horízōn ~はるかとおく~ :咎人之王

つみ²

文字の大きさ
12 / 58
奴隷商人

商いの輪郭

しおりを挟む
ラウロの商いは、季節で回る。
黒海で人を買い、東地中海で売り、その代価で得た香辛料と奢侈品を北イタリアへ運び、金に換える。
そして、その金で再び黒海へ戻り、人を買う。
人、香辛料、金。
それらは彼の手の中で循環し、同じ形で戻ることはない。
帰ってくるのは、常に“価値”だけだった。

この商いにおいて、奴隷は単なる積荷ではない。
香辛料のように腐らず、家畜のように扱いやすくもない。
反抗し、病み、死に、時に価値を跳ね上げる。
だからこそ、ラウロは他の商人とは異なる手法を取った。

彼は奴隷に「教育」という加工を施す。
読み書き、数の扱い、言葉、身のこなし。
それは慈善ではなく、商品の価値を最大化するための工程であり、同時に損耗を抑えるための管理だった。
鎖や鞭は安いが、人を壊す。
壊れた労働力は、どの市場でも安くなる。


【春】黒海・カッファ:選別と仕入れ
ラウロの一年は、黒海都市カッファから始まる。
雪解けと共に、草原からタタールの商団が「獲物」を連れてくる。カッファの市場は、人の体臭と家畜の埃、そして欲望の熱気に包まれていた。
ラウロは泥にまみれた子供たちの顎を上げさせ、その瞳の奥を見る。
「これは読み書きを覚えるか。これは数を扱えるか」
彼にとって、市場は慈悲の場ではない。資質のない者はその場で安値で叩き売り、残った者にだけ、彼は温かい粥と、明日からの「厳しい授業」を与える。
教育に耐えない者は、この時点で手放される。
ここでの判断が、一年の利益と犠牲を決める。

【初夏】黒海から東地中海へ:航海と規律
船はボスフォラス海峡を抜け、紺青の海へと滑り出す。
船倉は、他の商人の船のように悲鳴と悪臭に満ちてはいない。そこにあるのは、規則正しく繰り返されるラテン語の唱和と数を数える声、そして汗と消毒薬の匂いが混じる、清潔に保たれた居住区だ。
「死なせるのは、金を海に捨てるのと同じだ」
それは脅しではなく、彼自身に向けた確認だった。
ラウロは海図を広げながら、奴隷たちの食事の栄養バランスと水量を厳格に管理する。彼らは積荷であり、条件が整えば、金貨へと変わる可能性そのものだった。
それでも夜半、船が静まり返った後、彼は一度だけ水桶の前で手を止める。
数を数える声が、夢に混じることがあるからだ。

【夏】アル=イスカンダリーヤ・アル=カーヒラ:転換
アエギュプトゥス (Aegyptus) の太陽は、すべてを暴き出す。
ここで奴隷は金と奢侈品に変わる。宗教、肌の色、年齢、技能。市場は冷酷で、救済は存在しない。売れば終わる人生があり、売らなければ始まらない商いがある。
市場では、ラウロの「商品」は別格の扱いを受ける。言葉を解し、数の概念を持ち、立ち居振る舞いに規律がある奴隷は、マムルーク軍人や富商の書記として高値で競り落とされる。

ラウロは、昨日まで共に旅をした若者が、名前を呼ばれ、新しい主人の後ろに消えていくのを、感情を殺した目で見送る。
その間、彼は一度も瞬きをしなかった。
彼が見ているのは別れではない。そう見なければ、この商いは続けられなかった。

【秋】地中海:香辛料の道
船は軽くなり、代わりに芳醇な香りが船体を満たす。
人は消え、物へと入れ替わった。秋の嵐を避けながら、ラウロはイタリアへの帰路を急ぐ。海賊、時化(しけ)、沈没。リスクは常にそこにあるが、今度の敵は病ではなく、自然の猛威だ。
彼は甲板に立ち、沈みゆく夕日を眺める。奴隷たちがいた船倉は積荷で満たされ、静寂はどこか重たい。

【冬】ジェノヴァ:帳簿の閉鎖
北イタリアの冬は重く、冷たい。
ラウロは暖炉のそばで、羽ペンを走らせる。香辛料を売った金、為替の差益、支払った運賃と賄い費。すべてが数字に還元され、一年の「生」が紙の上に固定される。帳簿が閉じられ、利益が確定し、為替と信用に姿を変える。

この時期だけ、ラウロは商いの手を止める。
港を散策すれば、冷たい潮風が頬を叩く。来春の軍資金を確認し、次の年を考える。
そして再び春が巡る。
金は人へ戻り、循環は続く。
この輪から抜ければ、商人は生きられない。

ラウロは自分の商いを、善だとも正義だとも思っていない。
彼が理解しているのは、ただ一つだ。
自由とは状態ではない。
選択肢が存在すること。

彼は奴隷を解放しない。
だが、教育と時間を与え、自由が入り込める隙間を作る。
それが彼にできる、最も現実的な行為だった。

この商いは、人を救うために存在しない。
ただ、人が生き延びる余地が消えないように、今日も回り続けている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

生残の秀吉

Dr. CUTE
歴史・時代
秀吉が本能寺の変の知らせを受ける。秀吉は身の危険を感じ、急ぎ光秀を討つことを決意する。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

処理中です...