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Episode4

はらぺこ淫魔、溺れる。-7

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「トリフォリウムとイリスが一緒に咲いてる……」

 リオンは呆然と呟いた。目の前に広がる信じられない光景に開いた口が塞がらない。ちなみに、慣用句として使っているわけじゃない。あながち間違ってもないけど。

「何かあった?」

 そう言いながらいつもよりラフな格好をしたディナンがリオンの方へと歩いてくる。その後ろにはカゴを持ったクロウが居た。小さく会釈をすると、応えるように目礼を返された。
 ディナンに流されることに決めたリオンだったが、今回は珍しく意志を持って流されていた。ディナンと共に一日を過ごすと決まった時、リオンから言ったのだ。

「ディナン様が良ければ、今日は一緒に調合してくれませんか?」

 ディナンは二つ返事で頷いた。それはもう、嫌がられたらどうしようと不安に思っていたのが馬鹿らしく感じてしまうくらい、リオンの所感が確かであれば、ディナンは喜んでくれた。そして言ったのだ。

「せっかくだし、中庭の薬草も使ってみない?」

 リオンに否はない。元気よく頷いて、そして今に至る。

「使えそうなものはあった?」
「いえ、その……」

 リオンは言い淀んだ。果たして言ってもいいことか判断しかねたからだ。チラリとディナンを見る。いつもの、もしかするといつも以上にキラキラとした笑顔でリオンを見つめるディナンと目が合った。どういうわけか、今日のディナンはいつにも増して機嫌が良かったのだ。その笑顔に勝手に励まされたリオンが恐る恐る口を開く。

「その……普通は同じ環境では育たない薬草が育ってたので、びっくりしちゃって」

 というかそもそもトリフォリウムもイリスも冬には咲かない花だ。リオンの言葉に、ディナンはゆるりと首を傾げた。

「ああ、そうなの?」
「え?」
「ここら一帯、適当に魔法をかけてるんだ」
「えっ」
「リオンが使いそうな薬草の種を貰ってきてね、そこからこう……魔法でちょっと」

 魔法でちょっとって…つまりどういうこと? 思わずディナンの後ろに控えているクロウを見ると、サッと目を逸らされた。彼から見てもディナンの使う魔法は規格外であることを察したリオンは、これ以上言及することを避けた。どうせリオンは使えないのだ。分からなくたって問題ない。
 ゴホン、と咳払いを一つすると、リオンはディナンの顔を見た。

「その、ありがとうございます、ディナン様」
「どういたしまして」
 
 中庭にあった薬草を摘み終わると、地下の調合室で調合が始まった。ここまで薬草を運んでくれたクロウは昼食の支度をすると言って退出済みである。
 久しぶりとはいえ何度もやった共同作業だ。順調に進んでいたはずなのだが、そろそろ出来上がりそうといったところで雲行きが怪しくなっていた。

「ディナン様っ、これ凄いっ、胃薬作ったはずなのに色が全然違う!」

 弾んだ声でリオンはそう言った。本来は緑色であるはずの薬なのだが、何故か目が覚めるようなオレンジ色をしているのだ。手順は間違ってないはずだから原因は他にある。興味深そうにできた薬の匂いを嗅いだり、人差し指で掬って舐めたりしているリオンの横で、ディナンが苦い顔をした。その手には中庭から採ってきたイリスがあった。

「ディナン様?」
「……さっき使ったのがトリフォリウムだっけ?」
「えっ、はい。そうです」

 できたのは別の何かだったけど。味は胃薬というより風邪薬のそれに近かった。

「で、こっちがイリスね。イリスは私も使ったことがあるんだけど……ねえこれ、嗅いでみて」

 と、ディナン。身を乗り出して差し出されたそれの匂いを嗅ぐ。独特の匂いが香った。確かにイリスは匂いが強い植物だ。けど、この匂いは。

「ラワンドゥラの香り……?」
「やっぱり?」
「でも、ラワンドゥラは別にあったはず……あ、あった」

 二つとも香りの強い植物だ。匂いが移ってもおかしくない。仕分けの済んでいない薬草の山の中からラワンドゥラを探し当て、匂いを嗅いでみる。リオンは眉を寄せ怪訝そうな顔をした。

