砂の種

晴日青

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「僕は、『何』なのだろう」

 話を聞き終わって、アザリーは不安げに呟く。
 答える声はない。
 アザリー自身も期待してはいなかった。
 自分ですら分からないことを求めるのは間違っている。
 ビゼルは困ったようにアザリーを見ていた。

「とても痛かった。命が尽きていく恐ろしさを全身で感じた。自分の体温がなくなっていくのも、温かさが流れていくのも、全部まだ覚えている。……もう二度と味わいたくない。なのにまた経験するかもしれない」

 自らの死んでいく瞬間を思い返しながら、アザリーは熱に浮かされたように言葉を並べる。
 アザリーの意識の外でビゼルが動いた。
 立ち上がると、寝台の上のアザリーが目線の下に来る。
 ビゼルは固まった血液が塗料のように付着したアザリーの髪に触れ、苦痛と恐怖に怯える彼の言葉を遮った。
 そのままそっと頭を抱き締めると、沈黙したアザリーは頭を預けてきた。
 ビゼルはそれを母親のように優しく撫でながら言う。

「アザリー、私分かったことがあるわ。……死なないことを夢だとする人もいるでしょうけど、それは全然素敵なことじゃないってこと。死の痛みを永遠に受け続けて、それでも死ねないんだもの」
「…………」
「私、もう少しで死ぬの。あなたはきっと知らないわね。『砂』の呪いのこと」

 ビゼルは語った。自らを蝕む『砂』のことを。
 それは砂漠の町に住む者が恐れる病の一つ。
 ある日突然発症し、徐々に身体が石のように動かなくなっていく。
 やがてこの世に存在していた証すら残せないまま、砂となる。

「私の身体が動くうちに、生きていた証として身体だけでも残したかった。いつか必ず朽ちるとしても……」
「君が最初に河にいたのはそれが理由……?」
「そう。私の身体は海に流れて、他の生き物に取り込まれる。それって、私がその生き物の中で生きているのと同じじゃない? 私は死にたくて、生きたかった」

 彼女が死を望む理由は誰よりも生を望んでいるから。
 矛盾したそれに、アザリーはうまく言葉を返せなかった。
 何を言うのが正しいのか、考える意味もないような気がして。

「ねぇ、アザリー。本当に死ねないのだとしたらあなたは大変ね」
「大変?」

 死なない、ではなく、死ねない、と表現した彼女の優しさに気付かない振りをして、アザリーは問う。
 何が大変なのか分からなかった。彼女と違って自分には永遠が約束されている。死の痛みを何度味わうことになっても、残された時間の長さに比べたら些細なことのように思えた。ビゼルに比べれば自分は幸せだ、ということではなく、客観的に見た事実だった。

「永遠を生きるってことは、忘れちゃいけないことがたくさんあるってことだもの」
「……」
「あなたの失くした記憶の向こうにも忘れてはいけない誰かがいるのよ」

 だから思い出してあげて、とビゼルは続けた。
 アザリーの知らない過去の中に忘れてはいけないものがあるのだろうか。
 記憶を失った彼には分からない。

「……僕は」

 アザリーは口を開きかけて、言葉に迷ったのか何も言わずに閉じる。
 忘れてはいけないこと、それは忘れたくないことに繋がる。
 過去を失ったアザリーが今望むのは。

「僕は、ビゼルのことを忘れないよ」

 アザリーの頭を抱く力が一瞬緩んだかと思うと、突然息をするのが苦しいほど強くなる。
 色のない髪に顔を埋めて、ビゼルは小さくありがとうと言った。
 しばらくそうしていた後、赤くなった目元を隠すように顔をそらしながら、ビゼルはアザリーから離れた。

「記憶喪失の僕が言ってもいまいち信用に欠けるけどね」

 茶化すようにアザリーが言う。
 今まで見たことのない穏やかな笑みを浮かべて、ビゼルはもう一度感謝の言葉を呟いた。
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