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第一章 ようこそ坂之上商店街へ
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「隊長、遅いっすねー」
同じ場所、同じ時刻。芳ばしい肉の焼ける香りが漂う洋食屋にて、大木場アキラは七美隊長が来るのを待っている。
黒い半袖のTシャツに、ナチュラルに傷ついたダメージジーンズを穿いた姿は、ボディビルダーか、はたまたプロレスラーにしか見えない風貌をしていた。
「お腹空いたなぁ……。先に注文していいのかなぁー」
長身なうえ筋肉質の彼は、呼吸をするだけでもエネルギーを消費していく。
にもかかわらず彼女を待っているあいだ、お冷以外の物を口にしておらず、ひたすら空腹に耐えている模様だった。
「よし。千円だけ注文するっす」
意を決した表情となり、メニュー表へと手を伸ばす。
するとその瞬間、レッドオークでできたドアのチャイムが鳴り、ようやく待ち人が姿を現した。
「ごめんねー、なかなかタクシーが捕まらなくてさ。なんでもいいから注文してよ」
ここは七美たちが頻繁に利用する洋食屋で、安い・旨い・量があると、三拍子そろっているうえ、深夜まで営業をしている、ありがたいお店。
ディナーやランチタイムでは、ウェイティングボードに名前を記入しなければならないが、運さえ良ければ、こうして待たずに入店できた。
「いつものアレを頼んでいいですか」
「もちろん。ところで大木場、待たずに店へ入れた?」
「はい。たまたま今日は空いていたっす」
「……そうか」
「どうしたっすか、隊長。急に怖い顔になって」
「いや、なんでもない。はーい、ぼくちゃんカモーン」
七美は艶やかな内頬を覗かせると、小柄な少年店員を呼ぶ。
もうすっかり常連となってしまい、なにを注文するか先回りされてしまった。
「お待たせしました。お客さまはワインで、お隣の方はいつもの骨付きチキンセットのマシマシデーモンですねー」
「そうそう、あれ? 今日はシェフが来ないのね」
「あー……、はい。ただいま立て込んでいまして」
「ふーん」
ここの店は、品の良い中年の女性がシェフを務めており、いつもテーブルまでやって来ては、本日の料理について、丁寧に説明してくれる。
ワインしか飲まない七美は、どちらでもよかったが、大木場をはじめ、大食漢の隊員たちは興味津々で耳を傾けていた。
「ワインの銘柄はどうなさいますか」
「トリンパックをグラスでちょうだい」
店員は弾むような声で復唱をすると、トレーを小脇にキッチンへと下がっていく。
いつも失敗して怒られている不器用な少年だが、誰にでも愛想がよく、笑顔が子どもみたいなので七美はかわいがっていた。
「いやー、よかったっす。こんなにも空いているときもあるんすね」
「梅雨どきっていうのもあるのだろうね。予定が立てづらいし」
そんな会話をふたりがしていると、隣の席にいた男性客が、テーブルの紙ナプキンとボールペンを七美に差し出してきた。
「便秘のクスリでデビューした、タレントさんですよね」
「いや、あの、その前にドラマに出ていたんだけど……」
俳優として認められてからのタレント活動であり、いきなり便秘のコマーシャルに出たわけではない。
自分なりにプライドもあり、そこだけは訂正しておきたかった。
「これにサインしていただけますか」
「いいよー。ぜんぜん価値なんてないけどねー」
「そんなことありませんよー」
自虐ギャグは十八番なので、あえて湧かせてみせる役者魂。
男性は、「たいせつにします」と、席に戻っていったので、ミーティングのつづきを始めた。
「それで依頼というのは轢き逃げされた女性の護衛だ。怨恨の線もあり、計画的かも知れない――」
七美は関係者しか閲覧できないはずの捜査資料を見せ、老刑事から聞いた内容を伝えていく。
自身の注文をしたトリンパックが先に来たので、口を潤しながら。
「……となると、本当に事故だった場合は空振りすね」
「そうなの。だから明日は現場に行って、事故の状況を調べてみたい」
「事故の状況? どうしてっすか」
「ねぇ、大木場。これまでの話を聞いてどう思う」
「はぁ、えーと、なんかありましたっけ?」
早くも考えるのをやめたらしく、大木場は両手を上げ、降参のポーズをとる。
すると彼の後ろからカートを引いた少年店員が現れ、次々と料理を並べていった。
「お待たせしました。骨付きチキンセットのマシマシデーモンです」
文字通り骨が付いたままのチキンレッグが四本と、山盛りのサラダ。日本昔ばなしに出てきそうなてんこ盛りの白飯に、なみなみと丼に注がれたクラムチャウダーまであり、すでにビジュアルの段階で、胸やけと胃もたれを同時に起こしそうな逸品であった。
「いただきます。隊長」
両手を合わせた大木場は、さっそく骨付きチキンにかぶりつく。
七美はグラスに付いたルージュの跡を指で拭うと、つづきを話しはじめた。
「ホントになにも感じない?」
「はひ?」(はい?)
