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日記編
未来の日記 ②
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十二月二十三日
あれからというもの、何をやろうとしても手につきませんでした。
最近、やっとのことで八王子にある児童養護施設に入所したのですが、職員の方たちはとてもやさしい方たちばかりで、こんな人殺しなんかのために必死で話し掛けてくれました。
職員の方たちはどうやら先生と呼ばれているそうで、同じ施設の子どもたちは「先生、先生」と呼んでいました。
でもわたしは何を聞かれようが、話すことも答えることもしませんでした。わたしはこんなところでも逃げてばっかりですね。もう疲れました。死にたいです。助けてください。
十二月二十五日
クリスマスになりました。
わたしは何もしませんでした。
一月一日
年が明けました。
わたしは何もしませんでした。
一月二十日
今日は首を吊ろうとしました。
ロープを買ってきて首に掛けたまでは良かったのですが、手の震えを抑えきれず首からロープが抜けちゃいました。
嘘を付きました。本当は怖気付いて逃げました。
わたしは、自殺はできないのに人殺しはできる人間です。
二月五日
今日は兼ねてから志望していた高校の特待生入試がありました。お母さんが亡くなる前の日まで、ずっと応援してくれていた試験なのだから、これは自分のためではなくお母さんのためと思い、事件のことは綺麗さっぱりに忘れて、問題を解きました。
人殺しを忘れるなんて最低な人間ですね。
二月十四日
今日はバレンタインデーですが、昨年まではお母さんと一緒に送り合いっこをしていました。お母さんはいつも夜中まで起きて、手作りしていました。
わたしはそれに負けじと友達の家に行って、お母さんのために作っていました。それを見た友達は、「誰に作ってるの?」と聞きました。わたしは、「大好きな人にだよ」と答えました。
それを聞いた友達は「え~? 年上の人?」と聞きました。わたしは「うん、そうだよ、昔からずっと一緒にいる大事な人だよ」と答えました。
手作りしたチョコレートを食べたお母さんは、「凄く美味しいよ、私も見習わなきゃだね」といつも褒めてくれました。絶対にお母さんの方がより上手に作れるのに。そんなお母さんはもうわたしのそばにいません。
またお母さんのチョコレートが食べたいなぁ。
二月十九日
今日は高校の合格発表がありました。
結果は見事合格だったので元の実家に戻り、お母さんに結果報告をしに行きました。アパートの大家さんに鍵を借り、家へと入りました。
お母さんが亡くなってから二ヶ月以上前経つのですね。四十九日はとっくに過ぎたはずですが、お墓がどこにあるか知りません。一体どこにいるのでしょうか。
わたしはお母さんに直接挨拶することすらできないのです。なので元の実家に帰りました。
玄関に座り、「お母さん、高校受かったよ」と話し掛けました。お母さんは「おめでとう」と言っている気がしました。
続けて、「お父さんのこと殺しちゃったよ」とも話しました。お母さんは何も言わずただ悲しんでいるように思えました。ごめんなさい、お母さんはやっぱりそんなことは望んでなかったよね。
わたしは辛くなったので、帰ることとしました。もうここに来ることはないと思います。わたしは、お母さんに近付いてはいけない人間です。
三月一日
この日は誕生日でした。
児童養護施設の先生たちが、わたしの誕生日を祝ったケーキを作ってくれました。祝われるような人間じゃないと思いながらも、美味しく食べました。
わたしの名前である未来は、三月一日の「三」と「一」の間に「ら」を強引に挟んでに付けた名前だとお母さんから聞きました。「少し安直じゃない?」と責めるように聞いてみましたが、「でも、良い名前でしょう?」と返されました。
わたしはそのとき苦笑いを返しましたが、とても可愛くて良い名前だと思います。わたしに明るい未来を歩んで欲しいと思っていたんだろうなぁ。
三月十九日
今日は中学校の卒業式でした。
今の児童養護施設に移ってしまったので、それからはずっと不登校の状態でした。どんな顔して学校に行けば良いんだろうと不安でしたが、思いの外仲の良かった友達が、「心配してたよー」と声を掛けてくれました。
この子はわたしがしたことを知ったらどう思うのでしょうか。当然怖がるのでしょうね。わたしも友達からそんな話を聞かされたら怖くて怯えると思います。
中学では多くの思い出がありました。部活には入っていませんでしたが、学業をそれなりに頑張って、日常も友達とわいわい楽しみ、家に帰れば大好きなお母さんと一緒にご飯を用意していました。
懐かしんでいると涙が出そうになるので、これで終わります。
