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始動
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アパートにいるより管理人室のほうが、監視カメラが設置されているぶん何か起こった時いいかもしれない。
佐伯は私物を持ち込んで籠もることにした。
仕事らしい仕事はないが時間は拘束される。ほかは住人とのコミュニケーション、宅配の受け取り、軽く掃除。建物全体のメンテナンスは管理会社が行う。
朝早く入り口を掃き掃除しているとスーツを着た老年の男性がふらりとやってきた。
「おはようございます。佐伯拓海さんですか?」
男は名刺を取り出して佐伯に手渡す。
『後藤警備保証会社 部長 山路哲男』
「後藤って…、あの後藤さん?」
「あの後藤さんです」
山路と名乗る男は苦笑いして答えた。
事業を始めたいとずっと言っていたことを思い出した。これがそうなのか。
やっと始動するという時に倒れるなんてタイミングが悪い。それだけ心労が重なったんだろうと佐伯は想像する。
肌寒い朝、立ち話も何なので管理人室に通してお茶を入れた。食器は前の管理人が置いていったままなのでそれを使わせてもらっている。自分でお茶なんて淹れたのどれくらいだろう。
ちゃぶ台に座布団という家具もそのままだ。戻ってくることも想定して家具も何も手を加えていない。
「突然お訪ねして申し訳ない。実は警察を定年退職して今警察で働いているのは部下なんですわ。こっちに情報共有しろと言って双竜会の動きや後藤社長の容態を聞いてるんですが、良くはないようで」
警察OBを引き抜いたのか。企業がよく使う手だ。交渉や会社を立ち上げる手続きに時間を使いたいと言っていたことを思い出した。骨の折れる作業だ。街のトラブル解消に力を注ぐのは時間を奪われて焦っていたのはうすうす感づいていたがそういうことかと納得した。
「後藤さんはお元気ですか」
後藤の現状を知りたかったが山路は残念そうに首を横に振った。
「ICUから一般病棟に移ったが意識が戻らない。たまにうわ言を言うので脳は死んでいないと思うが…。警備のために面会謝絶という建前だが元上司の俺が言えば少し無理が効く。こっそり見舞いに行けたんだがかんばしくない」
「脳、ですか?」
「お医者さんがいうにはでっかい塊が圧迫して脳みそを押しつぶしていたらしい。普通ここまできたら痛みで気が付くらしいんだが我慢していたんじゃないかな。我慢できる痛みじゃないらしいが後藤らしいなと思ったよ」
今は上司であるはずなのに昔の癖か後藤と呼び捨てする。前職の匂いを残している感じが人を舐めているような気がして佐伯はイラっとした。
「それで俺に何の用ですか?」
前にやってきた刑事といい、公務員は苦手だな。役所に行っても仕事が遅いしミスも多くて苛立ちしかない。
「関わりのあった人に伝言を託されて、それで廻ってる」
山路は自分の頭を指でトントンと叩いた。
文書にはしていない。全部暗記している。そういう意味だろう。
「俺に伝えたいことがあるんですか?」
「もし自分に何かあったら全て忘れてほしい。それだけです」
「それは警察に何もしゃべるなと」
死に際まで身の振り方のアドバイスか。あいかわらずお節介な性格だ。
警察に言われて困る事は風呂場での暴行か。今さらそんなことで訴える気はない。ほかの連中にもっとひどいことされている。後藤は全然マシなほうだ。
「どうでしょう。後藤は寂しがりなので逆張りかもしれない」
山路がお茶をすする。
「お医者さんが言うには、親しい人が声をかけたりすると意識が戻ったりするケースがあるそうだ。科学的なデータ?エビデンス?はないそうだが経験則でならって事らしい」
「俺そんなに親しくない」
佐伯は少し突き放す言い方をした。関わりたくないというより山路の態度にムカついただけだった。
