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06.占い師 2
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***
部屋を出たところで黒衣の占い師はかがめていた体を伸ばし、足早に隣の部屋へ駆け込んだ。
中で壁際に立っていた人物が振り返る。着ているのは王宮の近衛騎士の制服だが、銀髪に紫色の瞳――この国の若き国王、アルトウィン・ギリンガムその人だった。
「……陛下」
フードを取り、コリンナが口を開きかけたところで「シッ」とアルトウィンが唇に指を立てる。クイクイ、と親指で部屋の反対側の隅を示す。
コリンナが占いに使っている部屋と、駆け込んだこの部屋は、もともとは続きの間であり、今は仮設の壁で区切っていた。その壁も薄く、聞き取り用の小窓がついている。
占い師と客の会話を盗み聞きするためだが、向こうの声が聞こえるということは、こちらの会話だって向こうに聞こえてしまうということ。
アルトウィンはコリンナを伴って音を立てないように静かに移動した。
「このところエレオノーラがふさぎ込んでいたのは知っていたのですが、お妃様に内定して自由が制限されているせいだとばかり……。違ったのですね」
声をひそめてコリンナが言うと、アルトウィンがいきなりにんまりと笑った。
「聞いたか、コリンナ。エレオノーラは俺のことを慕っているそうだ」
「聞きましたわよ。エレオノーラが私と陛下の仲を疑っていることもね」
「それは、気付かなかったな。どうしてそうなるんだろう。ウェストリー卿やフェリクスの助言をもとに、エレオノーラには優しく、節度を持って接してきたというのに」
アルトウィンが首をひねる。
フェリクスというのは、エレオノーラの兄である。
「節度……?」
「そう。エレオノーラは繊細なので、とにかく優しく接することと、距離を保つことが大切だと。あまりしつこくかまうと嫌われてしまうと言われたんだ。ちなみにソースはフェリクスらしい」
嫌な予感がする。
「……それ、いつの話ですか?」
「いつだろう? 最初にそう言われたのは、エレオノーラに初めて会った時だから……俺が六歳とか……? それから、ことあるごとに言われるんだ、あの二人に。エレオノーラには絶対に嫌われたくないからね」
「……。陛下、それ……、エレオノーラのお父様やお兄様に思いっきり牽制されているのでは……?」
コリンナはずっと不思議だった。
アルトウィンは王太子時代からエレオノーラのことが好きだ。アルトウィンを見ていればわかる。アルトウィンの目はずっと、エレオノーラを追いかけている。
だからエレオノーラが妃候補に選ばれたことは驚きもしなかった。自分も候補に上がったことには少々驚いたが、のちに、妃候補が一人だけではエレオノーラに注目が集まりすぎるというこということで選ばれたのだと、アルトウィン本人から教えられた。
同時に、「君を婚約者として選ぶことはない」とも言われたし、「エレオノーラを傷つけるような態度は慎むように」とも言われた。そのかわり、妃候補でいる間は、好きなことをしていい。支援は惜しまない、とも。
つまりコリンナは、エレオノーラを護るための防波堤なのだった。もちろんこのことは、コリンナの家族を始め誰にも口外していない。秘密にしておかなければ防波堤にならないから。
そしてエレオノーラが令嬢らしくもなく「馬乗りをしたい」「剣をやりたい」と言い出しても快く許可を出し(ただし、指南役はエレオノーラの父であり兄である)、そのことについて非難が出ようものなら氷の態度で黙らせてきた。
一方でエレオノーラの社交に関しては厳しく制限をかけ、他の男の目に触れないようにしてきてもいる。
先王は権力を分散させようとしていた気配があるが、アルトウィンは逆に権力を自分に集中させ国王の権限を強めている。どれもこれも、エレオノーラのためだという気がする。
それくらい、アルトウィンはエレオノーラのことが好きだ。
なのに、アルトウィン本人はエレオノーラとつかず離れずの距離を保っている。
