黒い空

希京

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夫を起こさないようにそっと寝室から出て、隣の部屋に移動する。

実家から持ってきた嫁入り道具から明るい色の袿を選んで袖を通しながら着替えていると、外に人の気配がした。

「着いてきた者たちが戻ります。お言葉を」
律がうながすまま簀子まで出て伏せる男たちを見渡す。

「ご苦労であった。道中気をつけて戻れ」
声を張り、威厳ある態度で静が言う。

男たちが一礼して立ち上がると静がもう一度全員の顔を見渡した。

「屋敷に着くまでにその二日酔いの顔をなんとかしておけよ」
にやりと笑ってからかうと一同から笑いが起きて、改めて一礼して下がっていく。

残る者は静を囲むように部屋を与えられたようで、すでに移動は終わっているとのことだった。

「1番寝坊したのは私か」

前を進む案内役の女房についていきながら律に小声で言う。

「皆は夜通し飲んでいたのです。徹夜ですよ。元気なものです」

人間の貴族の屋敷を模して建てた屋敷は、広大な庭に人工の池を造り水をたたえて光を反射している。

一般的な造りと違うのは、主要な建物の奥に、総帥の別宅があることだった。

どこからつながっているのかはわからない。

「こちらへ」

女房の言葉にハッとして静は現実に戻される。

用意された部屋は和風で広く、侍女たちの部屋もまわりに配置されて生活に不自由のないように気配りされていた。

律をはじめ、自分に付き従う侍女たちは明るい袿に赤い袴を着ているが、この屋敷の侍女は無表情な顔に鈍色の袿と袴。

まるで幽霊のようだ。

淡々と仕事をこなして無駄な動きはない。

それがこの家の流儀なのかと理解して特に口には出さなかったが、自分の侍女たちが浮いている感じがする。

墨のみで描いた背景に、登場人物だけ色をつけたような、不自然な絵のような違和感がした。

そのせいだろうか、用意された朝食の膳も砂を噛んでいるような気分になる。
感情が顔に出ていたのか律を心配させた。

「私はなんて呼ばれるんだろうな」

近くにいる灰色の女房に聞いてみた。

「殿に従います」

「殿って誰を指すの?」

「アルノ様です」

総帥はどういう立ち位置なのだろう。
全てを弟にまかせて、一歩引いた感じなんだろうか。
それにしてはあの圧倒的な存在感と威圧感。

嫁いだ次の日に全てを知るのは難しい。
律が言っていた『こどもを生んでこの家を乗っ取れ』という感覚も、あの人がいる限り無理な気がした。
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