黒い空

希京

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別離

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日が高く登り、ようやくアルノが姿を現した。

まわりが一斉に平伏する中、静はにこりと笑って夫を迎える。

「…おはよ」
まだ眠そうなアルノはふらふらと静のとなりに座って近くの侍女に水を持ってくるように言った。

昨日の姿そのままで現れたせいか、まだ疲れが取れていないように見えたが、着崩した姿も似合っている。

「食事を召し上がったら着替えましょう」

「あ、僕普通のご飯は食べないから」

アルノは侍女が抱くように持ってきた瓶を奪うようにしてごくごく音を立てて喉を潤す。

「人の血でも吸うのですか?」
お茶を飲みながら、もちろん静は冗談で言ったつもりだった。

「そうだね」

瓶をあぐらをかいた足元に置いて口元を袖で拭いながらアルノが曖昧な返事をする。

色素の薄い肌が外の反射の光りで透き通るように見えた。
ここからどうやって話を広げようか、それとも黙っているか考えていると、後ろに手をついてアルノが静の顔をじっと見つめた。

「来てもらってすぐで言いにくいんだけどね」

「はい」

「しばらく留守にする。急な交渉事があってね。式を延期することは出来なかったからきのう慌ててやったんだけど、僕が寝ちゃって。いろいろ悪かったね」

美麗な顔を申し訳無さそうにうつむかせてアルノが謝る。

「どこかと揉め事ですか」
そっと湯呑を置いて、夫のほうへ体を向けた。

そんな話は父は言ってなかった。こちらには知らせず秘密裏に事を運ぼうとしたのだろうか。

だったら式を延期してもらったほうがよかった。

婚儀はしたが生娘のまま、そういうふうに見られるのは屈辱だというのを男はわからないのだろうか。

何のための政略結婚なのか。

「ごめんなさい」

静の表情で感情を察知したのか、アルノは姿勢を正して頭を下げてきた。

この優しげな顔で言われたらほかの者なら許してしまうのだろう。
人たらし、だからこそ交渉事が適任なのだろうが。

静も袿のすそを直して向き直った。
「お早い帰りをお待ち申し上げております」

わざと慇懃無礼に言って頭を下げる。

「屋敷内を案内しましょうか。詳しいことは歩きながら話します」

いつの間にか灰色の侍女たちは姿を消していた。

静の湯呑だけが畳の上に置き去りにされた。
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