エレオノーラの動向は気になるし一挙一動にいちいち大騒ぎするくせに(といっても、それを知っているのは共謀者であるコリンナくらいである)、本人の前では悠然と微笑むだけなのだ。
コリンナは長らくその態度が謎でしかたがなかった。
本性をエレオノーラに知られたくないからなのかな、と思ってこのあたりのことを聞いたことはなかったが、今になって謎が解明した。
思いっきり、エレオノーラの父と兄に牽制されている……。
そしてそれをアルトウィンは真に受けている。
いやそんなことより。
「陛下がエレオノーラのことをお好きなのは存じておりましたが、六歳? 私たちは一歳くらいの赤ん坊ですよ? その頃からエレオノーラを……?」
六歳児が一歳児を見初めるなんて、聞いたこともない。
「ウェストリー卿がエレオノーラを王宮に連れてきたことがあったんだ。お披露目でね。父の家臣たちはみんなそうするんだが、エレオノーラだけが輝いて見えた。彼女は特別だった。年を追うごとにかわいらしくなっていって、エレオノーラは天使そのものだと……」
「陛下が筋金入りのエレオノーラ好きだというのはわかりましたわ。話を戻しましょう。エレオノーラは私と陛下の仲を勘違いしており、婚約破棄を考えているようです」
なんだか止まらなさそうだったので、コリンナは慌ててアルトウィンの言葉を遮った。
一歳児を見初めた六歳児がここにいた。
前々からアルトウィンはヤバイと思っていたが、ここまでとは。
「そうだな。……どうしてそうなるんだ? 婚約破棄って、本気なのか? コリンナを推す九人を黙らせてエレオノーラを妃に選んだというのに」
「女の勘は鋭いといいます。私たちの『趣味』に、あの子も気付いたのでしょうね」
「なるほど。ちなみに俺はエレオノーラが気付いていることに、まったく気付かなかった。コリンナは?」
「私もまったく。エレオノーラも妃候補の侯爵令嬢ですから、見せたくない部分を隠すくらいはお手の物ですよ」
「なるほど」
実は、コリンナには変装して市井で占い師をする趣味が、アルトウィンには騎士に扮して王都をうろつく趣味がある。アルトウィン本人は「これも仕事だ」と言い張っているが、最近は「アロイス」というキャラクターを生み出して彼になり切っているところから、どう考えても仕事を超えてきている気がする。
まあ、自分ではない誰かになるというのは楽しいものだ。
もともと変装はコリンナの趣味だった。
アルトウィンはエレオノーラしか見ていない。
防波堤の役割を持たされているコリンナは、妃候補から降りることもできない。
王宮で上質な教育を受けられるのは嬉しい。王宮の立派な書庫を自由に使えるのも妃候補だからこそではある。でも、むなしさもある。
だって、生きる目標がない。
エレオノーラが趣味に邁進することが許されているなら、私だっていいでしょう? そんな屁理屈で妃候補に選ばれて一年ほどたったころ、コリンナは変装をして、街中で占い師のまねごとを始める。
最初は、ちょっとした冒険のつもりだった。変装も、占いも。
たくさんの本から仕入れた知識をフル活用すれば、たいていの悩みにそれらしいヒントを与えることが可能になる。
王宮を抜け出すのが楽しくて、いつもと違う自分になれるのが楽しくて。市井の中に自分の居場所ができていくのも、多くの人から自分の知らない世界の話を聞くのも、ありがとうと言われるのも本当に楽しかった。
そしてほんのちょっとの冒険が評判になってしまい、占い師に時間が取られ始めて「これはまずい」と思い始めた矢先、突然の立ち入り調査をしてきたのが、アルトウィンが扮する騎士だったのである。
お互い、雑な変装しかしていなかったから、すぐに正体を見抜いてしまった。
あの時のことを思い出すと、不謹慎にも今でも笑えて来る。
何しろ、いつも余裕があるアルトウィンの美しい顔がぽかーんとなってしまったのだから。もっともそれは、コリンナも同じだが。
アルトウィンは時々、一騎士として市井に紛れ込み、人々の暮らしを確認しているそうだ。
街の人々の声はなかなか王座までは届かないんだよ、と、あとになってアルトウィンが教えてくれた。