四月一日
今日は矢張大学付属高校の入学式でした。
朝、制服に身を包んだ自分を自室にある姿見で見ました。相変わらず酷く暗い顔をしているなぁと思いながらも、制服は負けじとオシャレさを際立てていました。
この児童養護施設からはとても近い場所に校舎があり、徒歩で登校することになったのですが、わたしは周りからどう思われるんだろうと不安になりました。
お父さんの死は自殺と結論付けられたようで報道されていませんが、いつわたしの存在が浮かび上がってくるかに、体をびくびくさせながら毎日を過ごしていました。
わたしは今、捕まりたくないと思うようになりました。理由は一つです。わたしはお父さんを殺していないと逃げることに決めたからです。これ以上、このことで辛くなりたくありません。
何もやっていませんし、お風呂場で倒れていたお父さんを見殺しになんてしていません。あのときは救急車を呼んでいようがいまいが、どっちみち死んでいました。そう結論付けました。
わたしは入試以来に高校の校舎へと入りました。
とても大きな校舎で迷ってしまいそうです。自分のクラスを見つけ、教室に入ってみると四十人前後の同世代の男女がひしめき合っていました。「みんな楽しそうだな」と少し辟易し、自分の席へと着きました。
入学式の時間となり、体育館へと足を運びました。そこはとても大きな場所でした。天井の高さや大きさに圧倒されながらも時は過ぎ、入学式は終わりました。
心を落ち着かせようと思い、校庭の近くに見つけたベンチへと座りました。「お母さん、わたし高校生になったよ」先日お母さんにはもう話し掛けないと決めたにも関わらず、早速破ってしまいました。
でも、わたしには無理です。わたしにはお母さんしか味方がいません。「お母さん、わたしの制服姿似合ってるかな? お母さんと一緒に入学式に参加したかったなぁ。この姿を見せてあげたかったよ。寂しいな。もう一度お母さんに会いたいな」
そう思っていると涙が出てきたので、ハンカチで拭きました。初日からこれじゃあもう持たないかもしれないです。
四月六日
今日もお昼から自分で作ったお弁当を片手にベンチへと向かいました。ここで座っていると少し落ち着きます。隣に見える黄色い菊の花も綺麗だし、空気を感じられて気分が少し晴れやかになるからです。
ただ唯一難点があって、ここに座ると勝手に涙が出てきてしまいます。後ろをたまに人が通るのですが、その都度奇異な視線を感じます。可哀想な子を気取る人と思われているかもしれませんね。
お弁当を食べ終えると、何も考えずただひたすらにぼうっとするのが楽しみです。その間だけ、解放された気分になれます。「何も考えないでも良いんだよ」と空から言われているように思えます。
四月九日
今日は驚きべくことがありました。
いつものようにベンチに座っていると、話を掛けてきた先輩がいました。その人は隣のベンチに座り、そばに植えられたお花の話をしてくれました。どうやらあの菊の花だと思っていた花は、アフリカンマリーゴールドという名前らしいです。
先輩は花言葉について話してくれました。最初に話してくれたのは、絶望、悲しみ、嫉妬という言葉でした。嫉妬はともかくとして、絶望、悲しみは今のわたしに打ってつけの言葉でした。
その由来について話してくれました。ほとんどの部分には共感しませんでしたが、唯一、女性は、思い人の恋人であった女性が命を落としてしまい、間接的に殺してしまったことを深く後悔する、という部分はとても心に残りました。
わたしも、身近な存在であるお母さんを亡くし、お父さんを殺したことで深い後悔に苛まれています。
続いて、心を打つ花言葉がありました。
絶望を乗り越えて生きる。わたしにこれからも生き続けるという気持ちがあるのなら、これは必要なことかもしれません。自分の罪から逃げず改めて思い返してみるということが、わたしにできるのでしょうか。
先輩はわたしの心を知ってか知らぬか、最近お父さんを亡くしたという話をしてくれました。その悲しみからか、学校に行かなくなっていた時期があったそうです。わたしと同じでした。
わたしの心がわかるのかもしれません。でも、先輩には自分を支えてくれた人物がいたようです。わたしにそんな人物はいません。
先輩は、わたしの味方になってくれるのでしょうか。
微かな期待を抱いたまま、自己紹介をし合いました。
先輩の名前は、石岡浩というそうです。お父さんの姓も石岡でしたが、これはきっと偶然ですよね。翌日からも石岡先輩はわたしのもとに来てくれるそうです。わたしには僅かな楽しみが生まれました。
四月十四日
石岡先輩はそれから毎日来てくれるようになりました。
昼休みになると一目散に来てくれるため、先輩を待たせないためにもと先に着くよう急ぎました。
