恋愛ビギナーと初恋イベリス

からぶり

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6-1 常盤薺奈は自覚する

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「ふ、ふう……よしっ!」

 深呼吸をして気持ちを整え、ドアに手をのばし――

「う……ぐ……」

 寸でのところで手を止めてしまう。

 今日は先輩が翠泉先輩に告白したのはウチの勘違いということが判明した、その翌日である。
 ウチは部室の前で手をのばしては引っ込める、という奇妙な動きを繰り返していた。

 ――このドア一枚隔てた先には先輩がいる。

 そう考えるだけで、足元はぐらつき、痛いほど心臓が脈を打ち……緊張のあまり、なかなか部室に入ることが出来ない。

 こ、これってやっぱり……そう言うことだよね。う、ウチは先輩のことが……す、す、好き……なのかな……。

「う、うう……こ、これじゃダメっす。こんなのウチのキャラじゃないっす!」

 こんな恥ずかしがったり照れたりなんて、ウチには似合わないにもほどがある。

「そ、そもそも、ウチが先輩のことをすっ、すす、好きだとか、まだ決まったわけじゃないっすし」

 なにせ今まで好きな人なんていたことがない。
 だから、今抱いている感情が本当に『好き』という感情だとは言い切れない。

「……こうなったら、白黒はっきりつけてやるっす!」

 本当にウチは先輩のことが好きなのか。
 それとも、これはただの勘違いなのか。


 ――ウチは一体、先輩のことをどう思っているんだろう。


 ○

 しとしとと雨の降る空模様は、まるで俺の心を映し出しているかのよう。

 空から落ちてくる雫は校庭に広がる水たまりへと打ちつけられ、大小さまざまな波紋をかたどっては消えていく。それはどこか幻想的で、心に刻まれた傷を癒してくれそうな光景だった。

 どうも。好きな子に手を差し伸べた結果、悲鳴をあげられてその上逃げられた男、紗倉奏汰です。

 自分が冴えない非モテ系男子であることくらい自覚してたけど、まさか悲鳴をあげられるほど好感度が低いだなんて思ってなかった。

 こうして三ヶ月も同じ部活で過ごしてきた仲だけど、それだけで親密な間柄になろうだなんて甘い考えだったようだ。

 もしかしたら、薺奈ちゃんに避けられちゃうかもなぁ……そしたらショックだなぁ――と、そんなことを考えていたわけだけど、だからこそ俺は今の状況に、喜ぶよりも先に困惑するばかりであった。

「あの……後輩ちゃん? なんていうか、その……近くない?」
「そ、そうっすか? べ、別にウチは、いつも通りだと思うっすけど」

 耳元から返ってくる、強張った声。

 俺のすぐ横、身体がくっつきそうなほど近くに、薺奈ちゃんは座っていた。

 避けられるどころか、より近くなった距離。

 ……な、なんだこれ。いったい薺奈ちゃんは何を思ってこんなことを? あ、汗臭いとか思われてないだろうか……。

「め……珍しいね後輩ちゃん。君が隣に座るだなんて」
「先輩は、ウチが隣に座るのは……嫌、っすか……?」
「そ、そんなことないさ! 嫌じゃなくて……むしろその、う……嬉しい、かな」
「そ、そうっすか…………う、ウチもっす」

 く……苦しい! 空気が苦しい! どうしてこんな……こんな……あ、甘酸っぱい雰囲気になっているんだ。俺はこういうのには耐性がないと言うのに!

 こ、このままでは俺の理性が持たない! そう思って自分が冷静さを保てる適正距離まで移動しようと立ち上がりかけた時、そっと服の裾をつままれた。

「せ、先輩……できれば、このままで……」

 そこには消えてしまいそうなか細い声で、上目遣いに頼んでくる薺奈ちゃんの姿。

 な、何だこの可愛い生き物。いやいつもの薺奈ちゃんも可愛いんだけど、今日はいつもと違い守ってあげたくなると言うか……とにかく、こんな薺奈ちゃんにお願いされたらそれに答えないわけにはいかないじゃないか。

「う、うん……そうだね……今日は、このままで……。と、ところで後輩ちゃん。もしかして何かあった? その、今日の後輩ちゃんはいつもと違うと言うか……」

 浮きかけた腰を降ろしつつ薺奈ちゃんに聞いてみれば、彼女からはボソボソとためらいがちな返事が返ってくる。

「いえ、その、何かあったと言うか……何が起きているのかを確かめているというか……」
「えっと、つまり?」
「と、とにかく! ウチが確証を得られるまではこのままでいてくださいっす!」

 そう言って、床を見つめるように顔を逸らしてしまう薺奈ちゃん。俯かせたその顔を窺うことは出来ないけれど、胡桃色の髪から覗く小ぶりな耳は、恥ずかしそうに赤らんでいた。

 ナーバス? それとも情緒不安定……は違うか。
 今の彼女の精神状態をどう表現するのが適切なのかは分からないけど、ここまで弱っている薺奈ちゃんは初めて見る。

 ……これってやっぱり、俺が関係してるのかなぁ。薺奈ちゃんの様子がおかしいのは昨日からだし。でも何が原因なんだ?