怒られるかと思ったコリンナだが、アルトウィンから「仕入れた情報を渡せるのなら、占い師活動を許可する。そのための協力は惜しまない」という条件を出され、頷いた。
だって、「もう一人の自分」が大きくなりすぎて、もう自分から切り離せなくなってしまっていたから。
あの時から、アルトウィンとコリンナの関係が変わった。それまでのドライな主従関係から、共謀者へ。
使われていない邸宅をアルトウィンから借りたあたりから貴族のお客様も増えてきて、アルトウィンもにっこりだ。
コリンナは占い師を続けるため、アルトウィンは市井調査のため、見破られない変装が必要だった。
今の雑な変装では、早晩正体が見破られる。
そこで二人は変装の技を磨くことにした。
それなりに会話が増え、親密度が増すにつれ、アルトウィンはコリンナにエレオノーラの様子を聞くようになった。
節度を持って接しているため、エレオノーラの情報に飢えているらしいのだ。
コリンナにとってエレオノーラは自慢の友達でもある。
背が高くて運動神経がよくて、馬にも乗れるし剣も扱える。室内でおとなしく刺繍をしたり楽器を演奏したりするのは苦手だが、決して座学が苦手というわけではなく、本の虫を自認するコリンナの話題にもついてくる。本人は「コリンナにはかなわないわね」と笑うが、コリンナが異常なのであって、エレオノーラの教養はじゅうぶん高い。
それはさておき、そんな自分たちの様子が、どうも、エレオノーラには「あの二人はデキている」ように見えていたようだ。
違うのに、と言いたいところだが、「もう一人の自分」の存在は知られてはならない。知られてしまったら、占い師をやめなければならなくなるかもしれない。それはコリンナにとって、人生の半分を失うようなものだ。
占い師として情報収集をしているから、アルトウィンにいろいろ融通をきかせてもらっているところもある。それらを失ってしまったら、自分には何が残るというの?
ゆえにこのことはエレオノーラにも秘密にしてきたわけだが、そのせいでエレオノーラが悩んでいるなら話は別だ。
「おとなしくエレオノーラに真実を話されたほうがよろしいと思います。エレオノーラなら秘密を守ってくれるでしょう。あの子の悩みは無用のものですよ。かわいそうに」
「だが信じてくれるだろうか。疑心暗鬼になって、余計に頑なに俺たちを疑いそうな気もする」
「そこですよ、陛下。陛下とエレオノーラの間に深い信頼や固い絆が存在しないのが、そもそも問題なのです。陛下があの子を大切にしたいのはわかります。でも、真綿で包んで慈しむだけが愛情ではありませんよ」
「じゃあ、どうすればいいんだ」
アルトウィンが拗ねたような顔になった。いつも誰に対しても飄々としているアルトウィンだが、エレオノーラが絡むといつものポーカーフェイスが保てなくなるのがおかしい。そのことを知っているのは今のところ、コリンナだけだが。
一応、アルトウィン本人も自分のエレオノーラへの執着心が常軌を逸している自覚はあるため、そのあたりは必死に隠しているのがまた。
「エレオノーラと普通に接すればいいんですよ。今の私と話しているみたいに」
「……。だがそんなことをすると、せっかくエレオノーラに植え付けてきた『理想のアルトウィン像』が壊れてしまう。本当の俺は優しくも理解があるわけでもない」
「よく存じております。でもそれが今、陛下とエレオノーラには必要なことだと思います。エレオノーラは陛下の本当の姿を知ってもきっと大丈夫だと……、大丈夫……だと……ダト、イイデスネ……」
「……なぜ棒読みになる」
「それよりも、どうなさいますか」
気を取り直してアルトウィンに聞き返せば、アルトウィンはそうだなあと顎を撫でながらしばらく思案したのち、一言二言、コリンナに耳打ちした。
「本気ですか?」
思わず聞き返してしまう。
「もちろん本気だ。エレオノーラの計画が成功したらキレるぞ、俺は。それにもしそうなったら、コリンナは俺と結婚しなくてはならなくなる。評議会はコリンナ推しだからな」
「陛下の妃なんて、絶対にいやです」
「だろう。だから協力してくれ」