わたしたちはお互いの好きなことを話しました。好きな食べ物や好きな科目、趣味の話など。特に趣味の話は意気投合しました。
中学時代、わたしと同じ推理小説好きの子は一人もいなかったのですが、先輩はわたしのことを理解してくれました。本当に先輩となら仲良くできる気がして来ました。今は少しだけ、幸せを感じられています。
四月十六日
石岡先輩は、わたしのもとに妹さんを連れてきました。
名前は美玖ちゃんというそうです。そして、わたしととても顔が似ていました。これは何だろうと思いました。会ってはいけない人物に会ってしまったのではないでしょうか。
わたしのお父さんは、お母さんのお姉さんと結婚していたそうです。これはつまり。わたしは息を呑みました。
お父さんのところに行く前、考えていたはずです。お父さんにも、わたし以外の子どもがいるかもしれない。
一旦考えを忘れて、二人と会話することにしました。
美玖ちゃんはスイーツが好きだそうで、わたしとの好みもよく合いました。わたしは楽しそうに話してくれる彼女と仲良くなりたいと思い、必死に歩み寄りました。
「放課後になったら一緒に食べ歩きでもしよう」という話になりました。この時間がとても幸せでした。
あるとき先輩に声を掛けると、ぼうっとしていて中々反応を見せせんでした。まるでわたしの姿が目に入っていないかのような顔をしていました。何か抱えていることでもあるのでしょうか。
その日の放課後、食べたジェラートの味は絶品でした。石岡先輩の口にも合うかなぁ。
四月二十二日
その日も石岡先輩と美玖ちゃんを待っていると、もう一人の先輩が現れました。名前は社陸聡さんといって、社陸と書いてしゃろくと読むそうです。
あまり聞きなじみのない姓だったため驚きました。その方は「名前で呼んで欲しい」と言いました。素直に名前を呼ぶと石岡先輩が、「僕のこともヒロくんと呼んで良い」と言ってくれました。
わたしはとても嬉しくなりました。「わたしのことも未来と呼んで欲しい」と言い、ヒロくんだけ特別な扱いをすることにしました。わたしを心配してくれた人、わたしと仲良くしてくれた人、わたしの大事な人だから。
ヒロくんは、「部活を設立する」と誘ってくれました。ヒロくんともっと一緒にいられるならと思い、快諾しました。部活内容は人生相談を受けるというもので、ヒロくんが受けるみたいです。
ここでよくわからないことを言われたのですが、ヒロくんは『未来視』という能力を持っているらしいです。実際に見せてくれましたが、いまいちよくわからないものでした。
ひとまずはこれからの学校生活が楽しくなりそうで、とても嬉しいです。
それはそうと、最近は児童養護施設の人たちとも話せるようになりました。先日明るい顔で帰ると、先生方や年下の子どもたちからは意外な目をされて、「何か良いことでもあったの?」と聞かれました。
「最近楽しいんだ」と言うと、嬉しそうな顔をしてくれました。みんなこんなにも優しい人だったんだなぁ。と凄く嬉しい限りです。
四月三十日
とうとう部活が立ち上がりました。名前はそのまま、人生相談部だそうです。
わたしたちは部室の整理をしました。意外にすぐ終わり、椅子に座ると部活のモットーを決める流れとなりました。一日一善と一日一膳。ヒロくんはダジャレが好きみたいです。
わたしたちは四人でいつも集まるメンバーとなりました。最近、人生がとても楽しいです。ヒロくんのお陰でわたしは救われました。こんなにも幸せになって良いんでしょうか?
未だに幸せな時間を過ごせていることが、現実だと実感できていません。毎日みんなとお昼ご飯を一緒に食べ、一緒に話し、一緒に笑い合うのがこれほど楽しいと思ったのは今が初めてです。わたしは三人のことが大好きです。
お母さん、今とても幸せです。
五月二五日
人生相談部の相談者が段々と落ち着いてきました。
誰もお客さんが来ない日は、みんなと雑談をして過ごしました。最近あった楽しいこと、これからやりたいことなどたくさんの話をしました。
ヒロくんはどうやらお客さんの減りが気になるようで、毎日嘆いています。その姿を見て、いつも励ましてあげています。ヒロくんはそれを素直に聞いてくれます。
ヒロくんは楽しい人です。ヒロくんといると、毎日が充実しているように感じます。これだと美玖ちゃんと聡くんを除け者扱いしているようですが、そんなことはありません。みんな揃っての人生相談部ですから。
六月十五日
最近暑くなってきました。
生徒はブレザーを脱ぎ始め、薄着になりました。改めて思いましたが、この学校の制服はとても可愛いですね。ヒロくんにも同じことを聞いてみました。
ヒロくんは首を縦に振って、「ああ、凄く可愛いぞ」と言ってくれました。これはわたしに向けて言っているわけじゃないですが、なんだか恥ずかしくなってしまいました。臆することなく可愛いと言えるのが凄いと思います。
