あやかしさんの古民家カフェで、ほっと一息、しませんか

野生のイエネコ

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 長野県松本市、古い城下町であるこの街には、駅を降りた瞬間からからりと乾いた風が気持ちよく吹いていた。
 駅前には、スーツケースを引いている様々な国からの旅行者が忙しなく歩いている。
 かくいう私も、その旅行者の一人だ。

 とは言っても、楽しい楽しい一人旅、というわけではない。
 
 ことの起こりは1週間前、家に帰ると、婚約者が浮気相手と一緒に私のベッドでくんずほぐれつしていた。
 同じ会社の同僚であり、結婚の報告も会社にしていたというのに、この仕打ちはあり得ない。
 ブチギレたままその足で同棲していた家を引き払い、マンスリーマンションに引っ越しをした。そして会社にも居づらくて退職願を提出し、私は落ち着ける家も職場も一度に失う形になってしまった。

 少し感情的に動きすぎたかな、とは思う。けれど、初めてできた彼氏でもあり、結婚の約束をしていた相手でもあるのだ。
 そりゃあ、我を失っても仕方ないというものだろう。

 ヤケクソのまま、溜め込んだ貯金を使って、私は兼ねてから訪れたかった温泉宿に来ていた。

 ブックストアやベーカリーが併設された複合施設でもある宿は、老舗旅館を改装して出来上がったもので、モダンでありながらも和の心あふれる落ち着いた空間になっていた。

 到着して早々、私は荷物の開梱作業もなおざりに、温泉へと向かった。
 まだ夕方で、入っている人は数少ない。

 「ふぅぅ」

 体をざっと流して、檜の湯船に浸かる。
 大きな窓からは青々とした日本庭園が覗いていて、非日常感にどっぷりと浸ることができた。

 大きく深呼吸をすると、鼻腔を木の爽やかな香りが通り抜ける。
 怒りと悲しみでぐちゃぐちゃになった体が、ゆったりと整って行くような感覚だった。

 温泉を出ると、早速お夕食。

 山菜の天ぷらに、お刺身の盛り合わせ、出汁の効いたあたたかな湯豆腐。菜の花のおひたしに、鹿肉のローストまで出てきた。

 天ぷらは爽やかな苦味が心地よく、椿油で揚げているとかで、からりと軽い食感だった。
 山間の松本市だけれど、お刺身も新鮮で、ほかほかのご飯に乗せると、いくらでも食べてしまいそう。
 お酒だって進んじゃう。
 
 頼んだのは、長野の銘酒「夜明け前」の生原酒。長野出身である島崎藤村にちなんだこのお酒は、生酒だけあってお米の風味が濃厚でありながらみずみずしく、透明感のある味わい。喉をするすると通ってしまう。
 
 「はぁ……。なんでこんなことになっちゃったかなぁ」

 部屋で一人、浴衣を着てご飯を食べていると、どうしたって色々考えてしまう。

 「結婚間近で浮気されるほど、私ってどうでもいい女だったのかしら」

 「そりゃあ、浮気する方が悪いにゃ。自分に原因を求めたって無駄無駄にゃ」

 突然、背後から声がかかった。

 「へっ?」

 びっくりして振り返ると、そこには白黒のハチワレ模様の猫がいた。尻尾の先端が微妙に二股に分かれ、先割れスプーンのようになっている。

 「えっ、中途半端な猫又?」

 「誰が中途半端にゃ! せっかく励ましてやったのに、失礼な女だにゃ。って、わたしのことが視えてるにゃ!?」

 「ああうん、視るのは随分と久しぶりだけれど……」

 そう、私にはなかなか人と深く付き合えない秘密があった。人ならざるもの・・・・・・・が視えるのだ。
 だからこそ初めて彼氏ができるのも遅かったし、失恋でこんなに荒れている。
 
 婚約者……今となっては元彼となった男と初めて会った時、彼のそばにいるとあやかしや幽霊が視えないことに気がついた。今まで他の人には視えないものが視える力のせいで、ついうっかり変なことを口走ってしまったりして、人間関係に支障をきたしていたのが無くなった。
 それで喜び勇んでお付き合いを申し込み、結婚まで考える仲になっていたのに……。

 ぐちぐちぐちぐち。
 やけになって猫又相手に愚痴っていると、猫又は呆れたようにこういった。
 
 「そりゃ、その男が精力旺盛すぎて幽霊もあやかしも近寄れなかっただけだろうにゃ。今までもお前が気づいていなかっただけで浮気されていたに違いないにゃ。そういう、シモの生命力が強すぎて魔を寄せ付けない奴はたまにいるにゃ」

 「な、なんですってぇ!?」

 慰めてもらおうと思ったのに、傷口に塩を塗られた。

 そっかぁ。元彼と付き合い始めてからあやかしの類が視えなくなっていたのは、元彼が女にだらしない奴だったからなのかぁ。

 って、納得できるかぁ!

 私は怒りを紛らわすように、ぐいっとお猪口を傾けた。

 もう、やってらんない。

 食べて飲んで、全部忘れてやる!
 
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