相反する白と黒

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第三研究棟

戦禍に舞う

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 天候は引き続き雨だった。一夜明かしたホテルから約一時間。目的地である第三研究棟へと辿り着いた二人は、断崖絶壁の如くそびえる両開きの電子シャッター前で立ち往生していた。

「どうすんのこれ。まるで砦じゃん」

 灰色の無機質な電子シャッターには何本もの光の線が走っている。等間隔に並んだ綺麗な光の線が点灯しては消え、一定の間隔で静かな明滅を繰り返していた。示すは明白な拒絶。塵一つ通さないであろう頑丈なセキュリティが見て取れた。

「さすがにこんな大規模な施設だとは思いませんでした。お得意のジャンプで私を抱えて飛び越えるのはどうでしょうか?」

「無茶言わないで、さすがにこの高さは無理だよ。詩音ちゃんの脚が折れちゃう」

 露先つゆさきで來奈の傘をちょんとつついた詩音。傘同士がぶつかり合い、表面で犇めき合っていた雫が跳ねるように飛び散った。

「一本ならいいでしょう。その分、私が働きますから。ほら早く私を抱えて下さい」

「二本とも折れたら?」

「這ってでも戦わせますよ」

「……この鬼!! チビのくせに!!」

 横から素早く伸びた手が詩音の左頬を抓る。わんわんと泣きわめく詩音を見、來奈は昨日の船での違和感を再び感じ取った。「まあ冗談はさておき」と仕切り直した來奈が周囲を見渡す。海を背景に建てられた巨大な研究棟は広大な敷地を総ナメにしており、政府の持つ力を見せ付けるように誇示していた。

「面倒だからぶち抜いていい?」

「お好きにどうぞ」

「はい、じゃあ宜しく」

「え? 私がやるんですか?」

 あっけらかんと頷いた詩音が「当たり前でしょ」と軽口を叩きながら來奈を急かす。呆れながら傘を置いた來奈は電子シャッター前に歩み寄ると、両腕を前に突き出して魔力を一点に収縮させた。応えるように身を焼くような灼熱の魔力が蔓延はびこり始め、降り頻る雨が蒸発して存在を消失させた。

「焼き切ります。もしも火の粉が飛んで来たら自分で払って下さいね」

「りょーかい」

 間の抜けた返事と共に敬礼の動作が行われた。それを横目で確認した來奈が純白の炎を前方目掛けて解き放つ。蜃気楼の如く歪む景色。灼熱に犯された空間が膨張を遥かに超えて悲鳴をあげた。

「あっつ……!!」

 凄まじい熱風が肌を撫で、髪を巻き上げ、瞳の水分ですらも奪い去る。白亜に染まった景色はまるで、正反対の温度を持つ雪化粧だった。美しく絢爛な純白の炎に再び目を奪われ、僅かな悔しさからか嘆息する詩音。彼女は、衝撃で靴底を滑らせて後退してきた來奈を、背後から抱き締める形で受け止めた。

「はいお疲れ様」

「ほんと、人遣いが荒いんですから」

 來奈は自身を抱く腕の中で振り返ると、見えるように頬を膨らませて不機嫌アピールをする。触れ合った二人の身体が僅かに熱を帯びており、未だ冷めやらぬ空気の中に、白き炎の残り火がチラついていた。

「いつも私を泣かせる仕返しだよ」

「自分が悪いくせに」

「ぐうのも出ない」

「それは口で言うものではなく、胸に留めておく言葉です」

 歪んだ景色が晴れた頃、二人はほぼ同時に目を見開く。今の衝撃を以てしても無傷。電子シャッターには擦り傷どころか焼跡一つ見受けられない。無機質な灰色が、まるで何事も無かったとでも言わんばかりに鎮座していた。

「うっそ……今の喰らって無傷ってやばくない? どんな造りしてんのこれ」

「ぶち抜くのは不可能だと思った方がいいですね」

「この前の民間企業の時みたいに守衛室……なんて無いよねえ」

 電子シャッターにはカードをスキャンするであろう端末が取り付けられており、最上部では複数台の監視カメラが地上を見下ろしている。詩音はカメラに向けて舌を突き出したりピースサインをしてみたりと忙しない。だがすぐに飽きたのか、放たれた零度の魔力が全てのカメラを凍結させ機能を停止させた。

「何やってるんですか。そんなことをしても意味なんて無──ッ!?」

 突如として地鳴りが起こる。ふらついた來奈を支えた詩音は、固く閉ざされたシャッターが開きゆくことに気付き不敵に微笑む。徐々にあらわになりゆく内部の景色。「明らかに誘ってるねえ」と低い声で紡いだ詩音が、受けて立つと言わんばかりに鋭い表情を浮かべた。

「さすがに気付かれたのでしょう」

「もしかしてめられてる?」

「私達を撃退し得る戦力を整えているか、或いはただの馬鹿か、そのどちらかでしょうね」

「後者でありますように」

 向こう側の景色は正に一つの街。灰色基調の建物が幾つも羅列しており、人々が忙しなく行き交っている。中央の建物だけが周囲とは違い、平らな四角形を積み上げたような歪な形を晒す。雨を齎す黒い空を背景に、第三研究棟は身を削り取っていくような言い知れぬ圧を放っていた。

「ど真ん中のあれが怪しいよねえ。変な形だし」

「特に行く宛ても無いですし、あそこから襲撃しますか」

 規則正しく並ぶアーチ状の窓。反射する空模様は混じり気のない黒になっており、まるで醜悪な表情を晒しているよう。シャッターが開いた事態に興味を示す者は皆無であり、拍子抜けした二人は無言で顔を見合わせた。