近頃、人生相談部に足を運ぶお客さんがいなくなってしまい、ヒロくんは意気消沈しています。わたしはヒロくんを励ました後、美玖ちゃんとおしゃべりをするのですが、最近ヒロくんのご飯を食べる量が減ってしまい、困っているそうです。
食事が喉も通らないほどに落ち込んでいるのでしょうか。思わず心配になりました。あまり関係ない話なのですが、食事を作ってあげている美玖ちゃんのことが羨ましくなりました。
これじゃあまるで嫉妬ですね。アフリカンマリーゴールドの花言葉を完全には否定できなくなっていました。
七月十八日
長らくこの日記に触れていませんでしたが、今日はいろいろと考えることがあったため、書こうと思います。
今日という日まで、人生がとても充実していました。みんなと仲良くわいわいと話し、人の役に立つことで自分の存在価値を高められているとも思っていました。
ヒロくんからはとても優しく接して貰え、美玖ちゃんとはスイーツの食べ歩きをしたり、聡くんともたくさん楽しい話しをしました。この三ヶ月間、自分が犯した罪からは予想も付かない楽しい日々を過ごしていました。
でも、こういう楽しい日々は長く続かないものです。やはり自分がした罪は大きなことです。何故わたしは、あのときあれほどまでに葛藤し、苦悩で頭を惑わせていた過ちを今まで忘れていられたのでしょうか。
今朝、ヒロくんから一枚の写真が送られてきました。それはわたしがお父さんを殺した家でした。それを見た瞬間、悟りました。もちろん、二人に出会った日からずっと理解していました。
ヒロくんのお父さんが昨年末に亡くなったということ。
お父さんと二人の姓が石岡だということ。
美玖ちゃんとわたしの顔が不自然なほどに似ていること。
そこから導き出せることは一つしかありませんでした。それでも、わたしは信じたくない一心で頭からその考えを消し去っていました。
しかし、今朝の画像を見てしまってはもう諦めるしかありませんでした。
わたしは、ヒロくんと美玖ちゃんのお父さんを殺した人間です。その事実からは決して目を逸らしてはいけません。わたしは、お父さんを殺しました。
そして、ヒロくんと美玖ちゃんの大好きなお父さんを殺しました。大好きな二人のお父さんを殺してしまいました。それにやっと気付いたとき、犯した罪の大きさを初めて実感しました。
二人の悩みの種は全てわたしのせいだった!
二人を苦労させているのは全てわたしのせいだ!
ヒロくんはお父さんを亡くした悲しみで、しばらく学校に行けなかった時期があったと話してくれました。それも全部わたしのせいでした。
わたしはどうしてこの事実から逃げ続け、いけしゃあしゃあと仲良くできたのでしょうか。図々しく、厚顔無恥も甚だしいことこの上ありません。これからどのような顔をして二人に会えば良いのでしょうか。
仮に、二人がわたしの罪を知ったら? 想像するだけでも恐怖に体が震えあがりました。いやだいやだいやだ。わたしはみんなに見捨てられたくない!
自分でそう思っていて情けなくなりました。なんて自分本位な人間なのでしょうか。お母さんはきっと、こんな娘に育って欲しくなかった。もうこれ以上悩みたくないです。
七月二十三日
わたしは朝にこの日記を書いています。
今日のわたしたち人生相談部は、遊園地に遊びに行くこととなりました。そして今夜、わたしは命を絶とうと思っています。
結局、二人には何も打ち明けられませんでした。なので、この日記を代わりに渡そうと思っています。わたしは臆病な人間です。はっきりと人に復讐はできないし、助けることもできない。人に罪を話すこともまともにできません。
ただこわいものから逃げるだけの弱い人間です。罪と向き合うこともできず、自殺をして逃げ出す人間です。
わたしはこの八ヶ月で何も変わることができませんでした。ただ人に迷惑を掛けただけの人生でした。
わたしはこの場を借りてしっかり罪の告白をしようと思います。
わたしは昨年の十二月十日に石岡浩さんと石岡美玖さんの父である、石岡光雄さんを殺しました。動機はお母さんの復讐のつもりでした。でも実際は、ただ逃げ出しただけで何もしていません。助かる人を助けませんでした。見殺しにしました。
この日記を読めばわかると思いますが、一時でもお父さんを殺したことを忘れようとして、果ては殺してなどいないと書いています。実際はそんなことありません。わたしが二人のお父さんを殺しました。
今まで黙っていて、本当に申し訳ありませんでした。謝ったところで、お父さんは絶対に戻って来ません。なので、許してくださいとは言わないことにします。
今までご迷惑をお掛けしました。わたしのことは忘れてください。
最後に一つだけわがままを言わせてください。
こんなわたしを心配してくれて、助けてくれて、仲良くしてくれてありがとうございました。わたしは、みんなのことが、ヒロくんのことが大好きです。
