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第3章 高校1年生 2学期
第44話 病魔。
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「アハハ、いやー参っちゃったよー。こんな大事な時に体調崩しちゃうんだもん。ついてないよねー」
学園からほど近いとある大学病院。
その個室の1つにいつねさんは入院していた。
私は遥さんの一件はとりあえず保留にし、クラスの展示の当番を終えてから、学園寮のいつねさんの部屋を見舞った。
そして彼女のルームメイトから、いつねさんはただの病欠ではなく入院だと聞き、私はタクシーを捕まえて飛んできたのだ。
もちろん、外出申請は出してある。
病室に顔を出すと、いつねさんは驚いたような顔をした後、バツが悪そうに苦笑した。
私は傍らに立てかけてあったパイプ椅子をベッドの横に持ってきて座った。
「入院っていってもねー、いつものことなんだー。もともと身体があんまり丈夫じゃなくてねー」
ここ2年くらいは平気だったんだけれど、と言ったいつねさんは、力なく笑った。
「根を詰めて練習しすぎたのではありませんか?」
「アハハ、そうかもー。何しろヒロイン役だったからねー。ちょっと無理したかもー」
先輩たちにもっと認めてほしくて。
観客にも絶対に満足して欲しくて。
「演劇部の公演。残念でしたね」
「うん……。それはさすがに堪えたなー。何でよりにもよって今日なの、って感じー」
いつねさんはいつもニコニコしているけれど、今はさすがに表情に憂いの陰がある。
無理もない。
一生懸命に練習して、1年生の身で掴んだヒロインの座を、他の人に譲ってしまったのだから。
「来年もまたチャンスがありますよ」
「……うん、そうだね」
なんだろう。
いつねさんの笑みが淡い。
「結局、いつねさんは何かの病気なのですか?」
「……」
いつねさんはすぐには答えなかった。
「あ。すみません。立ち入ったことでしたね」
「ううん。いいのー。いずみんなら、いい。私はね、ニコ=アエジェル症候群なのー」
聞いたこともない病名だった。
いつねさんの説明によると、極めてまれな疾患で、全世界に100人もいないという。
後天性だとは言われているものの、その全容はほとんど知れない原因不明の病。
普段は健常者とほとんど変わらないけれど、疲れやすく、時間の経過と共に徐々に身体が衰えていくのだという。
そして――。
この疾患の平均寿命は20歳を超えないらしい。
しかも、治療薬はまだ開発されていない。
つまり、いつねさんは、長くてももう数年しか生きられないということだ。
「そんな……」
私は二の句が継げなかった。
いつねさんはこんなに元気そうなのに。
いつも明るく朗らかで、周りの人を照らす春のおひさまのような人なのに。
この笑顔が、あと少しで見られなくなる?
「そんな顔しないで。何も今すぐどうこうっていう話じゃないから」
「……すみません。少し、動揺してしまって」
きっと私はひどい顔をしていたのだろう。
いつねさんが掛けてくれた言葉にハッと我に返る。
辛いのは私ではない。
ショックを受けている場合ではない。
「お祖父様に掛けあって、最高の治療環境を整えて貰います。出来るなら治療薬の開発も――」
「ダメだよ、いずみん。それはダメ」
私の申し出を、いつねさんはきっぱりと却下した。
「命は平等なもの。百歩譲ってそうでないとしても、私は私だけが優遇されることを望まない」
彼女の瞳には強い意志の光があった。
「この世界には治らないいろんな病気にかかった人がたくさんいる。それなのに、私1人がただいずみんと友達だというだけで特別扱いされるのはやっぱりダメだと思う」
「そんな悠長なことを言っている場合では――」
「いずみんに頼っちゃったら、私の命は私のものじゃなくなっちゃうよ」
いつねさんは頑として首を縦に振らなかった。
「でもねー。そんな風に考えてくれたことは嬉しー。ありがとー、いずみん」
そう言って、いつねさんはいつものひまわりのような笑みを浮かべるのだった。
その後はバンドのことや、遥さんのことなどを話した。
いつの間にか結構な時間が過ぎていて、看護師さんが面会終了を告げにやって来た。
外泊許可はさすがにおりなかったので、もうそろそろ学園に戻らなければならない。
「また、お見舞いに来ます」
「ふふふー。その前に退院してやるんだからー」
私たちは笑顔で別れた。
いつねさんの病室を出て病院の入り口まできたところで、私は財布がないことに気がついた。
(あれ? どこかで落としたかな?)
来た道を戻りながら探すけれど、それらしいものは見当たらない。
結局、病室まで戻ってきてしまった。
中も探させてもらおうとドアノブに手をかけたとき、それはドア越しに聞こえてきた。
「な、ん、で!!」
私は全身の血が凍りつくのを感じた。
「何で! 何で! 何で私なの!? 他にもいっぱい人がいるのに、何で私なの!? 私が何をしたっていうの!!」
これは、いつねさんの――。
「私まだ何にもしてない! やりたいことだっていっぱいある! なのに何で!? 何でなのよう……!!」
魂の慟哭だ。
話をしている間中ずっと、いつねさんは明るかった。
だから私は、彼女はとても強い人間で、病気になんて負けないのだと思っていた。
でも、違った。
彼女は小さくてか弱い、普通の人間だった。
病魔に怯え、死を恐れ、人生を悔いる、普通の人間だった。
「死にたくない……死にたくないよう……」
絞り出されるように届いた声は、混じりけのない純粋な絶望の色をしていた。
私は自分の中にある悲しみの感情を、直接にぎり潰されたような気がした。
自分だけ特別扱いはダメだと言った彼女の言葉にきっと嘘はないのだろう。
でも、ただただ死にたくないという気持ちもまた、彼女の偽らざる本音に違いない。
私は意を決してドアをノックした。
するとすぐに「はーい」という間延びしたいつものいつねさんの声が返ってきた。
中に入る。
「あれー? どうしたのいずみん?」
「どうもお財布を落としたようで」
「あららー」
おどけたように笑ういつねさんは、一分の隙もなくいつものいつねさんで。
「ああ、そこかなー? 椅子の下に落ちてるー。このうっかりさんめー」
その姿がどうしようもなく悲しくて。
私は知らず、いつねさんの小さな身体を抱きしめていた。
「え? あ、あれ? いずみん?」
「……」
デカ女の私とは違う、女の子らしい華奢で小さな身体。
私より少し高い体温。
突然のことに対する身体のこわばり。
そんなものを感じながら、私は涙が止まらなかった。
「……そっか……聞かれちゃったか……」
諦めたように身体の力を抜くいつねさん。
手を私の背中に回して抱きしめ返してくる。
「ごめんね。油断してた」
いつねさんは、泣く子をあやすように背中をさすりながら言った。
「この気持ちは外に出しちゃいけないものなのに。いずみんとの時間が楽しすぎて、一人になったら急に込み上げて来ちゃってさ……。思わず暴発しちゃった。演劇部失格」
「そんなこと……ありません」
呟くように言ういつねさんの声色は、今度は本音の色をしているように思えた。
私は転生者だ。
この世界は前世でやった乙女ゲームの世界にとてもよく似ている。
でも、そんな世界でも、人は病気になり、死ぬのだ。
これまでどこか他人ごとのようにこの世界を見ていた私は、この日を境に認識を改めた。
この人生は、この感情は、この小さな女の子は、紛れも無い本物だ。
◆◇◆◇◆
※『ニコ=アエジェル症候群』は架空の病名であり実在しません。
学園からほど近いとある大学病院。
その個室の1つにいつねさんは入院していた。
私は遥さんの一件はとりあえず保留にし、クラスの展示の当番を終えてから、学園寮のいつねさんの部屋を見舞った。
そして彼女のルームメイトから、いつねさんはただの病欠ではなく入院だと聞き、私はタクシーを捕まえて飛んできたのだ。
もちろん、外出申請は出してある。
病室に顔を出すと、いつねさんは驚いたような顔をした後、バツが悪そうに苦笑した。
私は傍らに立てかけてあったパイプ椅子をベッドの横に持ってきて座った。
「入院っていってもねー、いつものことなんだー。もともと身体があんまり丈夫じゃなくてねー」
ここ2年くらいは平気だったんだけれど、と言ったいつねさんは、力なく笑った。
「根を詰めて練習しすぎたのではありませんか?」
「アハハ、そうかもー。何しろヒロイン役だったからねー。ちょっと無理したかもー」
先輩たちにもっと認めてほしくて。
観客にも絶対に満足して欲しくて。
「演劇部の公演。残念でしたね」
「うん……。それはさすがに堪えたなー。何でよりにもよって今日なの、って感じー」
いつねさんはいつもニコニコしているけれど、今はさすがに表情に憂いの陰がある。
無理もない。
一生懸命に練習して、1年生の身で掴んだヒロインの座を、他の人に譲ってしまったのだから。
「来年もまたチャンスがありますよ」
「……うん、そうだね」
なんだろう。
いつねさんの笑みが淡い。
「結局、いつねさんは何かの病気なのですか?」
「……」
いつねさんはすぐには答えなかった。
「あ。すみません。立ち入ったことでしたね」
「ううん。いいのー。いずみんなら、いい。私はね、ニコ=アエジェル症候群なのー」
聞いたこともない病名だった。
いつねさんの説明によると、極めてまれな疾患で、全世界に100人もいないという。
後天性だとは言われているものの、その全容はほとんど知れない原因不明の病。
普段は健常者とほとんど変わらないけれど、疲れやすく、時間の経過と共に徐々に身体が衰えていくのだという。
そして――。
この疾患の平均寿命は20歳を超えないらしい。
しかも、治療薬はまだ開発されていない。
つまり、いつねさんは、長くてももう数年しか生きられないということだ。
「そんな……」
私は二の句が継げなかった。
いつねさんはこんなに元気そうなのに。
いつも明るく朗らかで、周りの人を照らす春のおひさまのような人なのに。
この笑顔が、あと少しで見られなくなる?
