精霊流し

たんぽぽ。

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精霊流し

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 毎年、お盆が近づくと思い出すことがある。爆竹の破裂音やロケット花火の打ち上がるヒュ~~パンッという乾いた音、火薬の匂いを含んだ生温い空気と共に蘇る思い出だ。もう二十年以上も前の出来事で、その夏俺は中学二年生だった。



✴︎



「火ィ付けるばい」
従兄弟のリョウちゃんがチャッカマンを手に言った。リョウちゃんの足元には爆竹の沢山詰まった段ボールが置いてある。

「爆竹ば箱買いしていっぺんに着火してみようで!」ということで、スーパーでしこたま買ってきたのだ。

「良かよ!」
俺は急いで段ボールから距離を取り、両耳に指を突っ込んだ。リョウちゃんが段ボールに火を近づけると、その部分から炎が燃え広がりやがて段ボールは爆ぜた。

 バババババチバチバチバババババババババババババチバチバチバチバチバババババババババチバチバチバチバババババチバババババチバババババチーン!!!

 火柱が上がり、爆音が漁港に轟く。鼓膜がビリビリ振動する。耳を塞いでいてもこれなのだから、至近距離で直に食らったら耳がどうにかなるんじゃないだろうか。さすがにやり過ぎたか?

 しかし白煙の向こうにいる火を付けた本人に動じた様子はなく、「燃え残りは無かかな?」とまだ残り火の燃えている段ボールを覗き込んでいる。

「危なかって!」
俺が言うとリョウちゃんは耳栓を外した。俺も耳栓を買っておけば良かった。もう一度俺は「危なか!」と叫ぶ。
「大丈夫やろ。全部爆発したごた。ゴミは後から片付けるけん」
そう言って段ボールをサンダル履きの足で蹴って道の端へ寄せ、道の先を行く祖父の精霊船を追いかけた。俺も後に続く。今から浜へ行き、船を海へ流すのだ。

 ここは長崎県の端っこの漁師町で、今日は八月十五日。俺は親に連れられて父親の実家に来ている。祖父の初盆のため、精霊流しに参加しているのだ。長崎市中心部の精霊流しの激しさには負けるが、海辺の田舎でもこの日はそれなりに賑やかになる。
 去年までも長期休みの度にこの町へは遊びに来ていたので精霊流しを見るのは初めてではないけれど、仲の良い従兄弟にも会えるし真夏の夜の非日常だしで気分は高揚しっぱなしだ。

 その凄まじい喧騒のせいで、小さい頃は精霊流しというものが夏祭りの一つだと思っていたが、れっきとした仏教の伝統行事らしい。初盆に精霊船を用意し故人の霊を乗せ、流し場まで運ぶのだ。

 いくつも漁船が係留してある漁港の横の道を、俺とリョウちゃんと精霊船を担ぐ親戚達とで練り歩く。先頭を喪主である伯父が歩き、その後ろを年嵩のいとこ達が船を担いで続く。船の周りには俺の両親や叔父叔母達もいる。祖父の船はそこまで大きくはないので担ぎ手は四、五人で足りるから俺に役目は無く、ただ花火で遊びながら付いて行くだけで良いので気が楽だ。

 まだ日が落ちる前だが、もう半時も経つと船にずらりと並べられた提灯の存在感は増すだろう。

 浜へ近づくにつれ、俺達の前後にも脇道から出てきたらしい精霊船の姿は一つ二つと増えてきた。近くでも遠くでも絶えず爆竹やロケット花火や鉦の音が鳴り響いている。

 俺とリョウちゃんはロケット花火を飛ばすことにした。俺は一度に一本が限界だが、一つ年上のリョウちゃんは指の股に器用に挟んで三本を同時に投げ飛ばす。軽い火傷をすることもしょっちゅうらしい。

 道の端でワイワイと袋から花火を取り出していると、俺達の横を小さな精霊船が通り過ぎた。船にはアニメキャラの人形やスナック菓子や果物などが乗せられている。夫婦と思しき二人が担いでいるが、こちらとは対照的に無言で無表情で早足だった。

 何より俺の目を引いたのはその小さな船の屋根部分に女の子が一人乗っていることだった。女の子は小学校に入るか入らないかくらいの年で、髪を二つ結びにしている。長袖のトレーナーにチェック柄のスカート、黒いタイツを身につけている。そして進行方向に向かって左側、つまり俺達の方を向いて足をぶらぶらさせて座っていた。

 どう考えても真夏の格好ではないし、そもそも精霊船に乗るなんて言う罰当たりな行為を周りの大人達が許すはずがない。俺はピンときた。

 試しにリョウちゃんの耳に口を近付けて、女の子に視線を向けて言ってみた。
「リョウちゃん、あれ」
爆竹が近くで鳴っていたので、こうしないと聞こえないのだ。

 リョウちゃんも俺に顔を寄せて答えた。
「〇〇さんとこの娘さんの船やろ。ツーリングに来とったバイクに轢かれたって。もうちょっとで小学生やったとに可哀想かねぇ」
やはりリョウちゃんには女の子の姿が見えていないようだった。

 他の船にも霊は乗っているはずなのに、俺に見えるのはその女の子だけだ。彼女は自分が死んだことを上手く理解できていないのかもしれない。

 遠ざかる女の子と目が合った。合った瞬間、彼女は笑って俺に手を振った。気付いてもらえたのが嬉しいのだろう。

 俺は上手く笑い返すことが出来なかった。直接知っている訳ではないとは言え、やはり幼い人の死を思うと心が痛む。小さな精霊船はすぐ先の角を曲がり見えなくなってしまった。俺とリョウちゃんは突っ立ってそれを見送った。

 ロケット花火を全身で上空に投げ飛ばしながら、俺は女の子に思いっきり手を振ってやれば良かったと後悔した。見えなくなるまで手を振り続けてやれば良かったのだ。

 やがて俺達は浜に着いた。法被を着た人々の姿がうっすらと見える。喧騒はさらに大きくなった。時々誰かの飛ばした花火が降って来て頭に当たる。辺りはすっかり暗くなり、提灯の灯りが次々と波打ち際に集まって来た。小さな精霊船と女の子の姿を探したが、暗さと人混みのせいで見つけることは出来ない。

 俺とリョウちゃんは堤防によじ登りロケット花火を飛ばしながら、海に流されて行くいくつもの精霊船を見送った。潮が引きつつあるのか船達は順調に沖へと流れて行く。沖に出過ぎた担ぎ手を案じて「もう戻って来んね!」と呼び掛ける声も聞こえる。

 精霊船は故人の霊を乗せ、波に合わせて上下しながら西方浄土を目指す。海は黒く、空との境目も分からないが、仲間がこんなにいるのだからさっきの女の子もきっと寂しくはないだろう。

 祖父や女の子の魂が無事西方浄土に辿り着けますように。そんな願いを込め、俺はありったけのロケット花火を沖へと放ち続けた。









注)海に落ちたロケット花火は後ほどスタッフが美味しくいただきました。
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