「しかたありませんね」
コリンナは大きく息を吐くと、フードをかぶり直した。
部屋を出たところで黒衣の占い師はかがめていた体を伸ばし、足早に隣の部屋へ駆け込んだ。
中で壁際に立っていた人物が振り返る。着ているのは王宮の近衛騎士の制服だが、銀髪に紫色の瞳――この国の若き国王、アルトウィン・ギリンガムその人だった。
「……陛下」
フードを取り、コリンナが口を開きかけたところで「シッ」とアルトウィンが唇に指を立てる。クイクイ、と親指で部屋の反対側の隅を示す。
コリンナが占いに使っている部屋と、駆け込んだこの部屋は、もともとは続きの間であり、今は仮設の壁で区切っていた。その壁も薄く、聞き取り用の小窓がついている。
占い師と客の会話を盗み聞きするためだが、向こうの声が聞こえるということは、こちらの会話だって向こうに聞こえてしまうということ。
アルトウィンはコリンナを伴って音を立てないように静かに移動した。
「このところエレオノーラがふさぎ込んでいたのは知っていたのですが、お妃様に内定して自由が制限されているせいだとばかり……。違ったのですね」
声をひそめてコリンナが言うと、アルトウィンがいきなりにんまりと笑った。
「聞いたか、コリンナ。エレオノーラは俺のことを慕っているそうだ」
「聞きましたわよ。エレオノーラが私と陛下の仲を疑っていることもね」
「それは、気付かなかったな。どうしてそうなるんだろう。ウェストリー卿やフェリクスの助言をもとに、エレオノーラには優しく、節度を持って接してきたというのに」
アルトウィンが首をひねる。
フェリクスというのは、エレオノーラの兄である。
「節度……?」
「そう。エレオノーラは繊細なので、とにかく優しく接することと、距離を保つことが大切だと。あまりしつこくかまうと嫌われてしまうと言われたんだ。ちなみにソースはフェリクスらしい」
嫌な予感がする。
「……それ、いつの話ですか?」
「いつだろう? 最初にそう言われたのは、エレオノーラに初めて会った時だから……俺が六歳とか……? それから、ことあるごとに言われるんだ、あの二人に。エレオノーラには絶対に嫌われたくないからね」
「……。陛下、それ……、エレオノーラのお父様やお兄様に思いっきり牽制されているのでは……?」
コリンナはずっと不思議だった。
アルトウィンは王太子時代からエレオノーラのことが好きだ。アルトウィンを見ていればわかる。アルトウィンの目はずっと、エレオノーラを追いかけている。
だからエレオノーラが妃候補に選ばれたことは驚きもしなかった。自分も候補に上がったことには少々驚いたが、のちに、妃候補が一人だけではエレオノーラに注目が集まりすぎるというこということで選ばれたのだと、アルトウィン本人から教えられた。
同時に、「君を婚約者として選ぶことはない」とも言われたし、「エレオノーラを傷つけるような態度は慎むように」とも言われた。そのかわり、妃候補でいる間は、好きなことをしていい。支援は惜しまない、とも。
つまりコリンナは、エレオノーラを護るための防波堤なのだった。もちろんこのことは、コリンナの家族を始め誰にも口外していない。秘密にしておかなければ防波堤にならないから。
そしてエレオノーラが令嬢らしくもなく「馬乗りをしたい」「剣をやりたい」と言い出しても快く許可を出し(ただし、指南役はエレオノーラの父であり兄である)、そのことについて非難が出ようものなら氷の態度で黙らせてきた。
一方でエレオノーラの社交に関しては厳しく制限をかけ、他の男の目に触れないようにしてきてもいる。
先王は権力を分散させようとしていた気配があるが、アルトウィンは逆に権力を自分に集中させ国王の権限を強めている。どれもこれも、エレオノーラのためだという気がする。
それくらい、アルトウィンはエレオノーラのことが好きだ。
なのに、アルトウィン本人はエレオノーラとつかず離れずの距離を保っている。
エレオノーラの動向は気になるし一挙一動にいちいち大騒ぎするくせに(といっても、それを知っているのは共謀者であるコリンナくらいである)、本人の前では悠然と微笑むだけなのだ。
