切愛、あるいは独占 ~『不感症の神様』と呼ばれた42歳のエリート上司は、派遣の私にだけ42年分の「欲」と「愛」を溢れさせる~

結城ろか

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第1章【派遣社員の壁とシトラスの予感】

01-04 資料室の静寂とたくましい腕

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数日後。
お昼休みまであとわずかという時。
高山さんが私を呼び止める。

「廊下に資料とサンプルが載った台車があるんだけど、資料室に運んどいてくれる? 三井さんなら仕事が丁寧そうだし、お願い!」
「わかりました。資料室に運ぶだけですか?」
「資料を棚に適当に入れてくれたらいいから。私、この後、ランチの約束してて。ごめんね」

高山さんは私の返事を待たず、華やかな香りを残して去っていった。
一人取り残された私は廊下に出ると、台車に高く積まれた段ボールの山と向き合う。
重みで歪んだ底が、この作業の過酷さを物語っていた。

(頼まれたことは、ちゃんとやらないと)
意を決して視界を遮るほどの高さになった台車を押すと、車輪がガタガタと不吉な悲鳴を上げた。

「危なっ!」
鋭い声とともに、崩れかけた山に大きな手が添えられる。

「え……、宇佐美さん?」
「どう見ても、一人で運ぶ量じゃないだろ。その資料、高山の案件だな。なぜ君がやっている?」
「えっと、急ぎの用事が入ったとかで、私が代わることになりました」
「……他の連中のように、上手く立ち回る術を知らないのか?」

宇佐美さんは明らかに不機嫌そうだった。
仕事の段取りが悪い私を見ていると、きっと苛立ちが募るのだろう。

(マネージャーの彼から見れば、私はただの効率の悪いお荷物なのかもしれない。完璧な部品になろうと決めたはずなのに…………)

これ以上、彼の気分を害したくない。
私は赤くなった手にさらに力を込めて、台車を動かそうとした。

「これ、どこまで持っていくんだ?」
「資料室まで、です。すみません、すぐにここ、どかしますから」
「いや、そこまで俺が押していく」

宇佐美さんは私の言葉を遮るように言い放ち、台車の取っ手に手をかけた。
「君がやるより、俺がやる方が速い。非効率なことは時間の無駄だ」

その言葉が、さっきの自責の念に容赦なく追い打ちをかける。
これ以上何も言い返せなくなった私を置き去りにして、彼は片手で取っ手を掴み、もう片方の手で荷崩れしないよう側面を支えながら、鮮やかに台車を押し始めた。

「雑用を社員の方にさせるわけには……大丈夫ですから」
「社員も派遣も関係ない。事故が起きてからでは遅い。ついでだ」

有無を言わせぬ口調。
そこには拒絶を許さない絶対的な強さと、私を突き放すような冷ややかさが同居していた。

***

資料室に着くと、宇佐美さんは淀みない動作で段ボールを降ろしていく。

「助かりました。ありがとうございます。あとは自分だけでできますから」
「あとは? 運ぶだけじゃなくて、まだ何かあるのか」
「……中身を棚に移す作業です」
「……」

宇佐美さんは無言で腕時計をチラリと確認すると、着ていたダークネイビーのジャケットを脱ぎ、迷いなく椅子の背にかけた。
糊のきいた白いワイシャツの袖を、無造作に捲り上げる。

あらわになった腕は、デスクワークの男性とは思えないほどたくましい。
浮き出た血管や、固く結ばれた筋肉のラインに思わず目を奪われた。
彼の動きに合わせて、隠しようのない高い体温が伝わってくる。
冷ややかなシトラスの香りが、その熱に煽られるようにして、逃げ場のない資料室を支配した。

すぐ隣にある横顔は表情一つ変えず、ただ黙々と段ボールの中身を棚に収めていく。
まったく無駄のない仕事の速さに圧倒されながら、私は反射的にカッターを手に取った。

「あの、せめて空き箱くらいは私が潰します!」
私が慌てて手を伸ばすと、彼は作業を止めることなく低く冷めた声で言った。

「……要領の悪い子だな、君は」
「えっ……」
「他の連中なら、この状況を好機と見て俺に全て押し付け、自分はさっさと休憩に行くだろう。君がここで擦り減らしているエネルギーを、誰が正当に評価すると期待しているんだ」

正当な評価。
その言葉が、私が一番欲しくて、一番痛い場所を正確に射抜いた。
薄暗がりに浮かぶ顎のラインと、苛立ちを飲み込むように動いた喉仏。
その冷徹な威圧感に、私は逃げ出したいほどの緊張に襲われる。

突き放しながらも黙々と動く背中は、言葉をかける価値もないと怒っているようで、私はお礼を言う機会さえ失った。

──正社員になりたい、自立したい。
そう足掻くほど空回りし、呆れられる。
熱を持つ手のひらより、自分の不甲斐なさが情けなくて視界が滲んだ。

それでも、助けてもらった事実に変わりはない。
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