊害となって、なかなか眠りに付けない。その日は結局、昼から深夜の零時になるまで全く眠らなかった。その間、昼食はケーキで十分だと思い、何も摂らずベッドに戻り夕食まで羊を数えた。
夕食になると、食欲が沸いて出てきたので、美玖の手製肉うどんを食べた。夏休みで暇だからと、わざわざ手打ちまでしたらしい。
僕は、「美玖は未来とでも遊んでいて良かったんだぞ」と言うと、「兄さんの体調不良なんて滅多なことじゃないし、私が粉から作りたいと思ったから良いんですー」つっぱねられた。味はとても美味だった。
夕食を食べ、腹も満たされたしそろそろ眠気も食欲同様、沸いて出てくることを期待して、目を閉じた。それでも眠くはならなかった。その無駄な時間に明日のことについて考えた。
明日が遂に、『未来視』で視たその日だ。
結局、未来の死の真相はわからず終いだった。そうすると、明日一日中、未来のそばを離れないくらいしかできることはない。そんなことで良いのか、と思わなくもないが、この世界では、『未来』が必ず一つの事象に収束する。ということはない。
昔観た映画に、未来予知ができる人間を使い、犯罪を未然に防ぐというストーリーのものがあった。そこでは、未来予知で起きる未来は決して変えられないということだった。
しかし、この世界では、そうはならないのである。これは経験済みのことだ。つまり、明日を変えることはできるはずだ。
ただしこれは、要するに先延ばしするということなため、いずれまた同じことが起きてしまうかもしれない。未来の悩みを何一つ解決できていないからだ。
未来の身辺についてあれこれ探りを入れ、明らかになったことは多々あったものの、そこから導き出せた結論は一つとしてなかった。明日を無事に過ごし、日々を生きていくうちに、これから何かの偶然で真相が明らかになるかもしれない。
偶然に頼ることはあまりにも心もとないが、致し方ないだろう。もちろん、本人に聞ければ一番話は早いのだが……未来を傷つけたくはない。
ここまで来た以上はなるようにしかならない。ええいままよ。という無責任な考えが頭を掠めるも、途端に捨て去った。これではまるで未来を諦めたみたいじゃないか。僕は決して諦めない。
この際、明日が過ぎたら毎日、未来に『未来視』を使えば良い訳で、例え高校を卒業しても、ずっと未来のそばにいて支えていれば済む話ではないだろうか。決して、『未来』を諦めたわけじゃない。
むしろこれからが本番だという気概のつもりだ。自分の士気を鼓舞するため、頬を全力で叩いて眠ることにした。強く叩き過ぎたあまり眠気が覚めてしまったように感じるが、ここは敢えての我慢で行く。
関係はないが、こういった努力が重なることで、何か結果を変えることだってできるはずだと信じている。今の時刻は深夜零時。遂に二十三日になろうとしていた。
前日からもう何時間眠っただろうか。未だに体調が優れない。ピークは恐らく過ぎたが、それでも軽くなったのは少し程度だった。今日は一日中寝ているしかないだろう。明後日までに治せるか不安で仕方がない。
たまに目を開けると、美玖がそばにある椅子に座っている。僕は病人なのだから近くにいるとうつるぞ、という意味で手をヒラヒラさせても、両手で握り返され、「大丈夫?」と聞かれるだけだった。心配しすぎではないか。しかし、僕はその気遣いに安心し、ぐっすりと眠れた。
七月二十二日
昨日は一日中寝こんでいたようだ。
ほとんどの記憶が抜け落ちていて、昨日という日が本当に存在したのかすら疑わしく思えた。体温は三十七度前半まで下がり、昨夜の辛さとは打って変わってピンピンとしている。このままであれば、明日は予定通り望めそうだ。
この姿を見た美玖は、念のため安静にしておくように、と部屋で寝て過ごすことを強要した。こうなっては暇なもので、昨日あれほど寝てしまったために、今は目がとても冴えている。まるで睡眠欲からは縁遠い頭をしていて、時間を捨てるのが惜しい。
それを見かねた美玖は、聡と未来に「家までお見舞いに来て欲しい」と呼び出してくれた。ちょうど今話し相手が欲しいと思っていたところだった。
美玖にこのウキウキを悟られないよう、布団を頭まで被り、クスクスと笑った。このときほど自分のことが薄気味悪いと思ったことはない。途端に冷静になり、布団を剥いだ。
「兄さん、駄目だよ、まだ入ってなくちゃ」
「おっとっと、すまん」
