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***
やがて、彼らは互いに依存し、惹かれ合う。
一瞬を抱えて生きるビゼルと、永遠を抱えて生きるアザリーがそれぞれに憧れるのは当然のことだった。
それは、いつか忘れられ、自分という存在を失うことに怯えていたビゼルがようやく手に入れた安息だった。
そうして惹かれ合って、過ぎる日々に怯えて。
それでも二人は確かに生きていた。
たった一瞬を握り締めながら。
***
アザリーがビゼルの元に現れて半月ほど過ぎた。
共に外を歩く日は減り、ビゼルが寝台から起き上がる日も減った。
彼女が最初に会ったときから庇っていた左腕、盗賊に襲われたときにうまく動かなくなった足。それは砂の呪いのせいだったのだ。
そうしてだんだんとビゼルの身体は蝕まれ、次第に全く動かなくなっていく。
どうすることもできないまま、アザリーは側にいた。
話をすることすらやがて叶わなくなるのだと思うと身が裂かれるような痛みを感じた。
「アザリー」
ビゼルは天井を見上げたまま、彼の名を呼ぶ。
視界に姿が映らなくとも、彼が近くにいるのは分かっていた。
案の定、人の動く気配がして、動けないビゼルの顔を覗き込む。
アザリー、ともう一度名前を呼んでからビゼルは言った。
「初めて会ったあの場所、連れて行って」
繊細な硝子細工を扱うようにアザリーはビゼルを抱き上げた。
しがみついてくることも運びやすいように体勢を整えることもなく、ビゼルは大人しく虚空を見つめていた。
時折表情が動くのを見る度にアザリーは一人安心する。まだ砂に変わる呪いは回りきっていないのだと。
あのときと同じで外は暗かった。
河も底が見えないほど黒々と光を飲み込んでいて、改めてここに身を投げようとしたビゼルの覚悟を思い知る。
「いろんな音が聞こえる。水の流れる音、虫の鳴き声、風の音……アザリーの鼓動の音」
消えてしまう自分に刻むように、しばらく彼女は世界に満ちた音に身を委ねる。
頬を撫ぜる風の感触も、痛いほど自分を抱き締める腕の感触も、何も感じられなくなった今、彼女に残ったものは音だけだった。
アザリーは何も言わずに立ち尽くす。このままビゼルが消えないよう離さずにいることしかできなかった。
「あぁ」
ビゼルが溜め息に似た呟きを漏らす。
河の流れを見ていたアザリーが何気なく視線を落とすと、そこには頬を濡らすビゼルがいた。
拭ってやりたいのに彼女を抱きかかえているため手が使えない。
そのもどかしさが死に行くビゼルと死ねないアザリーの関係を表しているようで。
皮肉めいたそれに、アザリーは唇を噛み締めて気付かない振りをした。
「死にたくないなぁ」
一瞬、世界の音が聞こえなくなる。
今まで一度も発せられたことのないビゼルの本当の願い。
生に執着するあまり死を選ぼうとした彼女がはっきりそう言ったのは初めてだった。
無意識にその身体を抱き締めて、アザリーは心から願った。
いつか訪れるそのときが一瞬でも遅くなるように、と。
「付き合わせてごめんね。帰ろっか」
明るい声が刃のように突き刺さって。
眠くなったと笑う声が呪いのように染み付いて。
どうやって戻ったのか思い出せないまま、いつの間にかビゼルは寝台で寝息を立てていた。
軽くなってなお残る彼女の重みが、まだ痺れとして腕に残っている。
生きていることを示すような温かみも同じように。
明日など永遠に来なければいい。
そう呪いながらアザリーもまた眠りについた。
***
朝、目が覚めたアザリーの目に映ったのは寝台に散る銀の粒だった。
砂と呼ぶには大きく、石と呼ぶには小さい。それはまるで何かの種のように見えた。
それを見て、アザリーがすべてを理解するのに時間はかからなかった。
ただ、受け入れるのに時間がかかっただけで。
アザリーは砂の粒に手を伸ばし、少しだけすくい上げる。
手を開くと指の隙間から零れて、一粒も残らない。
「……おやすみ、ビゼル」
しばらくしてから、アザリーはそれを拾い集め始めた。
小さな布の袋に入れては新しい粒を拾い、寝台の上に一粒も残らないようにする。
「君を、ただの砂では終わらせない」
最後の一粒を袋に入れ、アザリーは言う。
代わりに一粒、どこからともなく水の雫が零れた。
砂に染み込むようにシーツに染み込んだ雫は少しずつ数を増やしていく。
「ビゼル。種を意味する名を持つ君はいつか世界に芽吹くだろう」
引き裂くようにシーツに爪を立て、アザリーは頭を垂れた。
手の中に握り込んだ袋の小ささに、また雫が落ちる。
「僕の尽きない命は君のために存在していたんだ」
***
やがて、世界の各地で不思議な青年の物語が生まれる。
ある時は繁栄を、ある時は衰退を、街を作り街を滅ぼし、砂漠に雨を呼んだとも言われるその青年の物語は、いつしか世界中に芽吹き、世代を越えてなお風化することなく受け継がれていったという。
青年がどこにいるのか、今もなお生きているのかは分からない。
ただ、物語を真実だと受け止めるなら、彼は今もまだ砂の種を蒔き続けていることになるのだろう。