「油断しないで下さい。私達が此処へ至ることを知られている以上、十中八九罠ですから」

「解ってるよ。車にも発信機を付けられているしね」

 周囲を警戒しながら足を踏み出した詩音が即座に呼び止められた。後ろで声を発した來奈が、真剣な表情で真っ直ぐな視線を向ける。

「詩音、此処から先は今までの戦いとは違う。もしも命の危険に瀕した場合は……自分が助かることだけを考えて下さい」

「嫌だ」

 即答した詩音は來奈と向かい合い、僅かに屈んで目線の高さを合わせる。その際、傘から零れ落ちた水滴が吸い込まれるように地に落ちた。

「來奈を見捨てるくらいなら死んだ方がマシだよ」

「甘い考えは捨てて下さい。相手は政府ですよ? これは圧倒的不利な戦いなんです」

「そんなの解ってる。終わったらデートするんでしょ? 必ず生きて帰る。私も、あんたも、必ず」

 絶対に折れないであろう強い意志を秘めた瞳。來奈は小さく吐息をつくと「全く……貴女って人は」と表情を緩める。彼女はそのまま詩音の隣に並ぶと、しっかりと足並みを揃えて第三研究棟の敷地内へと踏み入った。

「私が危ない時は遠慮なく逃げてね。あんたを逃がす時間くらいなら稼いであげられるから」

「嫌です。詩音を見捨てるくらいなら……死んだ方がマシですから」

「やっば、惚れちゃう。もう一回言って?」

「何て言ったか忘れました」

「來奈の意地悪!!」

 頑丈に舗装されたアスファルトの地面には、様々な棟への案内矢印が描かれている。一つ一つ律儀に確認した詩音は「何かややこしくない?」と頭にクエスチョンマークを浮かべて目をぐるぐると回した。

「いいえ、特には。目的地が中央の建物である以上、こんなもの何の関係もないでしょう」

 アスファルトの灰色が、降り頻る雨に穿たれて黒さを増している。鼻腔を突く特有の臭いが、たかぶる鼓動を無意識の内に鎮めた。歩みを追従するように律動的な雨の音が続く。硝子ガラス張りの建物や窓の無い建物。切り替わる景色に一切の法則性は無く、視界の悪さも相まって、未開の地に踏み入ったような感覚が二人をさいなんでいた。

「静かだねえ。さっきまであんなに人が居たのに」

「建物内へと身を隠したのでしょう」

「つまり?」

「……攻撃が来ます」

 その言葉を皮切りに、互いは互いの背後を目掛けて得物を振るい合う。弾けたのは鈍くて高い音。弾丸という小さな的を、ショートブーツから突出した刃で正確に蹴り抜いた詩音。身を屈めて回し蹴りをかわした來奈は、即座に小型ナイフを振り上げると、詩音の背に迫る弾丸を切り裂いた。

「気付いていたのなら自分の身を護って下さい」

「あんたこそ私を助けたじゃん」

「死なれては面倒ですから」 

「あらら、照れ隠しなんてしちゃって。にしても……まーた飛び道具じゃん」

「所詮はまやかし、魔力が通っていなければ驚異にはなりません」

「当たったら蜂の巣だよ?」

「ローヤルゼリーにでもなりますか?」

「まさか、勘弁してよ」

 互いを護り合った二人は背中を合わせて顎を引く。神経を尖らせる少女達に隙など微塵も存在しない。全方位に張り巡らされた敵意と殺意が、場の空気を変えるほどの重苦しい圧を放っていた。

「何処から飛んで来た?」

「さすがにそこまでは」

「そ。なら……」

 來奈の腰に手を回した詩音。靴底に集められた魔力が瞬間的に跳ね上がり爆ぜる。「逃っげるよー!!」などと紡ぐよりも先に地を蹴っていた詩音は、顔に張り付く髪を掻き分けることもせず楽しげに笑う。雑に身体を抱えられて、半ば強引に連れ回される來奈。彼女は黙って身を預けてはいるものの、浮かぶ表情は明白な諦めを示していた。

「ちょっと詩音!? 何処まで行くのですか!!」

 風圧による息苦しさと共に凄まじい速さで景色が切り替わる。可能な限りジグザグに走り、特定されないように建物の隙間を軽快に抜けて行く詩音。本能的に進路を選定しながら爆進する彼女は、目に付いた薄暗い路地で急に立ち止まると身を潜めた。

「此処まで来ればもう大丈夫でしょ」

 散々駆け回った詩音は息一つ乱しておらず、後ろ髪を手の甲で弾くと、無い胸を張り得意げにドヤ顔を浮かべる。雨に濡れた髪がさらさらではなくどっさりと靡き、顔面に雫を浴びた來奈が慌てて裾で顔を拭った。

「戦えば良かったものを」

「あんな所で魔力を無駄にしていられないでしょ? それに、私が適当に走って来たとでも?」

「え?」

 煩わしい雨が視界を横切る中、路地から飛び出した來奈は反射的に視線を上げる。眼前には二人が目指していた歪な形の建物があり「なるほど、たまには頭が切れますね」と柔らかい皮肉が炸裂した。

「そう? ありがと」

「皮肉なんですが」

「あっそ」

 口を尖らせて拗ねた詩音が前に出て先導する。二人は敵の気配に気を配りながら建物正面へと回り、そのまま巨大な硝子ガラス張りの入口と邂逅した。
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