「そんな顔しないで。何も今すぐどうこうっていう話じゃないから」
「……すみません。少し、動揺してしまって」
きっと私はひどい顔をしていたのだろう。
いつねさんが掛けてくれた言葉にハッと我に返る。
辛いのは私ではない。
ショックを受けている場合ではない。
「お祖父様に掛けあって、最高の治療環境を整えて貰います。出来るなら治療薬の開発も――」
「ダメだよ、いずみん。それはダメ」
私の申し出を、いつねさんはきっぱりと却下した。
「命は平等なもの。百歩譲ってそうでないとしても、私は私だけが優遇されることを望まない」
彼女の瞳には強い意志の光があった。
「この世界には治らないいろんな病気にかかった人がたくさんいる。それなのに、私1人がただいずみんと友達だというだけで特別扱いされるのはやっぱりダメだと思う」
「そんな悠長なことを言っている場合では――」
「いずみんに頼っちゃったら、私の命は私のものじゃなくなっちゃうよ」
いつねさんは頑として首を縦に振らなかった。
「でもねー。そんな風に考えてくれたことは嬉しー。ありがとー、いずみん」
そう言って、いつねさんはいつものひまわりのような笑みを浮かべるのだった。
その後はバンドのことや、遥さんのことなどを話した。
いつの間にか結構な時間が過ぎていて、看護師さんが面会終了を告げにやって来た。
外泊許可はさすがにおりなかったので、もうそろそろ学園に戻らなければならない。
「また、お見舞いに来ます」
「ふふふー。その前に退院してやるんだからー」
私たちは笑顔で別れた。
いつねさんの病室を出て病院の入り口まできたところで、私は財布がないことに気がついた。
(あれ? どこかで落としたかな?)
来た道を戻りながら探すけれど、それらしいものは見当たらない。
結局、病室まで戻ってきてしまった。
中も探させてもらおうとドアノブに手をかけたとき、それはドア越しに聞こえてきた。
「な、ん、で!!」
私は全身の血が凍りつくのを感じた。
「何で! 何で! 何で私なの!? 他にもいっぱい人がいるのに、何で私なの!? 私が何をしたっていうの!!」
これは、いつねさんの――。
「私まだ何にもしてない! やりたいことだっていっぱいある! なのに何で!? 何でなのよう……!!」
魂の慟哭だ。
話をしている間中ずっと、いつねさんは明るかった。
だから私は、彼女はとても強い人間で、病気になんて負けないのだと思っていた。
でも、違った。
彼女は小さくてか弱い、普通の人間だった。
病魔に怯え、死を恐れ、人生を悔いる、普通の人間だった。
「死にたくない……死にたくないよう……」
絞り出されるように届いた声は、混じりけのない純粋な絶望の色をしていた。
私は自分の中にある悲しみの感情を、直接にぎり潰されたような気がした。
自分だけ特別扱いはダメだと言った彼女の言葉にきっと嘘はないのだろう。
でも、ただただ死にたくないという気持ちもまた、彼女の偽らざる本音に違いない。
私は意を決してドアをノックした。
するとすぐに「はーい」という間延びしたいつものいつねさんの声が返ってきた。
中に入る。
「あれー? どうしたのいずみん?」
「どうもお財布を落としたようで」
「あららー」
おどけたように笑ういつねさんは、一分の隙もなくいつものいつねさんで。
「ああ、そこかなー? 椅子の下に落ちてるー。このうっかりさんめー」
その姿がどうしようもなく悲しくて。
私は知らず、いつねさんの小さな身体を抱きしめていた。
「え? あ、あれ? いずみん?」
「……」
デカ女の私とは違う、女の子らしい華奢で小さな身体。
私より少し高い体温。
突然のことに対する身体のこわばり。
そんなものを感じながら、私は涙が止まらなかった。
「……そっか……聞かれちゃったか……」
諦めたように身体の力を抜くいつねさん。
手を私の背中に回して抱きしめ返してくる。
「ごめんね。油断してた」
いつねさんは、泣く子をあやすように背中をさすりながら言った。
「この気持ちは外に出しちゃいけないものなのに。いずみんとの時間が楽しすぎて、一人になったら急に込み上げて来ちゃってさ……。思わず暴発しちゃった。演劇部失格」
「そんなこと……ありません」
呟くように言ういつねさんの声色は、今度は本音の色をしているように思えた。
私は転生者だ。
この世界は前世でやった乙女ゲームの世界にとてもよく似ている。
でも、そんな世界でも、人は病気になり、死ぬのだ。
これまでどこか他人ごとのようにこの世界を見ていた私は、この日を境に認識を改めた。
この人生は、この感情は、この小さな女の子は、紛れも無い本物だ。
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