そして、ごめんなさい。
あれからというもの、何をやろうとしても手につきませんでした。
最近、やっとのことで八王子にある児童養護施設に入所したのですが、職員の方たちはとてもやさしい方たちばかりで、こんな人殺しなんかのために必死で話し掛けてくれました。
職員の方たちはどうやら先生と呼ばれているそうで、同じ施設の子どもたちは「先生、先生」と呼んでいました。
でもわたしは何を聞かれようが、話すことも答えることもしませんでした。わたしはこんなところでも逃げてばっかりですね。もう疲れました。死にたいです。助けてください。
十二月二十五日
クリスマスになりました。
わたしは何もしませんでした。
一月一日
年が明けました。
わたしは何もしませんでした。
一月二十日
今日は首を吊ろうとしました。
ロープを買ってきて首に掛けたまでは良かったのですが、手の震えを抑えきれず首からロープが抜けちゃいました。
嘘を付きました。本当は怖気付いて逃げました。
わたしは、自殺はできないのに人殺しはできる人間です。
二月五日
今日は兼ねてから志望していた高校の特待生入試がありました。お母さんが亡くなる前の日まで、ずっと応援してくれていた試験なのだから、これは自分のためではなくお母さんのためと思い、事件のことは綺麗さっぱりに忘れて、問題を解きました。
人殺しを忘れるなんて最低な人間ですね。
二月十四日
今日はバレンタインデーですが、昨年まではお母さんと一緒に送り合いっこをしていました。お母さんはいつも夜中まで起きて、手作りしていました。
わたしはそれに負けじと友達の家に行って、お母さんのために作っていました。それを見た友達は、「誰に作ってるの?」と聞きました。わたしは、「大好きな人にだよ」と答えました。
それを聞いた友達は「え~? 年上の人?」と聞きました。わたしは「うん、そうだよ、昔からずっと一緒にいる大事な人だよ」と答えました。
手作りしたチョコレートを食べたお母さんは、「凄く美味しいよ、私も見習わなきゃだね」といつも褒めてくれました。絶対にお母さんの方がより上手に作れるのに。そんなお母さんはもうわたしのそばにいません。
またお母さんのチョコレートが食べたいなぁ。
二月十九日
今日は高校の合格発表がありました。
結果は見事合格だったので元の実家に戻り、お母さんに結果報告をしに行きました。アパートの大家さんに鍵を借り、家へと入りました。
お母さんが亡くなってから二ヶ月以上前経つのですね。四十九日はとっくに過ぎたはずですが、お墓がどこにあるか知りません。一体どこにいるのでしょうか。
わたしはお母さんに直接挨拶することすらできないのです。なので元の実家に帰りました。
玄関に座り、「お母さん、高校受かったよ」と話し掛けました。お母さんは「おめでとう」と言っている気がしました。
続けて、「お父さんのこと殺しちゃったよ」とも話しました。お母さんは何も言わずただ悲しんでいるように思えました。ごめんなさい、お母さんはやっぱりそんなことは望んでなかったよね。
わたしは辛くなったので、帰ることとしました。もうここに来ることはないと思います。わたしは、お母さんに近付いてはいけない人間です。
三月一日
この日は誕生日でした。
児童養護施設の先生たちが、わたしの誕生日を祝ったケーキを作ってくれました。祝われるような人間じゃないと思いながらも、美味しく食べました。
わたしの名前である未来は、三月一日の「三」と「一」の間に「ら」を強引に挟んでに付けた名前だとお母さんから聞きました。「少し安直じゃない?」と責めるように聞いてみましたが、「でも、良い名前でしょう?」と返されました。
わたしはそのとき苦笑いを返しましたが、とても可愛くて良い名前だと思います。わたしに明るい未来を歩んで欲しいと思っていたんだろうなぁ。
三月十九日
今日は中学校の卒業式でした。
今の児童養護施設に移ってしまったので、それからはずっと不登校の状態でした。どんな顔して学校に行けば良いんだろうと不安でしたが、思いの外仲の良かった友達が、「心配してたよー」と声を掛けてくれました。
この子はわたしがしたことを知ったらどう思うのでしょうか。当然怖がるのでしょうね。わたしも友達からそんな話を聞かされたら怖くて怯えると思います。
中学では多くの思い出がありました。部活には入っていませんでしたが、学業をそれなりに頑張って、日常も友達とわいわい楽しみ、家に帰れば大好きなお母さんと一緒にご飯を用意していました。
懐かしんでいると涙が出そうになるので、これで終わります。
四月一日
今日は矢張大学付属高校の入学式でした。
朝、制服に身を包んだ自分を自室にある姿見で見ました。相変わらず酷く暗い顔をしているなぁと思いながらも、制服は負けじとオシャレさを際立てていました。