 新入部員を勝手に増やそうとしたこと……はたぶん違うだろう。それについては、不機嫌になっていたのは勘違いだって薺奈ちゃん本人が言ってたし……ん? あれ、それなら何を勘違いして不機嫌になっていたんだ?
 そう言えばそれを聞こうとしてから、薺奈ちゃんの様子がおかしくなったような……。

 勘違い……不機嫌になった理由……薺奈ちゃんが見たのは俺と彩芽が帰っているところで……しかし俺は彩芽を幽霊部員として勧誘していただけだし、勘違いと言っても一体どこで――っ!


 いや待て! あの時あったことと言えば――!


『俺は――お前が欲しい!』

「こ――これかぁぁああ!」
「うわわっ!? きゅ、急にどうしたんすか先輩!」
「あ……ご、ごめん」

 つい謎が解けた興奮で大声を出してしまった。反省反省。

 しかし……そうか。薺奈ちゃんの勘違いってそう言うことだったんだ。

「後輩ちゃん」
「な、なんすか?」
「後輩ちゃんって今……何か思い悩んでいることがあるんじゃない?」
「う……はいっす。そりゃ分かっちゃうっすよね」
「そして、それには俺が関係している。もっと言えば……昨日言ってた、勘違いとやらが関係しているんじゃない?」
「――――っ!」

 ビクッと薺奈ちゃんの肩が跳ねる。この反応を見るに、どうやら図星のようだ。

「その勘違いってもしかして……俺が彩芽に告白したと勘違いした、とか?」
「な――せ、先輩、気づいて……」
「やっぱりか……」

 こちらを見上げる薺奈ちゃんの顔には、不安の色が見てとれる。そして同時に、何かを期待しているかのようにも見えた。

「まさか後輩ちゃんにそこまで親身に思われてるなんてね。嬉しい限りだよ」
「し、親身って……そ、そうなんすかね。やっぱりこれって、そう言うこと――――」
「まさか後輩ちゃんが、前にした『どうしたら彼女が出来るのか』って相談をそこまで真剣に考えてくれてたなんてね」
「――――は?」

 あの時は面白がってるだけなんじゃないかとか思ったけど、それは俺の間違いだったんだな。俺は失礼な勘違いをしていたようだ。あれから日が経った今でも、薺奈ちゃんはこうして思い悩んでくれているというのに。

「あの、あのあのあの。ちょっと待ってもらっていいっすか?」
「うん? なんだい?」
「えーと……一回話を整理したいんすけど、先輩はウチが何をどう勘違いしたと?」
「だから、俺が彩芽に告白したって勘違いでしょ?」
「……で、それでどうしてウチが不機嫌になったと思ってるんすか?」
「前に相談したにもかかわらず、途中経過も報告しなかったから……じゃないの?」

 やっぱり相談した手前、進展を報告したりする義務があるだろう。それを怠った俺に怒っていたのかと思ったんだけど……。

「あれ、もしかして……違った? 違ってたなら本当はどうしてなのか教えてほしいんだけど……」
「違うに決まって――あ、いや! えっと……そ、その通りっす! そ、そーゆ―ことはちゃんとウチに教えてくれないとっすよ、先輩!」
「ごめんごめん――って、だからそれは誤解なんだけどね。まあもし何かあれば、その時はちゃんと後輩ちゃんに報告するよ……まあ報告する以前に、当事者なんだけど」
「先輩? 今何か言ったっすか?」
「ああ何でもない何でもない! と、とにかく今は何も報告することはないから!」
「そ、そうっすか…………そうっすか」

 しかし、果たして報告できる日は来るのだろうか。報告というか……告白を。

 ただでさえ仲を深めるのにも苦戦している日々。この調子だと、いつ告白することが出来るのか分かったもんじゃない。

 まさかずっとこのままで何もできずに卒業してしまうなんてことも……あ、あまり考えないようにしよう。

「どうしたら彼女が出来るのか……っすか」

 ふと、隣から呟く声が聞こえる。

「先輩は……あの時みたいに、今でも彼女が欲しいって思ってるんすか?」
「後輩ちゃん?」

 どうしてそんなことを聞いてくるのか。それも念を押すように。それほど、あの相談を真剣に考えてくれているのか? それとも別の思惑が……。


 ……なぜか、本当になぜかは分からないけど、この質問には俺が思っているよりも、もっと複雑な感情が込められているように感じた。
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