コリンナは長らくその態度が謎でしかたがなかった。
本性をエレオノーラに知られたくないからなのかな、と思ってこのあたりのことを聞いたことはなかったが、今になって謎が解明した。
思いっきり、エレオノーラの父と兄に牽制されている……。
そしてそれをアルトウィンは真に受けている。
いやそんなことより。
「陛下がエレオノーラのことをお好きなのは存じておりましたが、六歳? 私たちは一歳くらいの赤ん坊ですよ? その頃からエレオノーラを……?」
六歳児が一歳児を見初めるなんて、聞いたこともない。
「ウェストリー卿がエレオノーラを王宮に連れてきたことがあったんだ。お披露目でね。父の家臣たちはみんなそうするんだが、エレオノーラだけが輝いて見えた。彼女は特別だった。年を追うごとにかわいらしくなっていって、エレオノーラは天使そのものだと……」
「陛下が筋金入りのエレオノーラ好きだというのはわかりましたわ。話を戻しましょう。エレオノーラは私と陛下の仲を勘違いしており、婚約破棄を考えているようです」
なんだか止まらなさそうだったので、コリンナは慌ててアルトウィンの言葉を遮った。
一歳児を見初めた六歳児がここにいた。
前々からアルトウィンはヤバイと思っていたが、ここまでとは。
「そうだな。……どうしてそうなるんだ? 婚約破棄って、本気なのか? コリンナを推す九人を黙らせてエレオノーラを妃に選んだというのに」
「女の勘は鋭いといいます。私たちの『趣味』に、あの子も気付いたのでしょうね」
「なるほど。ちなみに俺はエレオノーラが気付いていることに、まったく気付かなかった。コリンナは?」
「私もまったく。エレオノーラも妃候補の侯爵令嬢ですから、見せたくない部分を隠すくらいはお手の物ですよ」
「なるほど」
実は、コリンナには変装して市井で占い師をする趣味が、アルトウィンには騎士に扮して王都をうろつく趣味がある。アルトウィン本人は「これも仕事だ」と言い張っているが、最近は「アロイス」というキャラクターを生み出して彼になり切っているところから、どう考えても仕事を超えてきている気がする。
まあ、自分ではない誰かになるというのは楽しいものだ。
もともと変装はコリンナの趣味だった。
アルトウィンはエレオノーラしか見ていない。
防波堤の役割を持たされているコリンナは、妃候補から降りることもできない。
王宮で上質な教育を受けられるのは嬉しい。王宮の立派な書庫を自由に使えるのも妃候補だからこそではある。でも、むなしさもある。
だって、生きる目標がない。
エレオノーラが趣味に邁進することが許されているなら、私だっていいでしょう? そんな屁理屈で妃候補に選ばれて一年ほどたったころ、コリンナは変装をして、街中で占い師のまねごとを始める。
最初は、ちょっとした冒険のつもりだった。変装も、占いも。
たくさんの本から仕入れた知識をフル活用すれば、たいていの悩みにそれらしいヒントを与えることが可能になる。
王宮を抜け出すのが楽しくて、いつもと違う自分になれるのが楽しくて。市井の中に自分の居場所ができていくのも、多くの人から自分の知らない世界の話を聞くのも、ありがとうと言われるのも本当に楽しかった。
そしてほんのちょっとの冒険が評判になってしまい、占い師に時間が取られ始めて「これはまずい」と思い始めた矢先、突然の立ち入り調査をしてきたのが、アルトウィンが扮する騎士だったのである。
お互い、雑な変装しかしていなかったから、すぐに正体を見抜いてしまった。
あの時のことを思い出すと、不謹慎にも今でも笑えて来る。
何しろ、いつも余裕があるアルトウィンの美しい顔がぽかーんとなってしまったのだから。もっともそれは、コリンナも同じだが。
アルトウィンは時々、一騎士として市井に紛れ込み、人々の暮らしを確認しているそうだ。
街の人々の声はなかなか王座までは届かないんだよ、と、あとになってアルトウィンが教えてくれた。
怒られるかと思ったコリンナだが、アルトウィンから「仕入れた情報を渡せるのなら、占い師活動を許可する。そのための協力は惜しまない」という条件を出され、頷いた。
