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序
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その日を境に成楓青年は再び絵を描き始めるようになった。
最初は休み時間や授業中の息抜きに描く程度だったが、次第にスケッチブックで本格的に描きたいという欲求に駆られる。
しかし帰宅途中の最寄りの店でスケッチブックを買おうと手にした瞬間、あの時のトラウマが蘇り、迷った挙句最後は商品棚に戻した。
だからいつも大学ノートに描いている。
最近は電子機器を用いてデジタルでも描けるようだが、紙で描くことにこそ意味があるような気がした。
こういうプライドは古いとか言われるかもしれない。だが自分の意見は自分が一番共感してあげたい。
それに今は、自分の絵を見て感想をくれる彼女の存在が日に日に大きくなっていくような気がした。
成楓青年が絵を描くようになってから、彼女は出来上がった作品を子どものように「見せて見せて」と要求してくる。
人に見せられるようなものじゃないと最初のうちは何度か断っていたが、いつからかそんな頑固さも彼女の無邪気さの前に屈した。
認められることが嬉しかった。
楽しんでくれることが嬉しかった。
だから、彼女に特別な感情を抱いていると自覚した時、戸惑いよりも納得が先に来た。
今まで大して面白味のなかった大学生活に楽しみが出来た。
小学生や中学生の時のように集団心理に惑わされたただの遊びではなく、本当の恋愛をしたのは初めてかもしれない。
彼女に惹かれる度、彼女に対してどう接していいか分からなくなる。
思い煩う度に何度も胸が締め付けられて、積極的な行動を起こす気がないくせにスマホのメッセージアプリを開いて溜息を吐いていた。
「...気持ちわる」
柄にもなく他人に惑わされる自分に対して客観的に見た感想を口にする。
一喜一憂しているうちに月日は流れ、結局彼女とは何の進展もないまま大学生活最後の一年を迎えた。
就職活動に追われる一年になるだろう。
誰もが自分のやりたい職業に就きたいと願って早いうちから準備を始める人もいれば、まだまだ余裕だと大学生活を謳歌する人もいる。
成楓青年の足は大学の掲示板の方へ向いていた。
デザイン関係の求人募集がないか探していると「成楓!」と聡の声が聞こえた。
再び絵を描き始めたことを聡には言っていない。まだ未練があると変に誤解されるのも癪だった。
咄嗟に近くにあった初めて聞くような名の企業の求人募集を眺める。
「こんなところにいたのか。随分探したよ」
「なんだ。さっきの授業のレポートなら出しただろ」
「そうじゃなくて、個人的な話があるんだ。友達のお前には早く伝えておこうと思ってね」
「なんだよ」
「俺、大学卒業したら結婚するんだ」
はにかみながら聡は恥ずかしそうに頬を掻いた。
成楓青年は一瞬耳を疑ったが、彼の手に婚約指輪らしきものが付いていることに気がつき、彼の話が本当であると悟った。
「実は以前から同棲も始めていてね。つい先日彼女の両親に挨拶をしに行ったんだ。まあ色々言われたけど何とか納得してもらった」
「そうか。俺はお前に本命がいたなんて事実に一番驚いている」
「酷いなもう。でもまあ、お前なりの愛情表現として受け取っておくよ」
「止めろ気持ち悪い」
ついこの間まで他愛もない話をしていた人物が見知らぬ間に大人になっていく。
きっともう、聡と自分とでは見ている世界が違うのだろう。
「式にはもちろんお前も呼ぶから。ちゃんと来いよな」
「俺じゃなくて他に呼びたい奴呼べよ。俺なんかがいても大して盛り上がらないだろ」
「何言ってんだよ。なんだかんだお前とは一番の腐れ縁だし、美味い料理が食えるっていう動機でもいいから来てくれよ」
「それ自分で言ってて虚しくないか」
「こうでも言わないと素直に来てくれないだろ?心配しなくても俺とお前に馴染みのある人たちを中心に招待するつもりだから。人が多い場所が苦手なのは知ってるけど、やっぱ成楓には来て欲しいんだ。俺の恩人だし」
「もうそのことはいいって言ってるだろ」
正義感が強かった頃の話を掘り返されて「やっぱりこいつは鬱陶しい」と思う反面、自分に対してここまで気遣ってくれることに少なからず感謝していた。
「...分かった。行けばいいんだろ」
「本当か!やった!」
成楓青年が諦めたように返事をすると、聡は嬉しそうに笑う。
決して声には出さないが、聡を惚れさせた相手はきっと幸せ者だろう。
見た目こそはっきり言ってチャラそうだが、根は真面目な男だ。
きっと幸せな家庭を築けるに違いない。
「お前が来てくれるなら美子斗も絶対喜ぶよ!」
何気ない一言だった。
普通の友人なら、何とも思わないはずだった。
「みことって...」
「お前も知ってるだろ?姫野美子斗。俺あいつと結婚するんだ」
その一言が成楓青年の心をざわつかせる。
何故なら成楓青年が想いを寄せていた彼女の名前が、姫野 美子斗だったからだ。
脳裏に焼き付いていた彼女の笑顔が、優しい言葉の数々が、音を立てて崩れていく。
「そっか。お幸せに」