しばらくそのままの体勢で待ち続け、三十分が経った。するとインターホンが鳴り、美玖は「はーい」と出ていった。玄関からは薄く声が聞こえているが、聞き取ることはできない。だが恐らくは未来だろう。美玖と少しの会話をした後、僕の部屋にノックをして入ってくる。
「ヒー、ロー、くん、来ました」
ゆっくりと一語一語区切りながら一歩ずつ近寄ってくる。
「未来か、元気か」
「わたしはもちろん元気です。それよりヒロくんはどうなんですか? お熱は下がりましたか?」
「お陰さまで、昨日ぐっすり寝たらこの通りピンピンさ」
そう言って力こぶを示す。
「わー凄いですねー、元気があって良かったです」
「うむうむ、ところで一昨日の夜はすまなかったな。手を煩わせてしまったようで」
「いやいや、全然いいですよー、むしろ助けないと! と躍起になりましたもん。ありがとうございます」
「ああ、ありがとう、助かった」
「それで、一昨日はどこで過ごしていたのですか?」
「長い長い散歩だよ」
「そうですか? だいぶ身を挺した散歩でしたね」
「ああ、大変だった」
まさか本人の前で、「未来の身辺調査をしていた」などと言えるはずもない。
それより、児童養護施設で出会った女の子と職員の女性は、言った通り秘密にしてくれているようだ。この様子だと何もバレていない。
「ところで、一昨日わたしが自分のお家を出るとき、ヒロくんらしき姿を見た気がしたのですが、気のせいですかね?」
「それは気のせいだろ」
気のせいではないだろう。見られていたようだ。
「そうですか? それなら良いです。それにしても、本当に体調が治って良かったですね。まさか三日後遊園地に行こうと誘ってきたのに、翌日風邪で寝込まれるとは思いもよりませんでしたよ」
「その節は申し訳ない。面目ない」
素直に謝った。本当に僕も不安だったものだ。
そうして会話をしていると、またインターホンが鳴った。そばで僕と未来のやり取りを見ていた美玖が、「私出てくるね」と言って向かった。
聡が来たのか。これまた玄関にて少しのやり取りが聞き漏れるものの、話の内容はわからない。話し終えたのかこちらの部屋へと足音が鳴り、近付いてくる。
「よう、元気か?」
片手にケーキ箱を持ってもう片方の手を挙げて挨拶してきた。やはり聡だった。
「おうおう、元気だぞ。ケーキか? ありがとう」
軽くやり取りをした後、聡は美玖にケーキを渡した。箱の中身を見た美玖は驚きの目を見せていた。
「ショートケーキのホールだよこれ!」
それを聞いた未来はどれどれと箱の中身を見ると続けて、「わ~凄い! おっきいー!」と唸った。二人はどうやら聡のことを知らないらしい。
「聡、お前の親の職業を言ってみろ」
「ん? ケーキ屋さんだが」
それを聞いた女子二人は同じ驚きをみせる。
「えー、そうだったの!?」
美玖は現実には到底生息していないだろうというほどの、絵に描いたようなステレオタイプな女子で、スイーツ好きを自称している割に知らなかったようだ。これならよほど僕の方がスイーツ好きに相応しいだろう。
「へー聡くんがケーキ屋さんかぁ」
未来がそう言うと、暇な聡は言う。
「俺はケーキ屋さんじゃないよ。俺はケーキ屋さんという建物や業種じゃないし、ケーキ屋さんを営んでいるのはあくまで両親だよ」
彼奴は毛ほどにくだらない揚げ足を取っていた。
「へー聡くんってケーキ屋さんだったんだねぇ。意外だなー」
美玖も同じことを言う。先ほどと同じことを言うのは面倒になったのか聡は、「ああ、そうだよ」と諦めたように言った。
僕は場を取りなすためにも、「そのケーキ、みんなで頂こうじゃないか」と言った。それを聞いた美玖は、「了解」と言ってケーキを四等分に切り出した。
仕方がないということで、ひとまずベッドから出て、リビングの席へと着く。そのとき気付いた。
一昨日と服装は変わっていないし、風呂にも入っていない。風邪だったからというものの、不愉快極まりないし、悪臭を漂わせているだろうこの体で、綺麗な空気を汚したくない。そう思った僕は、風邪など知ったことかと、シャワーを浴びに行った。
みんなにはトイレに行くと立ったので、バレないためにも全速力で汗を流す。しかしバレないはずもなく、お風呂場を出るとすぐに咎められる。
「兄さん、病人なんだから身体を労わらないと」
「そうですよ、ヒロくん。駄目ですよ」
