5 / 22
心あたり
しおりを挟む日本恵明病院にたどり着いた。道路はかなり空いていて、運良く信号にもほとんどつかまらなかったはずなのに、恐ろしく長い時間に感じられた。
病院の受付で名前を言うと、担当であるという看護師の人が現れ、案内してくれた。
「ひとまず、ご安心ください。息子さん、とても幸運で打ちどころが良かったのか、無事ですよ」
ベテランとおぼしき、年配の看護師の話を聞いた途端、美佐子の全身にまとわりついていた緊張感が、さざ波のようにひいていくのが、わかった。
「こちらです。今は、眠っていますので、お静かに。でも脳波なども問題なく、大きな外傷もないので、すぐに退院できますよ」
看護師はそう言って、一礼して去って行った。忙しいのだろうなと思った。
病室に入り、眠っている和樹の顔を見た。穏やかな顔で眠っている。微かに寝息も聞こえる。
その顔は和樹が赤ちゃんの時を思い出させた。成長とともに随分顔が変わったように思えるが、根本的には何も変わっていない。
窓のカーテンのすき間から、わずかに夕日が差し込んで、和樹の寝顔を照らした。その光がまるで後光のように思えた。
おおう、神様、神様。ありがとうございます。
美佐子は、天を仰いで神様に感謝した。そして、なんどもなんども空に向かって頭を下げ続けた。
わが子をお救いたもうてくださってありがとございます。
和樹にもたらされた幸運を、神様に感謝せずにはいられない。
毎日、毎日テレビの報道で暗いニュースを伝えられる。悲しい事件や事故で、それまで築いてきた日常が崩れる。でも、それは自分とは一線を介していて、
自分の身には起こらないであろう。万が一起こったとしても、きっと神様が助けてくれる。
そう思わなければ、やってけない。
「酒本さん、ちょっとよろしいですか?」
先程の看護師に呼ばれた。
「はい」
と、美佐子が腰を浮かせて応対すると、
「あの……、できれば、お父様もご一緒に……」
と遠慮がちに言われたので、広志も席をたった。
「じゃあ、美咲頼んだぞ」
「うん、任せといて」
美咲に和樹のことは任せて、看護師の元に行くと、
「警察の方からお話があるそうです」
警察……?その言葉を聞いた途端、美佐子の心は曇った。一体なんで?ただの事故ではなかったのか?一緒に歩いている広志が美佐子に耳打ちする。
「あのな、警察っていうのは事故の場合でも、一応聞き込みをするんだよ。疑るのが彼らの仕事だからな」
広志にそう言われて、美佐子の心は晴れた。表情が曇っていたのを、広志は見逃さなかったのだろう。広志のこういう優しいところが好きだ。待合室のようなところに案内されると、既に警察の人と思われる人物がそこに、座っていた。
「私、○○署の田村と申します」
と言いながら、警察署を見せてきた。広志と美佐子は顔を見合わせ、田村と名乗った男に対して、軽く一礼した。
「この度は、和樹さんが大変ことになられて、心中お察し申し上げます。しかし先程、担当の医師の方にお伺いしましたが、不幸中の幸い、大事には至らなかったそうで……」
「はい、私どもも、ひとまず安心しております」
広志が答えた。
「立ち話もなんですので、まずはおかけ下さい」
田村に促され、二人は椅子に座った。
「あの、息子さんこのようなことになったのに、こんなこと申し上げるの心苦しいのですが……、最近和樹さんの方から、なにか変わったことがあったという話は聞いてないでしょうか?」
「いいえ、全く。和樹は大学に入学してから、一人暮らしを始めて、今日は久しぶりに実家に帰ってくることになっていたのです」
田村の問いに、広志が応じる。広志はある程度予想していたのか、冷静な対応だ。
「そうでしたか……。ということは。和樹さんの近況はお聞きしていなんですね。実は……、今回の事故ですが、工事現場の近くで不振な人影を見たという目撃情報がありまして」
「えっ?何だって?」
田村の言葉に、さすがに広志も冷静に応じられない様子だ。美佐子も心臓が早鐘を打つのが自分でもわかった。
「はい、工事現場の人にも確認したのですが、資材の方は安全性に問題がないか、確認したばかりだそうで、自然に崩れるとは考えにくいということなんです。なんでもいいので、なにか心当たりのようなものはありませんか?例えば、人に恨まれるようなことがあったとか……」
心当たり……?そう言われて、長峰今日子の言葉が美佐子の脳裏に蘇る。
――アンタノコドモガシネバヨカッタノヨ――
「馬鹿なこと言わないでくださいよ!!」
バンッと机をたたく音で美佐子は、我に返った。
「そんなわけなでしょ?人に恨まれる?うちの子はそんな子じゃありませんよ」
広志が見たこともないような怖い顔をして激昂している。
「もちろん、そうですよね。大変申し訳ありません。お子様がそんな方だとは思いません。ですが、逆恨みということもありますし、こちらも少しでも事件解決のために情報を収集するのが仕事ですので。なにか些細なことでも結構ですので、ありませんか?」
田村は、丁重な言葉遣いをしているが、その態度はいったて冷静だ。むしろ、ふてぶてしくも見える。きっと怒鳴られたり、なじられたりするのは慣れているのだろう。
広志は、目を閉じ、指でこめかみのあたりをおさえ、しばらく考え込んだ。やがて、首を左右に大きくふり、こう言った。
「イヤ……、私にはまったくそういった心当たりはありません」
「そうですが……」
田村が広志の言葉に短く答えたと思うと、美佐子の方に顔を向けてきた。明らかに顔がこう言っている。
――奥様はなにか心当たりはありませんか?――
「あの……、わたくしの方も……、そういった心当たりはありません」
弱々しい声でそう答えた。田村は美佐子の顔をじっと見ている。もしかして嘘が見抜かれたのかと、不安な気分になった。
「……そうですか」
田村は美佐子の顔を見たまま、そう答えた。
「当たり前だ。そんなものは無い」
広志はふんぞり返ってそう言った。
その様子を見て、美佐子は少し申し訳ない気分になった。
だが、美佐子は気がついてなかったのだ。夫が嘘をついていることに。心当たりがあるにも関わらず。
0
あなたにおすすめの小説
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
一億円の花嫁
藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。
父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。
もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。
「きっと、素晴らしい旅になる」
ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが……
幸か不幸か!?
思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。
※エブリスタさまにも掲載
愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。
ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。
子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。
――彼女が現れるまでは。
二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。
それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる