切愛、あるいは独占 ~『不感症の神様』と呼ばれた42歳のエリート上司は、派遣の私にだけ42年分の「欲」と「愛」を溢れさせる~

結城ろか

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第3章【雨音に甘い熱】

39 十連休。トドメの一撃。 | 上司、嫉妬でキャラ崩壊【川口】

金曜日。
ゴールデンウィーク前、最後の出社日。
明日からは、いよいよ世間が浮かれるゴールデンウィークが始まる。

「もしもーし? 宇佐美さーん、聞こえてます?」

顔の前で手をひらひらさせる。
数秒の沈黙の後、微動だにしなかった宇佐美さんの喉仏が不自然に上下した。

「……なんだ?」

「なんだ、じゃないっすよ。どうかしちゃってるのは、宇佐美さんのほうです!」

僕は呆れ顔を隠さず、デスクに手をついて身を乗り出した。
さっきから何度声をかけても、この『不感症の神様』はモニターを見つめたままニヤついている。

「鏡見てください。端から見たら、ただのデレデレしたおっさんですよ」

僕がわざとらしく肩をすくめて見せると、宇佐美さんは背筋を伸ばして咳払いをした。

「正直、かなり気持ち悪いっす」

「あ、いや……昨日見たテレビ番組を思い出していただけだ。……気にするな」

下手くそな嘘だ。
あの宇佐美圭が、テレビ番組ごときでこんな顔をするわけがない。
理由は不明だが、この『不感症の神様』の脳内が今この瞬間、三井さん一色に染まっておめでたい桃源郷に浸っていることだけは確かだ。

「ところでもうすぐゴールデンウィークなんで、最終のスケジュール確認、いいっすか?」

僕が手元のタブレットを差し出した瞬間。
宇佐美さんの顔からは余裕が消え、手にしていたファイルを床にぶちまけた。

今日という金曜日を越えれば、会社の特別休暇も合わせて合計で十連休。
三井さんに会えない『地獄の空白期間』が訪れることに、この人は今、初めて気づいたらしい。

(よし、ここから一気に煽り倒す。仕上げの時間だ)

「ゴールデンウィークってフリーの女性にとっては『魔の期間』らしいですよ」

慌てて床に落ちたファイルを拾おうとするあの人を見ながら、さらにもう一押し。

「誰にも会わない退屈さに耐えられなくて、つい出来心で強引な誘いに乗っちゃうことが多いとか。……危ないっすねぇ」

「……何が言いたい」

宇佐美さんの声が一気に低くなった。
僕はその変化を楽しみながら、さらに『毒』を塗り込んだナイフを突き立てる。

「昨日あんなに怒られたんで、もう下世話な話はしませんよ」

一旦言葉を切り、あえて無関心を装って窓の外へ視線を投げた。

「ただ、僕も十連休は暇してるんですよね。誰かさんを誘って、ちょっと遠出でもしちゃおうかなー、なんて」

宇佐美さんの顔つきが、じりじりと険しくなっていくのが横目でわかる。

「……ただの独り言ですよ。でも、十日間もあれば人は変わる。僕は事実を言ってるだけです」

『十日間』という数字を、一文字ずつ噛みしめるように落とした。
三井さんと会えない、長すぎる空白。
その間に起きるかもしれない変化という呪いを、あの人の脳内に直接流し込む。

「連休明け、彼女が僕の隣で親しげに笑って出社してきても……宇佐美さんは平気なんっすか?」

僕はゆっくりと首を巡らせ、凍りついたままの上司を真っ向から見据えた。

「『それは彼女の私生活だ』って、無表情のまま納得できるんですか?」

「……ッ、いい加減にしろ!!」

ガタッと派手な音を立てて椅子を跳ねのけ、宇佐美さんが立ち上がる。
その声は昨日のような震える拒絶ではなく、僕に対する明らかな敵意を孕んでいた。

(……昨日は『自分自身』に対する恐怖だった。でも今は本気で僕を、三井さんを奪い去る外敵と見なして排除にかかっている……)

立ち上がった宇佐美さんは、僕の胸ぐらを掴みかねない勢いで一歩踏み出す。

「川口、貴様は……俺がどれほど必死に均衡を保とうとしているか、理解していないのか……ッ」

その言葉はゴールデンウィークというタイムリミットに追い詰められ、寸分の狂いもなかった『精密機器』が、初めて目に見える形で制御不能に陥った瞬間でもあった。
嫉妬と焦燥が混ざり合った、凄まじい熱がその瞳に宿っている。

「その……低俗な妄想は三井さんに対する致命的なリスペクトの欠如だ……! 失せろ、今すぐ自分のデスクに戻れ!」

「……失礼しました」

僕はこの人を人間界へ連れ戻すべく毒を盛り続け、感情に火を点け続けてきた。
あくまでも、火力をコントロールしながら。
けれど、今回はここまで盛大に着火するとは予想出来なかった。

(ちょっとヤバかったかもな。あんなに怒る宇佐美さん、見たことない)

仕事でミスをした時以上に心臓が波打ち、背中にべったりと冷や汗が張り付く。

でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
僕の任務は、あの人がこれまで押し殺してきた感情を解放させること。
宇佐美さんに嫌われる覚悟は、最初から持っている。

歪んだネクタイを真っ直ぐに戻す。
背後に感じるあの人の視線。
僕はいつも通りの軽い雰囲気を装いながら、三井さんのもとへ駆け寄るフリをした。

「三井さーん! ちょっとゴールデンウィークの予定、確認させてもらってもいいっすか?」

嫉妬、焦燥、独占欲。
僕が注ぎ込んだ毒が、今ごろ宇佐美さんの血管を駆け巡り、鉄壁だったはずの論理回路を焼き切ろうとしているのが手に取るように分かる。

***

宇佐美圭という、この難攻不落で最高に格好いい上司が、三井さんという女性の前でどれだけ人間臭く、泥臭く、本当の幸せを掴み取ってくれるのか。
それを見届けるためなら、多少の悪役くらい安い代償だ。

正直、僕だって宇佐美さんに本気で怒鳴られるのは心臓に悪い。
けど、こうでもしないと、この人は一生『冷徹で有能な上司』の仮面を被ったまま、彼女を遠くから眺めるだけで終わってしまう。

……さて。
宇佐美さん。

僕は煽るだけ煽りました。
崖の下へ続く背中は、思い切り突き飛ばしましたよ。
いい加減、自力でその『ファクトチェック』とやらに踏み出してください。

もしこれだけお膳立てして、ゴールデンウィーク明けもまだ進展なしの『上司と派遣』のままだったら……。
総務部チーフの権限を使って、宇佐美さんのPCの壁紙を全部、僕の自撮り写真に変えますからね、本気ですよ!

僕は手元のスマホで、連休明けに宇佐美さんから高い酒を奢ってもらうためのリストを検索し始めた。
五大シャトーの銘酒か、それとも入手困難な山崎の長期熟成ものか。
それくらいの対価をもらわなきゃ、僕の名演技と覚悟に対するギャラとしては安すぎる。

(……宇佐美さん。『不感症の神様』を引退する覚悟、決めてくださいよ?)

これまで仕事をスマートにこなしてきたはずのあなたが、そのプライドを全部投げ捨てて、一人の女を追いかけて走り出す。
そんな『無様な宇佐美圭』を見られるのは、世界中で僕だけだ。

……ま、もし万が一あんなに熱くなって誘って、秒速でフラれるなんていう、人生初の汚点を残したとしても、僕はフォローなんてしませんよ。
その時は一生分の酒の肴として、動画に撮ってやりますからね!
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