「君は今日の状況を振り返って、なんとも思わないか」
「どほひふこもふか」(どういうことですか)
「ほら、店に入るとき違和感があっただろ」
両手に骨付きチキンを頬張り、大木場は何度も目を瞬かせている。
いちおう食べながらも、話を聞いているようだった。
「さーせん。なんのことっすか」
クラムチャウダーで口のなかを流し、ようやく普通に喋りだす。
今は気持ちよく食事をさせてあげようと、これ以上は仕事の話はやめた。
「まぁ、いいや。それじゃあ明日は朝から、よろしくね」
七美は二杯目のワインをオーダーすると、グラスに映る自分へと視線を合わせた。
「――そうだよね……やっぱりウェイティングボードがあるはずよね……」
同じ場所、同じ時刻。芳ばしい肉の焼ける香りが漂う洋食屋にて、大木場アキラは七美隊長が来るのを待っている。
黒い半袖のTシャツに、ナチュラルに傷ついたダメージジーンズを穿いた姿は、ボディビルダーか、はたまたプロレスラーにしか見えない風貌をしていた。
「お腹空いたなぁ……。先に注文していいのかなぁー」
長身なうえ筋肉質の彼は、呼吸をするだけでもエネルギーを消費していく。
にもかかわらず彼女を待っているあいだ、お冷以外の物を口にしておらず、ひたすら空腹に耐えている模様だった。
「よし。千円だけ注文するっす」
意を決した表情となり、メニュー表へと手を伸ばす。
するとその瞬間、レッドオークでできたドアのチャイムが鳴り、ようやく待ち人が姿を現した。
「ごめんねー、なかなかタクシーが捕まらなくてさ。なんでもいいから注文してよ」
ここは七美たちが頻繁に利用する洋食屋で、安い・旨い・量があると、三拍子そろっているうえ、深夜まで営業をしている、ありがたいお店。
ディナーやランチタイムでは、ウェイティングボードに名前を記入しなければならないが、運さえ良ければ、こうして待たずに入店できた。
「いつものアレを頼んでいいですか」
「もちろん。ところで大木場、待たずに店へ入れた?」
「はい。たまたま今日は空いていたっす」
「……そうか」
「どうしたっすか、隊長。急に怖い顔になって」
「いや、なんでもない。はーい、ぼくちゃんカモーン」
七美は艶やかな内頬を覗かせると、小柄な少年店員を呼ぶ。
もうすっかり常連となってしまい、なにを注文するか先回りされてしまった。
「お待たせしました。お客さまはワインで、お隣の方はいつもの骨付きチキンセットのマシマシデーモンですねー」
「そうそう、あれ? 今日はシェフが来ないのね」
「あー……、はい。ただいま立て込んでいまして」
「ふーん」
ここの店は、品の良い中年の女性がシェフを務めており、いつもテーブルまでやって来ては、本日の料理について、丁寧に説明してくれる。
ワインしか飲まない七美は、どちらでもよかったが、大木場をはじめ、大食漢の隊員たちは興味津々で耳を傾けていた。
「ワインの銘柄はどうなさいますか」
「トリンパックをグラスでちょうだい」
店員は弾むような声で復唱をすると、トレーを小脇にキッチンへと下がっていく。
いつも失敗して怒られている不器用な少年だが、誰にでも愛想がよく、笑顔が子どもみたいなので七美はかわいがっていた。
「いやー、よかったっす。こんなにも空いているときもあるんすね」
「梅雨どきっていうのもあるのだろうね。予定が立てづらいし」
そんな会話をふたりがしていると、隣の席にいた男性客が、テーブルの紙ナプキンとボールペンを七美に差し出してきた。
「便秘のクスリでデビューした、タレントさんですよね」
「いや、あの、その前にドラマに出ていたんだけど……」
俳優として認められてからのタレント活動であり、いきなり便秘のコマーシャルに出たわけではない。
自分なりにプライドもあり、そこだけは訂正しておきたかった。
「これにサインしていただけますか」
「いいよー。ぜんぜん価値なんてないけどねー」
「そんなことありませんよー」
自虐ギャグは十八番なので、あえて湧かせてみせる役者魂。
男性は、「たいせつにします」と、席に戻っていったので、ミーティングのつづきを始めた。
「それで依頼というのは轢き逃げされた女性の護衛だ。怨恨の線もあり、計画的かも知れない――」
七美は関係者しか閲覧できないはずの捜査資料を見せ、老刑事から聞いた内容を伝えていく。
自身の注文をしたトリンパックが先に来たので、口を潤しながら。
「……となると、本当に事故だった場合は空振りすね」
「そうなの。だから明日は現場に行って、事故の状況を調べてみたい」
「事故の状況? どうしてっすか」
「ねぇ、大木場。これまでの話を聞いてどう思う」
「はぁ、えーと、なんかありましたっけ?」
早くも考えるのをやめたらしく、大木場は両手を上げ、降参のポーズをとる。
すると彼の後ろからカートを引いた少年店員が現れ、次々と料理を並べていった。
「お待たせしました。骨付きチキンセットのマシマシデーモンです」
文字通り骨が付いたままのチキンレッグが四本と、山盛りのサラダ。日本昔ばなしに出てきそうなてんこ盛りの白飯に、なみなみと丼に注がれたクラムチャウダーまであり、すでにビジュアルの段階で、胸やけと胃もたれを同時に起こしそうな逸品であった。
「いただきます。隊長」
両手を合わせた大木場は、さっそく骨付きチキンにかぶりつく。
七美はグラスに付いたルージュの跡を指で拭うと、つづきを話しはじめた。
「ホントになにも感じない?」
「はひ?」(はい?)
「君は今日の状況を振り返って、なんとも思わないか」
「どほひふこもふか」(どういうことですか)
「ほら、店に入るとき違和感があっただろ」
両手に骨付きチキンを頬張り、大木場は何度も目を瞬かせている。
いちおう食べながらも、話を聞いているようだった。
「さーせん。なんのことっすか」
クラムチャウダーで口のなかを流し、ようやく普通に喋りだす。
今は気持ちよく食事をさせてあげようと、これ以上は仕事の話はやめた。
「まぁ、いいや。それじゃあ明日は朝から、よろしくね」
七美は二杯目のワインをオーダーすると、グラスに映る自分へと視線を合わせた。
「――そうだよね……やっぱりウェイティングボードがあるはずよね……」
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