相反する白と黒

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激動の帝例特区

救われた者達

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「その力は貴方だけの専売特許じゃない。皮肉ながら……私の中にも流れています」

 來奈は吹き飛ばされてなお手放さなかったナイフを握り直し、大きく息を吐くと手中に力を込める。間髪入れずに地を蹴った彼女は、不自然に何かを警戒しながら切っ先を突き出した。

「面白れェ、促進剤の力を宿す者と殺り合うのは初めてだ」

 突き出されたナイフを両手の得物で受け止めたリク。金属同士の擦れ合う音が不快に響く。先程と同じく姿を歪ませたリクを認識し、來奈は即座に重心を落として屈んだ。瞬間、有り得ない軌道のナイフが頭上を通過する。切り裂かれた数本の髪。何かを確信した來奈は後方へと飛び不敵に微笑む。

「何かがおかしいと思っていたんです。攻撃を受け止めているのにも関わらず、まるですり抜けるように切り裂かれましたから」

 自身の炎で傷口を焼いた來奈。激痛に表情が歪むが滴る血液は瞬く間に止まる。口角から覗く歯は未だ血濡れているも、浮かぶ表情に焦燥など微塵も存在しない。

「私の至った仮定は二つ。一つ、貴方自身が虚像であること。ですがこれは考えにくい。そこで二つ目、貴方が影に特化した能力を使役すること」

「……何故がそんなことが言える?」

「私達の存在を知っていたにしては、吉瀬や天笠と比べて出て来るのが遅過ぎた。詩音が貴方のことを知らなかったのがその証拠です。何故この場で出て来たか、そして何故この場を戦いに選んだか……考えれば解りますよね」

 右手のナイフを手中で回転させた來奈は、振り子のように腕を大きく揺らす。腕の振りが何度目かの頂点を迎えた時、握られたナイフが空高く投擲された。

「それは簡単な話……此処に強い光があるからです」

 ナイフが辿るのはマストトップへの直線的な軌道。寸分の狂いなく球体状の光源が貫かれ、硝子の割れるような音が大きく響き渡った。雨さながら破片の降り注ぐ暗闇の中、瞳に鈍い光を宿した双方が見据え合う。先程までの明るさは嘘のよう。訪れた重苦しい暗闇が、辺りの景色を飲み込んで嬉々として鎮座していた。

「頭は切れるようだな」

「さあ? その言葉が虚言の可能性もありますしね。さっきの見解はあくまで……私の本能に基づいた憶測ですから」

 確かめると言わんばかりに地を蹴った來奈。剣戟に近いナイフ同士の衝突が何度も起こり、至る所で哭くように音と火花が弾ける。衝突の度に吐き出される短い吐息。宙を泳ぐ鈍い色の得物。何度刃を重ねてもリクの姿は歪まない。能力を封じられたことは一目瞭然だった。

「図星だったようですね」

 振り抜かれたナイフが、お返しと言わんばかりにリクの頬を僅かに傷付ける。反射的なカウンターを寸前でかわした來奈は、瞬間的に屈んで足払いを見舞った。右脚を払われ僅かに体勢を崩したリクが歯を覗かせる。その隙を逃さまいと喉元目掛けて突き出された切っ先。だが身体を捻ったリクが、來奈の手首を外側から弾いて軌道を逸らした。

「どうしたァ? お得意の炎は使わないのか?」

 炎を喚べば影が出来てしまうと解っていたからこそ、來奈は純粋な体術のみで応戦する。形勢は皮肉にも互角であり、何度も触れ合う身体が熱を帯びて火照り始める。

「貴方程度の相手には必要ありませんから」

 弾かれた手首の方向へ体重を預け、そのまま回し蹴りを繰り出す。何食わぬ顔で受け止めたリクは、何かに気付き即座に戦闘を離脱する。敵前逃亡を目の当たりにして呆気に取られる來奈。説明がなされる訳もなく、船から華麗に飛び降りたリクの背が遠ざかった。追うか追わまいか、思考は即座に後者に落ち着いた。