『感情が絡むと』の後藤の言葉が脳裏をかすめる。
「今巷をさわがしている小泉っていう人ならどうですか?後藤さんの兄貴なんじゃないですか?俺なんかより全然親密度あると思う」
「ご登場願いたいが事務所は機動隊が囲んでいる。それにあれだけ人を殺したら出てきた途端逮捕だ」
「あれだけ?一人でも駄目ですか。特例とかないの?」
「報道されているのは映ってしまった屋上の事案だが、その後も塀を乗り越えてくるフリーの連中を射殺している。清水に突入した別働隊もいるし彼は動けない」
「マスコミも命がけだね。俺はカネのために命かけられないなあ」
佐伯はつい笑ってしまった。他人の不幸ほどおもしろい事はない。山路という男への挑発もあった。
山路は膝に置いた手をぐっと握った。
「俺は後藤がかたぎになって不器用だがもがきながら生きていく選択をした事に喜びを感じた。ガキで不良の頃から見ていたからな。そんな奴が更生する姿を見るのはこの仕事冥利に尽きる。だから微力だが引退後はそういう子の更生に力を入れてみようと思ったんだ。ようやく始まる所だった。やっとだ」
「それって俺に関係あります?」
「……」
佐伯の言葉に山路は沈黙した。自分はそんなにお人好しに見えるのだろうか。お涙頂戴の話を聞けば動く?物事はそう簡単じゃない。
いろいろあって俺も変わったな。汚い大人の、ようやく仲間入りだ。
山路はかばんから封筒を取り出して机に置いた。
「話が早いじゃない」
後藤がそこまで手を回していたのが寂しかった。やっぱり人間を信じてはいないんだな。
「でもこれは受け取れません」
山路のほうへ封筒を押し戻す。
今までは警察官という肩書と捜査権があったからみんな素直に応じてたんだ。肩書外れたらただの人、誰が言うことをきくか。それを思い知らしめることが出来て爽快だ。今までだって長谷川や水森のことでずいぶん上から目線で尋問された。
でもそれは単なる佐伯の個人的な思いだった。
「行きましょうか」
交渉は失敗したと思いこんでいた山路の顔に光が戻った。
「え…?」
「後藤さんの所まで案内お願いします」
佐伯は勢いよく立ち上がった。
佐伯は私物を持ち込んで籠もることにした。
仕事らしい仕事はないが時間は拘束される。ほかは住人とのコミュニケーション、宅配の受け取り、軽く掃除。建物全体のメンテナンスは管理会社が行う。
朝早く入り口を掃き掃除しているとスーツを着た老年の男性がふらりとやってきた。
「おはようございます。佐伯拓海さんですか?」
男は名刺を取り出して佐伯に手渡す。
『後藤警備保証会社 部長 山路哲男』
「後藤って…、あの後藤さん?」
「あの後藤さんです」
山路と名乗る男は苦笑いして答えた。
事業を始めたいとずっと言っていたことを思い出した。これがそうなのか。
やっと始動するという時に倒れるなんてタイミングが悪い。それだけ心労が重なったんだろうと佐伯は想像する。
肌寒い朝、立ち話も何なので管理人室に通してお茶を入れた。食器は前の管理人が置いていったままなのでそれを使わせてもらっている。自分でお茶なんて淹れたのどれくらいだろう。
ちゃぶ台に座布団という家具もそのままだ。戻ってくることも想定して家具も何も手を加えていない。
「突然お訪ねして申し訳ない。実は警察を定年退職して今警察で働いているのは部下なんですわ。こっちに情報共有しろと言って双竜会の動きや後藤社長の容態を聞いてるんですが、良くはないようで」
警察OBを引き抜いたのか。企業がよく使う手だ。交渉や会社を立ち上げる手続きに時間を使いたいと言っていたことを思い出した。骨の折れる作業だ。街のトラブル解消に力を注ぐのは時間を奪われて焦っていたのはうすうす感づいていたがそういうことかと納得した。
「後藤さんはお元気ですか」
後藤の現状を知りたかったが山路は残念そうに首を横に振った。
「ICUから一般病棟に移ったが意識が戻らない。たまにうわ言を言うので脳は死んでいないと思うが…。警備のために面会謝絶という建前だが元上司の俺が言えば少し無理が効く。こっそり見舞いに行けたんだがかんばしくない」
