相反する白と黒

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激動の帝例特区

六番目の被検体

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「久し振りだなァ、黒瀬」

 嫌悪感を煽る声を発するのは一人の若い男。瞳孔の開き切った純白の瞳が舐めるように來奈を映す。蚊帳の外とでも言わんばかりに、詩音への興味は一切示されていなかった。

「誰ですか? 生憎、お初にお目に掛かりますが」

 言葉とは裏腹に皮肉を孕んだ声色だった。精神を研ぎ澄ませた來奈は、太腿に手を這わせてレッグシースより六本の小型ナイフを抜く。そのまま手中で軽く捌くと、殺意を跳ね除けるように眼前で煌めかせた。

「詩音、竜胆りんどうさんの援護に向かって下さい。治験は政府により企てられた人身売買の火種に過ぎなかった。そんな真実を突き付ければ、彼女の身にも危険が及ぶかもしれませんから」

「でも來奈……こいつレイスだよ」

 男の襟元では見慣れたレイスのバッジが鈍い色を発している。「解ってます」と静かに紡いだ來奈は警戒を解かずに海音の去った方角を見据えた。

「早く行って下さい。今の私は……負ける気がしませんから。だから詩音、貴女は必ず竜胆さんを護って下さい」

 無言で頷き、決意を無駄にしまいと駆ける詩音。小さな背はすぐに遠ざかり、場には男と來奈の二人だけが取り残される。去り行く詩音の背を護ろうと試みる來奈だが、鼻で笑った男が首を横に振って追跡の意志がないことを示した。

「別に追いやしねェ。四咲に興味は無い」

「その言い分だと私に興味があるようですが」

「あァ、大有りだ」

 男が纏っているのは長丈の黒いローブ。裾部分は地面にまで至っており、両手はポケットに突っ込まれたまま微動だにしない。両者は、腹の底を探り合うように視線をぶつけ合っていた。

「私と会ったことがあるような口振りですが、以前どこかで?」

「悲しいねェ。共に生き残った仲間を忘れちまったか」

 無造作に跳ねた茶色い髪を雑に掻いた男は、わざとらしくため息をつく。だが隙は無い。犇々ひしひしと伝わる殺意だけは、寸分たがわずに來奈の喉元へと向いていた。

「仲間……?」

「さっきの会話は聞かせてもらった。本当に記憶は失っているみたいだなァ。五年前、第三研究棟で行われた促進剤の人体実験。そこには俺も居たんだよ」

「へえ? そんなの信じるとでも?」

 威圧と共に、左右の手に三本ずつ握られたナイフが男へと向けられる。指の間に挟まれたナイフは、鉤爪さながら鋭利な先端を晒す。明確に示された戦闘の意志。悲しげな表情を見せた男は、無言でローブから首元を露出させた。誘導された來奈の瞳が映したのは、自身が身に付けるものと同じ鎖のチョーカーだった。

「それは……」

「あァ、モルモットの証だ。あの日、俺とお前以外の八人は拒絶反応を起こして化け物と化した。幸い、待機していたレイスが即座に鎮圧し、世間へ漏れることもなく全ては隠蔽された」

「貴方……何者なんですか」

「あの時、お前の隣に居たはずなんだがなァ。俺は六番目の被検体、このチョーカーの裏側には『No.VIシックス』と刻まれている」

 理解が追い付かない來奈は目眩めまいを起こす。思考が加速する脳内では莫大な情報が渋滞を起こしていた。虚空に飛んでしまった意識を呼び戻すように、男のチョーカーがじゃらりと重い音を奏でた。

「VIからとって六。レイスではリクと呼ばれている」

 そこで來奈は気付く。No.VIIセブンだからナナ。天笠が自身を『ナナちゃん』と読んだ意味に。訳も分からず可笑しくなったのか、彼女は喉を震わせて含み笑いをする。

「幸か不幸か、私と貴方だけは化け物にならなかった訳ですか」

「あァ、その通りだ。俺とお前は第三研究棟で自我を失い暴れ回り……そしてはなばなれになった。憎いよなァ? 俺達の命を弄んだ政府がよォ」

「……憎い? その割には、襟元に大層なバッジを身に付けているようですが」

「第三研究棟を脱した後、俺は政府に捕まり話を持ち掛けられた。我々の為に力を使役するのであれば、死ぬまで生活を保証すると。身寄りの無かった俺は話に乗り奴等に従った。しかし、そこにお前は居なかった」

「リクと言いましたか? 貴方も……所詮は政府の犬ですか」

 抑揚の無い冷酷な声だった。リクはあからさまに表情を歪めて苛立ちを露にする。鋭さを帯びた視線を押し返すように、來奈もまた、射殺すような眼光を見せた。

「身寄りが無いからなんですか? 命を弄んだ政府にへりくだるくらいなら死んだ方がマシでしょう」

「俺は小さい頃から親に捨てられ一人だった。普通の生活さえ営んでこれなかった。お前に何が解る」

「何も解りませんよ? 戦うことから逃げ出した腰抜けなど、理解出来るはずがありません」

「言ってろ。国の為……お前はここで殺す」

「殺るのならお相手します。元よりここには……その為に来ましたから」

 一瞬にして張り詰める空気。顎を引いた來奈の眼前で、リクはポケットからナイフを取り出した。左右の手に一本ずつ握られた得物は、美しい曲線を描く黒刃が特徴的で、グリップエンドには指を通す為のリングが付いている。リングに通した人差し指を軸に華麗にナイフを捌いたリクは、そのまま逆手に持つと形容し難い殺気を纏う。

「カランビットナイフですか。珍しい武器を使いますね」

 紡ぐや否や、四本のナイフがレッグシースへと戻される。残されたのは左右の手に一本ずつであり、リクは「何のつもりだ?」と目を細めた。

「カランビットナイフは手にフィットする特性上、相手の得物を弾くのに適している。六本持った状態では握力的に、ましてや女なのでこちらが不利です。そしてそのナイフは湾曲した刃を持ち、小型でありながら殺傷性に長ける」

 言い切った來奈は不敵に笑い「まあ、そんなのは建前ですが」と続け、ナイフを握る左右の手に力を込めた。

「そちらが二本ならこちらも二本。同じ条件で相手をしてあげます。それが本音です」

「随分とめられたもんだな、黒瀬よォ!!」

 先に仕掛けたのはリク。下方から振り上げられた左腕はフェイントであり、入れ替わりざまに顔面へと右腕が突き出される。落ち着いて軌道を追った來奈は的確に躱すも、逆手に握られたナイフが頬を僅かに傷付けた。線状に走る頬傷より滴る一滴の血液。傷を負ってなお、來奈は表情一つ変えずに右手のナイフを心臓目掛けて突き出した。

「遅い」 

 空いた左手で來奈の手首を往なしたリク。ナイフの軌道が大きく逸れて、來奈は僅かに体勢を崩す。だが立て直す気配は皆無。そのまま身体を捻り左脚での回し蹴りが飛んだ。予想外の反撃だった。曖昧になる世界。こめかみを蹴り抜かれたリクは瞬間的な視界の揺れに辟易する。

「どうしました? まさか小柄な女の子の蹴り一発で、もうグロッキーですか?」

 曖昧になった視界のなか來奈が迫る。悟られないよう逆手に持ち変えられたナイフ。そのまま喉元目掛けて振り抜かれた殺意が宙を切る。

「効かないなァ」

 気力のみで後退したリクが躱す。だが振り抜かれたナイフは囮。堕ちるように重心を左に流した來奈は、身体を回転させ左手のナイフで心臓を穿った。勝負は決したと思われたが否。身体を貫いたはずでありながら、來奈の手には何の感触も齎されない。突き刺したのではなく、まるで飲み込まれたかのよう。ナイフの刃に、粘り気のある漆黒の魔力が纏わり付き制御を失う。反射的に手を離し後方へと飛んだ來奈は眼前を正視した。

「──ッ!!」

 同時に、凄まじい速さで飛来したナイフが來奈の左肩に突き刺さった。嫌に高鳴る鼓動。視線だけを動かした彼女は、肩に突き刺さったナイフを視認する。反応すら出来なかった事実が鼓動を更に早めた。
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