この児童養護施設からはとても近い場所に校舎があり、徒歩で登校することになったのですが、わたしは周りからどう思われるんだろうと不安になりました。
お父さんの死は自殺と結論付けられたようで報道されていませんが、いつわたしの存在が浮かび上がってくるかに、体をびくびくさせながら毎日を過ごしていました。
わたしは今、捕まりたくないと思うようになりました。理由は一つです。わたしはお父さんを殺していないと逃げることに決めたからです。これ以上、このことで辛くなりたくありません。
何もやっていませんし、お風呂場で倒れていたお父さんを見殺しになんてしていません。あのときは救急車を呼んでいようがいまいが、どっちみち死んでいました。そう結論付けました。
わたしは入試以来に高校の校舎へと入りました。
とても大きな校舎で迷ってしまいそうです。自分のクラスを見つけ、教室に入ってみると四十人前後の同世代の男女がひしめき合っていました。「みんな楽しそうだな」と少し辟易し、自分の席へと着きました。
入学式の時間となり、体育館へと足を運びました。そこはとても大きな場所でした。天井の高さや大きさに圧倒されながらも時は過ぎ、入学式は終わりました。
心を落ち着かせようと思い、校庭の近くに見つけたベンチへと座りました。「お母さん、わたし高校生になったよ」先日お母さんにはもう話し掛けないと決めたにも関わらず、早速破ってしまいました。
でも、わたしには無理です。わたしにはお母さんしか味方がいません。「お母さん、わたしの制服姿似合ってるかな? お母さんと一緒に入学式に参加したかったなぁ。この姿を見せてあげたかったよ。寂しいな。もう一度お母さんに会いたいな」
そう思っていると涙が出てきたので、ハンカチで拭きました。初日からこれじゃあもう持たないかもしれないです。
四月六日
今日もお昼から自分で作ったお弁当を片手にベンチへと向かいました。ここで座っていると少し落ち着きます。隣に見える黄色い菊の花も綺麗だし、空気を感じられて気分が少し晴れやかになるからです。
ただ唯一難点があって、ここに座ると勝手に涙が出てきてしまいます。後ろをたまに人が通るのですが、その都度奇異な視線を感じます。可哀想な子を気取る人と思われているかもしれませんね。
お弁当を食べ終えると、何も考えずただひたすらにぼうっとするのが楽しみです。その間だけ、解放された気分になれます。「何も考えないでも良いんだよ」と空から言われているように思えます。
四月九日
今日は驚きべくことがありました。
いつものようにベンチに座っていると、話を掛けてきた先輩がいました。その人は隣のベンチに座り、そばに植えられたお花の話をしてくれました。どうやらあの菊の花だと思っていた花は、アフリカンマリーゴールドという名前らしいです。
先輩は花言葉について話してくれました。最初に話してくれたのは、絶望、悲しみ、嫉妬という言葉でした。嫉妬はともかくとして、絶望、悲しみは今のわたしに打ってつけの言葉でした。
その由来について話してくれました。ほとんどの部分には共感しませんでしたが、唯一、女性は、思い人の恋人であった女性が命を落としてしまい、間接的に殺してしまったことを深く後悔する、という部分はとても心に残りました。
わたしも、身近な存在であるお母さんを亡くし、お父さんを殺したことで深い後悔に苛まれています。
続いて、心を打つ花言葉がありました。
絶望を乗り越えて生きる。わたしにこれからも生き続けるという気持ちがあるのなら、これは必要なことかもしれません。自分の罪から逃げず改めて思い返してみるということが、わたしにできるのでしょうか。
先輩はわたしの心を知ってか知らぬか、最近お父さんを亡くしたという話をしてくれました。その悲しみからか、学校に行かなくなっていた時期があったそうです。わたしと同じでした。
わたしの心がわかるのかもしれません。でも、先輩には自分を支えてくれた人物がいたようです。わたしにそんな人物はいません。
先輩は、わたしの味方になってくれるのでしょうか。
微かな期待を抱いたまま、自己紹介をし合いました。
先輩の名前は、石岡浩というそうです。お父さんの姓も石岡でしたが、これはきっと偶然ですよね。翌日からも石岡先輩はわたしのもとに来てくれるそうです。わたしには僅かな楽しみが生まれました。
四月十四日
石岡先輩はそれから毎日来てくれるようになりました。
昼休みになると一目散に来てくれるため、先輩を待たせないためにもと先に着くよう急ぎました。
わたしたちはお互いの好きなことを話しました。好きな食べ物や好きな科目、趣味の話など。特に趣味の話は意気投合しました。
中学時代、わたしと同じ推理小説好きの子は一人もいなかったのですが、先輩はわたしのことを理解してくれました。本当に先輩となら仲良くできる気がして来ました。今は少しだけ、幸せを感じられています。