だって、「もう一人の自分」が大きくなりすぎて、もう自分から切り離せなくなってしまっていたから。
あの時から、アルトウィンとコリンナの関係が変わった。それまでのドライな主従関係から、共謀者へ。
使われていない邸宅をアルトウィンから借りたあたりから貴族のお客様も増えてきて、アルトウィンもにっこりだ。
コリンナは占い師を続けるため、アルトウィンは市井調査のため、見破られない変装が必要だった。
今の雑な変装では、早晩正体が見破られる。
そこで二人は変装の技を磨くことにした。
それなりに会話が増え、親密度が増すにつれ、アルトウィンはコリンナにエレオノーラの様子を聞くようになった。
節度を持って接しているため、エレオノーラの情報に飢えているらしいのだ。
コリンナにとってエレオノーラは自慢の友達でもある。
背が高くて運動神経がよくて、馬にも乗れるし剣も扱える。室内でおとなしく刺繍をしたり楽器を演奏したりするのは苦手だが、決して座学が苦手というわけではなく、本の虫を自認するコリンナの話題にもついてくる。本人は「コリンナにはかなわないわね」と笑うが、コリンナが異常なのであって、エレオノーラの教養はじゅうぶん高い。
それはさておき、そんな自分たちの様子が、どうも、エレオノーラには「あの二人はデキている」ように見えていたようだ。
違うのに、と言いたいところだが、「もう一人の自分」の存在は知られてはならない。知られてしまったら、占い師をやめなければならなくなるかもしれない。それはコリンナにとって、人生の半分を失うようなものだ。
占い師として情報収集をしているから、アルトウィンにいろいろ融通をきかせてもらっているところもある。それらを失ってしまったら、自分には何が残るというの?
ゆえにこのことはエレオノーラにも秘密にしてきたわけだが、そのせいでエレオノーラが悩んでいるなら話は別だ。
「おとなしくエレオノーラに真実を話されたほうがよろしいと思います。エレオノーラなら秘密を守ってくれるでしょう。あの子の悩みは無用のものですよ。かわいそうに」
「だが信じてくれるだろうか。疑心暗鬼になって、余計に頑なに俺たちを疑いそうな気もする」
「そこですよ、陛下。陛下とエレオノーラの間に深い信頼や固い絆が存在しないのが、そもそも問題なのです。陛下があの子を大切にしたいのはわかります。でも、真綿で包んで慈しむだけが愛情ではありませんよ」
「じゃあ、どうすればいいんだ」
アルトウィンが拗ねたような顔になった。いつも誰に対しても飄々としているアルトウィンだが、エレオノーラが絡むといつものポーカーフェイスが保てなくなるのがおかしい。そのことを知っているのは今のところ、コリンナだけだが。
一応、アルトウィン本人も自分のエレオノーラへの執着心が常軌を逸している自覚はあるため、そのあたりは必死に隠しているのがまた。
「エレオノーラと普通に接すればいいんですよ。今の私と話しているみたいに」
「……。だがそんなことをすると、せっかくエレオノーラに植え付けてきた『理想のアルトウィン像』が壊れてしまう。本当の俺は優しくも理解があるわけでもない」
「よく存じております。でもそれが今、陛下とエレオノーラには必要なことだと思います。エレオノーラは陛下の本当の姿を知ってもきっと大丈夫だと……、大丈夫……だと……ダト、イイデスネ……」
「……なぜ棒読みになる」
「それよりも、どうなさいますか」
気を取り直してアルトウィンに聞き返せば、アルトウィンはそうだなあと顎を撫でながらしばらく思案したのち、一言二言、コリンナに耳打ちした。
「本気ですか?」
思わず聞き返してしまう。
「もちろん本気だ。エレオノーラの計画が成功したらキレるぞ、俺は。それにもしそうなったら、コリンナは俺と結婚しなくてはならなくなる。評議会はコリンナ推しだからな」
「陛下の妃なんて、絶対にいやです」
「だろう。だから協力してくれ」
「しかたありませんね」
コリンナは大きく息を吐くと、フードをかぶり直した。
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