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第22話:呪いの言葉
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第9矯正施設への移送バスを待つ間、相葉 蓮(あいば れん)は一時的に裏口の搬出エリアに放置されていた。
そこは、都市の排気ダクトが集中する、薄汚れた路地裏だった。かつて彼が「美しい」と言った灰色の壁は、今はただの冷たいコンクリートの塊として、彼を見下ろしている。足元には、業務用のゴミ袋が山積みされ、腐った野菜とネズミの死骸の臭いが立ち込めていた。
「……は、あ……」
蓮は、ゴミ袋の間に挟まるようにしてへたり込んでいた。
手首の焼印がズキズキと脈打つ。だが、それ以上に心が壊死していた。エリートとしての地位、資産、市民権。全てを剥奪され、残ったのは4兆円の負債と、薄汚れた囚人服に包まれた身体一つ。
もはや人間ではない。「廃棄物」だ。
「蓮」
頭上から声がした。蓮は、錆びついた首をゆっくりと持ち上げた。
そこに立っていたのは、四ツ谷 海(よつや かい)だった。フードを目深に被り、雨に濡れた野良犬のような姿。だが、その目は狂気じみた光を宿して蓮を見ていた。
「……海、か」
蓮の声は、枯れ木のようだった。
「見に来たのか。……ざまあないな」
「違う」
海は、蓮の前に膝をついた。泥水に膝が濡れるのも構わず、海は懐から「それ」を取り出した。
黒い鉄塊。
かつて自分が蓮に譲渡した、『アウトシステム(OS)』の残骸だ。真島によって引き抜かれ、廃棄されるはずだったそれを、海は命がけで回収してきたのだ。
「これを……返しに来た」
海は、黒い鉄塊を蓮の胸に押し付けようとした。
「お前は、間違っていなかった。お前の計算は完璧だった」
海は、必死に言葉を紡いだ。早口で、何かに取り憑かれたように。
「ただ、世界がそれに追いつけなかっただけだ。……だから、諦めるな。これさえあれば、お前はまだ思考できる。矯正施設の中でも、自分を保てるはずだ」
それは、狂信的な善意だった。
物理的に持ち込めるはずがない。見つかれば刑期が伸びるだけだ。だが、今の海にはそんな理屈は見えていなかった。「思考」さえあれば人間でいられる。その信念だけが暴走し、この呪われた十字架を、再び親友に背負わせようとしていた。
だが。鉄塊が蓮の皮膚に触れた瞬間。
「ひッ……!?」
蓮は、感電したように身体を跳ねさせた。
「あ、熱っ……!!」
蓮は悲鳴を上げ、海の手を乱暴に振り払った。ゴツリ。『OS』がアスファルトの水たまりに落ち、泥水を跳ね上げる。
「蓮? ……熱くないぞ、もう冷えている」
「嘘だ! 熱い、焼ける……!」
蓮は自分の胸を掻きむしりながら後ずさった。爪で皮膚を裂き、血が滲む。
幻痛(ファントム・ペイン)。
脳が覚えているのだ。思考を加速させた時の、あの焼き切れるような高熱を。神経に焼き付いたトラウマが、冷たい金属を「灼熱の焼きごて」として誤認させている。
この鉄塊は、蓮にとって「翼」ではなく、もはや「拷問器具」でしかなかった。
「やめろ……寄越すな……ッ! それが、俺を壊したんだ!」
蓮は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、海を睨みつけた。
「俺は幸せだったんだ! 80点で満足していたんだ! 退屈でも、生きていられたんだ! ……それを、お前が! 『もっと上がある』なんて唆(そその)かすから!」
「蓮、落ち着け。俺はただ、お前の才能を……」
「才能なんて呪いだ!」
蓮の絶叫が、路地裏にこだました。
「思考なんてしなけりゃよかった。選ばなきゃよかった。……俺はただ、楽になりたかっただけなのに……!」
蓮は、自分の頭を抱えて泣き崩れた。
そこにはもう、「150点の革命家」はいなかった。ただ、重力に押し潰され、責任の重さに耐えきれずに幼児退行した、哀れな男がいるだけだった。
「……海」
蓮は、濡れた瞳で海を見上げた。その目には、友情の欠片もなく、ただどす黒い憎悪だけが渦巻いていた。