四月十六日
石岡先輩は、わたしのもとに妹さんを連れてきました。
名前は美玖ちゃんというそうです。そして、わたしととても顔が似ていました。これは何だろうと思いました。会ってはいけない人物に会ってしまったのではないでしょうか。
わたしのお父さんは、お母さんのお姉さんと結婚していたそうです。これはつまり。わたしは息を呑みました。
お父さんのところに行く前、考えていたはずです。お父さんにも、わたし以外の子どもがいるかもしれない。
一旦考えを忘れて、二人と会話することにしました。
美玖ちゃんはスイーツが好きだそうで、わたしとの好みもよく合いました。わたしは楽しそうに話してくれる彼女と仲良くなりたいと思い、必死に歩み寄りました。
「放課後になったら一緒に食べ歩きでもしよう」という話になりました。この時間がとても幸せでした。
あるとき先輩に声を掛けると、ぼうっとしていて中々反応を見せせんでした。まるでわたしの姿が目に入っていないかのような顔をしていました。何か抱えていることでもあるのでしょうか。
その日の放課後、食べたジェラートの味は絶品でした。石岡先輩の口にも合うかなぁ。
四月二十二日
その日も石岡先輩と美玖ちゃんを待っていると、もう一人の先輩が現れました。名前は社陸聡さんといって、社陸と書いてしゃろくと読むそうです。
あまり聞きなじみのない姓だったため驚きました。その方は「名前で呼んで欲しい」と言いました。素直に名前を呼ぶと石岡先輩が、「僕のこともヒロくんと呼んで良い」と言ってくれました。
わたしはとても嬉しくなりました。「わたしのことも未来と呼んで欲しい」と言い、ヒロくんだけ特別な扱いをすることにしました。わたしを心配してくれた人、わたしと仲良くしてくれた人、わたしの大事な人だから。
ヒロくんは、「部活を設立する」と誘ってくれました。ヒロくんともっと一緒にいられるならと思い、快諾しました。部活内容は人生相談を受けるというもので、ヒロくんが受けるみたいです。
ここでよくわからないことを言われたのですが、ヒロくんは『未来視』という能力を持っているらしいです。実際に見せてくれましたが、いまいちよくわからないものでした。
ひとまずはこれからの学校生活が楽しくなりそうで、とても嬉しいです。
それはそうと、最近は児童養護施設の人たちとも話せるようになりました。先日明るい顔で帰ると、先生方や年下の子どもたちからは意外な目をされて、「何か良いことでもあったの?」と聞かれました。
「最近楽しいんだ」と言うと、嬉しそうな顔をしてくれました。みんなこんなにも優しい人だったんだなぁ。と凄く嬉しい限りです。
四月三十日
とうとう部活が立ち上がりました。名前はそのまま、人生相談部だそうです。
わたしたちは部室の整理をしました。意外にすぐ終わり、椅子に座ると部活のモットーを決める流れとなりました。一日一善と一日一膳。ヒロくんはダジャレが好きみたいです。
わたしたちは四人でいつも集まるメンバーとなりました。最近、人生がとても楽しいです。ヒロくんのお陰でわたしは救われました。こんなにも幸せになって良いんでしょうか?
未だに幸せな時間を過ごせていることが、現実だと実感できていません。毎日みんなとお昼ご飯を一緒に食べ、一緒に話し、一緒に笑い合うのがこれほど楽しいと思ったのは今が初めてです。わたしは三人のことが大好きです。
お母さん、今とても幸せです。
五月二五日
人生相談部の相談者が段々と落ち着いてきました。
誰もお客さんが来ない日は、みんなと雑談をして過ごしました。最近あった楽しいこと、これからやりたいことなどたくさんの話をしました。
ヒロくんはどうやらお客さんの減りが気になるようで、毎日嘆いています。その姿を見て、いつも励ましてあげています。ヒロくんはそれを素直に聞いてくれます。
ヒロくんは楽しい人です。ヒロくんといると、毎日が充実しているように感じます。これだと美玖ちゃんと聡くんを除け者扱いしているようですが、そんなことはありません。みんな揃っての人生相談部ですから。
六月十五日
最近暑くなってきました。
生徒はブレザーを脱ぎ始め、薄着になりました。改めて思いましたが、この学校の制服はとても可愛いですね。ヒロくんにも同じことを聞いてみました。
ヒロくんは首を縦に振って、「ああ、凄く可愛いぞ」と言ってくれました。これはわたしに向けて言っているわけじゃないですが、なんだか恥ずかしくなってしまいました。臆することなく可愛いと言えるのが凄いと思います。
近頃、人生相談部に足を運ぶお客さんがいなくなってしまい、ヒロくんは意気消沈しています。わたしはヒロくんを励ました後、美玖ちゃんとおしゃべりをするのですが、最近ヒロくんのご飯を食べる量が減ってしまい、困っているそうです。
食事が喉も通らないほどに落ち込んでいるのでしょうか。思わず心配になりました。あまり関係ない話なのですが、食事を作ってあげている美玖ちゃんのことが羨ましくなりました。
これじゃあまるで嫉妬ですね。アフリカンマリーゴールドの花言葉を完全には否定できなくなっていました。
七月十八日
長らくこの日記に触れていませんでしたが、今日はいろいろと考えることがあったため、書こうと思います。
今日という日まで、人生がとても充実していました。みんなと仲良くわいわいと話し、人の役に立つことで自分の存在価値を高められているとも思っていました。
ヒロくんからはとても優しく接して貰え、美玖ちゃんとはスイーツの食べ歩きをしたり、聡くんともたくさん楽しい話しをしました。この三ヶ月間、自分が犯した罪からは予想も付かない楽しい日々を過ごしていました。
でも、こういう楽しい日々は長く続かないものです。やはり自分がした罪は大きなことです。何故わたしは、あのときあれほどまでに葛藤し、苦悩で頭を惑わせていた過ちを今まで忘れていられたのでしょうか。
今朝、ヒロくんから一枚の写真が送られてきました。それはわたしがお父さんを殺した家でした。それを見た瞬間、悟りました。もちろん、二人に出会った日からずっと理解していました。
ヒロくんのお父さんが昨年末に亡くなったということ。
お父さんと二人の姓が石岡だということ。
美玖ちゃんとわたしの顔が不自然なほどに似ていること。
そこから導き出せることは一つしかありませんでした。それでも、わたしは信じたくない一心で頭からその考えを消し去っていました。
しかし、今朝の画像を見てしまってはもう諦めるしかありませんでした。
わたしは、ヒロくんと美玖ちゃんのお父さんを殺した人間です。その事実からは決して目を逸らしてはいけません。わたしは、お父さんを殺しました。
そして、ヒロくんと美玖ちゃんの大好きなお父さんを殺しました。大好きな二人のお父さんを殺してしまいました。それにやっと気付いたとき、犯した罪の大きさを初めて実感しました。
二人の悩みの種は全てわたしのせいだった!
二人を苦労させているのは全てわたしのせいだ!
ヒロくんはお父さんを亡くした悲しみで、しばらく学校に行けなかった時期があったと話してくれました。それも全部わたしのせいでした。
わたしはどうしてこの事実から逃げ続け、いけしゃあしゃあと仲良くできたのでしょうか。図々しく、厚顔無恥も甚だしいことこの上ありません。これからどのような顔をして二人に会えば良いのでしょうか。
仮に、二人がわたしの罪を知ったら? 想像するだけでも恐怖に体が震えあがりました。いやだいやだいやだ。わたしはみんなに見捨てられたくない!
自分でそう思っていて情けなくなりました。なんて自分本位な人間なのでしょうか。お母さんはきっと、こんな娘に育って欲しくなかった。もうこれ以上悩みたくないです。
七月二十三日
わたしは朝にこの日記を書いています。
今日のわたしたち人生相談部は、遊園地に遊びに行くこととなりました。そして今夜、わたしは命を絶とうと思っています。
結局、二人には何も打ち明けられませんでした。なので、この日記を代わりに渡そうと思っています。わたしは臆病な人間です。はっきりと人に復讐はできないし、助けることもできない。人に罪を話すこともまともにできません。
ただこわいものから逃げるだけの弱い人間です。罪と向き合うこともできず、自殺をして逃げ出す人間です。
わたしはこの八ヶ月で何も変わることができませんでした。ただ人に迷惑を掛けただけの人生でした。
わたしはこの場を借りてしっかり罪の告白をしようと思います。
わたしは昨年の十二月十日に石岡浩さんと石岡美玖さんの父である、石岡光雄さんを殺しました。動機はお母さんの復讐のつもりでした。でも実際は、ただ逃げ出しただけで何もしていません。助かる人を助けませんでした。見殺しにしました。
この日記を読めばわかると思いますが、一時でもお父さんを殺したことを忘れようとして、果ては殺してなどいないと書いています。実際はそんなことありません。わたしが二人のお父さんを殺しました。
今まで黙っていて、本当に申し訳ありませんでした。謝ったところで、お父さんは絶対に戻って来ません。なので、許してくださいとは言わないことにします。
今までご迷惑をお掛けしました。わたしのことは忘れてください。
最後に一つだけわがままを言わせてください。
こんなわたしを心配してくれて、助けてくれて、仲良くしてくれてありがとうございました。わたしは、みんなのことが、ヒロくんのことが大好きです。
そして、ごめんなさい。
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