3 / 12
第1章【派遣社員の壁とシトラスの予感】
01-03 無自覚な残酷さと生存マニュアル
しおりを挟む
初日に吉田さんが「戦場」と言ったのは決して大げさではなかったのだと、私は翌日に思い知ることになる。
出社して早々、私のデスクには文字通り、仕事の山が降り積もった。
ただ問題は、依頼される「量」と何より「依頼主」たちの無自覚な残酷さだった。
「三井さんって、正社員を目指してるんだよね?」
お昼休みの直前。
華やかな香りを纏って近づいてきた佐藤さんが、親しげに私の肩に手を置いた。
「あ、はい。そのつもりで頑張りたいと思っています」
「だよね! だったら、今のうちにこういう書類整理にも慣れておいたほうがいいわよ。これ、私がやるより三井さんがやったほうが、現場の細かいニュアンスが身に付くと思うんだ。三井さんのキャリアのためにも、ね?」
そう言って差し出されたのは、本来彼女が責任を持ってまとめるべき、膨大な量の書類だった。
拒否権など最初から存在しない。
彼女の目は「あなたのために私の仕事を『わざわざ』分けてあげている」という、一見すると善意に見える光で満ちているからだ。
社内ツールのチャットで飛んでくる依頼も、同じトーンだった。
『三井さん、正社員になればこういう急ぎ案件も日常茶飯事だよ。今のうちに回し方を覚えちゃおう! 期待してるよ!』
『企画書のエモい直し、お願い! 三井さんのセンスなら正社員の人たちとも対等に渡り合えると思うんだ。頑張って!』
彼女たちに悪気はない。
むしろ、私を派遣社員から正社員へと昇格できるようにと、熱心に教育しているつもりなのだ。
(大丈夫。ネットでも『見込みのある相手ほど、多くの仕事を振られる』って書いてあった。正社員になるためのステップってことだよね)
就職に失敗した敗者の私にとって、ネットの検索結果はこの社会で唯一頼れる生存マニュアルだった。
画面の向こう側の誰かが書いた無責任な励ましだけが、今の私を支える唯一の杖なのだ。
女性社員たちから向けられる眩しい笑顔の裏には、「派遣なんだから、雑用はやって当然」という、決して越えられない身分の壁がはっきりと見える。
そして、その残酷さに彼女たち自身が気づくことは、ない。
(悪く考える癖はやめよう。今は与えられた仕事をこなすのみ)
そう言い聞かせ、本来の業務以外の仕事を黙々とこなしていく。
***
(……結局、私だけが残るんだな)
夜8時を過ぎ、人もまばらになった静かなオフィス。
PCのブルーライトに照らされた自分の指先が、カタカタと虚しく音を立てる。
ふと、背後の空気がわずかに重くなったような気配を感じて振り返った。
フロアの奥から歩いてくる、宇佐美さんと川口さんの姿。
(あ、目が合った……かも)
宇佐美さんの切れ長の瞳が、一瞬、私の背中を射抜くように捉えた気がして――。
彼は無表情のまま、川口さんと何かを話しながら通り過ぎていく。
(仕事が遅い、出来ない人間だって思われてるかも……)
不安を打ち消すように、私は再び画面に向き直った。
誰にも文句を言われない「完璧なモノ」にならなければ、私の居場所は明日にも消えてしまう。
出社して早々、私のデスクには文字通り、仕事の山が降り積もった。
ただ問題は、依頼される「量」と何より「依頼主」たちの無自覚な残酷さだった。
「三井さんって、正社員を目指してるんだよね?」
お昼休みの直前。
華やかな香りを纏って近づいてきた佐藤さんが、親しげに私の肩に手を置いた。
「あ、はい。そのつもりで頑張りたいと思っています」
「だよね! だったら、今のうちにこういう書類整理にも慣れておいたほうがいいわよ。これ、私がやるより三井さんがやったほうが、現場の細かいニュアンスが身に付くと思うんだ。三井さんのキャリアのためにも、ね?」
そう言って差し出されたのは、本来彼女が責任を持ってまとめるべき、膨大な量の書類だった。
拒否権など最初から存在しない。
彼女の目は「あなたのために私の仕事を『わざわざ』分けてあげている」という、一見すると善意に見える光で満ちているからだ。
社内ツールのチャットで飛んでくる依頼も、同じトーンだった。
『三井さん、正社員になればこういう急ぎ案件も日常茶飯事だよ。今のうちに回し方を覚えちゃおう! 期待してるよ!』
『企画書のエモい直し、お願い! 三井さんのセンスなら正社員の人たちとも対等に渡り合えると思うんだ。頑張って!』
彼女たちに悪気はない。
むしろ、私を派遣社員から正社員へと昇格できるようにと、熱心に教育しているつもりなのだ。
(大丈夫。ネットでも『見込みのある相手ほど、多くの仕事を振られる』って書いてあった。正社員になるためのステップってことだよね)
就職に失敗した敗者の私にとって、ネットの検索結果はこの社会で唯一頼れる生存マニュアルだった。
画面の向こう側の誰かが書いた無責任な励ましだけが、今の私を支える唯一の杖なのだ。
女性社員たちから向けられる眩しい笑顔の裏には、「派遣なんだから、雑用はやって当然」という、決して越えられない身分の壁がはっきりと見える。
そして、その残酷さに彼女たち自身が気づくことは、ない。