「脳、ですか?」
「お医者さんがいうにはでっかい塊が圧迫して脳みそを押しつぶしていたらしい。普通ここまできたら痛みで気が付くらしいんだが我慢していたんじゃないかな。我慢できる痛みじゃないらしいが後藤らしいなと思ったよ」
今は上司であるはずなのに昔の癖か後藤と呼び捨てする。前職の匂いを残している感じが人を舐めているような気がして佐伯はイラっとした。
「それで俺に何の用ですか?」
前にやってきた刑事といい、公務員は苦手だな。役所に行っても仕事が遅いしミスも多くて苛立ちしかない。
「関わりのあった人に伝言を託されて、それで廻ってる」
山路は自分の頭を指でトントンと叩いた。
文書にはしていない。全部暗記している。そういう意味だろう。
「俺に伝えたいことがあるんですか?」
「もし自分に何かあったら全て忘れてほしい。それだけです」
「それは警察に何もしゃべるなと」
死に際まで身の振り方のアドバイスか。あいかわらずお節介な性格だ。
警察に言われて困る事は風呂場での暴行か。今さらそんなことで訴える気はない。ほかの連中にもっとひどいことされている。後藤は全然マシなほうだ。
「どうでしょう。後藤は寂しがりなので逆張りかもしれない」
山路がお茶をすする。
「お医者さんが言うには、親しい人が声をかけたりすると意識が戻ったりするケースがあるそうだ。科学的なデータ?エビデンス?はないそうだが経験則でならって事らしい」
「俺そんなに親しくない」
佐伯は少し突き放す言い方をした。関わりたくないというより山路の態度にムカついただけだった。
『感情が絡むと』の後藤の言葉が脳裏をかすめる。
「今巷をさわがしている小泉っていう人ならどうですか?後藤さんの兄貴なんじゃないですか?俺なんかより全然親密度あると思う」
「ご登場願いたいが事務所は機動隊が囲んでいる。それにあれだけ人を殺したら出てきた途端逮捕だ」
「あれだけ?一人でも駄目ですか。特例とかないの?」
「報道されているのは映ってしまった屋上の事案だが、その後も塀を乗り越えてくるフリーの連中を射殺している。清水に突入した別働隊もいるし彼は動けない」
「マスコミも命がけだね。俺はカネのために命かけられないなあ」
佐伯はつい笑ってしまった。他人の不幸ほどおもしろい事はない。山路という男への挑発もあった。
山路は膝に置いた手をぐっと握った。
「俺は後藤がかたぎになって不器用だがもがきながら生きていく選択をした事に喜びを感じた。ガキで不良の頃から見ていたからな。そんな奴が更生する姿を見るのはこの仕事冥利に尽きる。だから微力だが引退後はそういう子の更生に力を入れてみようと思ったんだ。ようやく始まる所だった。やっとだ」
「それって俺に関係あります?」
「……」
佐伯の言葉に山路は沈黙した。自分はそんなにお人好しに見えるのだろうか。お涙頂戴の話を聞けば動く?物事はそう簡単じゃない。
いろいろあって俺も変わったな。汚い大人の、ようやく仲間入りだ。
山路はかばんから封筒を取り出して机に置いた。
「話が早いじゃない」
後藤がそこまで手を回していたのが寂しかった。やっぱり人間を信じてはいないんだな。
「でもこれは受け取れません」
山路のほうへ封筒を押し戻す。
今までは警察官という肩書と捜査権があったからみんな素直に応じてたんだ。肩書外れたらただの人、誰が言うことをきくか。それを思い知らしめることが出来て爽快だ。今までだって長谷川や水森のことでずいぶん上から目線で尋問された。
でもそれは単なる佐伯の個人的な思いだった。
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佐伯は勢いよく立ち上がった。
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