「お前は、悪魔だ」
海は、心臓を鷲掴みにされたように息を呑んだ。
「自分一人で苦しむのが寂しいからって、俺を巻き込んだんだ。……お前は、俺を実験台にしたんだろ? 自分が背負いきれない『重力』を、俺に肩代わりさせて……俺が潰れるのを見て、安心したかったんだろ!?」
「違う……! 俺は、お前を信じて……!」
「信じる? 笑わせるな!」
蓮は、足元の『OS』を蹴り飛ばした。無骨な鉄塊が、汚水の中を転がり、ゴミの山にぶつかって止まる。
「持って行けよ、そんなゴミ! ……俺はもう、考えたくないんだ! 二度と俺の前に現れるな!」
遠くから、移送バスのサイレンが聞こえてきた。
警備ドローンたちが、蓮を回収するために降りてくる。無機質なアームが蓮の両脇を抱え上げ、宙に吊るす。
蓮は、最期の力を振り絞って海を見た。
「海。……お前、『苦悩』するのが好きなんだろ?」
蓮の唇が、三日月のように歪んだ。それは、かつて見せた野心的な笑みではなく、親友を地獄へ道連れにする悪霊の笑みだった。
「なら、一生苦しんで生きろ。俺を壊した罪悪感を抱えて、その重たい鉄屑を引きずって、死ぬまで這いつくばってろ」
「蓮……」
「それが、お前の望みだろ? ……ざまあみろ」
バスの扉が閉まる。蓮の姿が見えなくなる。
残されたのは、冷たい雨が降り始めた路地裏と、ただ一人立ち尽くす海だけ。
海は、泥に塗れた『OS』に歩み寄った。汚水に浸かり、泥だらけになった鉄塊。海は膝をつき、それを拾い上げた。
冷たい。あんなに熱かった鉄塊が、今は死体のように冷え切っている。
「……ああ」
海は、泥で袖が汚れるのも構わず、『OS』を胸に抱いてうずくまった。
これは武器ではない。福音でもない。ただの、「人を不幸にする呪いの石」だった。
それでも。海は、それを手放すことができなかった。
自分が疫病神だと知ってもなお、この「重力」がなければ、海は自分の輪郭を保てないのだ。
「……ごめん、蓮」
雨音が、海の嗚咽をかき消していく。
彼は知った。自分が世界に配っていたのは、「希望」ではなく「絶望」だったことを。そして、その絶望を抱いて生き続けることこそが、自分に課せられた罰なのだと。
灰色の雨が、海と、動かなくなった鉄塊を、等しく濡らしていた。
そこは、都市の排気ダクトが集中する、薄汚れた路地裏だった。かつて彼が「美しい」と言った灰色の壁は、今はただの冷たいコンクリートの塊として、彼を見下ろしている。足元には、業務用のゴミ袋が山積みされ、腐った野菜とネズミの死骸の臭いが立ち込めていた。
「……は、あ……」
蓮は、ゴミ袋の間に挟まるようにしてへたり込んでいた。
手首の焼印がズキズキと脈打つ。だが、それ以上に心が壊死していた。エリートとしての地位、資産、市民権。全てを剥奪され、残ったのは4兆円の負債と、薄汚れた囚人服に包まれた身体一つ。
もはや人間ではない。「廃棄物」だ。
「蓮」
頭上から声がした。蓮は、錆びついた首をゆっくりと持ち上げた。
そこに立っていたのは、四ツ谷 海(よつや かい)だった。フードを目深に被り、雨に濡れた野良犬のような姿。だが、その目は狂気じみた光を宿して蓮を見ていた。
「……海、か」
蓮の声は、枯れ木のようだった。
「見に来たのか。……ざまあないな」
「違う」
海は、蓮の前に膝をついた。泥水に膝が濡れるのも構わず、海は懐から「それ」を取り出した。
黒い鉄塊。
かつて自分が蓮に譲渡した、『アウトシステム(OS)』の残骸だ。真島によって引き抜かれ、廃棄されるはずだったそれを、海は命がけで回収してきたのだ。
「これを……返しに来た」
海は、黒い鉄塊を蓮の胸に押し付けようとした。
「お前は、間違っていなかった。お前の計算は完璧だった」
海は、必死に言葉を紡いだ。早口で、何かに取り憑かれたように。
「ただ、世界がそれに追いつけなかっただけだ。……だから、諦めるな。これさえあれば、お前はまだ思考できる。矯正施設の中でも、自分を保てるはずだ」
それは、狂信的な善意だった。
物理的に持ち込めるはずがない。見つかれば刑期が伸びるだけだ。だが、今の海にはそんな理屈は見えていなかった。「思考」さえあれば人間でいられる。その信念だけが暴走し、この呪われた十字架を、再び親友に背負わせようとしていた。