「……來奈!!」

 立ち尽くしていた來奈の耳に聞き覚えのある声が届く。仕事を終えた詩音であり、彼女は煙草を咥えた海音かいねに肩を貸してもらっていた。

「随分やられたようですね」

「相手が多かったから苦戦したの。海音も戦ってくれて助けられちゃった」

「え? 竜胆りんどうさん、能力者なんですか?」

「まあ、ある程度は戦える」 

 紫煙を吐き出しながら屈んだ海音。詩音は「ありがと」と転がり落ちながら地面に大の字で伸びた。大きな怪我は無いものの髪はボサボサに乱れ、服に至っては一部が破けてしまっている。

「詩音、大丈夫ですか?」

「私は大丈夫。少し気分が悪いだけだよ。それよりあんたこそ血まみれじゃん」

「傷跡は焼きましたから問題ありません」

 腕を大袈裟に回して見せた來奈は「それで? どうでした?」と海音に視線を向ける。察した彼女は顎で後方を指して視線を誘導した。船内からぞろぞろと歩み出てくる者達。その誰しもが最初に見た虚ろな瞳をしておらず、二人が治験を止められたことを物語っていた。

「あたし、黒瀬を信じて良かった。会場で治験の真実を叫んだ途端、監視していた政府の連中が目の色を変えてあたしを殺しにきた。四咲があたしを庇って応戦してくれてな」

「やはり危険が伴いましたか。一人で行かせてすみません」

「いいや。あんた等が居なきゃ、あたしは今頃海外の戦場に兵隊として送られていたのだろうな。でも、助けてくれたのは良いものの、四咲は少しドジ過ぎる。華麗に宙を舞い戦っていたと思えば、自分の動きに目を回して敵に囲まれていた」

「海音、それは言わない約束だったのに」

 青ざめた詩音が不服そうに頬を膨らませる。喉を鳴らして含み笑いをした海音は「助けてくれてありがとな」と素直な胸中を述べた。目を醒ました者達が船を降り行く光景を黙って見ていた來奈。戦闘の疲労が急激に身体を駆け巡ったのか、彼女はそのまま詩音の隣に腰を下ろした。

「どこかやられたのです?」

「ううん、大丈夫。傷は負ってない。あんたの方が重症だよ。後で手当てしてあげるから少しだけ休ませて」

 詩音は荒くなった呼吸を隠すように背を向ける。身体が小さく上下しており、肩で息をしていることは明白だった。

「私は本当に問題ありません」

「そう? あんたと殺り合った人、結構強そうだったけれど」

「確かに強いですね、彼は。促進剤を接種済み……つまり私以外では太刀打ち出来ません」

 五年前の第三研究棟における促進剤を用いた人体実験。そこにリクが居たことも含めて、來奈は全てを包み隠さずに説明する。黙って聞いていた二人は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、実験で散っていった者達に対し、せめてもの手向たむけで想いを馳せた。

「竜胆さん。貴女が私をヤク中だと言ったのは、恐らく促進剤の臭いを嗅ぎ取ったからでしょう」

「まさか、あんたにそんな過去があったなんてな」

 海音は地面に捨てた吸殻の火を踏み消す。跳ねるように迸った最期の火の粉が、闇の中で一際美しく瞬いた。

「こんな首輪まで付けられて、正真正銘のモルモットですよ。私達は政府に命を弄ばれたのです。促進剤のせいで……義理の両親も失いましたから」

「心中お察しするよ。政府を恨むのも無理はない」

 大きく伸びをした海音は懐から注射器を取り出して腕捲りをする。中を満たしているのは僅かな量の液体。注射痕の多い腕に針を刺そうとした瞬間、立ち上がった來奈がそれを制した。

「それは何ですか?」

 腕を掴まれた海音が來奈を睥睨へいげいする。離せと言わんばかりに眼光が鋭さを帯びるも、來奈は物怖じをせずに真正面から視線を合わせた。

「あたしヤク中だって、最初に会った時に言ったはずだけど?」

「促進剤、じゃないですよね?」

「そんな訳ないだろ、普通の麻薬だよ。これを定期的に打たないと動悸がして、どうしようもなくイライラもして、生きる希望でさえ見失う。何て言うのかな……他の人の食事みたいなもので、あたしにとっては生命線そのものだ」

「そう、ですか……」

 悲しげに視線が落ちる。だが海音の腕は掴まれたままで、明白な制止の意志が見て取れた。

「その手、離してくんない? 薬が切れ掛かっていて具合悪いんだけど」

「竜胆さんが治験に参加した理由って、謝礼金を麻薬の購入資金にてる為ですか?」

「そうだけど、何?」

 儚げな表情を浮かべた來奈が、血に染まった小さな手を震わせる。痛む傷口すら省みず、力を込めたまま首を横に振った。

「ねえ、竜胆さん。もう……やめませんか」

「やめる? 何を?」

 浮かんだのは怪訝そうな表情。混じり気のない黒い瞳が眼前で俯く來奈の姿を映す。二人の対立を煽るように潮風が吹き抜け、戦闘で乱れてしまった髪を更に掻き乱した。

「本当は解っているのでしょう? 麻薬は確実に身を滅ぼします。使用すれば快楽に溺れられるかもしれません、全てを忘れられるかもしれません。けれど……それでいいのですか、それで納得出来るのですか。健康体の身体を害してまで……使う意味なんてあるのですか」

「言ったろ? あたしにとってはこの麻薬が生命線なんだ。人は平気で裏切るけれど、金と薬だけは絶対にあたしを裏切らない。望んだ効果を齎してくれるし、望んだ景色を見せてくれる。代償はこの身ひとつ。安いもんだろ?」

「貴女の身体は安くなんてありません。麻薬に手を染めた者の末路は知っているでしょう? 異常にやつれ、火葬の際には骨すら残らず、生きた証すら何一つ無くなってしまうのですよ?」

「それがどうした?」

「どうしたって……そんな……」

「黒瀬、あんたにあたしの何が解る? 誰しもに目を逸らしたい過去くらいあるだろ」

「もちろん解っています。ですが、目を逸らしたい過去があるから麻薬に溺れるのですか? それは逃げなんじゃないですか? 抗うことすらしないのですか?」

 明らかな挑発ではあるものの、海音は鼻で笑うと興味無さげに視線を逸らす。一瞬虚空を泳いだ瞳が過去を見据えたのか、海音の表情が途轍もない悲しみを宿した。

「何も知らないくせに随分な物言いだな」

「貴女が麻薬に溺れてしまえば悲しむ人だっているでしょう」

「治験の条件にもあっただろ? 悲しむ人どころか、あたしには身内一人いない」

「だったら私が悲しみます。詩音も悲しみます」

「屁理屈言わないでくれる? 今回の件は感謝するけれど、あたしの生き方に口を出されるほど心を赦した覚えはない」

 唇を噛み締めた來奈は「すみません」と弱々しい声で紡ぐ。海音の言うことは間違っておらず、何一つ出来なかった來奈は悟られないよう拳を強く握り締めた。掴まれていた腕は解放され、麻薬を接種した海音は訪れた快楽に恍惚の表情を浮かべる。

「一応礼は言っておくよ。ありがとう」

「竜胆さん、麻薬は今ので……最後にして下さい」

「考えとくよ。じゃあね」

 煙草に火をつけた海音は肩越しに手を振ると船を降りて行く。止められなかった悔しさが來奈の中に渦巻き、言い知れない感情が痛みを主張する。負に陥った思考を幾らか緩和するように、煙草の残り香がしばらく漂い続けた。
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