「……んん?」
「リオン、私も」

 さっきとは反対に、リオンが差し出したラワンドゥラの匂いをディナンが嗅ぐ。同じように、ディナンの眉間にも皺が寄った。

「……匂いがしないね」
「そうですよね?」

 ちょっと刻んでみましょう、とリオン。ディナンが、じゃあ私はこっち、とイリスを手に取った。
 結論から言うと、刻んだラワンドゥラを火にかけるとトリフォリウムのような反応を示し、イリスは刻むとラワンドゥラの香りが強まった。ラワンドゥラは刺激を与えるとより香りが強まる花だ。
 考えられる仮説は二つ。
 一つはリオンの記憶違い。トリフォリウムは久しぶりに使ったし、大いにあり得る。
 ——もう一つは、薬草の見た目と中身があべこべになっている! 
 リオンは目を輝かせ、ディナンは眉間の皺を揉んだ。

「ねえリオン、これってやっぱり私の魔法のせい?」
「はい!」
「……」
「……」

 見つめ合うこと数秒。二人は同時に噴き出した。

「っく……ふはっ! ふふっ……はーっ、もうだめ。面白い」
「っふへっ、んはっ……はははっ! 待ってっ、違うんです」
「なあに、私のせいなんでしょう?」
「でもすっごく面白いです!」
「ふはっ、確かにそうだ」

 ディナンは楽しそうに肩を揺らしながら、何が起こったんだろうね? と首を傾げたが、こればっかりはリオンの専門外だ。

「分かんないですけど、まずは何がどう入れ替わっているか突き止めなきゃ」
「ああやっぱり、使えないから捨てたりはしないんだ」
「売り物にはならないものを作るのを嫌がる薬師も居ますけど……嫌でしたか?」

 リオンに嗤うつもりはなくても、ディナンが少しでもそう感じるなら辞めておくべきだ。
 でも、絶対研究したい。だってこれ魔界に生息していると言われる動植物くらい面白い。伺うように、下からディナンの顔を覗き込むと、男は楽しそうに首を振った。

「ううん、嫌じゃないよ。本当に薬が好きなんだなと思っただけ」
「えっと……へへ、はい。分からないものを解明していくのが好きなんです。夢中になれるから」

 そして空腹も忘れられる。一石二鳥だ。幸い、今はそんなにお腹は空いてないけど。
 ふむ、と顎に手を当てて何か考える仕草をしながら、ディナンが口を開いた。

「私のことを忘れないと約束してくれるなら、手伝うよ。興味もあるしね」

 リオンは大きく頷いた。ディナンのことを忘れるなんてそんなことあるはずないのに、そう思いながら。
 ——と、思っていたのだけど。
 コトリ、と目の前に何かが置かれた音で意識が浮上する。バッと顔を上げると、仕方ないな、みたいな顔をしたディナンと目が合った。ディナンの言葉通り、夢中になっていたらしい。リオンはしゅん、と肩を落とした。

「えっと、ごめんなさい……」
「ふふ、構わないよ。会話はできてたし」
「ええ!? 僕、変なこと言ってませんでしたか?」
「もしかして、全部無意識だったの? 凄いな」

 ディナンは感心したように片眉をつり上げた。居た堪れなくてリオンは隠れるように体を小さくした。ディナンの言うように何か話した気がするが、いくら記憶を辿ってもぼんやりとしか思い出せない。本当、変なこと言ってないといいんだけど。

「ところで、どれくらい分かったの?」
「あっ、それは大体分かりました! 後は調合してみて、同じように作用するか確認するだけです」
「そう」

 ディナンが笑みを深めた。きょとん、とリオンが首を傾げる。
 少し崩れてしまった髪を直しながら、ディナンがリオンの耳元で囁いた。

「……いい? リオ」

 何を、と聞くほどリオンも初心じゃない。首まで真っ赤に染めると、小さく頷いた。
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