恋愛ビギナーと初恋イベリス

からぶり

文字の大きさ
23 / 27

6-1 常盤薺奈は自覚する

しおりを挟む

「ふ、ふう……よしっ!」

 深呼吸をして気持ちを整え、ドアに手をのばし――

「う……ぐ……」

 寸でのところで手を止めてしまう。

 今日は先輩が翠泉先輩に告白したのはウチの勘違いということが判明した、その翌日である。
 ウチは部室の前で手をのばしては引っ込める、という奇妙な動きを繰り返していた。

 ――このドア一枚隔てた先には先輩がいる。

 そう考えるだけで、足元はぐらつき、痛いほど心臓が脈を打ち……緊張のあまり、なかなか部室に入ることが出来ない。

 こ、これってやっぱり……そう言うことだよね。う、ウチは先輩のことが……す、す、好き……なのかな……。

「う、うう……こ、これじゃダメっす。こんなのウチのキャラじゃないっす!」

 こんな恥ずかしがったり照れたりなんて、ウチには似合わないにもほどがある。

「そ、そもそも、ウチが先輩のことをすっ、すす、好きだとか、まだ決まったわけじゃないっすし」

 なにせ今まで好きな人なんていたことがない。
 だから、今抱いている感情が本当に『好き』という感情だとは言い切れない。

「……こうなったら、白黒はっきりつけてやるっす!」

 本当にウチは先輩のことが好きなのか。
 それとも、これはただの勘違いなのか。


 ――ウチは一体、先輩のことをどう思っているんだろう。


 ○

 しとしとと雨の降る空模様は、まるで俺の心を映し出しているかのよう。

 空から落ちてくる雫は校庭に広がる水たまりへと打ちつけられ、大小さまざまな波紋をかたどっては消えていく。それはどこか幻想的で、心に刻まれた傷を癒してくれそうな光景だった。

 どうも。好きな子に手を差し伸べた結果、悲鳴をあげられてその上逃げられた男、紗倉奏汰です。

 自分が冴えない非モテ系男子であることくらい自覚してたけど、まさか悲鳴をあげられるほど好感度が低いだなんて思ってなかった。

 こうして三ヶ月も同じ部活で過ごしてきた仲だけど、それだけで親密な間柄になろうだなんて甘い考えだったようだ。

 もしかしたら、薺奈ちゃんに避けられちゃうかもなぁ……そしたらショックだなぁ――と、そんなことを考えていたわけだけど、だからこそ俺は今の状況に、喜ぶよりも先に困惑するばかりであった。

「あの……後輩ちゃん? なんていうか、その……近くない?」
「そ、そうっすか? べ、別にウチは、いつも通りだと思うっすけど」

 耳元から返ってくる、強張った声。

 俺のすぐ横、身体がくっつきそうなほど近くに、薺奈ちゃんは座っていた。

 避けられるどころか、より近くなった距離。

 ……な、なんだこれ。いったい薺奈ちゃんは何を思ってこんなことを? あ、汗臭いとか思われてないだろうか……。

「め……珍しいね後輩ちゃん。君が隣に座るだなんて」
「先輩は、ウチが隣に座るのは……嫌、っすか……?」
「そ、そんなことないさ! 嫌じゃなくて……むしろその、う……嬉しい、かな」
「そ、そうっすか…………う、ウチもっす」

 く……苦しい! 空気が苦しい! どうしてこんな……こんな……あ、甘酸っぱい雰囲気になっているんだ。俺はこういうのには耐性がないと言うのに!

 こ、このままでは俺の理性が持たない! そう思って自分が冷静さを保てる適正距離まで移動しようと立ち上がりかけた時、そっと服の裾をつままれた。

「せ、先輩……できれば、このままで……」

 そこには消えてしまいそうなか細い声で、上目遣いに頼んでくる薺奈ちゃんの姿。

 な、何だこの可愛い生き物。いやいつもの薺奈ちゃんも可愛いんだけど、今日はいつもと違い守ってあげたくなると言うか……とにかく、こんな薺奈ちゃんにお願いされたらそれに答えないわけにはいかないじゃないか。

「う、うん……そうだね……今日は、このままで……。と、ところで後輩ちゃん。もしかして何かあった? その、今日の後輩ちゃんはいつもと違うと言うか……」

 浮きかけた腰を降ろしつつ薺奈ちゃんに聞いてみれば、彼女からはボソボソとためらいがちな返事が返ってくる。

「いえ、その、何かあったと言うか……何が起きているのかを確かめているというか……」
「えっと、つまり?」
「と、とにかく! ウチが確証を得られるまではこのままでいてくださいっす!」

 そう言って、床を見つめるように顔を逸らしてしまう薺奈ちゃん。俯かせたその顔を窺うことは出来ないけれど、胡桃色の髪から覗く小ぶりな耳は、恥ずかしそうに赤らんでいた。

 ナーバス? それとも情緒不安定……は違うか。
 今の彼女の精神状態をどう表現するのが適切なのかは分からないけど、ここまで弱っている薺奈ちゃんは初めて見る。

 ……これってやっぱり、俺が関係してるのかなぁ。薺奈ちゃんの様子がおかしいのは昨日からだし。でも何が原因なんだ?

