恋愛ビギナーと初恋イベリス

からぶり

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エピローグ 紗倉奏太は前に進む

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 もわっとした熱気と、蝉の鳴き声。

 不快にも睡眠を阻害してくる夏らしいその二つに、嫌々ながら目が覚める。

 ベッドの上で体を起こした俺は、手元のスマホで今日の日付を確認し、悲しみとか絶望とか諦めとかなんかもうそう言う色んなやつを込めに込めまくったため息を吐き出した。

 七月二十一日、金曜日。

 別に祝日でもなんでもない、普通の平日。しかしある者達にとっては、クリスマスや元旦と同じくらい大きな意味を持つ、特別な日。

 だって今日は……今日は……

「……はぁ」

 思わずこぼれた二度目のため息。
 もう一度布団をかぶって、こんなつらい現実からは目を逸らしてしまおうか……そんなことを本気で考えていたタイミングで、部屋のドアが無遠慮に開かれた。

「――ちょっとおにぃ、いい加減に起きないと遅刻しちゃう――おにぃ!? ちょ、どうしたの!? なんでそんな死にそうな顔してんの!?」

 ノックもせずに部屋に入って来たのは、すでに制服に着替えた奏恵ちゃん。そんな妹は俺の顔を見るなり悲鳴にも似た声をあげた。

「奏恵ちゃん……俺は……お兄ちゃんはもうダメだ……」
「お、おにぃ? もしかして具合悪い? 大丈夫?」

 ああ……なんて出来た妹なんだろう。遅刻しそうだというのに、俺の体調を気遣てくれるだなんて。

「体は大丈夫なんだけど……心が、ね?」
「こ、心? よく分かんないけど、今日は学校行った方が……」

 そんな出来た妹である奏恵ちゃんに弱音を吐いてみれば、優しくも真面目な答えが返ってきた。
 ふむ、今のちょっと西木さんみたいだったな。さすが奏恵ちゃん、西木さんを慕っているだけある。

「だって、今日は終業式なんだからさ」
「……だからだよ」
「え?」
「終業式だからだよ!」
「えぇ……」
「ちょっと奏恵ちゃん? なんだいその『意味わかんない』って顔は?」
「だって本当に意味わかんないし……」
「終業式、一週間ぐらい延期されないかなぁ」
「無理に決まってるでしょ。本当にどうしたのよおにぃ」

 そう言って奏恵ちゃんはベッドに腰かける。
 うう、妹の優しさに涙が出そうだ。ぜひ甘えさせてもらおう。

「んん……詳しくは言えないんだけどね? その……なんていうか……」
「……はぁ、まったく。ほら、ちゃんと聞いてあげるからさ。話してみてよ」
「細かい説明は省いて要点だけ説明すると……」
「説明すると?」

「……もう今日が終業式なのに、彼女出来なかったなって」

「ふんっ!」
「痛い!」

 枕を叩きつけられた。結構な威力で。

「何をするんだ奏恵ちゃん!」
「くだらないことで悩んでるおにぃが悪いんでしょ! 私の心配返して!」

 怒った奏恵ちゃんは、そのままずんずんと足音を立てながら部屋から出ていってしまった。

 しかし、言うことに欠いてくだらないってねぇ……少し説明を省きすぎたか。

「学校……行かなきゃかぁ」

 のそのそと落ち込んだまま、寝間着に手をかける。
 今日は七月二十一日。一学期を締めくくる、終業式の日。


 明日から、夏休み。
 きっと、色褪せた夏になる。

 ○

 相変わらず冷房というハイテク設備が導入されない、部室代わりの空き教室。いい加減扇風機だけで暑さをしのぐのも限界に近い。

 少しでも風を取り込もうと窓を開けると、運動部の元気な掛け声や友達同士で遊ぶ計画を立てる楽しげな会話が聞こえてきた。

 夏休み。それは学生が無敵になれる一か月。

 高校生にもなれば、子供だけでどこか旅行に行く人もいるだろう。自転車で行けるところまで行ってみようぜ、なんてやんちゃする男子もいるかもしれない。また、外に行かずとも、クーラーガンガンの部屋でゲーム三昧という楽しみ方もある。

 ビバ夏休み。それは無限の可能性が広がる一か月。

 三年生は受験のため勉強に集中したり、部活最後の夏の大会に向けて練習に打ち込んだりするんだろうな。俺と同い年の二年生でも、来年を見据えてもうすでに大学受験の準備を始めている真面目な人もいるかもだ。

 あと夏と言えば、花火大会とか夏祭りとかか。

 そこで気になっている子に勇気を出して告白し、ひと夏の思い出を作ったり恋のアバンチュールを……アバンチュールを……ひ、ひと夏の思い出を……。


 ――ちくしょうがっ!


 明日から夏休み? 待ちに待った長期休暇?

 アホが! そんなこと俺が思うわけないだろ! その逆だわ! 明日から絶望の夏休みだろうが!

 なぜかって? そんなことわざわざ言わなきゃわからないか? よかろう、ならば教えてやろう。


 ……部活がないと薺奈ちゃんに会えないじゃないかっっっっ!


「いやー、先輩! 明日から夏休みっすよ! 夏休み!」
「うん……そうだね……夏休み、だね……」

 一か月も会わなかったら俺のことなんて忘れられちゃうんじゃないかな……なんて絶望している俺とは逆に、明日に希望を見出している薺奈ちゃんの姿がそこにはあった。

 くぅ……っ! 今日までに薺奈ちゃんを彼女にして、夢と希望に満ちた夏休みを過ごす計画だったのに……っ! せ、せめてどこか遊びに行く約束でも出来ていれば……っ!

『後輩ちゃん! 夏休みどこか遊びに行かない?』
『オッケーっすよ! どこ行きましょうか!』

 このように、脳内シミュレーションは完璧だった。しかし勇気が! シミュレーション通りに誘う勇気が出せなかった!

 彼女に出来なかった……これはもう、しょうがない。

 そもそもそんな簡単に『彼女に出来る』と思うこと自体が図々しい。夏休みまでに薺奈ちゃんを彼女にするなんて、俺には過ぎた願いだったんだ。

 遊びに誘えなかった……情けない限りだが、これも俺には荷が重かった。

 まず『女の子を二人きりで遊びに誘う』という行為が、もはやその子のことが好きだと宣言しているのと同義だと思えてしまう。一緒に遊びたいけど、それで好きなのがばれてフラれるのが怖かったんだ。

 薺奈ちゃんと出会ってから、もう早いことで三ヶ月……この三ヶ月の間、俺はいったい何をしていたんだろう。

 ただ漠然と彼女が欲しいと思うだけで何も行動しなかった、中学時代から何も変われていないのではないか。

 ……連絡先くらいは、交換したかったなぁ……。

 薺奈ちゃんに一目惚れしてから、毎日のように考えてきた薺奈ちゃんを彼女にするための作戦。それらは結局、何の成果もあげられず散っていった。薺奈ちゃんを彼女にするどころか、遊びに誘うことも出来ずに。

 作戦なんてもう、思いつかない。

 ――でも、それでも。


 …………このまま終わって、本当にいいのか?


「こ……後輩ちゃん」

 終われない。
 終わらせたくない。

 このまま終わってしまったら、俺の夏休みは始まらない。

「こ、ここ……後輩ちゃん」

 作戦なんて思いつかないけれど。
 何も変われなかったで、終わらせてたまるものか。

 この三ヶ月、俺は何をしていたんだろう……だって? ……バカか、俺は。
 精一杯考えて、仲良くなろうとして、好きになってもらおうとして……ずっと必死にやって来たじゃないか。

 それに、中学時代から全く変わってないなんてこともない。少なくとも一つだけ、あの頃とは違うんだと確実に言えることがある。

 あの頃分かっていなかったことを、今の俺は知っている。

 自分から行動しなきゃ何も起きないんだって、知っているんだ。


「こ、後輩ちゃん……その……な、夏休み、どこか遊びに行かないっ!?」


 作戦なんて、そこにありはしなかった。ただ自分の中にあった気持ちを、『作戦』という言い訳で覆わずに、まっすぐに伝えるだけ。

 今までさんざん薺奈ちゃんを彼女にしようと作戦を考えてきた俺が、結局最後は作戦なんて何もなく、ただ本心をさらけ出すだけというのは、何とも皮肉が聞いているような。

 キュッ――と心臓が縮み、息も出来なくなるほどの緊張に襲われる。断られるかもしれないという不安で、足がガタガタ震えそうだ。

 視界がチカチカして、フラフラして、頭が……頭が――

「――先輩」

 景色がごちゃまぜになったかのように錯覚して見える中、唯一はっきりと見えるのは、薺奈ちゃんの顔。


「楽しみにしてるっす! 何よりも、一番に!」


 そんな、夏の快晴にも負けないくらいの、眩しい笑顔だった。

 明日から、夏休み。


 ――絶対に、一生思い出に残る夏になる。
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