世界は、君を愛したくて創られた

六紫

文字の大きさ
21 / 61
第3章 静かに開く距離

第3章 第6話 やり直し

しおりを挟む
ボートが湖面の上を滑るように走り出し、小さな波紋が湖全体に広がる。

義兄さんがオールを捌いて、水を掻き分けていく音だけが聞こえてくる。

湖の周りは鬱蒼とした木々に囲まれ、湖面には緑の濃淡が影を落としている。木々の隙間から差し込む光が、湖の底までを照らしていた。

そして、その光の合間を淡い光の魔素が蛍火のように漂っている。

湖は森の影に呑まれるようにずっと奥まで続いているようだった。

「綺麗…」

光の加減で青や緑を映し出す湖面にしばらく魅入ってしまった。

「リィナ…すまなかった」

漕ぐ手を止めて、義兄さんが目を伏せながら、唐突に謝った。

波の名残で木の葉のようにボートが揺らめいている。


「世界樹の影響の実態が知りたくてな。それを調査する仕事に加わっていて、外での災害の復興や…ついでに…魔獣の…駆除を行っていた。」

「魔獣の駆除」の所だけさらに伏し目がちで小声になる様子に、思わずくすりと口元が緩む。

そんな些細なことで、ここ数日の憂いが晴れていく自分に、ちょっとだけ呆れてしまう。

「そうだったんだ…ちょっと…帰りたいなんてわがまま言っちゃった後から、急に会えなくなったから…気になって…」

青い魔素が遠慮がちに、でもふわりと優しく、私の周りを囲んだ。

「お前はわがままを言ったことなんかない。今回はたまたま入っていた仕事のタイミングが悪かっただけだ。先に言ってなかった俺が悪い。それで昨日シエナ副隊長がお前の様子をだいぶ気にしていた…から…な」

珍しく歯切れ悪く、しかもいつもよりも口数多く話す義兄さんの姿に、ほっと胸を撫で下ろす。

ーー自分も心配してたってことは、照れちゃって言えないんだね…


義兄さんの目尻がほんのりと少し赤く染まっている。これは照れている時の癖だ。

義兄さんは言葉も少なくて、表情も動かないから…

いつの間にか、私はちょっとした変化で義兄さんの気持ちが読めるようになってしまった。

眦に滲んでいる薄い赤を見て、ここ数日の胸を巣食っていた『寂しい』が湖面に流れて出て、沈んでいった。

ーー良かった…とりあえず、今は呆れられてる訳じゃないみたい。


最後に残っていた不安の一欠片を、ふぅっと吐き出して、私は笑みを浮かべる。

「それで今日はここで待っててくれたの?」

「ああ、訓練所に行って話そうとしたら、ここに向かってると…聞いたからな。」

青い魔素が私の周りを、遠慮がちに離れたり近づいたりと、不規則に動き回る。

「ありがとう。」

ーー自然と笑えてる。良かった。

「…当然だ。」

このぶっきらぼうだけど、優しい感じは、もういつもの義兄さんだった。

ーーそうこれがいつもの私達…それでいい。

たとえ、この数日の不在の理由が他にあったとしても、
義兄さんの胸の内は全く別のことで満たされていたとしても、私達の距離はこれでいい。

これが「日常」なのだから。

もう一度、空気を吸い込めば、古木の樹皮の埃っぽい匂いと苔の湿った匂いがする。

それは、義兄さんのうちの神社裏を彷彿とさせた。

どこか厳かで神聖な気持ちになってくる。

木々の隙間を差し込む天使の梯子はどこの世界でも同じだった。

ーーやり直そっか…な。

ふっとそんな事を思いつき、勢いのままに口に出す。

「ねえ、義兄さん。護衛契約、やり直そ?なんか、仕切り直ししたくなっちゃった…」

義兄さんの前に両手を出すと、少し躊躇うように森の奥へと…視線を一度彷徨わせて、義兄さんはそっと私の手を包みこんだ。

「ごめんね…こっち来てから、私なんかおかしくて…」

言い訳がましく喋ろうとすると…もう何も言うなとばかりにゆっくりと義兄さんの魔素が流れ込んできて私の魔素とまた混じり合う。

そして、私の身体の中で溶け合う。

ーー言えないなあ。義兄さんに会えなくなってから…この温もりが抜けていって…それがどうしようもなく寂しかったなんて…言えない、な


光の粒が漂い、差し込む陽の光の中を青い蝶が2匹、番うように螺旋を描いて、飛んでいく。

湖面に青い魔素と紫の魔素が混じり合うように沈んでいくのが見えた。

静謐な森の奥で私達は、今、ただ二人だけ。

湖の底に紫をひそませた青い光が音もなく広がっていく。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く

紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

処理中です...