 新入部員を勝手に増やそうとしたこと……はたぶん違うだろう。それについては、不機嫌になっていたのは勘違いだって薺奈ちゃん本人が言ってたし……ん? あれ、それなら何を勘違いして不機嫌になっていたんだ?
 そう言えばそれを聞こうとしてから、薺奈ちゃんの様子がおかしくなったような……。

 勘違い……不機嫌になった理由……薺奈ちゃんが見たのは俺と彩芽が帰っているところで……しかし俺は彩芽を幽霊部員として勧誘していただけだし、勘違いと言っても一体どこで――っ!


 いや待て! あの時あったことと言えば――!


『俺は――お前が欲しい!』

「こ――これかぁぁああ!」
「うわわっ!? きゅ、急にどうしたんすか先輩!」
「あ……ご、ごめん」

 つい謎が解けた興奮で大声を出してしまった。反省反省。

 しかし……そうか。薺奈ちゃんの勘違いってそう言うことだったんだ。

「後輩ちゃん」
「な、なんすか?」
「後輩ちゃんって今……何か思い悩んでいることがあるんじゃない?」
「う……はいっす。そりゃ分かっちゃうっすよね」
「そして、それには俺が関係している。もっと言えば……昨日言ってた、勘違いとやらが関係しているんじゃない?」
「――――っ!」

 ビクッと薺奈ちゃんの肩が跳ねる。この反応を見るに、どうやら図星のようだ。

「その勘違いってもしかして……俺が彩芽に告白したと勘違いした、とか?」
「な――せ、先輩、気づいて……」
「やっぱりか……」

 こちらを見上げる薺奈ちゃんの顔には、不安の色が見てとれる。そして同時に、何かを期待しているかのようにも見えた。

「まさか後輩ちゃんにそこまで親身に思われてるなんてね。嬉しい限りだよ」
「し、親身って……そ、そうなんすかね。やっぱりこれって、そう言うこと――――」
「まさか後輩ちゃんが、前にした『どうしたら彼女が出来るのか』って相談をそこまで真剣に考えてくれてたなんてね」
「――――は?」

 あの時は面白がってるだけなんじゃないかとか思ったけど、それは俺の間違いだったんだな。俺は失礼な勘違いをしていたようだ。あれから日が経った今でも、薺奈ちゃんはこうして思い悩んでくれているというのに。

「あの、あのあのあの。ちょっと待ってもらっていいっすか?」
「うん? なんだい?」
「えーと……一回話を整理したいんすけど、先輩はウチが何をどう勘違いしたと?」
「だから、俺が彩芽に告白したって勘違いでしょ?」
「……で、それでどうしてウチが不機嫌になったと思ってるんすか?」
「前に相談したにもかかわらず、途中経過も報告しなかったから……じゃないの?」

 やっぱり相談した手前、進展を報告したりする義務があるだろう。それを怠った俺に怒っていたのかと思ったんだけど……。

「あれ、もしかして……違った? 違ってたなら本当はどうしてなのか教えてほしいんだけど……」
「違うに決まって――あ、いや! えっと……そ、その通りっす! そ、そーゆ―ことはちゃんとウチに教えてくれないとっすよ、先輩!」
「ごめんごめん――って、だからそれは誤解なんだけどね。まあもし何かあれば、その時はちゃんと後輩ちゃんに報告するよ……まあ報告する以前に、当事者なんだけど」
「先輩? 今何か言ったっすか?」
「ああ何でもない何でもない! と、とにかく今は何も報告することはないから!」
「そ、そうっすか…………そうっすか」

 しかし、果たして報告できる日は来るのだろうか。報告というか……告白を。

 ただでさえ仲を深めるのにも苦戦している日々。この調子だと、いつ告白することが出来るのか分かったもんじゃない。

 まさかずっとこのままで何もできずに卒業してしまうなんてことも……あ、あまり考えないようにしよう。

「どうしたら彼女が出来るのか……っすか」

 ふと、隣から呟く声が聞こえる。

「先輩は……あの時みたいに、今でも彼女が欲しいって思ってるんすか?」
「後輩ちゃん?」

 どうしてそんなことを聞いてくるのか。それも念を押すように。それほど、あの相談を真剣に考えてくれているのか? それとも別の思惑が……。


 ……なぜか、本当になぜかは分からないけど、この質問には俺が思っているよりも、もっと複雑な感情が込められているように感じた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写と他もすべて架空です。

処理中です...