なぜ吟遊詩人は殺したか

一条りん

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第三章 吟遊詩人の罪

狂気の始まり

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 囚人の話に耳を傾けながら、テオは無意識のうちに自分の腕をさすっていた。

 冷え切った牢獄のなか、テオの腕にはぷつぷつと鳥肌が立っている。
 テオは続きを聞くのが怖かったが、足は根が生えたようにその場から動かなかった。

 対するアルトーは、どこまでもひっそりとした声で、

「翌日、僕はその精神病院へ出向いてジャン・グリーヌと面会した。ジャンはぼろきれみたいな薄汚れたバスローブに身を包み、弦の切れた竪琴を抱いて、安楽椅子に深く腰掛けていたよ。正気を失っているのは一目見て分かった。彼の青みがかった灰色の目は狂気に曇って、僕が挨拶してもぼんやりしているばかりだった」

 しかし、アルトーが『崩壊の詩』の話をはじめると、ジャンの灰色の瞳はにわかに輝きを取り戻した。
 ジャンは壊れた竪琴を抱え直し、弦のあるべき箇所で指をぎくしゃくと動かしながら、かすれた声で調子っぱずれな歌を唄いはじめた。

 若きアルトーはそれをじっと聞いていた。

「僕はそのとき、言い知れぬ感動に打たれてじっとしていた。廃人になってすべてを失ってなお、彼は『崩壊の詩』を記憶に留め、それを唄おうと試みていたんだ。
 吟遊詩人でない者から見たら、確かに彼は単なる狂人だっただろう。だが、僕には、彼ほど自分自身の芸術に対して純粋な者はいないように思われた。弦の切れた竪琴は当然何の音色も奏ではしなかったけれど、彼の頭の中ではきっと『崩壊の詩』の調べが寸分の狂いもなく流れていたに違いなかった。
 ……僕には、彼が羨ましかった。彼はもう、明日の食費は何ギルかかるだろうかとか、そろそろ子どもの冬服を買ってやらなければならない、なんてことを考える必要もなく、ただただ自分の歌だけを想っていられるのだからね」

 アルトーはそう言って、ゆっくりテオへと視線を向けた。

「剣士の君には、こんな気持ちは分からないだろうけどね」

 テオは黙っていた。アルトーの言う通りだと思ったから、わざわざ返事をする必要性を感じなかったのだ。

 もしかしたら、芸術の道に踏み込むというのは、そのこと自体が狂気の始まりなのではないか――。

 テオはふっとそんな気がしたが、やはり口には出さなかった。
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