「ああ、俺も良くないと思うぞ」
と言われた。みんなにもこの気持ちを分かって欲しいものだが。
そのときふと、水分補給をしようと思い、テーブルに置いてあったペットボトルを握ろうとした。すると、距離感を読み間違えてしまい。滑り落してしまった。
「おっと」
未来の方へと転がっていくペットボトルを彼女が拾い、「大丈夫ですか?」と言った。心配するなという身振りを加え、「大丈夫だ、これに関しては体調不良とか関係なくいつものことだから」と言った。
それを聞いた聡は、「ヒロって割とおっちょこちょいなところあるよなー階段で一段踏み違えてこけたり、授業中も消しゴムをよく落としたりしてるし。前はこんなことなかったような気がするんだけどな。いつからだっけ」と言った。
よく見ているものだ。
それを聞いた未来は、「そう、なんですか?」と訝しげに言った。
「兄さんのそれって、今年に入ってくらいからだよね。大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫大丈夫、よくあることだから」
僕は、自分でも下手だと思うような場の取り成し方をした。露骨に怪しまれているし、別にそこまで隠すほどのことでもないのだが、何となく話せずにいるのだ。
ひとまず話を逸らそうと、シャワーを浴びている最中に思いついたことを話すことにした。
「シャワーを浴びているとき、何か面白いことをと思いついたんだが、話しても良いか?」
僕は何も臆することなく話し始める。
「幻肢痛ってあるだろう?」
それを聞いた聡は言う。
「ああ、事故や病気か何かで四肢を切断した人が、そのなくなった場所に痛みを感じるっていうものだろ?」
彼奴は他二人にもわかるよう簡潔に説明してくれる。
「わたしは知っていますよ。小説で何度か見たことがあります」
「私は知らないなぁ」
「とまあ、幻肢痛、いわゆるファントムペインというものがあるわけだが、僕はその字面をふと思い浮かべて気付いたのだ。幻肢痛の肢を『未来視』の視に取り換えてみたらどうかとな」
「幻視痛か、なるほどな。でも、ふと幻肢痛って言葉を思い浮かべるってどういう状況なんだよ」
「いや、ねぇ、無いことに違和感を持つという感情に共感してだね」
僕が言うと、みんなは「何のことやら」とでも言いたいような表情をした。まあわからなくても良い。
僕は左目に指を当て、「とにかく、僕は今日からこの左目のことを幻視痛と呼ぶことにします。みんな、ぜひとも僕に倣ってくれたまえ」と言った。
こうして考えると、なんて見栄えの良い字面なのだろう。文面でやりとりすることはないだろうが、それにしても見心地の良い言葉だ。我ながら自分の頭には感服してしまう。
「『未来視』って良いですね~、わたしも欲しいです」
早速使っていないようだが、もうこの際自分だけが使うことにする。
「そんなに良いものじゃないぞ、『未来視』は。負担が大きいからな」
「そうですか? そうですか」
よくわからないといった風に未来は言った。気にするものではないだろう。
「とりあえず、私たちずっと兄さんを待ってたんだよ。ケーキ食べようよ」
「わかった」
こうして、僕らは四人揃って久し振りに雑談をした。
今日は木曜日で、月曜日にみんなで集まったのが最後だった。そこでも、前日の美玖とのいざこざや未来に『未来視』したばっかりに、ろくな会話をできていなかった。ということは、先週の金曜日以来のまともな会話だったのか。激動の数日間を過ごしているな、と改めて思った。
ケーキを食べて会話を楽しんでいると、二人はそろそろお暇すると言う。
「明日遊園地に行きたいのでしたら、身体に気を使いましょう」
未来に言われ、二人には帰って貰うことになったのだ。こうしちゃいられないと思い、早速寝ることに決め、ベッドに入った。その間に二人は帰って行った。
こうしてベッドに入ってみたものの、やはり昨日一日中寝たことが弊害となって、なかなか眠りに付けない。その日は結局、昼から深夜の零時になるまで全く眠らなかった。その間、昼食はケーキで十分だと思い、何も摂らずベッドに戻り夕食まで羊を数えた。
夕食になると、食欲が沸いて出てきたので、美玖の手製肉うどんを食べた。夏休みで暇だからと、わざわざ手打ちまでしたらしい。
僕は、「美玖は未来とでも遊んでいて良かったんだぞ」と言うと、「兄さんの体調不良なんて滅多なことじゃないし、私が粉から作りたいと思ったから良いんですー」つっぱねられた。味はとても美味だった。