(悪く考える癖はやめよう。今は与えられた仕事をこなすのみ)
そう言い聞かせ、本来の業務以外の仕事を黙々とこなしていく。
***
(……結局、私だけが残るんだな)
夜8時を過ぎ、人もまばらになった静かなオフィス。
PCのブルーライトに照らされた自分の指先が、カタカタと虚しく音を立てる。
ふと、背後の空気がわずかに重くなったような気配を感じて振り返った。
フロアの奥から歩いてくる、宇佐美さんと川口さんの姿。
(あ、目が合った……かも)
宇佐美さんの切れ長の瞳が、一瞬、私の背中を射抜くように捉えた気がして――。
彼は無表情のまま、川口さんと何かを話しながら通り過ぎていく。
(仕事が遅い、出来ない人間だって思われてるかも……)
不安を打ち消すように、私は再び画面に向き直った。
誰にも文句を言われない「完璧なモノ」にならなければ、私の居場所は明日にも消えてしまう。
0
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
婚活に疲れたアラサーOLの私、癒やし的存在の弟分(高校生)に「もう待てない」と外堀を埋められています ~10年分の執着は、甘すぎて重すぎる~
ダルい
恋愛
「29歳? 子供産むならもっと若い子がよかったな」
中堅企業で働く早川結衣(29)は、婚活市場における年齢の壁と、デリカシーのない男たちにすり減らされる日々を送っていた。
そんな結衣の唯一の癒やしは、マンションの隣に住む幼馴染の高校生・瀬戸湊(16)。
両親が共働きの彼に代わって、幼い頃はお世話をしてあげていた……はずが、いつの間にか立場は逆転。
手料理を振る舞われ、愚痴を聞かれ、マッサージまでされる始末。「湊がお嫁さんならいいのに」なんて冗談を言っていたけれど。
「今の結衣姉が一番綺麗だよ。……早く、誰も手出しできない『おばさん』になってくれればいいのに」
可愛い弟分だと思っていた彼が、時折見せる『オス』の顔。
16歳の高校生と、もうすぐ30歳のアラサー。
13歳差の常識と理性に抗いながら、生意気な年下男子に外堀を埋められていく、甘くて重い現状維持(ラブストーリー)。
「俺が大人になるまで、誰とも結婚しないで」
癒やされたいすべての女性に贈る、最強の年下幼馴染による溺愛包囲網、開始。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
国宝級イケメンとのキスは、最上級に甘いドルチェみたいに私をとろけさせます♡ 〈Dulcisシリーズ〉
はなたろう
恋愛
人気アイドルとの秘密の恋愛♡コウキは俳優やモデルとしても活躍するアイドル。クールで優しいけど、ベッドでは少し意地悪でやきもちやき。彼女の美咲を溺愛し、他の男に取られないかと不安になることも。出会いから交際を経て、甘いキスで溶ける日々の物語。
★みなさまの心にいる、推しを思いながら読んでください
◆出会い編あらすじ
毎日同じ、変わらない。都会の片隅にある植物園で働く美咲。
そこに毎週やってくる、おしゃれで長身の男性。カメラが趣味らい。この日は初めて会話をしたけど、ちょっと変わった人だなーと思っていた。
まさか、その彼が人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーだとは気づきもしなかった。
毎日同じだと思っていた日常、ついに変わるときがきた。
◆登場人物
佐倉 美咲(25) 公園の管理運営企業に勤める。植物園のスタッフから本社の企画営業部へ異動
天見 光季(27) 人気アイドルグループ、dulcis(ドゥルキス)のメンバー。俳優業で活躍中、自然の写真を撮るのが趣味
お読みいただきありがとうございます!
★番外編はこちらに集約してます。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/693947517
★最年少、甘えん坊ケイタとバツイチ×アラサーの恋愛はじめました。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/408954279
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
ひとつの秩序
水瀬 葵
恋愛
ずっと好きだった職場の先輩が、恋人と同棲を始めた。
その日から、南莉子の日常は少しずつ噛み合わなくなっていく。
昔からの男友達・加瀬透真は、気づけばやたら距離が近くて、優しいのか、図々しいのか、よく分からない。
好きな人が二人いるわけじゃない。
ただ、先輩には彼女がいて、友達は友達の顔をしなくなっていく。
戻れると思っていた関係が、いつの間にか戻れなくなっている。
これは、仕事も恋もちゃんとやりたいのに、だいたい空回りしている大人たちの、少し不器用なラブコメディ。
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
楓乃めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる