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第1章【派遣社員の壁とシトラスの予感】
03 無自覚な残酷さと生存マニュアル | 善意という名の搾取【ゆこ】
初日に吉田さんが「戦場」と言ったのは決して大げさではなかったのだと、私は翌日に思い知ることになる。
出社して早々、私のデスクには文字通り、仕事の山が降り積もった。
ただ問題は、依頼される「量」と何より「依頼主」たちの無自覚な残酷さだった。
「三井さんって、正社員を目指してるんだよね?」
お昼休みの直前。
華やかな香りを纏って近づいてきた佐藤さんが、親しげに私の肩に手を置いた。
「あ、はい。そのつもりで頑張りたいと思っています」
「だよね! だったら、今のうちにこういう書類整理にも慣れておいたほうがいいわよ。これ、私がやるより三井さんがやったほうが、現場の細かいニュアンスが身に付くと思うんだ。三井さんのキャリアのためにも、ね?」
そう言って差し出されたのは、本来彼女が責任を持ってまとめるべき、膨大な量の書類だった。
拒否権など最初から存在しない。
彼女の目は「あなたのために私の仕事を『わざわざ』分けてあげている」という、一見すると善意に見える光で満ちているからだ。
社内ツールのチャットで飛んでくる依頼も、同じトーンだった。
『三井さん、正社員になればこういう急ぎ案件も日常茶飯事だよ。今のうちに回し方を覚えちゃおう! 期待してるよ!』
『企画書のエモい直し、お願い! 三井さんのセンスなら正社員の人たちとも対等に渡り合えると思うんだ。頑張って!』
彼女たちに悪気はない。
むしろ、私を派遣社員から正社員へと昇格できるようにと、熱心に教育しているつもりなのだ。
(大丈夫。ネットでも『見込みのある相手ほど、多くの仕事を振られる』って書いてあった。正社員になるためのステップってことだよね)
就職に失敗した敗者の私にとって、ネットの検索結果はこの社会で唯一頼れる生存マニュアルだった。
画面の向こう側の誰かが書いた無責任な励ましだけが、今の私を支える唯一の杖なのだ。
女性社員たちから向けられる眩しい笑顔の裏には、「派遣なんだから、雑用はやって当然」という、決して越えられない身分の壁がはっきりと見える。
そして、その残酷さに彼女たち自身が気づくことは、ない。
(悪く考える癖はやめよう。今は与えられた仕事をこなすのみ)
そう言い聞かせ、本来の業務以外の仕事を黙々とこなしていく。
***
(……結局、私だけが残るんだな)
夜8時を過ぎ、人もまばらになった静かなオフィス。
PCのブルーライトに照らされた自分の指先が、カタカタと虚しく音を立てる。
ふと、背後の空気がわずかに重くなったような気配を感じて振り返った。
フロアの奥から歩いてくる、宇佐美さんと川口さんの姿。
(あ、目が合った……かも)
宇佐美さんの切れ長の瞳が、一瞬、私の背中を射抜くように捉えた気がして――。
彼は無表情のまま、川口さんと何かを話しながら通り過ぎていく。
(仕事が遅い、出来ない人間だって思われてるかも……)
不安を打ち消すように、私は再び画面に向き直った。
誰にも文句を言われない「完璧なモノ」にならなければ、私の居場所は明日にも消えてしまう。
出社して早々、私のデスクには文字通り、仕事の山が降り積もった。
ただ問題は、依頼される「量」と何より「依頼主」たちの無自覚な残酷さだった。
「三井さんって、正社員を目指してるんだよね?」
お昼休みの直前。
華やかな香りを纏って近づいてきた佐藤さんが、親しげに私の肩に手を置いた。
「あ、はい。そのつもりで頑張りたいと思っています」
「だよね! だったら、今のうちにこういう書類整理にも慣れておいたほうがいいわよ。これ、私がやるより三井さんがやったほうが、現場の細かいニュアンスが身に付くと思うんだ。三井さんのキャリアのためにも、ね?」
そう言って差し出されたのは、本来彼女が責任を持ってまとめるべき、膨大な量の書類だった。
拒否権など最初から存在しない。
彼女の目は「あなたのために私の仕事を『わざわざ』分けてあげている」という、一見すると善意に見える光で満ちているからだ。
社内ツールのチャットで飛んでくる依頼も、同じトーンだった。
『三井さん、正社員になればこういう急ぎ案件も日常茶飯事だよ。今のうちに回し方を覚えちゃおう! 期待してるよ!』
『企画書のエモい直し、お願い! 三井さんのセンスなら正社員の人たちとも対等に渡り合えると思うんだ。頑張って!』
彼女たちに悪気はない。
むしろ、私を派遣社員から正社員へと昇格できるようにと、熱心に教育しているつもりなのだ。
(大丈夫。ネットでも『見込みのある相手ほど、多くの仕事を振られる』って書いてあった。正社員になるためのステップってことだよね)
就職に失敗した敗者の私にとって、ネットの検索結果はこの社会で唯一頼れる生存マニュアルだった。
画面の向こう側の誰かが書いた無責任な励ましだけが、今の私を支える唯一の杖なのだ。
女性社員たちから向けられる眩しい笑顔の裏には、「派遣なんだから、雑用はやって当然」という、決して越えられない身分の壁がはっきりと見える。
そして、その残酷さに彼女たち自身が気づくことは、ない。
(悪く考える癖はやめよう。今は与えられた仕事をこなすのみ)
そう言い聞かせ、本来の業務以外の仕事を黙々とこなしていく。
***
(……結局、私だけが残るんだな)
夜8時を過ぎ、人もまばらになった静かなオフィス。
PCのブルーライトに照らされた自分の指先が、カタカタと虚しく音を立てる。
ふと、背後の空気がわずかに重くなったような気配を感じて振り返った。
フロアの奥から歩いてくる、宇佐美さんと川口さんの姿。
(あ、目が合った……かも)
宇佐美さんの切れ長の瞳が、一瞬、私の背中を射抜くように捉えた気がして――。
彼は無表情のまま、川口さんと何かを話しながら通り過ぎていく。
(仕事が遅い、出来ない人間だって思われてるかも……)
不安を打ち消すように、私は再び画面に向き直った。
誰にも文句を言われない「完璧なモノ」にならなければ、私の居場所は明日にも消えてしまう。
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