やがて、彼らは互いに依存し、惹かれ合う。
一瞬を抱えて生きるビゼルと、永遠を抱えて生きるアザリーがそれぞれに憧れるのは当然のことだった。
それは、いつか忘れられ、自分という存在を失うことに怯えていたビゼルがようやく手に入れた安息だった。
そうして惹かれ合って、過ぎる日々に怯えて。
それでも二人は確かに生きていた。
たった一瞬を握り締めながら。
***
アザリーがビゼルの元に現れて半月ほど過ぎた。
共に外を歩く日は減り、ビゼルが寝台から起き上がる日も減った。
彼女が最初に会ったときから庇っていた左腕、盗賊に襲われたときにうまく動かなくなった足。それは砂の呪いのせいだったのだ。
そうしてだんだんとビゼルの身体は蝕まれ、次第に全く動かなくなっていく。
どうすることもできないまま、アザリーは側にいた。
話をすることすらやがて叶わなくなるのだと思うと身が裂かれるような痛みを感じた。
「アザリー」
ビゼルは天井を見上げたまま、彼の名を呼ぶ。
視界に姿が映らなくとも、彼が近くにいるのは分かっていた。
案の定、人の動く気配がして、動けないビゼルの顔を覗き込む。
アザリー、ともう一度名前を呼んでからビゼルは言った。
「初めて会ったあの場所、連れて行って」
繊細な硝子細工を扱うようにアザリーはビゼルを抱き上げた。
しがみついてくることも運びやすいように体勢を整えることもなく、ビゼルは大人しく虚空を見つめていた。
時折表情が動くのを見る度にアザリーは一人安心する。まだ砂に変わる呪いは回りきっていないのだと。
あのときと同じで外は暗かった。
河も底が見えないほど黒々と光を飲み込んでいて、改めてここに身を投げようとしたビゼルの覚悟を思い知る。
「いろんな音が聞こえる。水の流れる音、虫の鳴き声、風の音……アザリーの鼓動の音」
消えてしまう自分に刻むように、しばらく彼女は世界に満ちた音に身を委ねる。
頬を撫ぜる風の感触も、痛いほど自分を抱き締める腕の感触も、何も感じられなくなった今、彼女に残ったものは音だけだった。
アザリーは何も言わずに立ち尽くす。このままビゼルが消えないよう離さずにいることしかできなかった。
「あぁ」
ビゼルが溜め息に似た呟きを漏らす。
河の流れを見ていたアザリーが何気なく視線を落とすと、そこには頬を濡らすビゼルがいた。
拭ってやりたいのに彼女を抱きかかえているため手が使えない。
そのもどかしさが死に行くビゼルと死ねないアザリーの関係を表しているようで。
皮肉めいたそれに、アザリーは唇を噛み締めて気付かない振りをした。
「死にたくないなぁ」
一瞬、世界の音が聞こえなくなる。
今まで一度も発せられたことのないビゼルの本当の願い。
生に執着するあまり死を選ぼうとした彼女がはっきりそう言ったのは初めてだった。
無意識にその身体を抱き締めて、アザリーは心から願った。
いつか訪れるそのときが一瞬でも遅くなるように、と。
「付き合わせてごめんね。帰ろっか」
明るい声が刃のように突き刺さって。
眠くなったと笑う声が呪いのように染み付いて。
どうやって戻ったのか思い出せないまま、いつの間にかビゼルは寝台で寝息を立てていた。
軽くなってなお残る彼女の重みが、まだ痺れとして腕に残っている。
生きていることを示すような温かみも同じように。
明日など永遠に来なければいい。
そう呪いながらアザリーもまた眠りについた。
***
朝、目が覚めたアザリーの目に映ったのは寝台に散る銀の粒だった。
砂と呼ぶには大きく、石と呼ぶには小さい。それはまるで何かの種のように見えた。
それを見て、アザリーがすべてを理解するのに時間はかからなかった。
ただ、受け入れるのに時間がかかっただけで。
アザリーは砂の粒に手を伸ばし、少しだけすくい上げる。
手を開くと指の隙間から零れて、一粒も残らない。
「……おやすみ、ビゼル」
しばらくしてから、アザリーはそれを拾い集め始めた。
小さな布の袋に入れては新しい粒を拾い、寝台の上に一粒も残らないようにする。
「君を、ただの砂では終わらせない」
最後の一粒を袋に入れ、アザリーは言う。
代わりに一粒、どこからともなく水の雫が零れた。
砂に染み込むようにシーツに染み込んだ雫は少しずつ数を増やしていく。
「ビゼル。種を意味する名を持つ君はいつか世界に芽吹くだろう」
引き裂くようにシーツに爪を立て、アザリーは頭を垂れた。
手の中に握り込んだ袋の小ささに、また雫が落ちる。
「僕の尽きない命は君のために存在していたんだ」
***
やがて、世界の各地で不思議な青年の物語が生まれる。
ある時は繁栄を、ある時は衰退を、街を作り街を滅ぼし、砂漠に雨を呼んだとも言われるその青年の物語は、いつしか世界中に芽吹き、世代を越えてなお風化することなく受け継がれていったという。
青年がどこにいるのか、今もなお生きているのかは分からない。
ただ、物語を真実だと受け止めるなら、彼は今もまだ砂の種を蒔き続けていることになるのだろう。
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