心にも無い言葉を口にした瞬間、美子斗との思い出が黒く塗り潰されていく気がした。
最初は休み時間や授業中の息抜きに描く程度だったが、次第にスケッチブックで本格的に描きたいという欲求に駆られる。
しかし帰宅途中の最寄りの店でスケッチブックを買おうと手にした瞬間、あの時のトラウマが蘇り、迷った挙句最後は商品棚に戻した。
だからいつも大学ノートに描いている。
最近は電子機器を用いてデジタルでも描けるようだが、紙で描くことにこそ意味があるような気がした。
こういうプライドは古いとか言われるかもしれない。だが自分の意見は自分が一番共感してあげたい。
それに今は、自分の絵を見て感想をくれる彼女の存在が日に日に大きくなっていくような気がした。
成楓青年が絵を描くようになってから、彼女は出来上がった作品を子どものように「見せて見せて」と要求してくる。
人に見せられるようなものじゃないと最初のうちは何度か断っていたが、いつからかそんな頑固さも彼女の無邪気さの前に屈した。
認められることが嬉しかった。
楽しんでくれることが嬉しかった。
だから、彼女に特別な感情を抱いていると自覚した時、戸惑いよりも納得が先に来た。
今まで大して面白味のなかった大学生活に楽しみが出来た。
小学生や中学生の時のように集団心理に惑わされたただの遊びではなく、本当の恋愛をしたのは初めてかもしれない。
彼女に惹かれる度、彼女に対してどう接していいか分からなくなる。
思い煩う度に何度も胸が締め付けられて、積極的な行動を起こす気がないくせにスマホのメッセージアプリを開いて溜息を吐いていた。
「...気持ちわる」
柄にもなく他人に惑わされる自分に対して客観的に見た感想を口にする。
一喜一憂しているうちに月日は流れ、結局彼女とは何の進展もないまま大学生活最後の一年を迎えた。
就職活動に追われる一年になるだろう。
誰もが自分のやりたい職業に就きたいと願って早いうちから準備を始める人もいれば、まだまだ余裕だと大学生活を謳歌する人もいる。
成楓青年の足は大学の掲示板の方へ向いていた。
デザイン関係の求人募集がないか探していると「成楓!」と聡の声が聞こえた。
再び絵を描き始めたことを聡には言っていない。まだ未練があると変に誤解されるのも癪だった。
咄嗟に近くにあった初めて聞くような名の企業の求人募集を眺める。
「こんなところにいたのか。随分探したよ」
「なんだ。さっきの授業のレポートなら出しただろ」
「そうじゃなくて、個人的な話があるんだ。友達のお前には早く伝えておこうと思ってね」
「なんだよ」
「俺、大学卒業したら結婚するんだ」
はにかみながら聡は恥ずかしそうに頬を掻いた。
成楓青年は一瞬耳を疑ったが、彼の手に婚約指輪らしきものが付いていることに気がつき、彼の話が本当であると悟った。
「実は以前から同棲も始めていてね。つい先日彼女の両親に挨拶をしに行ったんだ。まあ色々言われたけど何とか納得してもらった」
「そうか。俺はお前に本命がいたなんて事実に一番驚いている」
「酷いなもう。でもまあ、お前なりの愛情表現として受け取っておくよ」
「止めろ気持ち悪い」
ついこの間まで他愛もない話をしていた人物が見知らぬ間に大人になっていく。
きっともう、聡と自分とでは見ている世界が違うのだろう。
「式にはもちろんお前も呼ぶから。ちゃんと来いよな」
「俺じゃなくて他に呼びたい奴呼べよ。俺なんかがいても大して盛り上がらないだろ」
「何言ってんだよ。なんだかんだお前とは一番の腐れ縁だし、美味い料理が食えるっていう動機でもいいから来てくれよ」
「それ自分で言ってて虚しくないか」
「こうでも言わないと素直に来てくれないだろ?心配しなくても俺とお前に馴染みのある人たちを中心に招待するつもりだから。人が多い場所が苦手なのは知ってるけど、やっぱ成楓には来て欲しいんだ。俺の恩人だし」
「もうそのことはいいって言ってるだろ」
正義感が強かった頃の話を掘り返されて「やっぱりこいつは鬱陶しい」と思う反面、自分に対してここまで気遣ってくれることに少なからず感謝していた。
「...分かった。行けばいいんだろ」
「本当か!やった!」
成楓青年が諦めたように返事をすると、聡は嬉しそうに笑う。
決して声には出さないが、聡を惚れさせた相手はきっと幸せ者だろう。
見た目こそはっきり言ってチャラそうだが、根は真面目な男だ。
きっと幸せな家庭を築けるに違いない。
「お前が来てくれるなら美子斗も絶対喜ぶよ!」
何気ない一言だった。
普通の友人なら、何とも思わないはずだった。
「みことって...」
「お前も知ってるだろ?姫野美子斗。俺あいつと結婚するんだ」
その一言が成楓青年の心をざわつかせる。
何故なら成楓青年が想いを寄せていた彼女の名前が、姫野 美子斗だったからだ。
脳裏に焼き付いていた彼女の笑顔が、優しい言葉の数々が、音を立てて崩れていく。
「そっか。お幸せに」
心にも無い言葉を口にした瞬間、美子斗との思い出が黒く塗り潰されていく気がした。
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