だが。鉄塊が蓮の皮膚に触れた瞬間。
「ひッ……!?」
蓮は、感電したように身体を跳ねさせた。
「あ、熱っ……!!」
蓮は悲鳴を上げ、海の手を乱暴に振り払った。ゴツリ。『OS』がアスファルトの水たまりに落ち、泥水を跳ね上げる。
「蓮? ……熱くないぞ、もう冷えている」
「嘘だ! 熱い、焼ける……!」
蓮は自分の胸を掻きむしりながら後ずさった。爪で皮膚を裂き、血が滲む。
幻痛(ファントム・ペイン)。
脳が覚えているのだ。思考を加速させた時の、あの焼き切れるような高熱を。神経に焼き付いたトラウマが、冷たい金属を「灼熱の焼きごて」として誤認させている。
この鉄塊は、蓮にとって「翼」ではなく、もはや「拷問器具」でしかなかった。
「やめろ……寄越すな……ッ! それが、俺を壊したんだ!」
蓮は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、海を睨みつけた。
「俺は幸せだったんだ! 80点で満足していたんだ! 退屈でも、生きていられたんだ! ……それを、お前が! 『もっと上がある』なんて唆(そその)かすから!」
「蓮、落ち着け。俺はただ、お前の才能を……」
「才能なんて呪いだ!」
蓮の絶叫が、路地裏にこだました。
「思考なんてしなけりゃよかった。選ばなきゃよかった。……俺はただ、楽になりたかっただけなのに……!」
蓮は、自分の頭を抱えて泣き崩れた。
そこにはもう、「150点の革命家」はいなかった。ただ、重力に押し潰され、責任の重さに耐えきれずに幼児退行した、哀れな男がいるだけだった。
「……海」
蓮は、濡れた瞳で海を見上げた。その目には、友情の欠片もなく、ただどす黒い憎悪だけが渦巻いていた。
「お前は、悪魔だ」
海は、心臓を鷲掴みにされたように息を呑んだ。
「自分一人で苦しむのが寂しいからって、俺を巻き込んだんだ。……お前は、俺を実験台にしたんだろ? 自分が背負いきれない『重力』を、俺に肩代わりさせて……俺が潰れるのを見て、安心したかったんだろ!?」
「違う……! 俺は、お前を信じて……!」
「信じる? 笑わせるな!」
蓮は、足元の『OS』を蹴り飛ばした。無骨な鉄塊が、汚水の中を転がり、ゴミの山にぶつかって止まる。
「持って行けよ、そんなゴミ! ……俺はもう、考えたくないんだ! 二度と俺の前に現れるな!」
遠くから、移送バスのサイレンが聞こえてきた。
警備ドローンたちが、蓮を回収するために降りてくる。無機質なアームが蓮の両脇を抱え上げ、宙に吊るす。
蓮は、最期の力を振り絞って海を見た。
「海。……お前、『苦悩』するのが好きなんだろ?」
蓮の唇が、三日月のように歪んだ。それは、かつて見せた野心的な笑みではなく、親友を地獄へ道連れにする悪霊の笑みだった。
「なら、一生苦しんで生きろ。俺を壊した罪悪感を抱えて、その重たい鉄屑を引きずって、死ぬまで這いつくばってろ」
「蓮……」
「それが、お前の望みだろ? ……ざまあみろ」
バスの扉が閉まる。蓮の姿が見えなくなる。
残されたのは、冷たい雨が降り始めた路地裏と、ただ一人立ち尽くす海だけ。
海は、泥に塗れた『OS』に歩み寄った。汚水に浸かり、泥だらけになった鉄塊。海は膝をつき、それを拾い上げた。
冷たい。あんなに熱かった鉄塊が、今は死体のように冷え切っている。
「……ああ」
海は、泥で袖が汚れるのも構わず、『OS』を胸に抱いてうずくまった。
これは武器ではない。福音でもない。ただの、「人を不幸にする呪いの石」だった。
それでも。海は、それを手放すことができなかった。
自分が疫病神だと知ってもなお、この「重力」がなければ、海は自分の輪郭を保てないのだ。
「……ごめん、蓮」
雨音が、海の嗚咽をかき消していく。
彼は知った。自分が世界に配っていたのは、「希望」ではなく「絶望」だったことを。そして、その絶望を抱いて生き続けることこそが、自分に課せられた罰なのだと。
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