刷り込まれた記憶 ~性奴隷だった俺

希京

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血の臭い

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寝室に充満する血の臭いより、眠っているような水森から放たれる謎の匂いが後藤を惑わせる。
呼吸をしていないんじゃないか、そんな不安に駆られて顔の近くまで耳を近づけるとかすかな息使いを感じた。
白いクッションに散らばる髪が行為の激しさを物語る。タオルを噛まされなくても孤高の男は声ひとつあげなかっただろう。その意地が、プライドがこの男を形成している。

「水森」
囁くように声をかけてみるが案の定答えは返ってこない。
片耳に髪をかけながら後藤は鎮痛剤を探しに寝室を出ていく。その後姿を静かに目を開けた水森が見ていた。
体を動かすと痛みで顔をしかめる。
「ちっ…」
動けない体に小さく舌打ちした。

「無理して起きるな」
震える腕でなんとか起き上がろうとしている水森を、水の入ったグラスと錠剤を手に戻ってきた後藤が止めた。
曲線を描く腰が女に見えて後藤は立ち止まる。苦しげに眉に皺をよせている表情が何故か欲情を煽った。
「水と、これ」
サイドテーブルにグラスを置いて、鎮痛剤を飲ませようとベッドの縁に座る。
「…何の、真似ですか」
得体のしれないものを口に入れられるのを警戒して水森は距離を取ろうとする。
「痛み止め。口開けろ」
指で口を犯された事がフラッシュバックする。自分で飲みたかったが震える体を支えることが出来なかった。

少し開けた口の中に後藤が一粒ずつ錠剤を入れて、グラスに手を伸ばした。
「こぼしてもいいから何とか飲め」
どうせシーツは交換だ。
横向きになった水森がグラスを掴んで水を口に流し込む。タオルに唾液を奪われて口内がカラカラに乾いて飲み込みづらかった。

全部飲み干して落としそうになったグラスを後藤が捕まえてテーブルに置く。
再びクッションに沈む水森の顔を無意識に手の甲でなぞった。
「…あなたもするんですか」
「え?」
「俺をどうするつもりですか」

あまり深く考えていなかった。
佐伯がどれくらいの期間で仕上がったのか詳しくは知らない。面白半分で獣たちに餌を放り投げた、そのくらいの気持ちだった。
「いっ…」
小さな悲鳴とともに水森は顔をしかめる。
おぼえておけこのチンピラ、水森は心の中で呟くが、目の前の男は何かに戸惑っているように見えた。
加害者の、しかも主犯のくせに傷ついた顔をする資格はない。
「おかしな奴だと思っていたが」
「……?」
「いや、何でもない。そのまま寝てろ」
行く宛はない。お言葉に甘えて水森は目を閉じた。
このままもう二度と目覚めないとしても、先に行った翔子に追いつけばいい。
今頃どこにいるんだろう。行き先は違う気がする。
あいつは明るい世界へ、俺は煉獄の底へ。



事件現場になった長谷川の店は『CLOSE』の看板がぶら下がったまま特に閉店のお知らせ等の紙は貼っていない。
佐伯は裏口から鍵を開けて店内に入る。午後の日差しが差し込む店内は事件発生からしばらくして従業員が片付けたので綺麗に清掃されて椅子がテーブルに乗せられた状態になっていた。
その中を、白いプリントTシャツに黒のシャツを羽織ってジーンズ姿の佐伯が見回す。

黒部が長谷川を刺した事務室には近づけない。

「犯人は犯行現場に戻ってくるってよく聞くけど」
誰も来ないだろうと思って鍵をかけなかった裏口のほうから声がした。
ゆっくりふり返ると、黒いシャツにノーネクタイ、下はスラックス、いつもの格好でにやにやしながら後藤が近づいてくる。
ある程度まで来ると壁にもたれて歩みを止めた。

「佐伯くんは犯人じゃないよね」
足の先から頭へ、佐伯は強い視線で後藤の体を舐めるように見た。
「やっぱり俺が黒部を操って起こしたと考えてるんですか?」
今まで聞いたことのない佐伯の低い声と迫力に、後藤は笑顔を消す。

ここで一般人に舐められたら終わりだ。
まだ電気は通っている。佐伯がつけたエアコンのおかげで蒸し風呂状態は免れた。
「お店ってこれからどうなるの?」
「さあ。長谷川の家族が決めるんじゃないですか?黒部のおかげで失業者続出ですよ。俺もそのひとりだけど」
「じゃあどうしてここに来た?」
「あんたこそなんでいるんだ。不法侵入者」
わずかに口角を上げた佐伯は鍵をかざして見せつけるように指でフラフラ動かしている。
事件で揉まれたせいか随分変わったな、後藤にはそう感じる。

「君はこれからどうするの?」
ポケットから煙草の箱を取り出すと、佐伯がテーブルの上にある『禁煙席』のプレートを指差した。
その指の動きが、人を小馬鹿にしてように見えて後藤は唖然とする。
自分が知る佐伯はこんなふてぶてしい男ではなかった。
「参ったな…」
長めの髪を耳にかけながら後藤は弱々しく呟く。
「君をスカウトしに来たんだけど、俺の話には乗らなさそうだ」
「そんな事ないですよ。どんな話ですか?」
適当に丸め込んで佐伯を自分の人形にしようと思っていたが、全てを失って開き直ったのか目の前にいる男は不遜な態度を崩さない。

どうも思い描いていたように事が進まない。
佐伯については黒部を誘い込む餌としか考えていなかったので、黒部がいなくなった今、特に必要でもない。
自分も行き当たりばっかりで適当だなと思うと笑いがこみ上げて笑顔になる。
「いや、いいよ。もう少し考えがまとまったら連絡するかもしれない。家まで送ろう」
「…それはどうも」
歩いてすぐのアパートにわざわざ送ってもらわなくてもいいし、この男のクルマに乗るのは危険な気がして中途半端な返事をした。

先に出口に向かっていた後藤だが、何か思いついたのか歩みを止めてふり返る。
「家って、ずっとあのアパートに住むの?」
「長谷川名義なんで、近いうちに引っ越そうと思ってます」
「実家に帰るの?」
「……」
正直実家には戻りたくない。
経済的に余裕があればほかに部屋をみつけてそちらに移りたいが、今は厳しい。
「俺が援助しようか。金は後で返してくれればいい」
心の葛藤をあっさり見破って後藤は甘い誘いをふってくる。そうやって人に食い込んで生きている人間だ。佐伯の考えを読むくらい朝飯前だろう。
石のように動かなくなってしまった佐伯を見つめながら、振り出しに戻りそうだった話を再構築できそうになって後藤は余裕を取り戻す。
「お気持ちだけありがたく」
だが佐伯は堕ちなかった。

この男は何の意図があって自分にまとわりついてくるのだろう。
余裕なふりをしているが確実に焦っている。佐伯にはそう思えた。




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