あやかしさんの古民家カフェで、ほっと一息、しませんか

野生のイエネコ

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17話 お盆編4

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 翌々日、山本くんは車で迎えに来てくれた。早朝の冷たい空気の中、我が家まで。こんなことなら朧車を連れてきて両親に会わせてあげればよかったかな。
 でも、気合いとあんみつで走る朧車で、首都高に乗るのは少し怖い。

 普通の車に乗って、祖父母の田舎まで走っていく。東京の喧騒から離れていくにつれて、帰省してから疲れていた心が癒やされていくのを感じる。
 引っ越してからというもの、すっかり田舎暮らしに染まってしまったみたい。

 群馬県の北東にある片品村。そこは、日本の名水にも数えられる豊かな湧水を有する、美しい場所だった。

 幼い頃には、祖父母の家に遊びに、夏休みの度訪れたものだ。

 「いーところだなー」

 ひぐらしの声が響く中、どこまでも続く田舎道を車で走る。風は柔らかく、緑は豊かで、全身を包み込むような清廉な空気が流れている。

 長野の峻厳な山々も美しいけれど、この地の、緑の木々でふんわり丸々した山も、見ているだけで心が安らぐ。
 深く、大きく息を吸うと、緑の香りが鼻腔を突き抜けた。
 
 「こんなところで毎年夏休みを過ごしてたのか、羨ましい」

 「山本くんはずっと東京?」

 「そうだよ。中学校の林間学校で初めて田舎の方に行った。そこで蝙蝠助けて吸血鬼になったんだよな」

 「へぇ、そうだったんだ。吸血鬼になった時って、どんな気分だった? 私は物心つく前から視えてたから」
 
 私はぼんやりと外を眺めながらも、少し踏み込んだ質問をしてみたくなった。
 人生の途中から急に人間じゃなくなり、色んなものが「視える」ようになるのはどんな気分なんだろう。
 私は最初からずっと視えていたから、思春期を終える頃には折り合いもつくようになったけれど。

 「色々視えるようになって、想像以上に世界の人口密度って高いんだなって思ったよ。あやかしもな、そこら中にいるし。まあでも、100年以上生きてる化け蝙蝠が仲良くしてくれて、寂しくはなかったかな。よく喋るやつでさ」

 「へえ。会ってみたいな」

 「今度紹介するよ。今はあいつ、八王子に住んでるんだ」

 「あ、なら特急あずさの通り道だ」

 当たり前のように、視えること前提の雑談が弾む。まるで普通の友だちの話でもするかのように、化け蝙蝠だったり、猫又のことを話したりする。
 それがものすごく楽しくて、長い車旅の最中でも時間を忘れてしまった。

 自覚はなかったけれど、私はずっと寂しかったんだと思う。あやかしも幽霊も視えないフリをして生きてきて、今までずっと仲良くなれることもなかった。
 カフェ・玉手箱で働き始めてからはずっと、色んなあやかしに囲まれて過ごしている。件さんの牧場に遊びに行って乳搾りを経験させてもらったり、雪緒さんと冬になったらスキー場に遊びにいく約束をしたり。

 そんな日々が、愛おしい。


 
 「着いたな」

 山本くんがそう言って、車を停めた。予約していた旅館は、静謐な山の中に佇んでいて、趣があってワクワクする。
 チェックインして荷物を置き、改めてまた伯母が亡くなっていたという沼に向かう。

 たどり着いたその湖沼は、水の透明度が高く、さすが観光地にもなるだけあって美しい場所だ。地元の人たちの努力によってこの美しさが保たれているのだという。祖父母からその話を聞くたびに、この沼の美しさが決して当たり前にあるものではなく、大切に守り育てられてきたものなのだと感じていた。
 
 すぐ近くには観光客向けのカヌー・カヤックの受付があり、お盆に旅行に来た観光客の人々の笑い声が響いている。

 「せっかくだからさ、カヌーに乗って行かない? 昔の話だし、湖沼に立ち入っても何もわからないかもしれないけれど……」

 「いいんじゃねーか? 普通に楽しむだけでも」
 
 柔らかい笑顔で、山本くんは受付の手続きを済ませてくれた。

 日差しの中でこんな風に笑っている山本くんは初めて見るかもしれない。本当は日陰にいた方がいいのかもしれないけれど、何でもないことのように私のわがままに付き合ってくれた。

 安全のための救命胴衣を装着して、二人乗りのカヌーに乗り込む。
 
 滑るように水面をカヌーが進んでいった。透明度の高い水の上に浮いていると、まるで空を飛んでいるように見えて不思議な感覚だった。

 青と緑の入り混じった光が、キラキラと瞬いている。

 「この景色だけでも、ここまで来た価値があるな」
 
 「ほんと、綺麗」

 水の底では小さな魚が泳いでいる姿が見える。まるで別世界に来たかのような光景に、ふわふわと夢見心地になってしまう。

 しかし……。
 
 のんびりとした時間を楽しんでいた私たちは、いつの間にかボートの下に巨大な生物が現れていたことに気づいた。

 「あ、あずみ、なんだこれ」

 「オオサンショウウオ、かな? そ、それにしても大きいね。1メートルぐらい?」

 「でかっ。危ないかな、とって食われたりしないよな?」

 吸血鬼だけれど怖いものが苦手な山本くんが動揺している。けれども私はその言葉で、この巨大生物があやかしである可能性に思い至った。

 「もしかして、あやかしなんじゃない? ……、こんにちはー」

 試しに挨拶でもしてみようと、巨大生物に話しかける。それを山本くんは「また妙なことを」と微妙な表情で見守っていた。

 「お主は、誰じゃ? この辺りでは見たことがないのう。だが、覚えのある気配じゃ」

 地響きのような低い声が聞こえてきた。どうやら、この巨大生物から聞こえてきているらしい。
 ザリザリと大きな石同士を擦り合わせたような声は、不思議と聞き心地が良く、それだけで何か神々しい存在なのだと感じさせた。
 
 「初めまして。私、この辺りに住んでいる桜井家の孫です。この沼で亡くなった桜井彩香の姪なんです」
 
 「おお、あの娘御の姪であったか。それはそれは……」

 「あなたは、この沼のあやかしさんですか?」

 「わしはこの沼の主じゃよ」

 なんと、沼の主だったか。

 「沼の主さん。私たち、この沼で亡くなった伯母のことを知りたいんです。母は自害したと思っているらしいんですけど、最後に残した言葉とか、もしあったら教えてくれませんか?」

 「自害? なんと、そのように思われておったのか。いやはや、そんなわけがあるまい……」

 沼の主はゆったりと話す。私たちは辛抱強くその言葉の続きをまった。

 「あの娘御はわしを助けてくれた。釣り人の捨てた糸に絡まり、力尽き掛けていたわしを助けて溺れ……。じゃが、弱っていたわしにはあの娘御を助けることができなんだ」

 「そうだったの……」

 その沼の主は、何百年もの昔からこの地に住み着いていたのだという。
 土地柄流れない水は悪いものが溜まりやすい傾向にある。そうならないように、この数百年間ずっと守ってきたのだそうだ。
 それが、人間の捨てた釣り糸で壊されそうになっていたと思うと、ぞっとしない話だ。
 
 伯母が救ったのは、この沼の主だけではなく、この美しく清廉な景色の全てなのだった。
 
 過去は取り返しがつかないことだけれど、伯母が絶望の末に身を投げたわけじゃないことがわかってよかったと思う。
 それを母にも伝えられれば、視える力に対しての印象も少しは変わるだろうか。


 その日の夜、私たちは宿の食事で舌鼓を打ちながらも、しんみりとしていた。もちろん部屋は別々なのだけれど、お夕食は山本くんの部屋で一緒にとることにしたのだ。

 「複雑な気持ちではあるけど、来てよかったな」

 「うん、私も本当のことを知ることができてよかったと思う。ここまで付き合ってくれてありがとうね」

 「いや、こっちこそいいお盆休みになった。……それでさ、あずみ」

 「んー?」

 山本くんは箸と茶碗を置いて居住まいを正した。その面持ちは、いつになく緊張している。

 「俺は吸血鬼だし、あずみとは寿命も違う。種族がそもそも違う。それはわかってる。わかってるけど……、俺があずみのご両親に話した気持ちは本物なんだ。なあ、フリじゃなくて本当に俺をあずみの彼氏にしてくれないか?」

 「山本くん……」

 山本くんは、私にたくさんの嬉しいや楽しいをくれる人だった。
 今までずっと避けていた家族と、本音でぶつかり合う機会もくれた。私の生き方を尊敬していると肯定してくれた。
 そんな山本くんに、惹かれる気持ちがないわけではない。

 ただ、やっぱり吸血鬼と人間という差に不安があるのも事実だ。私が歳をとっていく一方で、山本くんは百合絵さんと同じように、きっといつまでも若いまま。

 けれど……。

 もし断って、一緒にいられる時間が減ってしまったら。山本くんの長い人生の中で、ただでさえ私の存在は泡沫のようなものなのに、それでいいのかとも思う。

 「ごめんな。困らせるよな」

 私が黙って考え込んでいると、山本くんは苦笑してそう言った。「忘れてくれ……」と小さい声で呟く山本くんは、どこか寂しそうだ。

 「わ、私も、山本くんのことは好きだと思う。両親と本音でぶつかり合う機会をもらえたのは本当にありがたかったし、あの時言ってくれた言葉も、本当に嬉しかった。でも、やっぱり種族の違う人と付き合う覚悟はまだなくて」

 私は俯いたまま、山本くんの目を見れない。これから言う言葉は、とても卑怯な言葉だ。山本くんを傷つけるかもしれない。それでも私には他に言える言葉を思いつかなかった。

 「……時間が欲しい」

 「わかった。あずみがその気になってくれるまで、待つよ。そんな顔するなって、吸血鬼は気が長いんだ」

 そうして少しだけ私たちの関係性は変化したままに、お盆休みは終わった。

 少し気まずいことに、百合絵さんは映画の撮影以来、すっかり長野県に根っこが生えてしまって、仕事を休業した上松本に引っ越してきている。山本くんもそれに着いて、今は松本のマンスリーマンションに住んでいた。

 「おはよう! あずみちゃん。今日もいつものよろしくね」

 「……はよ」
 
 毎日のようにカフェに通ってきている百合絵さんについて、運転手をしているのは山本くんだ。少し眠そうながら、今日も格好いい。あれ以来、私は山本くんのことを直視できなくなっていた。

 「……あなたたち、何かあった?」

 「……や、なんにもないです」

 「そう? ならいいけど」
 
 何もないと、そう答えるしかない。今は、まだ。
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