4 / 68
第1章【派遣社員の壁とシトラスの予感】
04 資料室の静寂とたくましい腕 | 密室で知る上司の体温【ゆこ】
数日後。
お昼休みまであとわずかという時。
高山さんが私を呼び止める。
「廊下に資料とサンプルが載った台車があるんだけど、資料室に運んどいてくれる? 三井さんなら仕事が丁寧そうだし、お願い!」
「わかりました。資料室に運ぶだけですか?」
「資料を棚に適当に入れてくれたらいいから。私、この後、ランチの約束してて。ごめんね」
高山さんは私の返事を待たず、華やかな香りを残して去っていった。
一人取り残された私は廊下に出ると、台車に高く積まれた段ボールの山と向き合う。
重みで歪んだ底が、この作業の過酷さを物語っていた。
(頼まれたことは、ちゃんとやらないと)
意を決して視界を遮るほどの高さになった台車を押すと、車輪がガタガタと不吉な悲鳴を上げた。
「危なっ!」
鋭い声とともに、崩れかけた山に大きな手が添えられる。
「え……、宇佐美さん?」
「どう見ても、一人で運ぶ量じゃないだろ。その資料、高山の案件だな。なぜ君がやっている?」
「えっと、急ぎの用事が入ったとかで、私が代わることになりました」
「……他の連中のように、上手く立ち回る術を知らないのか?」
宇佐美さんは明らかに不機嫌そうだった。
仕事の段取りが悪い私を見ていると、きっと苛立ちが募るのだろう。
(マネージャーの彼から見れば、私はただの効率の悪いお荷物なのかもしれない。完璧な部品になろうと決めたはずなのに…………)
これ以上、彼の気分を害したくない。
私は赤くなった手にさらに力を込めて、台車を動かそうとした。
「これ、どこまで持っていくんだ?」
「資料室まで、です。すみません、すぐにここ、どかしますから」
「いや、そこまで俺が押していく」
宇佐美さんは私の言葉を遮るように言い放ち、台車の取っ手に手をかけた。
「君がやるより、俺がやる方が速い。非効率なことは時間の無駄だ」
その言葉が、さっきの自責の念に容赦なく追い打ちをかける。
これ以上何も言い返せなくなった私を置き去りにして、彼は片手で取っ手を掴み、もう片方の手で荷崩れしないよう側面を支えながら、鮮やかに台車を押し始めた。
「雑用を社員の方にさせるわけには……大丈夫ですから」
「社員も派遣も関係ない。事故が起きてからでは遅い。ついでだ」
有無を言わせぬ口調。
そこには拒絶を許さない絶対的な強さと、私を突き放すような冷ややかさが同居していた。
***
資料室に着くと、宇佐美さんは淀みない動作で段ボールを降ろしていく。
「助かりました。ありがとうございます。あとは自分だけでできますから」
「あとは? 運ぶだけじゃなくて、まだ何かあるのか」
「……中身を棚に移す作業です」
「……」
宇佐美さんは無言で腕時計をチラリと確認すると、着ていたダークネイビーのジャケットを脱ぎ、迷いなく椅子の背にかけた。
糊のきいた白いワイシャツの袖を、無造作に捲り上げる。
あらわになった腕は、デスクワークの男性とは思えないほどたくましい。
浮き出た血管や、固く結ばれた筋肉のラインに思わず目を奪われた。
彼の動きに合わせて、隠しようのない高い体温が伝わってくる。
冷ややかなシトラスの香りが、その熱に煽られるようにして、逃げ場のない資料室を支配した。
すぐ隣にある横顔は表情一つ変えず、ただ黙々と段ボールの中身を棚に収めていく。
まったく無駄のない仕事の速さに圧倒されながら、私は反射的にカッターを手に取った。
「あの、せめて空き箱くらいは私が潰します!」
私が慌てて手を伸ばすと、彼は作業を止めることなく低く冷めた声で言った。
「……要領の悪い子だな、君は」
「えっ……」
「他の連中なら、この状況を好機と見て俺に全て押し付け、自分はさっさと休憩に行くだろう。君がここで擦り減らしているエネルギーを、誰が正当に評価すると期待しているんだ」
正当な評価。
その言葉が、私が一番欲しくて、一番痛い場所を正確に射抜いた。
薄暗がりに浮かぶ顎のラインと、苛立ちを飲み込むように動いた喉仏。
その冷徹な威圧感に、私は逃げ出したいほどの緊張に襲われる。
突き放しながらも黙々と動く背中は、言葉をかける価値もないと怒っているようで、私はお礼を言う機会さえ失った。
──正社員になりたい、自立したい。
そう足掻くほど空回りし、呆れられる。
熱を持つ手のひらより、自分の不甲斐なさが情けなくて視界が滲んだ。
それでも、助けてもらった事実に変わりはない。
お昼休みまであとわずかという時。
高山さんが私を呼び止める。
「廊下に資料とサンプルが載った台車があるんだけど、資料室に運んどいてくれる? 三井さんなら仕事が丁寧そうだし、お願い!」
「わかりました。資料室に運ぶだけですか?」
「資料を棚に適当に入れてくれたらいいから。私、この後、ランチの約束してて。ごめんね」
高山さんは私の返事を待たず、華やかな香りを残して去っていった。
一人取り残された私は廊下に出ると、台車に高く積まれた段ボールの山と向き合う。
重みで歪んだ底が、この作業の過酷さを物語っていた。
(頼まれたことは、ちゃんとやらないと)
意を決して視界を遮るほどの高さになった台車を押すと、車輪がガタガタと不吉な悲鳴を上げた。
「危なっ!」
鋭い声とともに、崩れかけた山に大きな手が添えられる。
「え……、宇佐美さん?」
「どう見ても、一人で運ぶ量じゃないだろ。その資料、高山の案件だな。なぜ君がやっている?」
「えっと、急ぎの用事が入ったとかで、私が代わることになりました」
「……他の連中のように、上手く立ち回る術を知らないのか?」
宇佐美さんは明らかに不機嫌そうだった。
仕事の段取りが悪い私を見ていると、きっと苛立ちが募るのだろう。
(マネージャーの彼から見れば、私はただの効率の悪いお荷物なのかもしれない。完璧な部品になろうと決めたはずなのに…………)
これ以上、彼の気分を害したくない。
私は赤くなった手にさらに力を込めて、台車を動かそうとした。
「これ、どこまで持っていくんだ?」
「資料室まで、です。すみません、すぐにここ、どかしますから」
「いや、そこまで俺が押していく」
宇佐美さんは私の言葉を遮るように言い放ち、台車の取っ手に手をかけた。
「君がやるより、俺がやる方が速い。非効率なことは時間の無駄だ」
その言葉が、さっきの自責の念に容赦なく追い打ちをかける。
これ以上何も言い返せなくなった私を置き去りにして、彼は片手で取っ手を掴み、もう片方の手で荷崩れしないよう側面を支えながら、鮮やかに台車を押し始めた。
「雑用を社員の方にさせるわけには……大丈夫ですから」
「社員も派遣も関係ない。事故が起きてからでは遅い。ついでだ」
有無を言わせぬ口調。
そこには拒絶を許さない絶対的な強さと、私を突き放すような冷ややかさが同居していた。
***
資料室に着くと、宇佐美さんは淀みない動作で段ボールを降ろしていく。
「助かりました。ありがとうございます。あとは自分だけでできますから」
「あとは? 運ぶだけじゃなくて、まだ何かあるのか」
「……中身を棚に移す作業です」
「……」
宇佐美さんは無言で腕時計をチラリと確認すると、着ていたダークネイビーのジャケットを脱ぎ、迷いなく椅子の背にかけた。
糊のきいた白いワイシャツの袖を、無造作に捲り上げる。
あらわになった腕は、デスクワークの男性とは思えないほどたくましい。
浮き出た血管や、固く結ばれた筋肉のラインに思わず目を奪われた。
彼の動きに合わせて、隠しようのない高い体温が伝わってくる。
冷ややかなシトラスの香りが、その熱に煽られるようにして、逃げ場のない資料室を支配した。
すぐ隣にある横顔は表情一つ変えず、ただ黙々と段ボールの中身を棚に収めていく。
まったく無駄のない仕事の速さに圧倒されながら、私は反射的にカッターを手に取った。
「あの、せめて空き箱くらいは私が潰します!」
私が慌てて手を伸ばすと、彼は作業を止めることなく低く冷めた声で言った。
「……要領の悪い子だな、君は」
「えっ……」
「他の連中なら、この状況を好機と見て俺に全て押し付け、自分はさっさと休憩に行くだろう。君がここで擦り減らしているエネルギーを、誰が正当に評価すると期待しているんだ」
正当な評価。
その言葉が、私が一番欲しくて、一番痛い場所を正確に射抜いた。
薄暗がりに浮かぶ顎のラインと、苛立ちを飲み込むように動いた喉仏。
その冷徹な威圧感に、私は逃げ出したいほどの緊張に襲われる。
突き放しながらも黙々と動く背中は、言葉をかける価値もないと怒っているようで、私はお礼を言う機会さえ失った。
──正社員になりたい、自立したい。
そう足掻くほど空回りし、呆れられる。
熱を持つ手のひらより、自分の不甲斐なさが情けなくて視界が滲んだ。
それでも、助けてもらった事実に変わりはない。
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)
久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。
しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。
「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」
――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。
なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……?
溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。
王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ!
*全28話完結
*辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。
*他誌にも掲載中です。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
鬼上官と、深夜のオフィス
99
恋愛
「このままでは女としての潤いがないまま、生涯を終えてしまうのではないか。」
間もなく30歳となる私は、そんな焦燥感に駆られて婚活アプリを使ってデートの約束を取り付けた。
けれどある日の残業中、アプリを操作しているところを会社の同僚の「鬼上官」こと佐久間君に見られてしまい……?
「婚活アプリで相手を探すくらいだったら、俺を相手にすりゃいい話じゃないですか。」
鬼上官な同僚に翻弄される、深夜のオフィスでの出来事。
※性的な事柄をモチーフとしていますが
その描写は薄いです。
義姉と押し入れに隠れたら、止まれなくなった
くろがねや
恋愛
父の再婚で、義姉ができた。
血は繋がっていない。でも——家族だ。そう言い聞かせながら、涼介はずっと沙耶から距離を取ってきた。
夏休み。田舎への帰省。甥っ子にせがまれて始まったかくれんぼ。急いで飛び込んだ押し入れの中に、先客がいた。
「……涼介くん」
薄い水色の浴衣。下ろした髪。橙色の光に染まった、沙耶の顔。
逃げ場のない暗闇の中で、二人分の体温が混ざり合う。
夜、来て。
その一言が——涼介の、全部を壊した。
甘くて、苦しくて、止まれない。
これは、ある夏の、秘密の話。
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?