切愛、あるいは独占 ~『不感症の神様』と呼ばれた42歳のエリート上司は、派遣の私にだけ42年分の「欲」と「愛」を溢れさせる~

結城ろか

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第1章【派遣社員の壁とシトラスの予感】

01-09 軽薄なチャットと剥き出しの保身

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どん底の気分のまま仕事は続く。
パソコンから「ピコン」という通知音が鳴った。
高山さんからの、絵文字つきキラキラチャットだ。

『三井さーん、1時からの会議資料、23部コピーお願い♫ ランチ予約あるから先、失礼するね♡』

さらに追撃がくる。
『やっぱりホチキス留めまでやっといて🙏 どうでもいい仕事に時間割けないんだよね。三井さんの練習にもなるし、よろしく』

(……どうでもいい仕事、か)

こんな時、無意識のうちに見下されていることを痛感する。
それでも、どんな仕事にも「どうでもいい」なんてない。
私はチャットの画面をドラッグし、いつものように『業務記録』へ指示内容をコピーした。

(「どうでもいい仕事」と吐き捨てられた。けど、今の私にはこうした雑用の一つひとつを完璧にこなしてみせること以外に、自分を認めさせる道はないんだ)

コピーしたチャットのスクリーンショットに続けて、指示された時間と内容も入力する。
(今度は絶対にヘマなんてしない!)

その時、背後を誰かが通り過ぎる気配がしたので振り返る。
資料を片手に歩いていく宇佐美さんの後ろ姿。
午前中の失敗があったばかりで、一瞬、呼吸が止まった。

(……あ、今の画面見られたかな)

誰にも知られたくない私だけの『業務記録』
私は慌てて画面を閉じ、コピー機へと向かった。

***

積み上がる資料。
ホチキスを打つ乾いた音。
時間は容赦なく過ぎていく。
(お昼ご飯、今日も無理かな……)
焦りで喉の奥がぎゅっと締まり、呼吸の仕方を忘れそうになったその時、横から不意に大きな手が伸びてきた。

「残りは俺が引き受ける。三井さんは、まだ昼が済んでいないだろう」
「いえ、頼まれたのは私ですから」
「何部だ?」
「……高山さんからは、23部と指示をいただいています」
「俺も出席者だ。読み込むついでに俺がやる。……君の集中力の欠如は、ミスの再発というリスクを招く。さっさと胃に何か入れてこい。これはリスクヘッジのための業務命令だ」

強引だけど、私を気遣ってくれているのがわかった。
低く、けれどこちらの躊躇を力づくでねじ伏せるような響き。

「ありがとうございます。急いで戻ります!」
その温かさに背中を押され、私は走り出した。

***

10分後。
大急ぎで戻ってくると、そこには完璧に整えられた23部の資料が並んでいた。

「宇佐美さん、ありがとうございました!」
「ちゃんと食べられたか?」
「はい、過去一の早さで完食してきましたっ!」
子供じみた表現だったと気がついて、急に照れくさくなった。

その瞬間、宇佐美さんが見たこともないほど戸惑った顔をして、不自然に視線をそらした。

「……後は配布するだけだから」

資料を渡す指先が、わずかに触れそうになる。
彼の騒がしい鼓動が聞こえた気がしたのは……きっと、私の自意識過剰だ。

***

午後1時。

会議室から男性社員が怒鳴りながら飛び出してきた。

「高山さん! 資料、25部って伝えたのに足りないんだけど!?」
フロアに沈黙が走る。

依頼主の高山さんは、一瞬私を鋭く睨みつけた後、深々と頭を下げて謝罪した。
「……申し訳ありません、急いで用意します」
「勘弁してよ、高山さん。もう新人じゃないんだからさ」

男性社員が舌打ちして会議室に戻ると同時に、高山さんの顔から余裕が消え失せる。
獲物を追い詰めるような鋭い足取りで私に詰め寄ると、いつもの甘ったるいトーンをかなぐり捨てた、耳を刺すような金切り声がフロアの静寂を引き裂いた。

「私、25部って伝えたよね!? なんで確認しないの? 派遣だからって適当にやってるわけ?」

背後で佐藤さんが「見捨てた」ことを正当化するかのように失望を瞳に浮かべていた。
「三井さん。これじゃあ、もう私も助けてあげられないよ?」

――ああ、そうか。
この人たちは、私の「正社員になりたい」という弱みにつけ込んで、最後まで私を身代わりにするつもりなんだ。

怒鳴られるよりも、その一方的に切り捨てるような言葉に心が冷えていくような感覚を覚えた。

(そっか……この人たちは最初から私を守るつもりなんてなかったんだ――)
悲しみよりも先に、自分の抱いていた希望がどれほど滑稽だったかという事実に、ただ愕然とするしかなかった。

私がプライドを捨ててまで守ってきたのは、正社員になれるかもしれないという、その願いだけだった。

今、その唯一の願いが、この人たちの手によってゴミのように目の前で踏みにじられようとしているのだ。
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