夕食を食べ、腹も満たされたしそろそろ眠気も食欲同様、沸いて出てくることを期待して、目を閉じた。それでも眠くはならなかった。その無駄な時間に明日のことについて考えた。
明日が遂に、『未来視』で視たその日だ。
結局、未来の死の真相はわからず終いだった。そうすると、明日一日中、未来のそばを離れないくらいしかできることはない。そんなことで良いのか、と思わなくもないが、この世界では、『未来』が必ず一つの事象に収束する。ということはない。
昔観た映画に、未来予知ができる人間を使い、犯罪を未然に防ぐというストーリーのものがあった。そこでは、未来予知で起きる未来は決して変えられないということだった。
しかし、この世界では、そうはならないのである。これは経験済みのことだ。つまり、明日を変えることはできるはずだ。
ただしこれは、要するに先延ばしするということなため、いずれまた同じことが起きてしまうかもしれない。未来の悩みを何一つ解決できていないからだ。
未来の身辺についてあれこれ探りを入れ、明らかになったことは多々あったものの、そこから導き出せた結論は一つとしてなかった。明日を無事に過ごし、日々を生きていくうちに、これから何かの偶然で真相が明らかになるかもしれない。
偶然に頼ることはあまりにも心もとないが、致し方ないだろう。もちろん、本人に聞ければ一番話は早いのだが……未来を傷つけたくはない。
ここまで来た以上はなるようにしかならない。ええいままよ。という無責任な考えが頭を掠めるも、途端に捨て去った。これではまるで未来を諦めたみたいじゃないか。僕は決して諦めない。
この際、明日が過ぎたら毎日、未来に『未来視』を使えば良い訳で、例え高校を卒業しても、ずっと未来のそばにいて支えていれば済む話ではないだろうか。決して、『未来』を諦めたわけじゃない。
むしろこれからが本番だという気概のつもりだ。自分の士気を鼓舞するため、頬を全力で叩いて眠ることにした。強く叩き過ぎたあまり眠気が覚めてしまったように感じるが、ここは敢えての我慢で行く。
関係はないが、こういった努力が重なることで、何か結果を変えることだってできるはずだと信じている。今の時刻は深夜零時。遂に二十三日になろうとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語
kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。
率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。
一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。
己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。
が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。
志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。
遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。
その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。
しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。
失恋中なのに隣の幼馴染が僕をかまってきてウザいんですけど?
さいとう みさき
青春
雄太(ゆうた)は勇気を振り絞ってその思いを彼女に告げる。
しかしあっさりと玉砕。
クールビューティーで知られる彼女は皆が憧れる存在だった。
しかしそんな雄太が落ち込んでいる所を、幼馴染たちが寄ってたかってからかってくる。
そんな幼馴染の三大女神と呼ばれる彼女たちに今日も翻弄される雄太だったのだが……
病み上がりなんで、こんなのです。
プロット無し、山なし、谷なし、落ちもなしです。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる