切愛、あるいは独占 ~『不感症の神様』と呼ばれた42歳のエリート上司は、派遣の私にだけ42年分の「欲」と「愛」を溢れさせる~

結城ろか

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第1章【派遣社員の壁とシトラスの予感】

01-05 ビターコーヒーと琥珀色のアイスティー

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すべての作業が終わった時、昼休みの残りはわずか10分となっていた。
「本当に助かりました。ありがとうございました!」
深々と頭を下げる私に、彼は捲り上げていた袖を無造作に戻しながら、「気にするな」とだけ残して去っていった。

資料室に残されたのは、微かなシトラスの香りと整然と並ぶ棚。

自分のデスクに戻ると、宇佐美さんは既にパソコンに向かっていた。
眉間に深い皺を寄せ、視線はモニターに固定されたまま。
その傍らには、廊下で会った時にも彼が手にしていた、味気ない銀色の包装紙に包まれたブロック型の栄養補助食品が無造作に置かれている。

キーボードを叩く激しい音と、その断片を燃料でも補給するかのように口に運ぶだけの機械的な動作。
そのストイックな姿に、胸の奥がぎゅっと熱くなった。

(……宇佐美さん、お昼ご飯食べる時間、なくなったよね?)

ランチから戻ってきた高山さんたちが「あー、お腹いっぱい! 午後からやる気出なーい」と笑いながら席に着く。
その能天気な声が、宇佐美さんの削られた休憩時間の上に無神経に降り積もる。
私はいたたまれなくなり、気がつくと財布を掴んでオフィスを飛び出していた。

***

エレベーターを待つ時間さえもどかしく、階段を駆け下りてビル1階にあるコーヒースタンドへ走る。
午後の始業時間まで、残り時間は5分を切っている。
私はコーヒーの苦さが得意ではないから、コーヒーの種類はよくわからない。
けれど、宇佐美さんには一番香りの良いブラックが似合う気がした。

「あの、宇佐美さん!」
一心不乱に画面を見つめ、栄養補助食品を口にしようとしていた宇佐美さんの背中に声をかける。

「っ!?」

声をかけた瞬間、モニターを射抜いていた彼の背中が、弾かれたようにピンと伸びる。
数秒間、時が止まったようにキーボードを叩く音が途絶え、口に運ぼうとした欠片が空中で静止した。
やがてゆっくりと、思いもよらないものを見るような体でこちらを振り返った。

「……何か、三井さん」

すぐにいつもの冷徹な仮面を被り直した宇佐美さんに、走ってきたせいで乱れた息を整えながら、私はスリーブ越しにも熱を伝えるカップを差し出した。

「あの、コーヒー……もし良かったら。さっきのお礼です」
「……」

差し出したカップを、彼はまるで理解不能な物体を見るような、あるいは難解な数式を突きつけられたような、困惑に満ちた眼差しで見つめている。

「わざわざ、買ってきたのか?」
「はい。私のせいで、お昼休みを潰してしまったので。本当にありがとうございました」

宇佐美さんの反応を待つのが怖くて、私はぺこりと頭を下げ逃げるように自分の席に戻った。
(余計なことって思われたかな。でも、助けてもらったし……)

自分の席から宇佐美さんの方を盗み見ると、彼は少し戸惑ったように私が渡したカップを見つめている。
彼は何かを言おうとして口を開き、けれど結局何も言わずに、ただその温もりを確かめるようにカップを両手で包み込んでいた。

やがて彼は長い指先で、蓋の飲み口をパチンと音を立てて正確に開くと、まずはその香りを深く吸い込んだ。
それからゆっくりと一口、そのコーヒーを飲み込む。
飲み下す際、シャツの襟元で鋭く動く喉仏は、見惚れるほどに迷いがない。
ビターな香りが彼の喉を通っていくのが見えた。
その瞳が、ふと私の方へ向けられたような気がして、私は慌てて視線を逸らす。

横顔は、やっぱり冷たい。
けれど。
彼が手にしたカップから立ち上る湯気が、どこか頑なな彼の輪郭を柔らかくぼかしているように見えた。

資料室で私を襲った突然の緊張感の理由は、わからない。
考えてもきっと答えは出ない気がしたし、それよりも今の私にはやるべきことが山程ある。

(……よし! 午後も頑張ろう)
デスクの上に置いていたお気に入りの水筒。
中身は、家で淹れてきた琥珀色のアイスティー。
彼のブラックコーヒーとは対照的な、透き通った甘さ。
それを一口飲んで、私はまた『業務記録』の画面を開く。

完璧な部品には程遠いけれど、あの熱いカップの感触が、今の私を支えてくれる気がした。
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